25 千切れた縁を手のひらに 『ち』
この別荘の持ち主であり雇い主でもある桂木さんより先にお風呂に入っている。
竹の塀で周囲からの視線は遮られていて、屋根がある半露天風呂。部檜の浴槽はいい香りで、洗い場の床も壁も檜。
全身を洗ってからお湯に浸かると硫黄の匂い。
目の前に桜の木が生えていて、(桜の花の時期に来られたら最高だろうな)と思う。でも口には出さないようにしよう。言えばきっと連れて来ようと思わせてしまう。
贅沢を言わない。手のひらに置かれた幸せを、大切にして、ひと粒たりともこぼしたくない。
新幹線の中で、桂木さんは『手に入れたかったものが、ひとつ手に入った』と言っていた。おそらく家族みたいな気楽な人と旅行して駅弁を食べること、なのかな。
深山奏が「とても忙しい時期があった」と言ってたっけ。
奥さんはどんな人だったのだろう。
ポケットの袋を引っ張り出して、裏返して中を見るようなって、どんな行動のことを言うのだろう。
わからないことだらけだ。桂木さんは自分のことをあまり語らない。学生時代のことも、親のことも、子供時代のことも。
気がついたら私は洗いざらいしゃべっているけど、桂木さんのことはよくわからない。
そこまで考えて「あ」と思う。
高校の古文の先生が、「昔の人にとって『あなたのことを知りたい』と手紙に書くことは『あなたのことが好きです』と書くのと同じ意味だ」と言っていた。
千年も前の人も、現代の人も、そこは同じだと思う。桂木さんのことを知りたいと思う今の私は、桂木さんが好きなのだ。好きだから知りたい。でも知りたがって踏み込みすぎれば壊れてしまう。今の私と桂木さんは、そんな関係のような。
「私がどうしているか、父さんと母さんは知りたいと思ってくれたのかな」
そこまで考えて苦笑してしまった。
両親は日本で数年間の刑に服することよりも、娘を捨ててでも海外で自由に生きることを選んだ人だ。私の『その後』を知りたいなんて思わなかったに決まっている。
桂木さんに贅沢に甘やかされていても、私の心の底にはいつも「父は拘置所でどうしているのだろう」と父のことを考えてしまう自分がいる。私の中にはまだ、父を慕う子供の私がいるのだ。
「厄介だなあ」
理屈じゃない。親離れをする心の準備も時間も与えられないまま親に捨てられたから、きっと成長しきれない部分が残っているんだと思う。ちゃんと父に向かい合うことは、私に与えられた課題だ。親が我が身を優先して生きたように、私も優先して生きればいいのにね。
「もう出なきゃ。あ、そういえば次のかるたは『ち』だった。ち……千切れた縁を手のひらに載せて眺める、かな。普通は親子の縁について考えることなんて、ないんだろうな。まあ、なにが普通かなんて、人の数だけあるんだろうけど」
私は結婚をしない。身内のことで苦しむのは私で止めるためだ。私に子供が生まれたら、その子は会ったこともない祖父母のことで傷つくかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
「のぼせてきちゃったな。そろそろ出よう」
ぬるめのお湯だったので、かれこれ一時間以上お湯に浸かっていた。浴槽から出て、バスタオルを巻いて、「うう寒い」と言いながら脱衣所に戻ろうとしたら目の前が真っ暗になって星がチカチカした。力が入らない。しまった、湯あたりだ。
「うう、気持ち悪い」
バスタオルのまま倒れるわけにはいかぬ! と床を這いながらジリジリ進み、濡れて引っかかる体に必死に下着をつけてから床に仰向けに倒れた。ありがとうバスタオル。何があってもお前さえいてくれれば無残な姿を晒さずに済む。
どんどん背中が冷えてきて、貧血から回復するのが先か、湯冷めして風邪をひくのが先かという状態のまましばらく待つ。
やっと目の前のチカチカが消えて服を着られるようになった。足腰に力が入らないまま、壁を伝わってリビングに戻ったら、桂木さんが駆け寄って支えてくれた。
