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第0話

 けたたましいセミの鳴き声にうんざりする。


 近藤雄二。32歳。

エアコン修理のエンジニア歴が、今年で10年になる。


 社内では中堅社員として信頼が厚く、お客様対応にも手を抜かない仕事振りが高く評価されている。大手エアコンメーカーの下請けとして、修理対応を行っている。


「それにしてもひどい客だったな。訪問するなり水を引っかけられるとは。作業中に感電はするし、最悪だ……」


 そもそもエアコンが壊れるのはメーカーのせいだ。エンジニアは何も悪くない。しかし、客からは罵声を浴びせられることも多く、精神的にもかなりきつい仕事である。


 特に、真夏はエアコン修理の依頼が最も多くなる季節だ。気温と同じく客の温度も高くなるのか、クレーマーが多い。


 雄二は真面目な性格で、引き受けた仕事はきっちりとこなすタイプだ。それだけに、厄介な客やクレーマー対応をよく押し付けられてしまう。


 そんなわけで、朝8時から夜9時までエアコンを修理し、そのあと2時間の事務処理の後、帰宅をするのが常だった。肉体労働ということもあり、ぐったりとくたびれている。


「ただいま……」


「あなた、お帰りなさい」


 結婚して3年目になる妻、奈帆が出迎える。


 いつもの癖で、首を心持ち傾けながら髪をかき上げる。ロングの髪が腰の辺りまで伸びているが、いささかも乱れなくつやつやとしている。


 日本人とは思えない程色が白く、二重まぶたがぱっちりとした愛らしい妻だ。口を開けて笑うと覗く八重歯のせいで、少し若く見える。


 程よい胸の大きさに対して腰のくびれが細いので、かなりナイスバディに見える。太もももバランスの良い太さであり、健康さのなかにも艶かしさが薫った。


 そんな魅力的な妻に目をやることもなく、雄二は寝室へ直行する。


「あなた、今日もご飯は食べないの?」


「ああ、風呂も朝で良い。明日の弁当だけ作ってテーブルの上に置いといてくれ」


 俯く妻の表情に雄二は気づかない。客のクレームに対応する気疲れで、とてもじゃないがそこまで気は回らない。


 妻のことは愛しているつもりだ。だって、こんなにまで働くのは、妻を養う為でもあるのだから……


 翌朝。妻に一言もかけずに雄二は出勤する。寝坊したのだろうか。慌てて家を出ていった。


「あの人ったら、お弁当を忘れてるわ……」


 ちなみに今日、8月22日は結婚記念日である。弁当だけでなく、記念日も忘れているに違いない雄二に、奈帆は深いため息をついた。


 雄二の事務所は近所にあるため、奈帆は弁当を届けることにした。


 雄二が懸命に働くのはありがたく思っている。けれど、どう考えても愛されているという実感が湧かない。


 込み上げてくる寂しさを振り払うのに必死で、奈帆はスピードを上げて近づいてくる車に気づかなかった。



「おい近藤! 奈帆さんが車にひかれたそうだ!」


 作業中、上司から電話を受けた雄二は、動揺しながらも仕事の手を緩めなかった。


 今慌てると高い梯子の上から落ちてしまうし、何よりお客様の期待に応えることが出来ない。


 しかし、作業に打ち込もうとすればする程、奈帆の顔が浮かんでくる。


 結婚してからというもの、仕事一筋で二人の時間は殆ど取れていない。それでも文句も言わず、ついてきてくれた奈帆。毎朝お弁当を作り、風呂も湧かしてくれる。


 奈帆は子供を欲しがっていたが、仕事が忙しいので、子作りの気力も湧かなかった。


 俺は、奈帆の為に何かしてあげたことがあっただろうか?


 そういえば、誕生日も、結婚記念日もお祝い出来ていなかったな。


 そういえば、今日は結婚記念日だ……


「奈帆!!」


 今まで自分は何の為に仕事をしていたのか。愛する妻の為だったはずだ。


 しかし、妻を悲しませてばかりいる自分自身に、雄二は深く動揺した。


「あっ!!!」


 そのまま体勢を崩し、梯子から落ちていく雄二。不思議と恐さは無く、奈帆を想う気持ちで胸がいっぱいだった。



ーーーーーー



「大丈夫ですか??」


 頭がとても痛い。目を開けると、人影がぼんやりと映る。


 どうやら、自分は気を失ってしまっていたようだ。聞き慣れない女性の声が、自分の身を案じてくれている。


 次第に目がはっきりしてきた。女性は、透き通るような白い肌に青い眼。日本人ではないようだ。


 周囲を見渡すと、横幅が何メートルもあろうかというタンス、豪華なシャンデリア、ダブルどころかトリプル以上もあるふかふかのベッド。その全てが洋風で統一されている。


「大丈夫ですか? ケイブお坊っちゃま!!」


 雄二は、何が何だか解らなかった。ただひとつ、本能的に何となく解ったことがある。


ーー自分はどうやら、異世界に来てしまったらしい。


 セミの鳴き声の代わりに、窓に打ち付ける吹雪の音が、雄二の耳にいつまでも残った。

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