核兵器の無くなった世界
【表紙画像・あさぎ かな様】
とある日のお昼前。
とある国のとある街のとある小学校の3年生のクラスでは、歴史の授業が行われていました。
「はーい! 皆さん、この写真を見て下さーい」
ぐうぐうとお腹の音を鳴らし始めたクラスのみんなにそう声をかけ、まだ若い女の先生は一枚の写真をみんなに見せました。
「これが何だか、分かる人はいますか~?」
先生は、良く通る声で、クラスのみんなに尋ねかけます。
その質問に対して、お行儀よく椅子に座ったクラスのみんなは、お互いの顔を見合わせました。
先生の掲げた写真は白黒で、ちょうどお魚のマグロを思わせるような、ずんぐりとした形をした黒いものが映っていました。
あれは何だろう? と、みんなは首を傾げます。
と、その時、
「はい!」
メガネをかけた男の子が、まっすぐ手をあげました。
それを見た先生はニッコリと笑うと、手をあげたメガネの男の子を指さし、「はい、どうぞ!」と促します。
男の子は、メガネのツルに指をかけて位置を直しながら、ハッキリとした声で答えました。
「それは、ゲンシバクダンです!」
「はーい、正解です! 皆さん、拍手ー!」
先生の声といっしょに、クラスのみんながパチパチと小さな手を叩きます。
メガネの男の子は、頬っぺたを真っ赤にして照れながら、それでも誇らしげな顔をして、自分の席に座りました。
男の子が椅子に座り直すのを待ってから、先生は話を続けます。
「はい! 今当ててくれた通り、この写真は、大昔の戦争で使われた『原子爆弾』という兵器です」
「先せーい、大昔って、どのくらい昔なんですか~? お父さんが子どもの頃ですか?」
ぽっちゃりした男の子が手をあげながら、先生に質問しました。
すると先生は、ニッコリ笑うと首を横に振ります。
「いいえ。お父さんのお父さんのそのまたお父さんのお父さんが生まれた頃よりも昔の事です」
「うわぁ~、すごーい!」
先生の答えに、クラスのみんなは驚きの声を上げました。
その声が静まるのを待ってから、先生は話を続けます。
「ええと、この原子爆弾は、昔起こった大きな戦争の最後に使われました」
「どういう風に使ったんですか?」
「それはね……」
小柄な女の子の質問に、先生は少し考えた後、また口を開きます。
「大きな飛行機に、この原子爆弾を積んで、空の上から落として爆発させたんです」
「へ~」
クラスのみんなが、感心したような声を上げました。
先生は、更に説明を続けます。
「原子爆弾が大きな爆発を起こして、その下にあった街を丸ごと壊しました。……たくさんの人も死にました。この原子爆弾と、もう一発違う原子爆弾を落とされて、ようやくその国は戦争を止めたんです」
「えー、一発落とされた時に戦争止めちゃえば良かったのに」
ぽっちゃりとした男の子がそう言うと、クラスのみんなは愉快そうな笑い声を上げました。
先生も優しく微笑むと、言葉を続けます。
「――でも、大変なのは、その後からだったんです」
「えー……?」
先生の言葉に、クラスがざわめきました。みんなが訝しげに顔を見合わせます。空気が波立つ教室の中で、先生は静かに言葉を紡ぎます。
「その戦争で、原子爆弾の威力を知った世界中の国は、みんなこぞって原子爆弾や、それよりももっと強力な水素爆弾や中性子爆弾――核兵器と呼ばれる兵器を作って持とうとし始めたのです。まるで競争するみたいにね」
「ええと、それは何でですか?」
「それはもちろん、他の国よりも強くなるためです」
やんちゃそうな男の子に問いに、先生は答えました。
「威力の大きな核兵器を持てば持つほど、弱い国でも強い国と互角になれますし、強い国が核兵器を持てば、より一層他の国に対して強くものが言えるようになります」
「確かにそうですね。そんなに強い武器だったら、みんな持ちたいですよね」
先生の説明に、クラスのみんなは大きく頷きます。
――と、先生は顔を曇らせると、小さく首を横に振りました。
「でも、この核兵器には、大きな問題があったんです」
「え……?」
「ひとつは、この核兵器の力が強すぎて、建物はもちろん、植物や動物にもダメージを与えてしまう事。――もうひとつは、放射線や放射性物質という、とても有害な光線や物をたくさん出して、地球そのものを汚してしまう事です」
「うわぁ、それはダメだ~」
クラスのみんなは、思わず顔をしかめました。
先生も頷くと、更に言葉を続けます。
