8/20 変人はどうしても目立ってしまうもの
「バートラム陛下、シーザリオ・アドリアの話はお聞きになりましたか?」
民政長官の問いも眉一つ動かさなかったが、バートラム・ラグーサは内心で驚いていた。
――またシーザリオ・アドリアか。
先ほどは軍務長官が彼の盤上遊戯の話題をしていた。派手な戦法か飛び交う盤面はかなりの見ごたえがあるそうだが、何よりその戦術が興味深いという。古の名将イスカンダルの戦術を真似ていると、熱を帯びた口調で語っていた。
その前は剣術指南役が彼の剣と胆力を褒めていた。決闘を申し込まれ、見事に返り討ちにしたという。剣だけでなく馬も上手いらしい。このラグーサ王国ならばともかく、決闘ごとの少ないであろうイリア半島から来たというのに大したものだと感心していた。
「今度はなんだ? シーザリオが空でも飛んだか?」
「いえ、女性たちが軒並み骨抜きにされているそうです」
「なんだと?」
「彼が持ち込んだ物語や脚本が先進的で独創的だったようで、夢中で読み漁っているようです。私の妻も娘も、最近は読書に耽るか本を片手に友人と語らうかという日々を過ごしています」
「ほう」
彼がラグーサでの生活を始めてから、まだひと月しか経っていない。にもかかわらず、これほどまで皆の印象に残り、しかも好意的に迎えられているという事実は、驚きだ。そして彼が持ち込む文化が目新しいという点にも興味が向く。
ラグーサ王国とイリア半島は、大城壁で分断されているとはいえ隣り合っている。わずかとはいえ交易や交流がある。文化は近いはずなのだ。それでも驚くような文物をもたらしたということは、常に新しいものや珍しいものを追及してきた勉強家なのだろう。
領主の嫡男として常に成長を心がけてきたのかもしれない。バートラムの中で、シーザリオの評価がまた一つ上がる。
「今日の午後の予定はどうだったか?」
「はい。ヤリザ大公とニサシ枢機卿が教会への寄付を依頼したいとのことで、面会の申し入れがあります。陛下にお時間の空きがあれば謁見可能であるとだけ伝えてありますが……」
「後日に回せ。いや、内政長官が話しを聞いておけ。サロンにシーザリオは来ているか?」
「はい。朝からコンバ公と遊戯盤を囲んでいるようです」
「顔を出してみよう」
サロンは、その主が有力者や知識人、芸術家などを呼んで会話や交流を楽しむものだ。だがバートラムは王宮のサロンを開放し、皆に自由に使わせていた。だからバートラムがいなくても皆が歓談しているし、むしろ顔を出したら驚かれたりもする。
それでも今日は行ってみたかった。
目立たぬように人を一人連れただけでサロンに足を踏み入れると、彼の居場所は一目でわかった、人だかりができている。その最後列にそっと立つと、静かに見守った。輪の中心では、金髪の青年が楽しそうに談笑しながら駒を動かしている。
しばらく見ていてわかった。シーザリオの遊戯盤は大人気だった。
勝率は高いし、次々と派手な戦法を繰り出す盤上は、常に動きがあって華やかだ。それでいて、負けるときはコテンパンに負ける。大勝ちするかボロ負けするかのどちらかだ。彼としては普通に指しているだけなのかもしれないが、見世物として成立してしまっている。対戦相手に立候補する者は後が絶えないし、それ以上に観戦を希望する者も多い。
内容だけでなく指している姿も見栄えがする。姿勢よく背筋を伸ばして、指の先まで美しい所作で自信を持って駒を置く。容姿端麗なシーザリオが、まるで物語の主人公のような外見と所作で華々しい盤面を展開すると、女性たちの心を掴んでしまうのだ。黄色い歓声が飛ぶようになっていた。それでも女性にだらしなくするでもなく、常に気取らず驕らず、楽しそうにしている。それだけでも人に好かれる男だと感じられる。
「……面白い男だ」
つい言葉をこぼしてしまった。
声に気づいた者が振り返り「陛下?!」と驚き、それは部屋中に波及していった。室内は騒然とし、もはや遊戯盤を続ける雰囲気ではない。
「邪魔をした。続けてくれ」
様子は見ることは出来た。十分だ。
サロンを出て執務室へ戻ろうと歩き始めると、後ろから声がかかった。シーザリオだ。
並んで歩きながら「すみません」と切り出した。
