選択肢
「死ねええええええええええええええええええ、『碧の炎』!」
俺はありったけの憎しみをこめて全ての生命を消滅させる碧の炎を発射した。吸血鬼だろうが何だろうが、この炎を受ければ平等に消滅する。
もちろん防御魔法などを使ってくる可能性はあるが、こちらの圧倒的な魔力で押し切るつもりであった。
が、俺の攻撃を見たドラージュは一笑する。
「マジック・ネブラ」
彼が呪文を唱えるとドラージュの身体がどろっと溶けて霧のようになる。そこに俺の碧の炎が押し寄せるが、炎はドラージュの身体をすり抜けていく。
その光景を見て俺は呆然とする。一体何が起こっているのか。
俺の渾身の魔法を受けたというのにドラージュの表情には笑みすら浮かんでいた。
「ふむ、魔法の威力は申し分ないがこれまでの相手が格下ばかりだったせいか、攻撃が単調だな。その魔法は生命を消滅させることが出来ても、魔法を消滅させることは出来ないんだよ」
ドラージュはしたり顔で俺に解説するが、それはみすみす墓穴を掘っているだけである。タネさえ分かれば大したことはない。魔法的な状態になったのであればそれを消滅させればいいだけのことだ。
「紫の炎」
今度は溢れんばかりの紫の炎を生み出す。
が、俺の攻撃を見たドラージュはゆっくりと体を元に戻す。直後、紫の炎が彼に襲い掛かるが生命体に戻ったドラージュには何の効果も生み出さなかった。
それなら碧と紫の混合で、と思ったが俺はそこで気づく。二つの炎を混合すれば紫の効果で対消滅するだけだ。
打つ手がない。
愕然とする俺を見て、ドラージュはゆっくりと口を開く。
「まあ聞いてくれよ、私も何の考えもなしにイリシャちゃんを殺した訳ではない」
ドラージュの口から出た彼女の名前は吐き気がするほど不愉快な響きだった。
「なれなれしくイリシャの名を口にするな」
「おお、怖い怖い」
おそらくわざとだろう、こいつは俺を煽るように肩をすくめてみせる。
それを見て俺は気持ちを落ち着ける。こいつはわざと俺を怒らせて判断力を奪おうとしているのではないか。復讐はなさねばならないが、怒りは必ずしも近道ではない。落ち着け、俺。今は落ち着いてどうすればこいつを殺すことが出来るのかを考えるんだ。
しかし目の前で最も親しい人物を殺されたのに落ち着くなど出来ることではなかった。
が、そんな俺にドラージュが告げたのは思いもよらないことであった。
「一つ私から君に告げたいのは、古代魔法の中には死んだ人間を蘇生するような魔法もあるということだ。もちろん今の君が使えるものではないがね。だが、君が魔王になればどうだろうか。全ての古代魔法を使いこなすことが出来るかもしれない」
「ふざけるな!」
そう思ったがこいつの言うことは筋が通っている。俺が顕現させたグリモワールはおそらく魔王因子によるものだ。だとすればここに載っている魔法は完全に覚醒すれば使いこなせるものだということだろう。
そしてそれを知っているドラージュは俺が自発的に覚醒するためにイリシャを殺した。現代魔法では人間を蘇生することは出来ないし、独学でグリモワールを解読するのはいつになるか分からない。人間の死体は時間が経てば経つほど腐敗し、蘇生は難しくなっていく。
確実に蘇生するには魔王になるしかない。
俺が魔王に覚醒したらドラージュを覚醒したらドラージュを殺すという問題についてこいつがどう考えているのかは分からないが、案外それならそれでいいとすら思っている可能性もある。
だとしたら何と巧妙な作戦だったのだろうか。単純であるがゆえに他に選択肢はなかった。
そんな俺の考えを察したようにドラージュは悠然と続ける。
「考え中か。ならば決断の参考にするために、とりあえず魔王に覚醒する方法を教えてあげよう。これまでの経緯で分かる通り、まずは大量の魔石が必要だ。もっとも、これまでのようなちゃちな量とは比べ物にならない量ではあるが、私はそれを用意した。君のためにね」
「……」
俺は無言で奴を睨みつける。
「そして次に魔石を取り込むという意志だ。意志がなければ膨大な量の魔力を全て取り込むことは出来ないからね。そして最後に、器だ。ただの人間が魔王に覚醒すれば器が耐え切れずに破損する可能性がある。だから少しずつ魔石を投与したんだよ。もし破損したら私も魔石の用意し損だからね。幸い、今のところ君の体はある程度因子になじんでいるようだ。だから魔王に無事覚醒することが出来る可能性は高いと言えるだろう。どうだい? もし今すぐにでも覚醒するのであれば呼び寄せるが」
