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地球の深部——人類が未だ足を踏み入れたことのない、光も熱もわずかな場所。


深さ一万五千メートルの岩盤を貫く巨大な掘削ドリルが、静寂を破って振動を吐き出していた。


「記録更新まで、あと三十メートル!」


白川 蓮はモニターに映るデータを睨みつけ、背後のオペレーターたちに指示を飛ばす。


ジン・マツナガが無言で操作卓に座り直し、熟練の手つきで掘削速度を微調整した。


遠い地表では、この掘削が人類史に残る快挙だとメディアが騒ぎ立てていたが、

地下の現場にとっては、まだ始まりに過ぎなかった。


「主任! ドリル先端で圧力の乱れ!」


若い地質助手、ジュン・ミナミの声が震えた。


それは掘削チームの誰もが知っていた——未知の領域に到達した時、

何が待ち受けているかを、人類はまだ理解していないということを。


数分後、ドリルの先端が、何か柔らかい層を突き抜けた。

そして、掘削孔の内部カメラが信じがたい映像を映し出した。


鉱物ではない。土でもない。

わずかに蠢く、白い粘液のような何か——。


「……生きてる……?」


ジュンの声はかすれ、誰もが息を呑んだ。


これが、すべての始まりだった。

直後の研究施設搬送シーン

深度一万五千メートルから採取された粘液状のサンプルは、

厳重に密封されたコンテナに収められ、地上へ引き上げられた。


「輸送班、最優先で中央研究棟へ!」


蓮の声が響き、掘削現場に残っていた作業員たちが一斉に動く。

ジュンは酸素マスク越しにごくりと唾を飲み、トラックに積まれたコンテナを見つめた。


— 白い粘液は、まるで呼吸しているように、内部のガラスに波紋を作っていた。


「主任、あれ……ほんとに生物なんですか?」


「まだわからない。ただの泥かもしれないし……地球外生命体かもしれん。」


蓮の答えは冷静だが、指先は無意識に震えていた。



研究施設「第七生物封鎖ラボ」。


トラックが到着すると同時に、防護服に身を包んだイザベル・ロッシが部下を引き連れて待ち構えていた。


「白川主任、これが問題のサンプルね?」


「ああ。未処理だ、慎重に扱え。」


イザベルがゴム手袋越しにコンテナを触れると、内部の粘液が僅かに彼女の手の位置へ寄るように見えた。


「……自己運動性。すぐに隔離チャンバーに移すわ。」


「解析班は?」


「今すぐ呼び寄せる。あなたも休む時間はないわね。」


サイレンのような搬入用カートの電子音が、静かな廊下を引き裂いていく。


研究員たちはまだ誰も知らない。

この小さなコンテナの中で、地球の深部で進化し続けた"何か"が、

人類を新たな宿主に選ぼうとしていることを。



地下深部の闇は、いま、確実に地上へ滲み出し始めていた——。


掘削チーム内での異変

サンプルが搬送されてから三日後。


掘削現場では通常の作業が再開されていたが、チームの空気はどこか重苦しかった。


「おい、遠藤の様子見たか?」


休憩コンテナの奥で、若い作業員が囁くように言った。


「ああ……顔色が死人みたいだったな。熱が下がんねぇって。」


蓮は配線トラブルを修理していた手を止め、その会話に耳を澄ませた。


「おい遠藤! まだ休んでろ!」


どこかで怒号が響く。

振り返ると、床に膝をついた遠藤が息を荒くして立ち上がろうとしていた。


「遠藤、休んどけって……おい! おい遠藤!」


遠藤の目は焦点が合っておらず、乾いた口元から白い泡が垂れていた。


— そして突然、彼は自分の喉をかきむしり、のけぞった。


皮膚の下を、何かが蠢いている。


「主任、離れてください!」


ジュンが駆け寄ろうとするのを、蓮は腕で制した。


遠藤の体から、鼻孔と口の奥から、かすかに乳白色の繊維状のものが伸び始める。


「……嘘だろ……寄生……!?」


叫ぶ間もなく、遠藤の体は仰向けに倒れ、背中を叩きつけた衝撃で、内部から破れた繊維が一気に広がった。


作業員たちはパニックに陥り、退避用のシャッターが無情に閉じる音が響いた。


その奥で、白川蓮は呟いた。


「……もう手遅れかもしれん……」


誰よりも掘り進めた自分が、その扉を開けたのだ。


人類は、触れてはいけないものに触れてしまった。


感染者が暴走し他の作業員を襲う

遠藤の変異体が地面に倒れ込んだまま、誰もが息を殺して動けずにいた。


ジュンが青ざめた顔で呟く。

「……動いてない……のか……?」


その言葉を嘲笑うかのように、遠藤の体が痙攣を始めた。