「あんまり遅いからどうしようかずっと迷ってたよ。湯あたりしたんだね?」
「はい」
「横になりなさい」
「すみません。鈍くさいことしちゃって」
「湯あたりに鈍くさいもなにもないよ。浴槽で意識を失って、そのままなくなる人がたくさんいるからね。無事でよかった」
桂木さんは甲斐甲斐しく動いて、私を暖炉の前に横たわらせ、足の下にはクッションを置いてくれた。
「毛布を掛ける?」
「はい。しばらく脱衣所の床に寝ていたら、冷えてしまって」
「もう。声をかけなさいよ。なんで一人で倒れてるの」
「そうですよね」
まさか「下着姿を見られたくなかったので」とも言えず、苦笑しながら目を閉じる。暖炉の熱は柔らかくて、身体がぽかぽか暖かい。いいなあ、暖炉。この五日間は、毎日暖炉三昧を楽しみたい。
「はい、砂糖と塩を入れたお湯。飲みなさい。起こしてもいい?」
「自分で起きられます」
ゆっくり起きて、スポーツドリンクみたいな味のぬるま湯を飲んだ。うっすら甘くしょっぱいぬるま湯は、するする喉を通り過ぎて、いくらでも飲めそう。コップに二杯それを飲んでまた横になる。
「今度はせいぜい三十分にしてね」
「はい。源泉かけ流しが嬉しくて、つい欲張りました」
「お風呂の前に桜の木があったでしょう? あれが咲くころにまたここに一緒に来てくれると嬉しいんだけど」
「はい。ぜひ」
「そうか。ありがとう。今まで毎年一人で見ていたけど、鮎川さんと二人で見たら、きっと楽しいね」
「はい。お花見弁当を作りましょうか」
ふふ、と桂木さんが笑う。私の隣で片膝を立てたあぐらのような姿勢で、桂木さんは笑っている。
「先のことを話すのは楽しいね」
「そうですね。未来の楽しいことを話題にするのは、楽しいですね」
いつ会社を辞めてくれと言われるかわからない頃は、一年後を考えないようにしていた。その日一日の無事を願い、次は一週間、その次は一ヶ月。それ以上先のことは考えないようにして生きてきた。そんな私が、来年の桜を楽しみにしている。
「桂木さん、本当にありがとうございます」
「僕こそありがとうね。駅弁を誰かと二人で分け合って食べるって、初めてなんだ」
「へえ……」
「僕の母は大変なきれい好きでね。今思うと強迫神経症だったような気がするけど、当時の人は癇性と言ってたな。母の癇性は、まるで美徳のように言われていたよ。駅弁を食べるのも、外食も、不潔だと言って嫌がってた人」
「それなら二人でひとつのお弁当を食べるなんて、冒険だったんじゃないですか?」
「昔はできなかった。でも、鮎川さんと一緒に食べる駅弁は、美味しかった。ありがとうね。この年になると、やり残したことが気になるものなんだ」
「私は……温泉につかりながら、父はどうしているんだろうと考えていました」
桂木さんがそっと私の頭を撫でた。
「会いたいような気がするんです。でも、会って憎しみが湧いたら嫌だなって、自分のために会わないほうがいいんだろうなって思うんです。でも、ここに、胸のあたりに『会ってやれよ、十二月の拘置所は、フィリピンにいた人間には寒くてつらいぞ』と言うもう一人の私がいるんです。養護施設にいた友人には絶対に会うなと釘を刺されているんですけど」
「会ったらいいよ」
「そうでしょうか」
「うん。会って傷ついたら泣けばいいよ。僕が美味しいものをご馳走しよう。鮎川さんは、美味しいものと言葉で元気になれる強い人だよ」
そっと頭を撫でている桂木さんの手がありがたくて、「はい」と言いながら目じりから涙が落ちる。
そうだね。一度父に会いに行こう。会ってお別れを言おう。そしてずっとそのままだった親離れを済ませよう。
その夜、美味しい懐石料理が届けられた。メインは黒毛和牛のすき焼きだった。固形燃料で煮て食べたすき焼きは、あの日、両親が詐欺師だと知ったときのすき焼きを思い出させたけれど、今夜はちゃんと味わって食べることができた。
それぞれ二階の個室で眠り、贅沢で優しい一日目が終わった。