灰の炎
昨日も見たような展開に呆然とする俺たちの前に、一人のダークエルフの男が音もなく木の上から地面に着地する。男は短弓を構えていたが、来るときに出会った奴とは違い、肩に宝石を飾っておりそこそこの身分であることが伺えた。
「何者だ!」
思わず俺は叫ぶ。イリシャはさっと俺をかばうように剣を構えて立った。
ダークエルフの男はうっすらと狂気に濁った目でこちらを見る。
「聞くところによるとおぬしは魔王の因子を持っているようだな。大人しく俺たちに降伏するなら悪いようにはしない」
「それならいきなり矢を射かけるな。大体お前たちの目的は何だ?」
「分かり切ったことだ。魔王因子を研究して俺たちの意のままに動く魔王を生み出すだけだ。つまり俺たちに降伏すれば死にはしないということだ。悪くないだろ?」
確かに魔王が因子に知識や記憶を注ぎ込んだように、因子に介入することが出来れば魔王の人格を操作することが出来るのかもしれない。
「長は俺たちに協力してくれたぞ!」
「ふん、奴も耄碌してことなかれ主義になったのだろう。せっかく魔王の深淵に迫るチャンスだというのに、愚かな」
そう言って男は不愉快にけらけらと笑ってみせる。
長がまともな人物だったので忘れていたが、そう言えば彼らは倫理観が異なるということを思い出す。そして彼らの中にも色々な者がいるらしい。
「力に狂った奴らめ!」
俺が吐き捨てた時だった。
突然、背後から風を切る音が聞こえてくる。俺ははっとして振り返る。
次の瞬間、シュッ、という音とともに一本の矢が両断されてその場に落ちる。見るといつの間にかイリシャが剣を抜いていた。
「先輩、囲まれてます」
「お前、卑怯だぞ!」
俺はすぐにグリモワールを呼び出す。
が、男は全く意に介してないようだった。
「魔王相手に卑怯もクソもないだろ」
「黙れ……『碧の炎』!」
「もうネタは割れてんだよ」
そう言って男は近くの木の後ろに隠れる。すぐに碧の炎が男を襲うが、太い木によって遮られる。どんな生物も消滅させる碧の炎も木には無力らしく、残念ながら木を消滅させることは出来ないようだった。
これまでの相手と違ってこいつらは古代魔法に対する知識もあるらしい。頭が回る相手には力押しだけでは勝てないか。これではドラージュに勝つなど到底おぼつかないだろう。
そして男が避けると同時に頭上から数本の矢が降り注ぐ。
「マジック・シールド!」
イリシャの呪文とともに俺の頭上に透明のバリアが張られ、飛んできた矢はぱらぱらとはじかれる。そう言えば魔法が使えない振りをしていたのは身元を隠すためであるとも言っていたな。というか、魔法が使えて剣技も強くて魅了も出来るというのはハイスペック過ぎないだろうか。
さらに俺の後方に二人のダークエルフがいつの間にか現れ、短剣を持ってイリシャに襲い掛かる。緑と茶色を基調にした衣類を身に着けており、周囲の風景にカモフラージュしていたのだろう、全然気が付かなかった。
「残念ながらダークエルフ程度の剣術で私に勝とうなんて片腹痛いですよ」
男はイリシャの両側から同時に突きを繰り出す。イリシャは軽く体を半身にして左手の突きを避けると、右手から来た相手に剣を振り降ろす。とっさに男は自分の剣でイリシャの剣を受けようとする。
しかしキイン、という鈍い音とともに刃が折れて切っ先がくるくるとどこかに飛んでいく。
剣を折られた男は呆然と呟く。
「何者だお前は……」
「私が聞きたいですよ。ただ、こんなところで仲間内だけで鍛えた剣術で私に勝てるとでも?」
「くそがっ」
今度は左の男が斬り込むと同時に頭上から矢が飛んでくる。しかしイリシャは矢を魔法で防ぐと同時に左の男の剣も叩き折る。そんな脆い武器でもないだろうに、イリシャが自分の剣を叩きつけると男の剣はあっさりと折れて飛んでいった。あまり印象はないが、サキュバスは普通の人間に比べ膂力も勝っているようだ。
