「お尻に目がある妖怪」
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あれは俺がまだ若い頃、そうだなあ江戸時代の後期のことだ。
あの頃の俺は、のっぺらぼうの面をかぶって、人気のない夜道を歩く者の前に現れては尻を見せつけて脅かしていた。
突然ののっぺらぼうからの尻見せコンボは幾多の人間を恐怖のどん底に突き落としたものだ。
そんなことを繰り返していたある夜、俺はあることに気が付いた。
相手に背を見せて尻を突き出している体勢では、脅かした奴の恐怖におののいた顔を見ることができない。
面には目立たない程度の小さな穴が開いていたが、それでは視界が狭すぎた。
悲鳴を聞くだけでは物足りなくなっていた俺は、どうにかならないかと尻を出したまま考えた。
しかし、特に良い考えは浮かばなかった。
「尻に目があれば、驚かせた奴の顔を見れるのになあ」
そう呟いたとき、突然視界が変化した。どう変化したかというと、正面だけでなく背後の様子も見えるようになったのだ。
突然のことに俺は驚いた。とっさに後頭部を抑えたが、視界は遮られない。どうやら後頭部に目ができたわけではないようだ。
じゃあ背中か。そう思ったが、着物を着ているのに視界が覆われていないので、そこではないと判断した。
一度落ち着いてから、新たな視界から見える光景をよく観察してみた。すると見える景色が、少し低い位置から見た時のもののように感じた。
もしやと思い、手を後ろに回して尻の前で振ってみた。すると視界の中に自分の手が映った。
「尻に目玉ができた!」
仰天した俺は面を外して尻を確認しようとした。しかし、面が顔から取れない。
「何故だ、なぜ取れない!」
面の縁に指をかけて、必死で取ろうともがいた。しかし、だんだんと面の縁が顔にめり込んでゆき、とうとう顔と繋がってしまった。
「な、なんということだ!」
俺は妖怪になってしまったのだ。
それとあと、これは後日に気づいたことなのだが、尻の目は雷のような強烈な光を放つオプション付きだった。
尻に目があるのっぺらぼう。しかもその目がピカッっと光る。なんと奇怪な妖怪に成り果てたものだ。
だが、くよくよしていても仕方がない。俺はこの妖術を活かして、これまで以上に人を驚かせた。
そんな感じで、妖怪ライフを謳歌していた俺の人生に転機が訪れたのは、妖怪化してから百とうん十年以上経った頃のことだ。
その転機とは!ある年の年末、夜の街中。人ごみの中を、グラサンとマスクで顔を隠して歩いていた俺の前に現れた、あの光景だ!
それは、クリスマスのイルミネーションだった。夜の街を輝く光で飾ったあの幻想的な光景。美しかった。感動で尻の目から涙がこぼれた程だ。
俺は自分もこの美しい光景を作りたいと思った。そしてその時、俺は電飾職人になると決意したのだ。
その後、俺は名前を「尻目 イルミネーション」に変えて新たな人生を歩み始めたのだ。
「それから独学で勉強して電飾職人としての腕を磨いた。それと同じ時期に“あぶる”と出会って結婚。そして、お前が生まれたってわけ」
そう言って父さんは、発泡酒の缶に口を付けた。
「父さん、その話もう聞いた。これで何度目よ」
食卓に頬杖をついて、つまらないという意思を込めた視線を父さんに送る。
「そうか、でもいいじゃないか何度聞いても感動的だろ?」
「はぁ…、どこがよ」
私は父さんから視線を外した。
そして、顔に収まった大きな一つ目をギョロリと動かし、父さんの酒のつまみに狙いを定めた。そして素早くそれを奪い口に入れた。
「これ付けないのか?」
父さんが、七味唐辛子がかかったマヨネーズ入りの小皿を私の方に寄せた。
「いらない、そのままが良いの」
頬杖をついたままスルメをカジカジする。口からはみ出たスルメが顎を動かすたびに上下に動く。
「行儀が悪いな」
そう言って、父さんはスルメにマヨネーズを付けて口の方にもっていった。
スルメの先端がのっぺりとした顔に触れた瞬間、顔の内部に吸い込まれるように消えていった。
「尻を見せつける人に、行儀がどうの言われても」
瞼を少し閉じて半月型になった目で、父に冷たい視線を送った。
「ハハ、返す言葉もありません」
頬が盛り上がり、顔にしわが寄る。目も鼻も口もないのに、父は表情豊かに笑った。
「楽しそうね」
台所からスナック菓子と酒の缶を持って帰ってきた母さんが、私の向かいの席に着く。
そして、私とそっくりな大きな一つ目で、つまらなそうにしている私と、笑う父さんを交互に見た。
「今度は、俺とあぶるの馴れ初めを話そうか?」
「それも何度も聞いた!」
「ふふふ」
私は、可笑しそうに笑う母さんの方を見た。
ウェーブのかかった濃い藍色の長い髪。顔の中心には黄色い瞳の大きな一つ目。口にするどいギザギザの歯が並び、額には小さな角が二本生えている。
燃えるように赤い肌が、着ている黒いTシャツとのコントラストで、より鮮やかに見える。
次に、父さんの方を見た。
毛のないツルリとした頭。目鼻口のない顔。色白でも焼けてもいない肌。筋骨隆々な体を、青いジンベエが包んでいる。
