終焉
その後俺たちはようやく昼ご飯を食べることになった。正直何でもいいから早く食べたいという気持ちは強かったが、イリシャが五軒ぐらいレストランを回ってメニューを見比べてから結局最初のところに戻るという暴挙に出たので、食べ終わったときはすでに日が傾いていた。
「もう夕暮れですか、早いですね」
店を出るとイリシャは夕陽を見ながら言った。
赤らんできた空を見て俺も感傷的な気分になる。
「服選びとレストラン選びで大分時間食ったからな」
「も、もう、それは私も後悔してるんだから言わないでくださいよ」
少しだけ恥ずかしそうにイリシャは言う。きちんとおしゃれした彼女が夕陽に照らされている姿はきれいで、少しどきどきしてしまう。
「なあ、やっぱりもう少し……」
俺が言おうとすると、しかしイリシャは人差し指で唇を塞いだ。
「それはだめですよ、先輩」
「……」
一晩ぐらいなら、と言おうとしたが俺はそれを言葉にしなかった。なぜならイリシャの表情も強張っていて、その言葉は本意ではないということが感じ取れたからだ。彼女に無理してそんなことを言わせてしまった時点で俺は間違っている。本当は俺の方からさっさと作戦に移るべきだと言うべきだったのだろう。
「そうだな、行くか」
「はい」
仕方なく俺たちは手を繋いで街の外へと向かう。
そろそろ仕事から帰って来た兵士や冒険者がちらほらと街に見え始める。作戦実行にちょうどいい時間が近づいているということだろう。
最後は何と言っていいのか分からなかったが、無言で一緒に歩いている時間も悪くなかった。繋いだ手を通して伝わってくる体温だけで俺には十分だった。
街の外に出て少し歩き、人通りのないところまで来ると俺たちは足を止めた。そこでイリシャがおもむろにこちらに向き直り言う。
「……最後に一つ渡したいものがあります」
「何だ?」
「どうぞ」
そう言ってイリシャは一枚の薄い紙を差し出す。そこには一輪の青い花が押し花にされていた。
ただの本のしおりにも見えるが、よく見るとこの花は滅多に自生していないとされるアルカブラだった。簡単に手に入るものではない。
「いつの間にこんなものを?」
「先輩が試着の服を着替えている間ですよ。服屋の店員さんにセールスされちゃいました、彼氏さんへのプレゼントにどうかって」
イリシャは少し恥ずかしそうに言う。
聞いているだけでこちらも恥ずかしくなってくる。
「先輩なら本をいっぱい読むだろうから使うかなと思いまして」
「ありがとう。ていうか俺は何も用意してなくて悪いな」
「いえ、これからもらえれば十分ですよ」
俺はイリシャから受け取ったしおりを大事に荷物にしまう。今イリシャはさらりと言ったが、これからイリシャに恩返しをするのはなかなか大変なことだろう。
その時だった。不意にイリシャの表情が険しくなったかと思うと、後ろを振り向く。
すると後ろから、景色がかすんで見えるほどの大量の黒い線が飛んでくるように見える。正面から見るとそれは虫の大軍のようだった。
魔力の矢か。
が、気づいた時にはすでに遅かった。
矢は振り向いたイリシャに容赦なく迫る。
景色が止まっているかのようにゆっくりと動いて見える。これだけの遅さなら俺の魔法で全てを消し飛ばすことが出来る。
しかしなぜか俺の動きも景色と同じくらい、いやそれ以上に緩慢なものになっていた。
ただ思考だけが超速で動き続けていた。イリシャとのこれまでの思い出頭をよぎる。これが走馬燈だろうか。出来ればそんなものは一生見たくなかった。
最初に学園で声をかけてくれたとき。
寮で襲われた俺を逃がしてくれた時。
一緒に野宿した夜。
秘密を打ち明けてくれたときのこと。
そして今日のデート。
そこで唐突に俺の意識は現実に戻ってくる。
「避けろイリシャ!」
かろうじて俺に出来たのはそう叫ぶことだけだった。イリシャの反射神経なら雲霞のように飛んでくる黒い魔法の矢を避けることもあるいは出来たかもしれない。
が、イリシャは避けなかった。避けられなかったのではなく。
風景はさらにゆっくりになるが、俺は動くことは出来ない。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
黒い矢がイリシャに触れる。
その瞬間、止まっていた時間が動き出したかのように世界の速さが元に戻った。
直後、イリシャの体を無数の黒い矢が貫通し、彼女の周囲を大量の黒い矢が通り抜けていく。その瞬間、イリシャの体が真っ赤に染まる。イリシャの体を貫通した矢と、その周囲を通り抜けた矢が次々と俺の体に刺さっていく。痛みは感じたが心の痛みに比べれば大したことはなかった。
そして、ハリネズミのようになったイリシャがゆっくりとその場に倒れる。全身に刺さった魔力の矢は消えていくが、無数に開いた傷口はそのままだった。
「イリシャ!」
俺が駆け寄ると、イリシャは体中から血を流しており、すでに瀕死の状態だった。
先ほど買ったばかりのおしゃれな私服姿で全身血にまみれて倒れているその姿は残酷なほどきれいだった。
そんな状態でも、イリシャの口がかすかに動く。
「先輩……に……げ……て」
こんな状態でもなぜ自分のことを言わないんだ。俺はそんな彼女に苛立ちを感じつつ怒鳴る。
「おいイリシャ、大丈夫か!?」
が、彼女は俺の言葉には反応しない。
そして俺は気づく。俺の知っている古代魔法には瀕死の人間を治せるものはない。
「ヒール! ヒール!」
仕方なく俺は知っている呪文を連射する。傷口は塞がっていくものの、イリシャの体に力は戻ってこない。
その代わりにイリシャは乾いた笑みを浮かべる。
「私は……もう……、でも、最後に……たのし……かった……です」
イリシャの声からは徐々に力が抜けていく。俺はイリシャの手を握って叫ぶ。
「イリシャ!」
しかしイリシャは俺の声に薄く笑うだけで、ゆっくりと目を閉じていった。
「おいイリシャ! 嘘だろ? お前はやっとここから自由に生きるんじゃなかったのか? なあイリシャ!」
なおも呼びかけて肩をゆすってみるがイリシャが答えることはなかった。
やがて握った手からも少しずつ力が失われていく。
「うわああああああああああああ!」
叫ぶ俺は魔法の矢が飛んできた方角に一人の男が立っているのを見つけた。
シルクハットにタキシードとステッキ。人を喰ったような正装と口元からのぞく鋭い牙。
こいつがドラージュか。俺は直感する。
大体、イリシャを一撃死させるほどの魔法を使える奴が他にそうそういてたまるか。もはやこいつの目的がどうとか、俺の正体がどうとかは関係ない。
こいつだけは絶対に殺す。
「貴様あああああああああああああああ!」