15/20 彼は全てを知っているんだもの
大城壁は、イリア半島の根元を東西に走る長大な石壁である。半島の入口を完全にふさいでいるため、陸路でイリア領を目指すのであれば必ずここを通らなければならない。
かつては頼もしかったこの防壁が、今は越えがたい障壁として立ちふさがっている。
「どうしよう」
オリヴィアは途方に暮れていた。
父ヴィルジオが8年前の争乱の後に莫大な費用をかけて築いた鉄壁だ。当時のラグーサ王国による信仰の際に、イリア半島が受けた被害は甚大だった。オリヴィアの母も命を落とし、シーザリオも大怪我を負い、オリヴィア自身もあわや命を落とすところだった。
いくつもの町に被害を出したため、大商人たちが積極的に資金を出したこともあり、その造りは堅固だ。容易には抜けられない。
「ヴィルジオ様が縄張りまで手を配ったそうですっ。建物自体には瑕疵も欠陥もないでしょうねぇ」
「マライアの手先がいるかもしれないから、堂々と門をくぐるわけにもいかないし……」
オリヴィアとオシノが二人で頭を抱える横で、颯爽と立ち上がったのはストラトフォードだ。
「おませください、オリヴィア嬢。貴女の心の騎士であるこのストラトフォードが、英知と勇気をもってこの危地を切り開きましょう」
華麗な手つきでどこからか一着のドレスを取り出した。貴族が舞踏会で身に着ける高級なものではない。道化者や大道芸人が纏うような、面白味のある派手な衣装だ。
「吟遊詩人と旅の一座という体で、脱出しましょう。オリヴィア嬢、あなたは今から歌姫ロザリンドだ。オシノ嬢は、軽業師パックということにしよう」
言いながらストラトフォードは、懐から何枚もの紙を取り出した。大城壁の通行許可証の束だ。被許可者の欄には、様々な名前が書かれている。
「ストラトフォード! あなた、それ偽造したものじゃないでしょうね?」
「天から与えられたのですよ。普段の行いが良いと、こういう時に役立つのです。顔と声以外にも天からたくさんの物を授けられているんですよ」
「まるで脱走を叱られたお嬢様のような良いわけですねぇ」
そんな会話をしながら手早く着替えると、三人は大道芸人の一団として城壁の門へと向かった。遠目に見る限りでは、衛兵の盾についている紋章に「玉ねぎに巻き付く百足」の絵は無い。オルシーニ家の兵はいないようだ。少し安心する。
「止まれ!」
通行許可証を示すと、居丈高な衛兵は、許可証とオリヴィアたちの顔を交互に睨みながら唸りだした。
「ラグーサ王国側から入ろうっていうのに、アドリア家の許可証が三枚か。怪しいな」
「それは雰囲気で疑っているだけでしょう、衛兵殿。我々は旅の一座ですからね。今日は南でリュートを奏で、明日は北で歌声を響かせます。吟遊詩人には領土の境目など何の価値も無いのです。いずれにせよその許可書はアドリア家の公式のものですので、確認していただければわかるのですけれどね」
ストラトフォードがよく分からない言い訳をすると、衛兵は「分かった、分かった。確認するから待ってろ」とオリヴィアたちを大城壁内の一室へ入れた。明るい室内には窓から爽やかな風が入り、意外ときれいだった。
「まあ大体いつもこんなもんです。衛兵から見た吟遊詩人なんてものは、枯葉のような信用しかないのです」
「平時だったら私の信用も随分下がっていたわよ。でも今は頼もしいわ」
「困っている女性を助けるのは、誉れです。このような機会を与えてくださり、むしろ感謝しています。まあ、ここはこの美しい吟遊詩人ストラトフォードを信じてください」
ストラトフォードはいつものとおり笑っている。安心させるための振る舞いなのだろうけど、本当にほっとしてしまう。
「うん、もちろん信じてるわ」
