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人並みの幸せ

 その後俺たちは一週間ほどかけてアルファン王国の辺境へ戻る旅を行った。どこまでも続く荒れ地の上に来たときと同じ景色だったので旅自体は退屈だった。行きの時は少し浮ついた雰囲気があった(正確に言うと俺が一人で浮ついていた)旅だったが、帰りは少し重たい空気が流れていた。


 帰りは体力に多少余裕も出来て来たので、毎晩俺は「無色の風」の練習をした。人間領に近づくと練習出来ないが、魔物領では古代魔法を使っていても見とがめられることはないし、大抵の魔物はむしろ俺の魔力を見て離れていくのでむしろ安全度が上がるとすら言える。


 俺は重たい石や細かい砂粒などを荒れ地の空に飛ばした。それが出来るようになると、だんだん数や種類を増やすようにした。巨岩や大きな魔物の遺体も飛ばせそうだったが、実際に飛ばすのは大量の紙だったので、どちらかというとたくさんのものを同時に飛ばす練習に集中する。

仮に失敗して落としても魔物ぐらいしかいないので思い切ったことも練習できた。


 唯一の気がかりは、


「これドラージュに見つかる可能性上がるからやめた方がいいかな」


 ということだった。


「どうでしょう。魔人とか送り込んでくるぐらいですし、その気になれば私たちの位置を特定するぐらい容易なのでは? 世の中には魔神の気配を探る魔法もありますし」

「そうだな」


 イリシャにそう言われるとその通りだと納得してしまう。

 大体の魔物たちは魔力を感知出来る以上、「魔力の高い奴が魔物領をうろうろしている」ぐらいの情報はドラージュにはすぐに分かるはずだ。

 ちなみに俺が練習している間イリシャは街に撒くビラの製作にいそしんでいた。地味なことをさせてしまい申し訳ない。


「そもそもドラージュって普段何しているんだ?」

「基本的には配下になる強い魔物を集めていますよ。ただ、時々人間の軍勢や冒険者が魔物討伐に来るので、そうなれば迎え撃つか退避するか対処を迫られるので結構大変ですね」


 魔王討伐以来、基本的に魔物側は劣勢ではある。そして襲われる魔物たちは魔物内での最大勢力であるドラージュに助けを求めることが多いらしかった。


「じゃあ今も忙しいのだろうか」

「普通にその可能性はありますね。もしくは先輩の完全覚醒に必要な何かの準備をしているとか」

「それもそうか」


 正直気にしてどうにかなるものでもない。それよりは「無色の風」の練習を積んで作戦を実行するときの成功率を上げる前向きだろう。

 そんな訳で毎晩のように練習を積んだ俺はアルファン王国近辺に辿り着いた時にはかなりの腕前になっていた、と思う。




 そしていよいよ今日で旅も最後になるだろうという日の朝のことだった。


「昼頃には国境周辺に着いて作戦を実行出来るかな」

「あの、先輩」


 不意にイリシャが少し言いにくそうに声をかけてきた。あの日秘密を受けて以来、イリシャがこういう雰囲気になることはなかったので少し気になる。


「何だ?」


 ちょっとだけシリアスな雰囲気を感じ取った俺は心の準備をしながら尋ねる。

 するとイリシャは少し不安げに俺を見上げた。そして勇気を振り絞って、という風に話し始める。


「あの、この作戦が行われたら人間に追われるかもしれないし、ドラージュも動かざるを得なくなって襲ってくるかもしれません。そうなればしばらく激動の日々が続くと思うんですよ。しばらくはこんな穏やかな日々が戻ってくることはない訳です」

「それはそうだろうな」

「……ですから、その前に一日、いえ半日だけ、私にくれませんか?」

「どういうことだ?」


 イリシャの言葉は少し予想外なものだった。


「これから王国へ歩けば昼過ぎまでには街に着くでしょう。ですから、夕方までは先輩の時間を私にください! 私も一度ぐらいは年頃の少女並みの日々を送りたいんです!」


 イリシャはそう言いきって目をつぶる。俺の反応が怖くなったのか手は小刻みに震えている。

 確かにイリシャは昔親友に襲われてから人間と魔物の間を揺れ動くような人生を送って来た。学園に出入りしていたとはいえ、授業にも出られなかったし、長居すれば怪しまれるから俺と接触するときに最低限潜入していただけだろう。

 それに魔王に覚醒すると俺の人格が上書きされる公算が高いという。ならば楽しい思い出の一つでも作っておけば、万一覚醒しても俺の人格を維持するのに役立つかもしれない。


 いや、そんな根拠のない予想は建前だろう。俺の方もイリシャほど酷いという訳ではないが、研究以外何もない青春を送って来た。今更一つぐらい楽しい思い出を作ったぐらいで覚醒を阻止出来るのならば苦労はない。ただ、それはそれとして一日ぐらいは人並みの青春を送ってもいいか、という気持ちはあった。


