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第一話 終末は預言された

連載始めました。よろしくお願いします。

「その者は世界に愛されている!」


 女が叫んでいた。長い髪を不自然な赤で染め、同じような赤いドレスで身を包んだ妙齢の女だった。


「いとしご! あまりの愛の深さに!」

「ちょっと ねえ! 大丈夫ですか!?」


 女は巷でよく当たるという占い師だった。番組に招待したのだが、突然インタビューの途中で占い師が白目をむいたのだ。そしてご覧のありさまである。


「ええー……」


 饒舌が持ち味の司会者もこのときばかりは言葉がでないようだ。色々と脱力している。


「これ、生放送なんですけど……」


 そこに占い師が突撃してきた。その様はもはや呪術師だ。火事場の馬鹿力か、人々の囲いを抜け出してきたようだ。

 占い師は司会者の手からあっけなくマイクを奪い取った。カメラマンは諦め、醜聞でも話題になればと占い師の顔をアップで写す。


「サトウケイ! その者が死ぬとき世界もまた終わるであろう!」

「は?」


 少年、佐藤慧はいきなり自分の名前が呼ばれたことに驚いた。ぼちゃり、と食べかけの麺がスープに戻り汁が跳ねる。

 慧の口はラーメンを取り逃したままぽかんと開いている。


 画面の向こうでは占い師が真後ろに倒れていった。受け止める人もいないまま、床に落ちる。

 ざわざわとスタジオから再び悲鳴が漏れて、ノイズが走った。

 暗転して、CMに入る。気分上げていこうぜ、と今が旬の俳優が高らかに歌う。

 が、到底そんな気分にはなれない。


「……は?」


 お茶の間は凍り付いていた。




「ぶあはははは!」


 放課後。慧は爆笑された。笑いの余りに地団太を踏む音まで聞こえる。


 都市とも田舎とも呼びづらい郊外の街、そこにひとつの高校があった。一応、進学校を謳っているものの、実態はピンからキリまであるマンモス高校である。その、外れの棟の一室に慧はいた。


 物置と変わらない狭い空間に、ホワイトボードとパイプ椅子が何故か沢山ある。机はパイプ椅子を積み重ねて代用している。

 ここは妖怪研究部……という名で先々代から続く、お茶飲みクラブだった。


「いや、ふははっ! い、いとしご、ぷふ」

「あのなぁ」


 クラスメイト兼部長の星野恵実もコーラ片手にはしゃいでいた。

 昨晩起こったことはすぐにインターネット上で拡散され、今朝方には誰もが知っていることとなった。


 電車のなかではあちこちから自分の名前が聞こえ、慧は気まずかった。自分の何処かに名前が書いていないか散々確認してしまった。学校に近づけば、自分の顔見知り、後輩から先生に至るまで散々慧はガン見され、馬鹿にされた。


 彼女のように。


「いでッ」


 教室で散々笑った癖にまだ笑うのか。慧は星野を軽くどつく。合わせて、肩で切り揃えた髪が揺れる。

 若干いい匂いがしたのに腹が立って、慧はごまかすように自分の席を用意した。

 その後ろを星野がついてくる。


「星野だってあれを信じてるわけじゃないんだろ?」

「ふふっ、ふ、し、信じたほうが笑える」

「そもそもサトウなんて一番多い苗字じゃないか。ケイもサトウほどじゃないけどありふれてる。保健室の先生もケイだ。敬。要するに俺は占い師の言うサトウケイじゃない」

「でも私の知ってるサトウケイはひとりしかいないんだけど。なー、吉」


 星野はへらへらと笑いながら、後ろで座って本を読んでいた吉与志に声をかけた。

 彼もこの部活のメンバーのひとりで、一個下の高校一年生だ。長めに整えた髪にマスク姿が特徴的な男である。


「そっすね」


 吉はそれだけ言って本に目を戻した。天邪鬼に傍観を気取っているようだが、慧達は気づいている。読んでいる本が逆さまであり、肩がものすごく震えている。


 しばらく様子を見ていると、マスクの下からぶふっと吹き出す音が聞こえた。

 慧はため息をついた。


 保健室の先生は独身だ。やけっぱちで慧は考える。いっそ自分の姉や妹に婿養子させれば、彼もサトウケイになる。でも、自分と同姓同名の義兄なんて嫌だ。あと自分はひとりっ子だった。


