第四話 夢じゃない、きっと
翌日、脳に何かしらのダメージが残っているかもしれないとのことで慧は再び検査を受けた。
何故かギプスも新しくされた。結局退院は一日伸びた。
午後、慧は病院の庭のベンチに腰かけていた。所々に植えられた広葉樹が日を斑に遮っているものの、やっぱり暑い。スプリンクラーの水が、落ちたそばから蒸発するくらいだ。
人は全然いなかった。当然だ。
「だーかーらー! なんで連絡しないんだよ! 退院の件!」
そこで、星野が怒っている。体の動きと共に右手に持った紙袋が上下に揺れた。千羽鶴が覗いているので、多分お見舞いの品だ。
「吉! こやつ私達の仲を軽く見ている! ガツンと言ってやれ!」
「がつん」
吉はマスクをもごもごと動かした。
慧は少し頭を下げて言う。
「確かに、来るって言ってたのに連絡しなかったのは迷惑かけたよな。ごめん。配慮が足りなかった……」
「配慮、だと……っ」
星野が慧の言葉を受けておののいた。吉は慧を引いた目で見る。
「センパイそれは流石にどうかと思うす」
何故、と慧がつっこむが、二人の視線は冷めていくばかりだ。形勢が悪いと悟った慧はひとつせき込み、話題を変えた。
「というか、星野は近くに住んでるから別にいいとして、吉は大丈夫だったのか。病院に来て。電車もまだ動いてないだろ」
ラグナロク現象に線路が巻き込まれたせいで、近くの線は運休していた。
重力が強くなり、電柱が折れたらしい。新しく線路や電線を引きなおさなければならないので、復旧は当分先だろう。
吉は慧の質問にピースで答えた。
「全然無問題っすよ。高校に寝泊まりしてるんで」
いえーい、と吉は棒読みで言った。いつだって抑揚のない声でしゃべるのが吉の特徴である。目を瞑った状態では吉の感情を読み取ることはなかなか難しい。
「た、大変だな。だいぶ」
「大変だったすよー」
仕草を見れば、一目瞭然だが。吉はピースした両手を上下に振って見せた。カニみたいだった。
「我が家迎えはなし。歩いて帰るのは無理。バスもタクシーも長蛇の列で諦めました」
「吉にも、家に来いって誘ったんだが……」
星野が困り眉で吉を見る。そういえば星野はあの日、避難先として慧を家に誘っていた。吉にも同じように連絡したのだろう。吉は心なしかキリリとした表情で返す。
「流石に母一人子一人のところに押し掛けるのは気がひけるっすよ」
慧も提案してみる。
「じゃあ俺が両親に頼もうか? 吉を家に泊めてくれって」
「お怪我したてのセンパイの家にそんなご迷惑かけられないっす」
慧は吉に違和感を覚えた。具体的に言うと目が泳いでいる。慧は再び質問する。
「本音は?」
「がっこうぐらし超楽しい」
吉の目が大げさなくらい開いた。吉は指を真っ直ぐに慧に向けてみせる。
「只今絶賛部室僕の巣ですからね。後々学校に来た際にはそのビフォーアフターにおののくがよいっすよ」
「いやだなあ。汗臭そう」
「センパイがひどいっすー。部長何か言って下さいよ」
「ガツン」
「あ。復讐された」
吉の悲しそうな顔に星野が吹き出し、思い切り笑った。
更に吉が不貞腐れた顔をする。マスク越しに頬が膨らんでいるのが分かる。
星野の笑いがひどくなった。星野は腹を抱えて涙目になりながら、慧を見て言った。
「ま、でも。慧。少しは元気が出たようでなによりだ」
「……気づいてたのか?」
「炎天下の中外に座り込んでたら馬鹿でも分か」
星野が勢いよく吉の口を塞いだ。星野が恐る恐る慧の様子を見るので、慧は余計に恥ずかしくなった。
星野は息を吐くと、軽く頭をかきながら言った。
「何があったのか私達には分からないけど。たまには、お前から連絡してくれると嬉しい」
最初に星野が怒っていた理由が分かった気がした。心なしか星野の頬が赤い。
その様子に慧は目を奪われる。星野の唇が動く。
「あと」
「あと?」
訊き返す慧に、星野は続けた。
「肩に鳥の糞がついてる」
吉が頷き、慧の肩を指差した。見ると確かに白いものがこびりついている。星野に負けないくらい慧の顔が真っ赤になった。
鳥の糞のクリーニングを手伝った後、慧の両親に挨拶をして星野達は帰っていった。
お見舞いの千羽鶴は百羽しかいなかったが、代わりにモビールのようになっていた。
上から下がるにつれ、赤から緑になるグラデーションがきれいだった。のりで表面が固められていて、少しの衝撃じゃ折れないそうだ。部室で吉が作ったとのこと。吉の隠された才能に驚いた。
