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1/20 継母は騒動を起こすもの

「いい天気、さいこー!」


 オリヴィアが馬に跨ると、心地よい春の風が、彼女の黄金の髪を揺らした。

 城の門前から見渡すと、眼下には城を囲むように街並みが広がっている。遠くを見れば町を取り囲む城壁があり、その向こう側は一面緑色の麦畑だ。


「今日は麦畑まで降りてみようかな」


 馬に乗ったまま城を出ると、まずは町へ向かって坂を下る。商店区や市場区は、相変わらず大賑わいだ。

 織物商が、見本の端切れを店先に広げて客に見せている。陽光の下で見る先染めの織物はどれもきれいで、大勢の客が見入っている。


「相変わらずの繁盛ね」


「おやオリヴィア様、相変わらずお美しい。東から良い絹織物が入りましたので、ぜひご覧ください。後ほど城にお持ちいたします」

「本当? ありがとう!」


 織物商が一分の隙も無い姿勢で一礼する。

 その向こうでは材木商が、たくましい男達を激励しながら木材を馬車に積んでいる。どれもまっすぐで節が少ない。良質材ばかりだ。


「精が出るわね」

「おお、姫様! 冬場に切った木は、今が売り時ですからな! じゃんじゃん捌いていきますぜ!」

「頑張ってね!」


 材木商は、太い腕を器用に動かして荷車に木を縛り付けていく。

 町の入口では、吟遊詩人がリュートを引きながら英雄譚を歌っている。早口ながらも響く歌声で、耳に心地よい。


「いつも素敵な歌声ね。新しい歌はあるかしら?」

「やあ麗しの姫君、オリヴィア嬢。東方の姫と騎士の恋物語を仕入れました。来月は16歳のお誕生日ですよね。お祝いに歌を送りますよ」

「楽しみ! ぜひ聞かせてね」


 馬で通り過ぎるオリヴィアに向かって、リュートを大きくかき鳴らしてくれた。

 祭りのように賑わう市街を通り過ぎ城門を抜けると、視界には大きな街道と両脇に広がる麦畑が飛び込んで来る。


 街道は石畳が敷かれ、港町や近くの村々から大勢の人々を呼び寄せている。野菜を積んだ荷車を牛に引かせる農家、葡萄酒の樽を運び込む商人、道で芸を見せながら歩く大道芸人。

 麦畑では、麦の様子を見る老人や水路の石組みを直す職人、畑に入り込んだ仔馬を追いかける子どもなどがちらほら見える。

 この平和で賑やかな光景を見るたびに、オリヴィアは嬉しさがこみ上げて来る。オリヴィアの住むこの町が、商業の中心であり、農業の中心であり、文化の中心であるあかしだ。

 今日のように公務の無い日などは、決まって街を見て回る。なお今日は、家庭教師による歴史の授業と幾何学の講義を放り出しているが、公務ではないので考慮しない。

 さて、このまま港町まで足を延ばしてみようかしら。そろそろ海老や貝が旬だから、海辺でのお昼ご飯はとっても魅力的かも。そんな風に考えていると、後ろから可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。


「お嬢様~。お待ちください~」

「あら、オシノ。あなたも遠乗りに出る?」


 小さなロバに乗ってトコトコと追いかけてきた栗色の髪の小柄な少女は、オリヴィアの言葉を聞くや否や、顔を真っ赤にしてぷんぷんと怒り出した。


「だめですよぅ、お嬢様。お一人で出歩いたら、どんな危ないことがあるか分かりませんっ! さっ、帰りますよっ」


 ロバから飛び降りたオシノが、精いっぱい背伸びをしながらも、器用にオリヴィアの乗馬に引き綱を付けると、町へと引き返そうとする。


「でも、港町の食堂で、取れたてのお魚をお昼ご飯に頂くのは魅力的じゃない?」

「あっ素敵ですね。今の時期ならチコ魚の塩焼きとアサ貝のワイン蒸しなんて素敵ですねぇ……っって駄目ですよぅ! さっ、山賊に襲われないうちに帰りますよ」

「そんなに危ないことは無いと思うんだけどなあ」

「それは領主様が……オリヴィア様のお父上が良いご治世をなさっているからですっ。でも領地の外の人は、そんなのお構いなしですからね。危ないときは危ないのですよぅ」


 オリヴィアの父は代々イリア半島を治めるアドリア家の当主であり、父の居城を囲むように広がるイリアの町は半島最大の都市だ。父はアドリア家の家督を継いでからは内治に注力している。この地に平和と繁栄をもたらした領主として、皆から愛されているのだ。

 父のことは誰よりもオリヴィアがよく知っている。にもかかわらず、もったいぶって講釈するオシノが可愛らしくて、思わず笑みがこぼれてしまう。うん、後で飴でも買ってあげよう。


「あら?」


 町に向かって馬を進めていると、奇妙な光景が目に入った。どこからか現れた騎馬の一団が、駆け足のまま街の北門へと吸い込まれていったのだ。不審に思っていると、二つ、三つと、次々に騎馬隊が街へと入っていく。