「陛下のサロンなのに、我が物顔で居座ってしまいました」
長いまつげを瞬かせて愁いの表情を浮かべるシーザリオは、先ほどの賑やかな様子とは打って変わって、庇護欲をくすぐって来る。なるほど、皆から好かれるわけだ。
「構わない。俺のサロンは、そういう場だ」
「そういう場……ですか?」
「国を運営するにあたって、資金と軍事力が充足したら、次は文化だと考えている。だから王宮のサロンを開放している。知識人も文化人も芸術家も資本家も、皆が集えばそれでいい」
「なるほど。……え? ええ?! あのラグーサ王国が文化に投資をっ?!」
一瞬納得しかけたシーザリオが、大口を開けて驚いている。もし彼が女性であったら、そのはしたなさに顔をしかめたかもしれないが、男であれば許される範囲の変顔だろう。
「驚く気持ちも分かる。知ってのとおりラグーサに住む男どもは、戦と血が好きな輩が多いからな。……その傷も、8年前のものなのだろう?」
バートラムが問うと、シーザリオは右頬を抑えて明らかに動揺した。やはり過去の事件には触れない方がいいようだ。
「俺があまり血を流さずにいられるのは、幸運だからだ」
「幸運といいますと?」
「俺が父である先王を追放したのは7年前だ。その1年後、今から6年前に父の取り巻きだった戦好きの老人たちが粗方消え去った」
「き、消え去った……のですか?」
「別に俺が何かをしたわけではない。対外戦争で利益を出すという考えに固執した年寄どもが、他国へ侵攻したいと主張してきたから、勝手にしろと言っただけだ。その結果、彼らのほとんどが他国に骨を晒す結果となった」
「ひええ……」
王だけでなく重臣も含めて代替わりが出来たので、膨張主義的な政策を一転して、内政重視に舵を切れた。こればかりは運の要素も大きい。
とはいえ軍事偏重主義者どもはしぶとく生き残っている。バートラムは苦々しく前を見た。執務室の前には、二人の老人が陣取っている。
「陛下! お待ちしておりましたぞ!」
ヤリザ大公とニサシ枢機卿だ。やつらは教会を隠れ蓑に寄付を集め、軍を組織している。準備が整えば、勝手に対外戦闘を始めるだろう。最近のバートラムの労力のほとんどは、彼らの掣肘に割かれている。
「実は教会の修繕に莫大な費えが必要になりましてな。陛下にはほんの一部でよいので負担を……」
ヤリザ大公が大きな腹を揺らしながら、バートラムの左手を掴むが冷たくあしらう。
「国庫に無駄な金は無い」
「まあまあ。まずは詳しい話を聞いてくだされ。お酒も交えながら宴を用意しようと考えておりまして……」
ニサシ枢機卿が脂混じりの汗を拭きながら、バートラムの右手を握るがそっけなく扱う。
「公務で忙しい」
どうせ無理難題を押し付けるに決まっている。いや、難癖をつけてバートラムの醜聞を作り出したり王の権威を損なうような行いをしたりすることもある。いずれにしろ彼らに付き合う得はない。不快なだけだ。
執務室へ入ろうと二頭を押しのけるが、ヤリザ大公が鼻を鳴らして踏ん張った。
「では別の話しではどうかな。今度ワシの誕生日の祝いで宴をするので、ぜひ陛下にも出席してもらいたい。まさか、まさかこの叔父の祝宴を断るということもあるまいな? 家族の縁を蔑ろにするのか? 何の落ち度もないワシに冷たくするようでは、狭量で偏屈な王であると噂されてしまうぞ? ん、どうだ?」
鼻息も荒く顔を寄せて来る。不快だ。
だが確かに断りすぎるのもよくない。寄付であれば財政状況を勘案しての回答であると説明できるが、誕生日の祝宴はそう簡単ではない。一応は血の繋がりがある相手が、落ち度無く招待しているのだ。これを断ると憶測を呼ぶし分断にもつながる。
ヤリザ大公を忌避してのことだとしても、逃げただの臆病者だのといった風聞を生みかねない。だが、行けば間違いなく不快であるし不利益だ。
だがバートラムは面白い方策を見つけてしまった。外国の貴族がいる中では、さすがに変な真似は出来まい。
「分かった。ほかならぬ叔父の祝宴だ、行こう。だがせっかくだ、ラグーサ王国の社交界で今を時めく貴公子、シーザリオ・アドリアも同行させよう」
「えっ」
双子だけある。驚いた顔はあの女性にそっくりだ。
タイトル変えてみました