パキパキと骨が軋む音。

体の関節があり得ない方向に折れ曲がり、背骨を中心に蠢く白い菌糸が皮膚を突き破った。


変異した“遠藤”が、のろのろと立ち上がる。

両目は白濁し、歯の隙間から糸のような粘液が垂れ落ちている。


「退避! みんな後ろへ!」


蓮が叫ぶと同時に、変異体の足が床を蹴った。


人間だった頃よりも異様に素早い。

近くにいた若い作業員が悲鳴を上げる間もなく、喉元に白い触手が突き刺さった。


作業員の体が痙攣し、目が虚ろになる。


「もう一人感染したぞ! 引けッ!!」


ジン・マツナガが鉄パイプを手に取り、変異体に叩きつけた。

だが肉を裂いても、菌糸が絡みついて傷口を塞ぐ。


変異体はさらに数人の作業員に飛びかかり、次々と白い繊維を植え付けていく。


「主任! こっちは通路確保できました! 早く!」


ジュンが震える声で叫ぶ。


蓮は倒れた仲間たちを振り返り、歯を食いしばった。


「……これ以上は助けられん。生き残るぞ、ジュン!」


彼らの背後で、増殖する変異体が群れとなり、機械音の残る坑道を徘徊し始めた。


人類の最初の防衛線は、あまりにもあっけなく突破されたのだった。


施設内に事態が伝わる

「……繋がったわ! 主任、聞こえる?」


ノイズ混じりの無線機から、イザベル・ロッシの声が弾けるように響いた。


蓮は、避難用のサブ坑道にジュンを先に押しやりながら、血の気の失せた顔で答えた。


「こちら掘削班! イザベル、聞こえるか——感染者が暴走した! 既に複数名が……!」


無線の向こうで、研究員たちの動揺する声が入り乱れた。


「主任、確認する! 感染者の動きは——人間の制御が可能か!?」


「……無理だ! やつらはもう“人間”じゃない! 攻撃的で、菌糸で他の宿主を作る! 施設内に向かう可能性が高い!」


イザベルは唇を噛み、研究室の窓越しに封鎖チャンバーで蠢くサンプルを睨みつけた。


まさか、これほど早くヒトに完全寄生するとは——


背後では、管制室のセラ・ルイスが低い声で叫んだ。


「非常封鎖プロトコルを発動! 研究棟A〜Dの通路を全てシャット! 警備班は武装して最前線へ!」


サイレンが施設全体に響き渡る。


廊下を走る白衣の研究員たち、隔離区画へ駆け込む看護師たち、ドアの自動ロック音が連続して鳴った。


イザベルの視線が、隔離チャンバーの小窓に戻る。


透明なガラス越しの粘液は、まるで外の混乱を楽しむかのように、ガラス面に張り付き蠢いていた。


「……これは、もう局所封じ込めでは済まない……」


誰もが心の奥で悟っていた。


——地底の病原は、もう“この壁”を超えようとしている。


イザベルが緊急対策をまとめる

サイレンが鳴り響く中、研究棟Bの封鎖会議室に、研究主任クラスと防疫担当の責任者が集められた。


壁一面のホワイトボードに、イザベル・ロッシが乱雑な化学式と感染経路図を書き殴っていく。


「感染者は体液、触手状菌糸、空気中の微細胞から感染が拡大するわ。特に密閉空間では数分で蔓延する……。」


横でメモを取る助手の声が震える。

「……ワクチンや薬剤は、開発できるんですか……?」


イザベルは振り返り、冷たい目をしたまま言った。


「理論上は可能よ。ただし、標本の培養速度が人類の技術を上回る速度で進化している……効果が持続する保証はない。」


部屋の隅でセラ・ルイスが腕を組んだまま睨みつけた。


「要するに、対症療法じゃ追いつかないということだ。」


「……ええ。」


イザベルは額に手を当て、深呼吸をひとつした。


「——でもやるしかないわ。

一時的でも感染拡大を遅らせる薬剤を作る。

同時に、感染源の“母核”を断たない限り終わらない。

掘削チームに再侵入させるしかないのよ。」


部屋が凍りついた。


「再侵入だと? あの化け物だらけの坑道に戻れというのか!」


若い主任が声を荒げるが、イザベルは一瞥して切り捨てた。


「嫌なら引き受けなくていい。私が行く。」


その瞳に宿るのは、好奇心ではなく——

執念だった。


セラが冷たい声でまとめた。


「いいだろう。掘削主任の白川と、傭兵班の志賀に正式に再侵入命令を出す。

こちらは防疫ラインを最大化して時間を稼ぐ。」


イザベルは最後に一言付け加えた。


「これはもう、研究じゃない。

人類が、地底の生命とどちらが生き残るかのレースよ。」


彼女の指先が、ホワイトボードの『感染母核』の文字を強く叩いた。

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