 慧が悶悶としていると、星野は言った。


「その方は世界に愛されている!」


 その言葉にまたからかってきたかと慧は呆れ、勢いよく顔を上げる。


「だから、もう、いい加減にしろって……ぇ?」


 見上げた先、目と鼻の位置に星野の顔があった。そして、その目は白くむいていた。

 ぱかり、と星野の口が開く。


「その愛のあまりの深さに」


 ぐりん、と星野の目に黒い瞳が戻ってきた。に、と笑いながら星野は言う。


「だっけ? 確かに慧は違うな。うん」


 だってお前超絶不運じゃん。そう続けると星野はまじまじと慧の顔をみた。


 佐藤慧。おみくじは凶一択。

 ソーシャルゲームではやっとレアを引き当てたと思ったら、そいつ以外絶対にもう出ない男である。

 幼少期はよく、うさぎやモルモットをおさわりしてはズボンにうんこされた。

 最近も通学中に鳥のうんこを落とされ、星野に見られていた。


 俯いて震えだした慧を見て、さすがにやりすぎたかと星野が頭をかく。


「あー。さすがに、ごめん」

「ごめんで済んだら警察はいらねぇえよ!」


 星野の肩を慧はおもいきり揺さぶる。かきかけの手が頭に食い込んだようで思った以上のダメージは出せたようだ。星野は少し涙目になっている。

……怖かった。死ぬかと思った。

 そして慧もまた涙目になっていた。




 結局しばらくすれば、そのサトウケイ騒動も落ち着いた。


 ある俳優の本名がサトウケイ、佐島景だと明らかになったからだ。

 ファンはあの人なら世界に愛されているのも頷ける、と盛り上がっていたが、世間一般ではあの予言は売名のためのサプライズだと認識されていた。そのあと流れたCMの俳優が、その佐島景であったのも理由のひとつだ。