「ねえ、オシノ。おかしいわ」

「はい、お嬢様。今日はお客様の予定もございません。まさか……また、北の狂王子が攻めてきたでしょうかっ?!」


 イリア領は、北の境界がラグーサ地方に接している。かつては恐怖公と呼ばれた戦好きの王が周辺へ侵攻を繰り替えし、このイリアの地でも血が流れた。そして今は、恐怖公を実力で排除した息子が、狂王子として恐れられているという。戦争と聞いて真っ先に思い浮かべるのが、ラグーサだ。


「でもそんなはずないわ。イリア領とラグーサ領の間には大城壁があるもの。あれが簡単に破られるはずがない」

「では、いったい何が……」

「分からない。でも、急ぐわよ!」


 オシノを馬上に引き上げて後ろに乗せると、オリヴィアは馬を走らせた。近づくにつれて町の様子が分かって来る。街路では人々が騒がしく行き交っているが、先ほどまでの朗らかな賑やかさとは違う。切羽詰まった怒号が飛び、必死の形相で走り回っている。


「オシノ、しっかりつかまっててね」


 手綱をしっかり握ると、街の中へ飛び込んだ。混乱する人々の間を縫うように馬を走らせ、城に続く坂道まで来ところで、オリヴィアは驚きに目を見張った。


「城門が封鎖されているわ」

 槍や剣を手にした兵たちがたむろし、城に出入りしようとする者を捕らえている。

「ひえっ。もしかして、もしかして……戦争ですかっ!」


 オシノが泣きそうな声を上げる。


「きっと違うわ。戦争って、もっと大勢の人が恐ろしいことをするものよ。……でも様子が分からないと、何もできないわね。城に入るわよ」

「な、中に入るんですか?! 危ないですよぅ」

「大丈夫、良い抜け道を知っているの」


 オリヴィアには、血族が二人しかない。父と弟だ。そして二人とも城内にいるはずだ。放っておけるはずがない。

 城の外を壁に沿って走り、町はずれの寂れた一角まで来ると、古びた排水口の前で止まった。城からの排水を流すもののはずだが、口は錠付きの板で閉じられており、使われていないことが分かる。


「これ、なんですかぁ?」

「古い排水の出口よ。昔はここから下水道へ流していたんじゃないかしら。でもね……」


 言いながら鍵を取り出して開錠すると、板を引いた。油の差してある蝶番が付いた板は、音も無く開く。


「今は城の内外をつなぐ秘密の抜け穴になってるの」


 小さな排水口は、背の高いオリヴィアはかがみこまないと通れないが、オシノは少し頭を下げただけで大丈夫だった。中に入ってしまえば、高さも幅も十分にある。


「普段、こんなところから脱走なさっていたんですね。まったく、もうっ」

「ここだけじゃないけどね。私の抜け道は108個あるの」

「まあっ、淑女たる者、逃げたり隠れたりしてはなりませんよ。後で洗いざらい、全部白状していただきますからねっ!」


 オシノの怖くない説教を背中に、下水道を進んだ。突き当りには鉄格子がある。こちらからは見えないが、鉄格子の向こう側に錠が付いている。場所さえ分かっていれば、鍵を指すのも難しくはない。慣れた手つきで開錠し、目前に現れた急な階段を上っていく。


「この抜け穴は、東塔の最上階に繋がってるの。戦時には東塔に籠る手はずだから、きっと誰かがいるわ」


 父と弟の顔を思い浮かべながら、階段を駆け上る。九十段ほど上がったところで、木の扉が現れてゆく手を遮った。


 ――お願い、無事でいて。


 祈りながらドンドン、ドンといつもの約束のとおりの拍子で扉を叩いた。

 じっと待つが返答はない。しかし、しばらくすると扉の向こうで人の動く気配があった。軋む音を立てながら開いた扉の向こうには、オリヴィアと同じ顔の人物がいた。金色の髪から目鼻立ちまで、寸分たがわずそっくりだ。


 双子の弟、シーザリオだ。

 唯一オリヴィアと違うところといえば、右頬に残る刀傷だ。この縦に走る古傷がなければ、オリヴィアすら鏡を覗いたのかと錯覚するほどにそっくりだった。


「シーザリオ、無事だったのね!」

「今のところはね。姉さんも怪我が無さそうでよかったよ」


 シーザリオにもけがは無さそうだ。淡い色の更紗の普段着には、傷も汚れも無い。周りには、良く見知った衛兵が数人いるだけだ。父の姿はない。


「何が起きてるの?」

継母ははだよ」


「継母? ああ、マライアのこと? あの高慢ちきで浪費家で、そのくせお父様の前では猫なで声で誠実ぶる、いけ好かない継母のマライアが、どうしたの?」


 オリヴィアがつい思ったことを口にすると、後ろからオシノの「お嬢様、淑女らしくないお言葉ですよっ。内容は私も全く同意見でございますがっ!」という声が聞こえてきた。それらを丸ごと聞き流したシーザリオは、愁いを帯びた顔で頷いた。


「そう。その継母のマライアが、兵を引き入れて父さんを拘束した。反乱だよ」

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