他にも、袋の中にはご当地のまんじゅうが入っていた。このまんじゅうは星野のお母さんの仕事先のものらしい。納品が取り消され大量に在庫が余っているらしい。欲しかったらもっと持ってくると星野は言っていた。
退院した後は、モビールは勉強机のライトにつるし、まんじゅうはリビングのテーブルの上にかごにいれて常備している。
まんじゅうがなくなりかけた頃、再び慧は学校のある町に向かうことにした。
「食べきれなくてやばい。家がまんじゅうで埋まる」
と星野からヘルプコールがあったからだ。星野は自分から慧の家に行くと言っていたが、断った。
その日は両親が父方の実家に出かけるため、留守だからである。
父方の実家はだいぶ田舎の方にあった。長期間の車での移動は怪我が悪化しかねない、とのことで慧は残ることにしたのだ。
顔を出したらすぐに帰るので、夕方には帰ると両親は言っていた。
両親が出発した後、慧もすぐに家をたった。
本数が増え、バスの混雑はだいぶマシになっていた。目の前で座っていたサラリーマンがギプスのある慧の姿を見て席を譲ろうとしてくれた。慧はお礼を言いつつ断る。
その直後、バスが大きく揺れ、踏ん張れなかった慧はよろめいた。
無理やりサラリーマンに席に座らされた。
その席からは外の景色が良く見えた。途中、黄色い立ち入り禁止のテープが見える。
「無重力地帯だって、あそこ。入ったらなかなか抜け出せないらしいね」
サラリーマンは独り言のように言った。
目的の停留場で降りると、星野がすでに待ち構えていた。そこに遅れて吉が合流する。
そのまま、星野の家に行く。片手で出来るゲームということでひたすら将棋をした。
星野の一強だったので吉と手を組んで闘うことにした。やっぱり負けた。
「うちの保健室の先生、襲われて怪我したって。ほら、世界の終わりだって犯罪率が上がってるだろ? 先生もその騒ぎに巻き込まれたらしい。慧も気を付けろよ」
星野は将棋を片付けながら言った。
15時。星野の家を出る。星野達に手を振りながら家の方向のバスに乗った。そして、次の駅で降りて逆方向のバスに乗り換えた。二十分くらいで降りる。降りた反対側の道路で、あの日星野と別れたバス停が見えた。
あとは、炎天下の中をひたすら歩くだけだ。
ギプスの包帯の中で腕がむれた。明日にはあせもが出来ているだろう。
見える街並みは変わってなくて、安心すると同時に期待する。そろそろ喉も乾いてきた。
水筒は星野の家で空にした。
今日は8月1日だった。女性が慧に誘拐されるといった日だった。
だから、あれが幻覚じゃないなら何かが起きたっておかしくない。
例の角が見えてくる。自然と足が遅くなる。
祈るように視線を下に下げたけれど、誰も慧のことなんか見ていなかった。
残り五歩というところで堪えきれず、慧は走り、角を曲がった。
勿論そこには誰もいなかった。
慧は一通りそこを見回した後、再び走り出した。片腕がふれず無様な走り方だった。
所々でつんのめる。それでもひたすら走り続けると、行き先を妨げるように広い道路が目に入る。
横断信号は青だ。
慧はまっすぐに一歩踏み出そうとした。出来なかった。
横断歩道の前から足が動かない。思い出したように汗が止まらない。
慧は汗をぬぐうと、今度は車が来ていないか左右を確認して、渡りだす。
渡りきるのはあっという間だった。駅前にあるバス停に乗って、今度はちゃんと家に帰った。
住宅街にある茶色と白のモダン風の一軒家。それが慧の住まいだった。
鞄から鍵を取り出し、鍵穴に突っ込む。そこで、慧は違和感に気づいた。
鍵が回らないのだ。慧はそのままドアノブに手をかける。
ドアは音を立てて開いた。
初めから鍵は掛かっていなかったのだ。出るときにちゃんと鍵を掛けたはずなのに。
慧は心配性で、家を離れる前に一度、ドアノブを引っ張って閉まっているどうか確かめる癖があった。
まさか。
いつでも通報できるようにスマートフォンを構え、慧はそっと扉から顔を覗かせた。
たなびく、白い髪が見えた。
慧は今まで持っていた警戒をかなぐり捨てて、扉を勢いよく開けて中に飛び込んだ。
驚きに少し目を丸くしたが、その白い髪の主はすぐにほほ笑んでみせる。
「おかえりなさい」
病院で遭遇した女性、件がそこにはいた。