魔王軍四天王の生き残りというだけあってドラージュの行動は用意周到だった。だが、俺はドラージュの居場所を知っている。魔石が巨大なものである以上、その周辺に隠されている可能性が高い。巨大で、かつどの魔物も欲しがるもので、さらに計画の要である以上手の届かないところに置いておくことはないだろう。
ならば先にこいつを殺して不確定要素を排除した方がいい。
「……うるさい、俺がどうするかはお前を殺してから考える、赤の炎!」
今度はありったけの普通の炎を発射する。これはただの炎だから小手先の技(と言うには高度過ぎる魔法だったが)で回避することは出来ない。
俺の目の前に直径十メートルほどの炎の渦が出現し、おそろしい勢いでドラージュを飲み込もうとする。
「やれやれ、それが一番面倒なんだよな。フリーズ」
今度は古代魔法ではなく普通の氷属性魔法だった。途端にドラージュの周囲の空気が凍り付き、炎から彼を守るように氷の防壁が形成される。
が、俺の炎はすぐに防壁を溶かし尽くし、それでも勢いを変えずに襲い掛かる。
「最後に一つだけいいことを教えてあげよう。君は自分の意志で古代魔法を勉強していたつもりだったのだろうが、それもお前の中に眠る魔王因子の導きだ。お前の中に眠った魔王因子が無意識にお前の興味を古代魔法に向けた。つまり元々君には自分なんてものはなかったんだよ。君がアイデンティティだと思っていた学問は、所詮因子の意志で学ばされたものだったのさ」
「うるせええええええ、死ねええええええええ!」
俺の炎はさらに勢いを増してドラージュの体を包む。さながら俺の気持ちを反映しているかのように。
が、そんな炎を受けてもドラージュには焦り一つ見られなかった。まるでこのようなことは想定内だと言わんばかりである。
「ではさらばだ、テレポート」
彼がそう唱えた瞬間、ドラージュの姿は無情にも俺の前から消えた。後に残るのは無限に広がる荒野と焼けた大地、そして安らかに眠るイリシャだけだった。
俺はすぐに彼女の遺体に駆け寄り、懸命に呼びかける。
「イリシャ、イリシャ、イリシャ……」
俺は倒れているイリシャに呼びかけてみるが、イリシャは微動だにしない。
「くそ……」
俺は思わずイリシャの体に覆いかぶさるようにして泣いた。
俺よりも凄惨な生い立ちだったが、彼女はそれにめげず俺などよりももっと努力してその力を得て彼女は運命と戦おうとした。
一方の俺は無邪気に貰い物の力を振るって喜んでいただけだ。俺が覚醒したのは魔王因子と魔石の力のおかげ。唯一グリモワールを解読したことだけが俺の力でやったことだが、分かってみるとそれすら魔王因子の影響で学んだことだったという。そうだとすれば俺の人生は本当に空虚だった。研究一筋で生きて来たのにそれすら俺の意志によるものではなかったのだから。
だからもしそんな俺の人生に意味があるとすれば、それはイリシャと歩んだ最後の一瞬だけだろう。彼女に勇気づけられた俺は、魔王因子という与えられた運命に対して少しだけ立ち向かおうとした。イリシャに好意を抱いたことだけが俺の自発的な意志だったとすら言えるのではないか。
ドラージュも俺があの言葉で自分の人生に対する執着を捨てて魔王になることを決意するのを後押しするつもりで言ったのだろう。そう思うと相変わらず腹は立つが、今は恨みよりイリシャの方が大事だ。
それに、イリシャが殺されたのは俺のせいでもある。もちろんドラージュが一番悪いことに変わりはないのだが、ドラージュは俺を覚醒させるためにイリシャを殺した。
ダークエルフの長が因子について話してくれたとき、俺は当たり前のように「覚醒したくない」と言ったし、イリシャもその決断を尊重してくれたがそもそも俺が素直にイリシャとともにドラージュの元に赴いていればイリシャは死なずに済んだ。それはそれで別の問題が起こった可能性は高いが、それでもそうしないことを俺は選んだ。そしてその選択の結果イリシャは殺された。
自分に流れる淫魔の血に抗い続けて生きてきて、やっと自由になれると思ったイリシャがこんなところで死んでしまうなんてあまりに理不尽ではないか。今日の半日で今までの人生を全てチャラにするとは言ったが、まだ過去を清算したけだけで新しい一歩を踏み出せた訳ではない。
俺は決意した。俺の空っぽな人格を守るために覚醒しないことを選ぶぐらいなら、俺という存在はイリシャを蘇生することに捧げられた方がましだ。
「よし、ドラージュのところに行くか」
俺は決意とともに、イリシャの体を抱え上げた。