「でもいいのか? そんなことしたら俺はお前のこと好きになってしまうかもしれない」

「ですから夕方までです。夕方の一番人通りが多くなりそうな時間になったら、切り替えて作戦を行いましょう」


 そう言うイリシャの声は震えていて、表情にはどこか無理をしているような気配があった。本当は半日と言わずもっと長く、それが叶わずともせめて一晩ぐらいは普通の日々を送りたかったのではないか。


 どうする? せめて一晩ぐらいはと言うべきだろうか。ここまで何もなかった以上、あと一日それが伸びるだけで何かあるとも思えない。


「……やっぱり良くないですよね。大事な作戦ですから最善を尽くした方がいいです」


 俺の沈黙を否定ととったのか、そう言ってイリシャが俯く。


「いや、そういう訳じゃない! よし、作戦は夕方にしよう! その方が人通りも多いから合理的だ!」


 俺が必死に否定すると、イリシャの表情は花が咲いたようにぱっと明るくなる。


「いいんですか?」

「そうだ! これまでの人生全部取り返すぐらい楽しい半日にしよう」

「ありがとうございます」


 そう言ってイリシャは満面の笑みを浮かべた。その邪気のない表情を見られただけで、俺は作戦を半日延期して悔いはないと思った。




 アルファン王国の辺境都市リオールは魔物領との境にあるため、観光というよりは兵士や冒険者が集う武骨な都市で、土産物屋よりも武器や鎧を売る店の方が多かった。

 着いたのが昼間ということもあり、街中にはそんなに人通りはない。魔物討伐にでも向かっているのだろう。


「どうする?」

「とりあえずお昼にしましょう。……それよりここ、初めての街です」

「ああ、そうだが」


 そう言ってイリシャは何かを要求するようにこちらを見つめてくる。

え、初めての街ですることって何だ? ただ、宿の位置を確認するとかそういうことは今は求められていないはずだ。これまで研究ばかりしていた俺にはこういう時どうしたらいいのかが全く分からない。

 俺が沈黙しているとイリシャはため息をついて口を開く。そして拗ねたような声色で言った。


「……はぐれないように手を繋ぎましょうと言っているんです、察してください」

「分かんねえよ!?」


 思ったより飛躍した要求だった!

 特に道がこみいっているとか人混みがすごいとかそういうことも全然ないからな。


 だが、俺は黙ってイリシャに左手を差し出す。

 するとイリシャは無言で俺の手を握った。壊れそうなものを掴むような恐る恐るという握り方だった。そんな握り方をされると俺の方も怖くなってきて、同じぐらいの強さで握り返す。イリシャの顔が少し赤くなった。そんな顔をされるとこっちが恥ずかしくなる。


「と、とりあえず街の中心に行ってみるか」

「そ、そうですね」


 こんな街でも街を治める領主や武器などの販売で儲けた豪商はいるようで、中心部に進むとちらほらおしゃれなカフェやレストランがあるのが見えた。

 また、少数ではあるが珍しい装飾品などを売るお店もある。もっともそこに出入りしているのは着飾った金持ちばかりだったが。


「ご飯食べたら服買うか」


 俺が何気なくつぶやくとイリシャが目を輝かせる。


「え、いいんですか!?」

「だめなことはないだろ」


 俺はイリシャの反応に驚く。これまで野営ばかりだったこともあって、彼女が服でそんなに喜ぶとは思わなかった。


「でもたった半日ですよ?」

「いいんだよ。この半日でこれまでの人生のマイナスを全部チャラにするんだから。言うなれば半生分の買い物だ」

「それだったら先に服を買いに行きましょう!」


 急にイリシャのテンションが上がる。これまでどこか恐る恐るといった感じだが、今は本心から楽しんでいる、そんな風に見えた。それはすごく俺も嬉しいことなんだが、腹は減ったままだ。


「いや、でも俺お腹空いたんだけど」

「同じ食事をするなら可愛い服で食べたいじゃないですか?」

「そうか?」


 俺には全くそういう気持ちはないが、はしゃいでいるイリシャを見るのは初めてで、それを見ているのは悪い気分ではなかった。

 そして彼女にもやはり普通の女の子らしいところがあるんだな、と微笑ましくなる。


「はいはい、それなら先に服買いに行くか」

「そうですよ、妥協は許されません!」

「えぇ……早く決めてご飯食べたいんだが……」


 が、そんな俺の言葉を無視してイリシャは俺の手を引いていくのであった。

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