40 妬み嫉みは 『ね』
次号予告の見出しに出した段階で、私の連載内容は大きな反響があったらしい。担当編集者の百田さんから連絡が来た。編集部に取材の申し込みがいくつも来たそうだ。
その全部が、私個人にインタビューしたいというものだ。
「どうする? インタビューを受けるかどうかは、鮎川さんの判断に任せるよ」
「百田さん、私は連載が終わるまではどこのインタビューも受けるつもりはありません」
「そう。うちとしては、連載が終わってからうちのインタビューを受けてもらえると一番ありがたいんだけど」
「インタビューの件は、百田さんにお任せします」
「いいの? 気を使ってない?」
「使っていません。今までお世話になったささやかなお礼ですし、百田さんを信用していますから」
百田さんと私は何年も組んで仕事をしてきた。この人は『いい雑誌を作ろう』という気持ちの強い人。私を出世の踏み台にすることはないと思える人だ。
「ありがとう。じゃあ、インタビューの申し込みは全部お断りしておくね」
「はい。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
編集部を出て、大通りを歩いて駅に向かった。春の日差しが強い。六花さんに『肌が弱いんだから、日焼け止めを必ず使って。できれば帽子もかぶって』と言われたことを思い出した。日焼け止め効果のある化粧水や乳液、ファンデーションを使っているけれど、帽子は忘れてしまった。
日当たりのいい場所のプランターには、水仙が伸びてつぼみをつけている。おそらく植えっぱなしだろう。なのに、毎年こうやって花を咲かせている水仙の強さと健気さにしみじみした
「あなたを見習うよ」と心の中で水仙に声をかけた。
私は今、母と会ったあの日にピンクのチューリップを衝動買いしたことを後悔している。きっとこれからピンクのチューリップを見るたびに、あのときの母を思い出してしまうだろうから。
十八年ぶりに再会して、私にお金をねだった母。
自分は母親だと強調しながら、女を武器にして桂木さんに近寄ろうとした母。
泣きながら私に「彩恵子ちゃん、助けて」と言った母。
全部忘れたいけど、決して忘れられないのはわかっている。私は目を閉じて小さく頭を振った。
(覚悟の上で通報したんじゃないの。今更それで苦しむな)と、心で自分をどやしつけた。
電話がかかってきた。急いでバッグからスマホを取り出すと、六花さんからだ。少し迷ったけれど、通話ボタンに触れた。
「鮎川さん? 六花です。総二郎さんから、しばらくの間あなたがエステを休むって連絡が来たんだけど、どうしたの? お肌にトラブルでも起きた?」
「いえ、お肌の調子はすこぶるいいのですが、私が仕事で少しバタバタしていまして」
立ち止まって会話している私の脇を、アイドルグループのラッピングカーが通り過ぎた。キーの高い少女の歌が、車と共に近づき、遠ざかっていく。
「ちょっと! 鮎川さん!」
「はい?」
「あなた今、東京にいるでしょ? アドトラックの音が聞こえたわよ! これからちょっと会える?」
「ええ、お会いできますけど、六花さんはお忙しいのでは?」
「時間なんて作ろうと思えばどうにでもなるわよ。今どこ?」
「ええと、英国大使館の近くです。内堀通りを歩いています。六花さん、お会いするのはエステサロンじゃないほうがありがたいのですが」
「わかったわ。じゃあ、カフェの地図を送る」
送られてきた地図を頼りにカフェを探した。六花さんは先に着いて座っていた。
そのカフェは器のお店で、全国各地の日本の器が飾られている。ギャラリーも兼ねているようだ。
「お待たせしました」
「帽子かぶってない!」
「うっかりしました。すみません」
「女性はうっかりしているうちに年齢を重ねるんだから。気をつけてよね。それで、どうしてサロンに来られなくなったの? 総二郎さんは何回聞いても教えてくれないのよ」
店員さんにコーヒーを頼むと、六花さんは「レアチーズケーキも二つ」と注文した。