鬼の母と、のっぺら大男との間に生まれた私はというと。
髪は金髪ショート。顔の目は一つだが、母とは違い瞳の色は明るい水色で、歯もギザギザしていないし、角も生えてない。肌の色は父よりも色白だ。
髪も瞳も肌の色も二人とは違うが、顔と尻に一個づつついている目玉が、紛れもなくこの二人の子供であることを示してる。
「どうしたの?人のことをジロジロ見て」
「別に、なんでもない」
私は、母さんが持ってきた菓子に手を伸ばした。
その時だった。
ーーピンポーン。
家のインターフォンが鳴った。
「誰かしら?」
母さんがインターフォンの前に行き、画面をのぞき込んだ。
「イルミン、養殖場の人達よ」
そう父さんに伝えた後、インターフォンの通話ボタンを押した。
「はい。どうかなさいました?」
「あ、木蓮寺さんかい?イルミさんは居るかい?」
スピーカーから男の人の声が聞こえてきた。
“木蓮寺”とは母さんの名字だ。数百年使っている名字で愛着があるので、結婚してもそのままにしている。
正直なところ、私も母さんと同じ名字にしてほしかった。
名前が“ライトニング”とキラキラネームなうえに、名字が“尻目”では泣き面に蜂だと思う。
「はい。今呼びますね」
「お願いします」
「イルミン、呼んでるよ」
「ああ、わかった」
父さんは立ち上がり、部屋から出て行った。
数分後、父さんが部屋に戻ってきた。
「なんか養殖場の照明がおかしいらしい。ちょっと様子を見に行ってくる」
父さんは電飾職人だ。だがそれ以外にも、色々な施設の照明設備の管理をしている。というか正直そっちの方が仕事の大半を占めている。
「ライトニングも一緒に行こう」
「えぇ……、なんでぇ?」
「照明が点かないから、修理する間お前の尻目の光で照らしてくれ」
「いやいや、懐中電灯持って行ってよ!」
「お前の明かりが一番作業しやすいの。父さんの仕事を手伝いなさい」
「ぶぅー、やだー」
「屁をこくな」
「こいてない!」
仕方なく父と一緒に出掛けることにした。
私は支度をするために立ち上がり、自室に入った。
部屋着を脱ぎ、作業着に着替える。
この作業着は私が作った特別製だ。
見た目は、一見すると上下一体になったライダースーツの様で、ベースの色が黄色で肩の部分が白くカラーリングされている。
父さんの影響で電気や機械いじりが好きになった私は、この作業用スーツと白い手袋とブーツを履いて、いつも作業をしている。
そして、このスーツには特殊な点がある。それはお尻の部分だ。
父さんと同じように、私のお尻にも目玉がある。その目の位置に特殊な素材を使っているのだ。
それは、半球型のかたい不透明なカップだ。これでお尻の目を保護している。
しかもそれだけではない、このカップは内側からだけ光を通す性質の素材でできているのだ。
そのため、光が外側から入ってきて物体に反射して出ていくことがない。つまり、外からカップ内のものを見ることはできない。
しかし内部からの光は通すことができる。これにより、お尻を出さずに尻目の光を外に放つことができるのだ!
私は、このお手製スーツと手袋をつけて部屋を出た。
「準備できたか?」
「うん、先に外に出てるね」
私は父の前を通り過ぎ、玄関に向かおうとした。
だが、その時…
「あいかわらず、うんこ漏らしてるみたいな服だな」
父さんが放ったその言葉で、私は歩みを止めた。
そのまま肩越しに顔だけ振り向き、父さんを睨む。
それに気づかず父さんは、私のスーツの尻の部分に顔を向けている。
尻目を覆う半球型のカップ。左右の尻肉の間からポコリと出ているそれに視線を感じる。
「やっぱり行かない!」
私の一言で、自分の失言に気づいた父さんは、視線を尻から外して私の顔を見た。
「すまんすまん!いい服だ!ナイス作業着!パリコレクション!」
そう言いながら、父は私の背中を押して玄関に歩き始めた。
私が文句を言っても、父さんは見え見えのお世辞でそれを遮り、私の機嫌を取ろうとしながら玄関へ追いやる。
「じゃあ、道具取ってくるから!」
玄関まで来ると父さんはそう言い残して、リビングへと戻っていった。
去っていく父さんの背に、ブツブツと文句をぶつけながら、ブーツを履いた。
外に出ると、家の前に数台の車が止められていて、その傍で養殖場の人達が待っていた。
そのうちの一人が私に気づいて声をかけてきた。
「あ、ライトちゃん!ライトちゃんも一緒に行くのかい?」
「うん、手伝えって言われたんで」
「ハハハ、そうかい。頼りにしてるよ」
そんな感じで養殖場の人たちと少し談笑していると、父さんが家から出てきた。
「お待たせしました。では、早速行きましょうか」
それを聞くと、皆が家の前に止めてあった車に乗りこみ、エンジンをかけた。
そのうちの一台に私は乗った。運転席には養殖場のおじさん、助手席には父さんが乗り込んだので、私は後部座席に乗り込んだ。
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