【王都編】アナスタシアの憂鬱Ⅰ
アナスタシア・フォン・エストリアはアルファン王国の新興貴族エストリア伯爵家の令嬢である。
十五年前の魔王討伐戦において勇者パーティーの一員となっていた大魔術師オルフェンがその功績によって伯爵に任ぜられたことを始まりとするためかなり歴史が浅い貴族であるエストリア家だが、オルフェンは魔王戦で受けた傷が悪化して死亡したので、今では弟のエルーノが当主となっている。オルフェンには子がなく、アナスタシアはエルーノの唯一の子であるため跡継ぎと目されていた。
オルフェンほどではないが、エルーノも魔王討伐戦においては下級魔物の殲滅などにおいて活躍しており、必然的にアナスタシアも幼いころから周囲の期待を受けて育ってきた。
一歳で初めて魔法を使った時に「さすが大魔術師オルフェンの姪」と褒めそやされたのを最初にアナスタシアは次々と魔法の才能を開花させ、五年前に王立魔法学園に首席入学を果たした。
卒業後はしばらく実戦経験を積んだ後、王国最強の冒険者パーティーに配属されるのだろう。そして魔物討伐なので名声を上げ、適当なタイミングで冒険者を引退し伯爵位を継ぐ。
言うなればアナスタシアにとって人生というのは敷かれたレールの上を歩くだけの行為であり、それは簡単とは言わないまでも一定の努力を続ければ達成できることであった。特に何か明確な不満がある訳ではないが、所詮それだけと言えばそれだけのこと。そんな訳でアナスタシアはトップの成績をとって周囲に尊敬の眼差しで見られながらもどこか冷めた気持ちがあった。
ただ、魔法学園にはアナスタシアほどではないにしても、似たような人生を送る者は多かった。
例えば貴族出身の者は長子であれば家督を継ぎ、それ以外であれば王国に仕えて家柄に見合ったポストにつく。平民出身の者であれば卒業後は出身の街や村に帰り、学園で学んだ才能をそこで役立てる。冒険者の子女であれば冒険の旅に出る。
そんな訳で学園での五年間(人によってはもっと長い)は唯一、外の世界でのしがらみから自由になることが出来る時期であった。ただ、アナスタシアは生来不器用だったのでその五年間も勉学と魔法の鍛錬に身を捧げて終わろうとしていたが。
そんな中、一人だけそれらのしがらみに全く囚われていない男がいた。
セドリックである。
元々十五年前の魔王戦役における孤児だった彼は孤児院で暇つぶしに書物を読み始めたことから座学の才能が開花。魔法の才能がほぼないのに座学の成績だけでこの学園に入学するという異色の経歴を持つ。そして誰も見向きもしないような古代魔法文献学というマイナー分野の研究に熱中していた。
彼は孤児院に恩返しをするということ(それも倫理的にそうした方がいい、というだけで明確に決まっていることではないが)を除けば人生の予定が真っ白だった。だから何の役にも立たないことを一途に研究出来るのだろう。それが眩しくて、いつの間にかアナスタシアは彼を目で追うようになっていた。
そして忘れもしない研究発表会の日の夜。アナスタシアは間近に迫って来た卒業に対して少しだけ感傷的な気持ちになったので酒場に向かった。もしこの卒業研究に教授が合格を出せば晴れて卒業となり、自由な時間は終わってしまう。嫌ではなかったが、それでも少し寂しくはあった。
アナスタシアはすでに十六になっており、酒が飲める。敷かれたレールの上を歩くだけの人生に葛藤を覚えたときは何回か酒のお世話になっていた。
そこで彼女が普段よりちょっと強めのお酒を頼んだところ、横で泥酔しているのがセドリックであることに気づいた。研究について語っているときの生き生きとした様子とは打って変わってやさぐれていたため気づかなかったのである。
「よし、もう一杯だ!」
彼は何か気に入らないことでもあるのか、酒におぼれようとしている。見かねたアナスタシアは思わず声をかけてしまう。
「ちょっと、それ以上はやめといた方がいいって」
「何だようるせーな」
やさぐれている彼を見てアナスタシアは無性に腹が立った。こいつは自分の研究が何の役にも立たないと言われることに腹を立てているようだが、何の役にも立たないことを興味のままに自由に研究出来ることがどれだけありがたいことか分かっているのだろうか。
アナスタシアは卒業後に父や叔父のように魔物と戦う以上、必然的に攻撃や回復の魔法を覚えなければならないし、座学では魔物の知識などを学ばなければならない。そのため、自分の興味には蓋をして勉強してきた。程度の差はあるだろうが他の学生も皆そうだろう。だからこいつは孤立しているのだ。
とはいえ、アナスタシアは幸か不幸かそういう内心を無分別に吐露しないだけの理性を持ち合わせていた。
「……。私は一人で静かにお酒を飲みたいから横で泥酔して嘔吐とかされると邪魔、酔いつぶれないうちに帰って」
「は? これくらいの酒全然余裕だが?」
そう言ってセドリックは酔っていたのだろう、アナスタシアが頼んでいた酒に手をつける。酒に強い彼女なので少し強めの酒を頼んだが、横にいる男が酒に強いようには全く見えない。
「あ、ちょっ、それ私の……」
止める間もなくセドリックはそれを一気に飲み干し、そのまま意識を失った。
「まずいな……」
そう呟いたのはマスターだった。思わずアナスタシアは彼の方を見る。
「あいつ、酒に弱いからいつも結構薄めたのを出してるんだ。逆に君には結構強いのを出している」
「何てこと……」
アナスタシアは頭を抱えた。
試しにつついてみたが、横で意識を失っているセドリックはぴくりとも反応しない。
「今日の分はただにしておくから頼めないか?」
マスターが申し訳なさそうな顔で両手を合わせる。ただにしておくも何もアナスタシアは自分の酒を一滴も飲んでないのだが。そう思ったものの、成り行きは成り行きである。結局彼女は一つため息をついてセドリックを寮まで連れていくことにした。