「なので、世界中の国が集まって、そんなに危ない核兵器は使わないようにして、いずれは世界から核兵器を無くしてしまう事を決めました」
「あー、それはとてもいい事だと思います」
先生の言葉に、クラスのみんなはホッとしました。
ですが、先生は再び首を横に振りました。
「――でも、そううまくはいかなかったんです。会議をして、みんなでそう決めても、実際はなかなか核兵器は無くならなかったのです」
「えぇ……それは、どうしてですか?」
小柄な女の子は、大きく目を見開きながら尋ねます。
先生は頷くと、その質問に答えます。
「他の国が核兵器を無くしても、自分だけは持っていたい……そう考える国がたくさんあったからです」
「えー! それじゃズルじゃん!」
身も蓋も無い先生の答えに、クラスのみんなは驚き怒ります。
すると、メガネをかけた男の子が目を吊り上げながら、勢いよく立ち上がって叫びました。
「そういうわがままを言う国は、強い国が叱って言う事を聞かせないとダメだと思います!」
「そうね。先生もそう思います」
先生は、興奮するメガネをかけた男の子に優しく微笑みかけると、つと顔を曇らせた。
「……でも、そうもいきませんでした。強い国は強い国で、その強力な爆弾を持っていたかったからです」
「えーっ?」
先生の言葉に、クラスのみんなが驚きます。
すきっ歯の男の子が、怖い顔をして椅子から立ち上がり、怒鳴る様に言いました。
「そんなんじゃ、いつまで経ってもカクヘイキは無くなるはずないじゃん!」
「で……でもさ……」
すきっ歯の男の子の剣幕に怯えながら、後ろの席に座っていた三つ編みの女の子が、おずおずと手を挙げて言いました。
「でも……今、カクヘイキなんてどこにも無いよ?」
「あ……そういえば……」
三つ編みの女の子の指摘に、すきっ歯の男の子はビックリした表情を浮かべます。
すると、それまでふたりのやり取りを微笑みながら見守っていた先生が、大きく頷きました。
「そうですね。あなたの言う通り、現在この世界のどこにも核兵器は存在しません。みんなが生まれるずっと前に根絶されたのです」
先生の言葉に、クラス中のみんなが驚きました。
メガネの男の子が、手を挙げて先生に訊ねます。
「せ、先生! どうして、世界の国はカクヘイキを無くせたんですか? そんな強い力を、どうやって捨てる事が出来たんですか?」
「うふふ。それはですね……」
メガネの男の子の質問にニッコリと笑った先生が、一枚のパネルを取り出し、
「――では、皆さんに質問です。これは何でしょうか?」
と、パネルに描かれている者を指さしながら、みんなに訊きました。
パネルを見た途端、みんなの目が輝きます。
そして、声を合わせて、一斉に答えました。
「「「「「「「“T-2”です!」」」」」」」
「はい、正解です!」
みんなの答えを聞いた先生は、満足そうに頷き、言葉を続けました。
「今から百数十年前、ある科学者が、この“T-2”を開発した事で、すべての核兵器は、世界にとって必要のないものになったのです。……なぜなら」
先生は、そこで一息つき、クラスのみんなの愛らしい顔を見回してから、再び口を開きます。
「“T-2”は、それまでの核兵器とは違って、建物も壊さず、植物も枯らさず、動物も殺さず、大気も汚さず、ただ人間だけを殺す事が出来るからです。すべてを破壊してしまい、敵だけでなく、私たちの命も奪いかねない核兵器なんかよりもずっとエコロジーで、効果的に敵だけを殲滅する事が出来る、素晴らしい兵器なのです」
「それでも……カクヘイキを持っていたいって国は無かったんですか?」
先生は、三つ編みの女の子の質問に、優しく頷きかけながら答えます。
「はい。確かに、“T-2”が実用化されても、まだそんなわがままを言う国もありました。……でも、そんな事を言う国や国の人たちは、すぐに全部なくなりました」
そう言うと、先生は優しい笑みを浮かべました。
「今では、核兵器なんて言う『悪魔の兵器』も、そんな核兵器を持とうなどという“悪魔の国”も存在しません。……もし、これからまた核兵器を持ちたいという国が現れても、平和の象徴である“T-2”が、すぐにそんな悪魔的国家をなくしてしまうでしょうね」
そこまで言うと、先生はうっとりとした表情を浮かべて「……素晴らしい」と呟き、窓の外を見上げました。
生徒のみんなも、先生につられて窓の外を見上げます。
――窓の外には、雲一つ無く澄み渡った、核兵器の無くなった世界の“平和な”空が広がっていました。