今までの私なら迷いなくエステ通いをやめて六花さんから距離を取っていただろうけれど、心の中の私が『隠すな。堂々と胸を張れ』と言う。
六花さんが怪訝そうに私を見ている
「六花さん、私の親は犯罪者なんです。だからずっと親のことを隠して生きてきました。でも、私の所在を調べるために探偵を使った人がいて、その過程で私が六花さんのサロンに通っていることも知られてしまったんです」
「ふうん」
六花さんは曖昧な返事をしているが、ベージュ系のネイルが施された指先で自分の唇の輪郭を繰り返しなぞりながら強い視線で私を見ている。仕草に大人の色気が漂っていて、女の私から見ても眩しく美しい。
「突っ込んだ質問をしてもいいかしら?」
「……はい。答えられることでしたら」
「あなたは親の犯罪に関わってる?」
「幼稚園のころに。そうとは知らず、言いなりになってました」
「それはカウントしないに決まってるわよ。成人になってからよ」
「関わっていません」
「絶対に?」
「はい。私の親は私が小学生の時に海外に行ってしまいましたから」
「へえ。置いていかれたの? そのあとどうやって暮らしてきたの?」
「私は保護施設で育ちました」
コーヒーが運ばれ、チーズケーキも二つ運ばれてきた。
コーヒーカップは私も六花さんも華やかな九谷焼で、チーズケーキのお皿は紺の地に白で模様が描かれた有田焼だった。
「鮎川さんはどっちの器が好き?」
「有田焼のほうでしょうか」
「だと思った。私は九谷焼が好き。華やかで自己主張が強くて」
そこまで言ってから、六花さんが再び私に強い視線を向けてきた。
「総二郎さんはあなたの親のこと、知っているのよね? 知った上であなたと暮らしているんでしょう?」
「はい」
「だったら堂々とうちのサロンにいらっしゃいよ。人の不幸を楽しみたい連中なんか、蹴散らせばいい」
「レポーターや取材の記者がサロンの前で待ち構えるようになります」
「私は気にしない、と言いたいけど、経営者としては知っておきたい。そういう可能性もあるのね。あなた、そんな経験があるの? 親のことよね?」
「……はい」
六花さんはチーズケーキをフォークで切って、上品に食べた。
「ここのチーズケーキ、美味しいわよ。ケーキってさ、脂肪と炭水化物の塊だけど、チーズケーキはタンパク質とカルシウムも期待できるから、オーケーよ」
可愛い言い訳だなと思ったら思わず顔が緩んでしまった。
「なによ」
「六花さんでも言い訳して食べることがあるんですね」
「まあね。鮎川さん、私の親のこと、なにか知ってる?」
「お父様が有名な方、ということだけは」
「私の父は、俳優の立花啓二なの。知ってるかな。今は歳を取ったから、政界の黒幕役とか腐敗した警察幹部の役なんかをやってるけど」
「知ってます。言われてみるとお顔が似ていますね」
「私、基本が男顔だからね。私が子供の頃、父は二枚目俳優として有名だったからさ、結構意地悪されたのよ。大人しくしていれば気取ってると言われ、目立てば調子に乗ってると陰口を叩かれる。あの頃の私にとって、学校は毎日が戦場だったわ」
私とは虐めの方向が違うけど、それはさぞかししんどい日々だったろうと思いながら六花さんを見た。六花さんは私の視線を受け止め、不敵な感じで笑った。
「あるときね、頭から墨汁をかけられたことがあったの。そりゃ酷い有様よ。その姿で帰宅したらね、母は墨汁だらけの私をひと目みるなり、こう言ったの。『妬み嫉みは負け犬の遠吠えよ。そんな負け犬どもに負けるんじゃないわよ』って」
「それは……強いお母様ですね」
「そうね。見た目はか弱そうな可憐な人だけど、芯は鋼の女よ。そこで私は戦う方を選んだの。『お母さんはやられてないからそんなことが言えるんだ』とも思ったけど、『黙ってりゃもっとやられる』と思う私もいたわけよ。だから、次の日に墨汁が染みた服を学校に持って行って、職員室で大声で先生に訴えたわ」
「えっ」
「担任がもみ消したりできないように、職員室の入り口に立って大声で訴えたの。『昨日、墨汁を頭からかけられました。母は先生が注意してくれないなら、警察に届け出ると申しております』ってね」