 俳優は炎上しても、逆に今度やる映画の宣伝をしたりして、健気に図太く生きていた。


 その対応の良さに色々思いつつも、慧は取り戻せた日常に安心していた。

 もう街中で自分が呼ばれたのかと何度も振り返ったりしない。

 逆に目を合わせないように、早足で歩く必要はない。

 出席のたびに笑われることもない。特に星野。


「なー、慧」


 件の星野はのそのそと焼きそばパンを食べている。


「なんだ星野。俺は今、日常って有難いものだなーと噛みしめているんだ。あと焼きそばパンこぼすなよ」

「こぼさない。私のテーブルマナーはきっとイギリス仕込みだから。あとその日常も明日でなくなる。夏休みじゃん」

「夏休みは大歓迎だ」


 今日は終業式だった。小中とさほど変わらない校長の言葉は聞き終え、ホームルームも終えた。

 あとは食事を終えて帰るだけだ。読書感想文だとか自由研究とかないのは幸せだと慧は思う。


「それで? どうしたんだよ」


 弁当を食べながら慧は星野に聞く。


「夏休みどっか行きたい。部活動として」


 星野はやきそばパンを一気に口の中に詰め込むと答えた。慧は嫌な予感がして言った。


「何するんだ?」

「肝試し。ほら、いちお妖怪研究部だし?」

「面子は?」

「慧と吉と私」

「盛り上がるか?」


 星野は慧の言葉を聞いて固まった。

 慧、星野、吉。見た目も性格もばらばらな三人だが共通点がひとつある。それは、お化け屋敷は冷やかすタイプということだ。

 実際ゴールデンウィークに遊園地に行ったときも悲惨なことになった。お化けのスタッフが可哀そうだった。


「盛り……あげよう! そうだ幽霊部員の人達も誘ったらなんか」

「幽霊見に行くのに幽霊誘うのかよ」


 そう言うと慧は、弁当の残りをかきこんだ。少しむせた。せき込みつつも弁当箱含め荷物を片付ける。

 教室の中は星野と自分以外おらず、星野以外静かだった。大体の人は帰ったか、食堂にいるのだろう。

 同じく荷物を纏めた星野が言った。


「私達も帰ろうか」

「……おぅ」


 腑抜けた返事だな、と星野がにやつきながらつっこむ。

 学校を出ると蝉がうるさく鳴いている。ミンミンゼミならまだ風流だったのに、と慧は思った。

 目を細めながら前を見、慧はふと気づく。


「おい 星野やばいって」

「どした?」

「バス!」


 遠くに見えるバス停に緑色のバスが止まろうとしていた。星野の乗る予定のバスだ。昼だから本数も僅かだ。これを逃すとかなり待つ羽目になる。

 どうやら星野はバスの時間を調べていなかったらしい。


「やっば!」

「やっばじゃねぇよ早く行けって」

「おっけー! じゃあ詳細なプランは後で連絡する!」


 星野がバス停へと駆けていった。他の乗客が乗り込む時間もあるし、ぎりぎり間に合うだろう。慧は追い払うように手を振った。

 星野がバスに乗り込むのを見送ると、慧も再び歩き出す。


 商店街をじりじりと太陽が照り付けていた。店が並んでいるものの、殆どはシャッターが閉まっていて人はまばらだった。日陰を選んで歩いているつもりなのに、非常に暑い。体から水分が抜けていく。水筒を取り出してみたが、飲んでしまっていたようだ。頭の上でひっくり返しても、水滴は落ちてこない。


 自動販売機でも探そうとした瞬間。


「……っ!」


 手首をつかまれた。

 ひんやりとした細長い指が絡みつく。何かが違っていると頭が訴える。心がぞわぞわと逆立つ。


「……誰だよ!」


 それでも、このままじゃ状況は良くならない。慧は鼓舞しつつ振り返り、息を飲んだ。

 一瞬化け物かと思ったが、そうではない。女性だ。しかも美人の。


 透けた白髪が、灰色のワンピースが風に沿ってさらりとなびく。

 意外だとでもいうかのように彼女は目を軽く開いていた。藍色の虹彩に大きめの瞳孔が良く見える。瞳はそのまま潤み、涙が一滴頬を流れた。慧の心臓が跳ねる。

 彼女の薄桃色の唇がわなないて、動く。


「」


 しかしそれが言葉になる前にせき込み、女性は口元を抑えた。女性はきびすを返し、慌てて曲がり角の向こうへと走り去っていく。

 なんとなく放っておけなくて、慧は女性の後を追い、同じように角を曲がった。


 そこには、もう、誰もいなかった。


「うげ」


 先ほどと比べ物にならない位、鳥肌が立った。きょろきょろと周りを見渡す。炎天下は他の人も嫌いらしく、誰もいない。手首を見る。跡は残ってないが、感触は残っている。

 何故か恐怖とは違うベクトルで胸が波打っている。


「ぇー………」


 元の道に戻りながら、慧はこう結論づけた。

 多分、すこぶる彼女は足が速かったのだろう。あの慌てた様子を見るにお手洗いでも行きたかったのかもしれない。今頃、多分、何処かの店にでも飛び込んでいる。


 なんとなく腕時計を見ると、思った以上のタイムロスだった。このままだと電車に間に合わず、星野のことをとやかく言えない。混乱を振り切るように走り出した。


 商店街を抜けると、駅のロータリーが見える。その前に一本、大きな道路が川のように遮っていた。横断信号が青いのを確認して、勢いのまま慧は道路に一歩踏み出す。さらに一歩進む。走り続ける。


 隣から猛スピードで近づく車に気づかないままで。


 ガンッと大きな物音と共に体が宙に浮いたとき、慧は何が起きたか分からなかった。

 ひっくり返った視界が去っていく赤い自動車を捉える。

 ちくしょう。ひき逃げかよ。嗤いかけた口から、ごぼり、と血がこぼれ出た。これも赤い。


……死ぬのか、俺。


 目を細める。まだ地面には衝突していない。危機に瀕した時特有のスローモーション。その中で慧は同じように。

 真っ赤になった空を見た。




 一台のバスが急ブレーキとともに止まった。星野はその勢いで顔を前の席にぶつける。しかし、その痛みは全然気にならなかった。


「何だよ、これぇ……」


 星野は呟く。他の乗客も同じような感想を抱いた。窓の外に魅入られている。


 赤い空だ。所々に張り裂けたように罅が入っており、そこから更に赤黒いものが滲みだしている。

 傷口のようにドクドクと脈打つそれは、夕焼けとは違いおぞましい。


 ぐらりと地面が揺れた。あちこちから悲鳴が上がる。星野は空を見続けていた。


 その日のことは後々こう定義される。

 予言の災厄(ラグナロク)と。

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