これから
「ところで先輩、こんなことを知っていますか?」
ひとしきり再会を喜びあったところでイリシャが言う。
「何だ?」
「魅了の魔法って術者が死ぬと解けるんですよ」
「それがどうした……あ、そういうことか」
色々と必死になっていて忘れていたが、そう言えば俺がイリシャを好きなのは魅了されているからじゃないかということをイリシャは結構気にしていた。
そんな俺の反応にイリシャは頬を膨らませる。
「もしかして忘れていました?」
「いや、俺もそれどころじゃなかったから……」
「いいですよ。だって先輩は私が死んだ後も私を好きでいてくれました。それは先輩が自分の意志でしてくれたということですから」
「全く、俺には魔王因子が入ってるし、魅了してくるやつもいるし、自分の意志で行動をしたと確信するのは本当に大変だな」
俺は冗談めかして言う。まさか自分の行動のどこまでが自分の本当の意志なのか説明できないことが重なるなんてな。
イリシャは少し笑ったが、すぐに真顔に戻る。
「大変なのはむしろこれからですよ。大丈夫なんですか、魔王になって」
「大丈夫ではない。もはや人間に親しみは感じないし、魔物には親しみを感じる。そして多分今の俺なら人殺しをしても何も心は痛まないだろうな」
「すみません……」
その言葉を聞いたイリシャがうつむく。うーん、このことについてはイリシャに罪悪感を持たれるのは嫌だ。
「だからあそこでイリシャを蘇生しなかったら本当に俺の人生は空っぽのままで終わっていたと思う。大丈夫だ、多少価値観が変わったからって誰にも会わずにひっそりと暮らしていく分には大丈夫だろう。だからどこか人目につかないところでひっそり暮らそう」
「でも、絶対人間も魔物もちょっかいかけてきますよ?」
人間は俺のことを知れば討伐しようとするかもしれないし、魔物たちは俺を人間との戦いに担ぎ出そうとするだろう。
そのとき、俺は人間を虐殺したり魔物に同情したりしてしまうかもしれない。
それに今後時間が経つうちに俺の中の魔王の部分が少しずつ広がっていくという可能性もある。
「仕方ないだろ。それに本気で古代魔法を探せば誰にも感知されない魔法とか、穏やかな気持ちになれる魔法とかもあるかもしれない」
「そうですね。それはおいおい考えるとして……ところでこの方は?」
不意にイリシャが近くで横たわっているアナスタシアを指さす。
「そうだった……」
色々ありすぎて忘れていたが、彼女も助けようと思って連れて来たんだった。しかもイリシャと同じように魂が空中を浮遊しているのならば俺が魔王になった経緯まで知っているだろう。イリシャと違って元々そこまで仲が良かった訳ではないということもあって、今だとむしろ嫌悪感の方が強い。
正直、これから人目を離れて暮らすなら彼女を蘇生しない方が無難だろう。最悪、彼女を生きて帰せば討伐軍が派遣されてくる可能性すらある。
それでも俺は彼女を蘇生させたいという気持ちを捨てきれなかった。
「アナスタシアと言って、学園の友達……ではなかったな。ライバルなような、特に関係はなかったような」
「言われてみればあの方ですね」
イリシャにとっては利用した一人に過ぎないのか、ようやく思い出したようである。
「それにしても何であんなところで死んでいたんでしょう?」
「この傷跡を見る限りドラージュに殺されたのだろう。それなら俺のせいでもあるし、復活させよう」
「そうですね。私もそれが合理的とは思えませんが、その思考は人間的でいいと思います」
確かに、俺が魔王の価値観に染まっていたら絶対蘇生させないからな。
「それはそうだな」
まさかそんな理由で肯定されるとは思わなかったが、確かに魔王因子の意志的なものには逆らっているような気はする。
アナスタシアを蘇生させたい、と思う意志は紛れもなく俺の意志によるものだ。
「漆黒の風」
俺はイリシャにやったのと同じ要領でアナスタシアを蘇生させる。やがて冷たくなっていたアナスタシアの体にうっすらと血の気が戻ってくる。
「ヒール」
すかさずイリシャが体の傷を癒す。無数に空いていた傷口が癒しの光を受けて徐々に塞がっていく。生き返りさえすれば体の傷は魔法で治すことは出来る。
イリシャの時と同じようにだんだんと体に生気が戻って来て、やがてアナスタシアは苦し気に呻いた。
「もしかして……私、生き返った?」
「ああ、もし生き返りたくなかったならすまない」
アナスタシアは目を覚ますと何と言っていいか、言葉を探しながら話し始める。
正直何と言葉をかけていいのか全く分からない。
「いえ……それはいいのだけど、いや、その言い方もおかしいけど。何て言ったらいいのか分からないわ。最初はイリシャさんが何かの陰謀のために彼をさらったのかと思っていたけど別にそういう訳でもなさそうだし、連れ戻そうと思って追ってきたけどもはやそういう状況でもないし」
