覚醒
少ししてドラージュはがらがらと手押し車のようなものを押して戻って来た。
そこには玉座のようなものが載せられており、その上には巨大なきらきらと輝く透明な球体が載っている。少なくとも両手を広げたよりも大きい。これが全て魔石なのだろうか。さすがにそれを見た俺は少し驚く。
「すごいでしょう。魔王様が討伐されてから十五年、私は人間の討伐を逃れながら手下を集め、このようなものまで造っていたのです。ですがその努力も今報われようとしています。ではどうぞこちらをお納めくださいませ」
ドラージュは大仰に頭を下げる。あまりに堂々とした態度に、こいつがここで魔王に覚醒した俺に殺される可能性を想定しないのか少し考えてしまう。
例えば魔石に何らかの細工をしてとりこんだ俺に呪い(例えばドラージュの言うことを聞く呪いとか)がかかるようにするというのはどうだろう。が、よほど強力なものでなければ、魔王に覚醒するとともにその呪いはイリシャの魅了が解けたときのように解けるだろう。
テレポートで逃げるつもりだとすればそれは浅はかすぎる。魔王ともなれば目の前の相手が発動した魔法を打ち消すことは造作もないはずだ。一般人に出来る芸当ではないが、相手が魔法を発動した瞬間に対抗魔法を発動すれば相手の魔法を打ち消すことは可能である。
強いて言えば、俺がイリシャの蘇生をしている間に逃亡するという可能性だろうか。それならそれで後を追うだけだから別にいいか。
俺はゆっくりと魔石に近づいていき、右手を触れる。
すると、魔石がゆっくりと溶けて個体から魔力になり、体内に流れ込んでくるのを感じる。そして流れ込んできた魔力は別の物に変化して俺の体内に蓄積されていく。
やがて脳裏に夢で見た記憶がフラッシュバックする。
俺の魂が幼いころ、魔王により育てられていたこと。その際、俺は水槽の中で他の生物の魂らしきものと交配のようなことをされたらしい。魔王因子に他の生物の魂を注ぎ込むことを交配と呼んでいいのかは謎だが。
その中には人間だけでなくダークエルフや魔神のものも含まれていた。もしかしたら俺の魂がディテクト・デビルに反応したのはそのせいかもしれない。
一瞬、俺の脳裏を俺に注ぎ込まれた何体かの生き物の記憶が横切っては消える。可哀想ではあるが、彼らの記憶はほんの一瞬ずつしか残ってはいなかった。俺は生まれた瞬間に他の生物の命を複数奪っていたことになる。
そして記憶は流れ運命の決戦の日。魔王の元に俺の体が連れて来られる。もっとも、当時はただの生まれたばかりの幼児だったが。連れて来たのは人型をした家臣……というか今見たらこいつがドラージュだったようだ。
「魔王様、この者は魔術の名門ギュスターブ家の血を引いているようです。魔力の許容量は多いと思われます」
そう言って彼は片膝をついて俺の体を魔王に捧げる。
魔王はそれを無造作に受け取った。
「ふむ、最高の中身を作ったのに入れ物があり合わせになってしまったのは残念である。愚かな人間共め、奴らさえいなければ完全生命体が完成したというものを……」
魔王の声は存外普通のものだったが、どこか悔しさが滲んでいた。自分がこれから殺されると言うのに、その心配よりも俺の心配をしているのは俺の因子が残るからいいということのようだった。くそ、魔王の気持ちなんか知りたくないというのに。
「せいぜい人間領で魔法の勉強でもするが良い」
そう言って魔王は手の中に俺の魂を出現させる。テレポート的な魔法でも使ったのだろうか。そしてきらきらと輝く光をぐいっと頭から俺の体に入れる。
その瞬間、俺はおぎゃあおぎゃあと泣き叫んだ。もしかしたらそれは誕生の産声ではなく、元々赤子に入っていた人格の悲鳴のようなものだったのかもしれない。
俺はそれらの記憶を全て“受け入れた”。おそらくではあるが、ここで受け入れないという選択も可能だったのだろう。そうすれば魔王に覚醒することはなかったはずだ。
気が付くと、俺の回想は終わり、現実に戻っていた。目の前にあった巨大な魔石は跡形もなく消滅している。俺は自分の体を眺めてみたが、少なくとも外見上は特に変わった様子はない。元のセドリックのままだ。強いて違和感があるとすれば大量の記憶が頭に流れ込んできて少しぼんやりするぐらいだろうか。
パチパチパチ、と手を叩く音がする方を見ると、ドラージュが憎たらしい表情で手を叩いていた。
「無事の覚醒おめでとうございます、魔王様」
ふざけるな、と言おうとしてそこで俺はふと気づいた。
あれほど強く思っていたはずのドラージュへの憎しみが薄れているのだ。と言っても、ドラージュへの憎悪という感情が消滅した訳ではない。
自分で説明するのが難しいが、まず元々あった魔物への嫌悪感が消滅した。あえて言うならば、これまでは人間に親しみを感じ、魔物に嫌悪感を覚えていたが、それが逆転した。今では魔物には親しみを感じ、人間には嫌悪感を覚える。
俺がイリシャに抱いていた好意の要素としての一つに彼女が人間であろうと努力している、というところがあった。しかし今となってはそれを理屈の上では好ましく思えても、生理的には嫌悪すべきものとなってしまっているのである。
要するに今まで大体一致していた理屈と感情が分離したのだ。イリシャへの好意が減少したため、また魔物への親近感が生まれたせいでドラージュへの憎しみが薄れてしまった。
もちろん、だからといってドラージュを許すというほどには俺の感覚は変わらなかった。覚醒したばかりということもあって、まだ魔王の記憶や能力を全て引き出せたという実感はない。言うなれば、戸棚の鍵は開けたが、まだ中身はしまったまま、という感じだった。
だからセドリックとしての人格は残っており、従って俺のやることは変わらないのだが、あれほど憎んでいた相手への憎しみが一瞬で薄れたという事実が俺の心を打った。
さらに、その横に倒れているアナスタシアはイリシャと違って生粋の人間だからか、イリシャよりももっとストレートに嫌悪感を覚えた。
普通の人は道端にゴブリンの死体が落ちていたら気味悪く思って道を避けようとする。今の俺はアナスタシアの遺体に対してそれと同じ気持ちになるのだ。
ハーフのイリシャに嫌悪感を抱かなかったのは唯一の救いだろう。
「くそが……」
俺はどうにかドラージュへの憎悪を呼び起こそうと、これまでのこいつの行いを思い返す。
「まだ覚醒したばかりでお加減がよろしくないですか。しかし何はなくとも蘇生を行ってしまいましょう。そのために覚醒したのですから」
予想に反してドラージュは逃げだす気配がない。もしや覚醒による俺の意識の変化というのも計算に入っていたのだろうか。
まずい、このまま魔王の完全に魔王の意識が定着していくとドラージュへの殺意が鈍る可能性がある。どの道イリシャの復活にドラージュの生存は必要ない。それなら早めに殺しておく方がいいだろう。
「うるさい、その前にまずお前を殺す!」
俺はそう叫ぶことで自分の意志を奮い立たせる。