しばらく待っていると、窓の外から足音が聞こえてきた。一人や二人ではない。それに金属の金属や革の擦れ合う音がする。
嫌な予感に腰を浮かしたところで、外から扉が開かれた。
「やはりここにいたか」
バートラム・ラグーサだった。
「陛下……!?」
鎧を着けた男たちを連れて入って来たバートラムは、無表情でオリヴィアを見つめている。
「大城壁を通過しようとする金髪の男性あるいは女性は、全て足止めするように手配りをしていた」
「な、なんで……?」
男ならばともかく、女までも手配していたとは、どういうことだろうか。そんなオリヴィアの疑問は、バートラム自身の口から答えが語られた。
「お前の家にコチニールの染料の小瓶があった。そこから赤い染料で頬の傷を装っていたのだろうと推測し、シーザリオが本当は女だと気付いた。だからお前の足を止めるために男も女も手配したのだ、オリヴィア」
「うえっ?!」
オリヴィアの口から、今日何度目かの悲鳴が飛び出た。まさか正体までバレていたとは。
「シーザリオと入れ替われるほどにそっくりな人間など、双子の姉であるオリヴィアしかいない。それにオリヴィアなら、馬に跨って座ったりズボンをはいたりということにも慣れていただろう?」
言われれば、そのとおりなのだ。入れ替わっているかもしれないという点にさえ気づけば、答えはそこに転がっているのだ。
「でも、何で大城壁の衛兵が陛下の命令で私達を足止めしたんですか? この大城壁は父が……ヴィルジオ・アドリアが作り上げたものです」
「簡単な話だ。この大城壁は、ヴィルジオ・アドリアと俺の二人が支配している」
「うえぇっ?!」
「俺とヴィルジオの間には、密約があった。その約束を果たすために俺は、ラグーサ王国とイリア半島の争いを避ける必要があった。そこで俺とヴィルジオの2人で資金を出し、大城壁を築いたのだ。だから衛兵へ連絡する術も持っていた」
「ふえぇぇ」
今日何度目の叫び声をあげたか分からなくなってきた。
惑乱するオリヴィアを置いて、冷静なオシノが前に出た。
「バートラム陛下とヴィルジオ様が同盟関係にあったということですねっ?! ということは、もしかするとラグーサ王国がアドリア家を救援することもやぶさかではないのですかっ? すぐにも兵を動かしていただけるものですかっ?!」
「確かに今は近衛兵隊を率いて来ているが……今はオリヴィアを安全な場所に移すのが先だろう」
その言葉に、オリヴィアの目に火がともった。
「陛下! 無礼と承知でお願いいたします。アドリア家の内紛を収めるため、反逆者マライア・アドリアを放逐するため、お力添えをいただけないでしょうか? 弟シーザリオは、今この瞬間も命の危機に瀕しているはずです。彼を助けられるなら、いかなるものも差し出します」
オリヴィアは、バートラムに深々と頭を下げた。答えは、即答に近かった。
「分かった。力を貸そう。ヴィルジオとの密約もあるしな」
「ありがとうございます! ……あの、陛下。父との密約って、何ですか?」
「10年間、イリア領に兵を入れなければ、オリヴィアと結婚を許してもらえる約束だった」
「ほええぇぇ??」
今日何度目の叫び声をあげたか、さっぱり分からなくなった。
――オリヴィアが悲鳴を上げる少し前。
ラグーサ王国の王都では軍勢を集める動きがあった。目的は、イリア半島への南進だ。
「まさか恐怖を抱いている人はいないわね? 闘争に興奮を覚えるのはラグーサ王国の民の性質であるのは、疑いようのないこと。さあ、出征するわよ!」
王妹ルカが、手勢を率いて出立したのだ。
「目標はイリア半島。シーザリオ様をお探しし、お助けするのよ!」
お姫様が雷発した。愛の猪突猛進が始まったのだ。