アナスタシアも色々あって自分の感情を見失っているようだった。今の状況にかなり困惑している。
そこへイリシャが口を挟む。
「とはいえ、このまま先輩がばれて人間に捕まる方が人間のためではありますからね。人間視点で見れば私は悪人です」
「それはそうだ」
その後俺はアナスタシアから何で俺を追いかけて来たのかの話を聞いた。何と言うか、想像以上に真面目なやつだなというのが俺の感想だった。
話を聞いている間イリシャは非常に申し訳なさそうにしていた。
「本当にすみません……」
「許すとは思わないけど、確かに彼が人間社会に連れ戻されたらあまり幸せな人生を送ることはなかったと思う。だから非難もしないわ。……それで、私は何のために蘇生されたの? もしくはこの後何をしたらいいのかしら?」
アナスタシアが俺の方を向いて尋ねる。
「さあ……」
「いや、さあって。そんな適当に他人を蘇生させないでよ」
それについてはごもっともだと言わざるを得ない。
「そもそも、あなたのことを人間に通報してもいいの?」
実際、アナスタシアをこのまま素直に帰せばそうなる可能性が高いからな。
「それで安全に魔王因子を無力化出来ると思うなら、してもらっても構わないがな。ただ、討伐軍を派遣するような、頭が筋肉で出来ているようなやつには言わない方がいい。ドラージュの力は知っているだろうが、今の俺は純粋な魔力量で言えばあいつより強い。そうなると全力で迎え撃たなければならなくなる。そしたら俺はグリモワールからさらに知識を取り込み、覚醒が進むだろう」
「要するに何もするなと?」
アナスタシアは自虐的に言った。
彼女は彼女で今回何も出来なかったことを気にしているのだろう。
「そうだな。そっちが何もしないでくれれば俺は頑張って身を潜める」
「……全く、損な役回りだわ。巻き添えで殺された上に蘇生されて魔王因子を穏便にどうにかする方法を探させられるなんて」
どうやら彼女は思ったより負けず嫌いのようだった。魔王因子を穏便にどうにかする方法も何も、魔王因子の存在すら認知すらされていないというのに、彼女はそれを調べようというのだ。
「いいんですか?」
イリシャは怪訝そうに尋ねる。このままアナスタシアを帰せば人間社会に俺の情報が広まるかもしれない。先ほどはああ言ったが、それでもアナスタシアの性格を考えると俺のことを誰にも言わないということはないだろう。
「いいよ。俺たちが魔物領でひっそりと暮らしていたところでどうにかする方法が見つかる訳でもない。そのうちまたドラージュみたいな奴が現れて、俺を利用しようとしてくるかもしれない。それならどうにかなる方法が見つかるかもしれないっていう希望がある方がいいだろう」
「勝手に希望を見出されても困るけれど……永遠にプラマイゼロが続くよりは楽観と悲観が少しずつある方がいい、と」
アナスタシアは憮然とした表情で言った。
「そうだ。そう言う訳で好きにしろ」
そもそも俺はアナスタシアに何かを指図する権利がある訳ではない。確かに生き返らせることはしたが、それで俺の言うことを聞かせるのも筋違いだろう。俺の魔力で脅すことは出来るが、それは魔王のようなやり方なので嫌だ。
「言われなくても好きにするわ。じゃあね、一応生き返らせてくれたことにはお礼を言っておくわ」
「せいぜい元気でな」
「あなたも魔王に覚醒しない程度にお元気で」
そう言ってアナスタシアはさっさと洞窟を出ていった。あっさりと別れすぎのような気もするが、元々大した関係があった訳でもない。
二人きりになると、イリシャはこちらを見てほっと息を吐く。
「後を追ってきたというから実は仲がいいのかと思ってしまいました」
「俺にそんな奴いる訳ないだろ」
「そうですね。安心しました」
そう言ってイリシャはくすりと笑う。
「今のは喜ぶところじゃなくて悲しむところなんだけどな……。何はともあれ俺たちも行くか」
気が付くと、元々ドラージュが集めていた魔物たちが遠巻きにこちらを眺めている。あれほど醜悪だと思っていたゴブリンたちが、今は小さくて愛らしく、保護してやらなければという気持ちにすらなってくる。
そのことが逆に不愉快で、こんなところからはさっさとおさらばしたかった。
「そうですね。早くこんなところ出ましょう」
イリシャも大きく頷く。俺はゴブリンたちを無視し、イリシャの手を引いて洞窟を出る。
俺の中にどんな完成度が高い魔王因子が入っていようと、俺の人生を誰かに明け渡す訳にはいかない。
この先も人間が討伐に来たり、魔物たちが助けを求めてきたりするかもしれないが、どちらからも逃げ延びて俺は静かに残りの人生を送るつもりだ。俺は俺の人生を自分と、そしてイリシャのためだけに使いたい。そう思うのだった。