「先輩、動かないでいてもらえれば後ろは何とかします。やっちゃってください」
「分かった。ついにこの魔法を使う時が来たようだな」
「『灰の炎』!」
俺の手から全ての植物を消滅させる灰色の炎が噴き出し、周辺の木々を包んでいく。そして炎に包まれた木々は次々と消滅していった。森の中のはずなのに周囲にはぽっかりと空いた何もない空間だけが残る。
木の上や木の後ろに隠れていた敵のダークエルフの仲間が遮蔽物を失い、ぞろぞろと姿を現す。こんなにいたのか、と思わず呆れてしまう。
「こんな魔法まであるのか……」
「我らですら知らないものを知っているとは」
一方の敵も俺の魔法を見て呆然としていた。俺も学園時代は見たことが存在すら知らなかったので、マイナーだったか、何かの事情で遺失したのだろう。やはりこのグリモワールというのは素晴らしいものだ。
「関係ねえよ。俺は全ての古代魔法を知ってるんだからな。さて、存在ごと消滅させられたくなければ逃げた方がいいんじゃないか?」
そう言って俺は手元に再び碧の炎を生み出す。それを見てダークエルフたちの表情は青くなる。彼らは互いに視線を合わせて頷く。
「分かった分かった、もう諦める。悪かったな、こんなことして」
ダークエルフたちは言うが早く、一目散にその場から走り去り、残っていた森の中へと姿を消した。倫理観が低いだけあって逃げ足も速い。悪かったで済まされることでもないが、わざわざ追うほどの気力はない。
「大丈夫か? というか、相変わらずすごいな」
俺は一人で何人もの敵と渡り合っていたイリシャの方を振り向く。
「ダークエルフは動きが俊敏なだけで、実戦の経験自体はないので大したことないですよ」
イリシャは淡々と言う。よく見るとかすかに息が荒くなっている、という程度だった。ふとこれまでの人生でどのくらい実戦で鍛錬を積んできたのだろうか、と思う。自分の呪いのような力を克服するためによほど頑張ったのだろう。その努力は素直に尊敬できる。
「それにしてもダークエルフの倫理観が欠如しているというのは本当だったんだな」
「そうですね。でも、他の種族でもコミュニケーションがとれる種族なら倫理を適用しないといけないって思うのは人間固有の価値観かもしれません」
「どういうことだ?」
イリシャの言ったことはいまいちぴんと来ない。
「私たちも別に牛や豚は普通に食べるじゃないですか。それらの動物を殺すことは何とも思わないですが、ダークエルフを殺すのは今みたいな状況じゃなければ悪いと思う気がするんです。それは相手が人型なのもありますが、やっぱりコミュニケーションがとれるからだと思うんですよよ。でも彼らは自分たち以外はどうでもいいし、ほとんどの魔物もそうです」
俺はイリシャが深く考えていることに感動する。確かに、言われてみれば思い当たるところはあるかもしれない。
「なるほどな。でも、それが人間固有の価値観なんだとしたら失いたくはないよな」
「本当にそうですね」
俺が何気なく言った言葉だったが、イリシャはしみじみとかみしめているようだった。俺たちは二人とも人間とそうでないものの間にいる存在だから特にそういうところには敏感なのだ。
そんなことを思いつつさっさとこんなところを出るべく歩き出す。先ほど周りの植物を吹き飛ばした何もない空間を出て、再び森に入る。するとイリシャが立ち止まる。
「先輩、まだ周囲に気配があります」
「諦めたと見せかけてまだやる気か」
さすがに俺はげんなりした。一度撃退したと思った俺たちが油断すると思ったのか、どうせ旅人だから何してもいいと思ったのか。さすがに俺は彼らの諦めの悪さに辟易した。
「こうなったら森を全部消してやる。『灰の炎』」
再び俺は灰の炎を出して周辺の木々を消滅させた。逃げたのか、今度は隠れていた敵が出てくる気配はない。豊かな森が再び何もない荒れ地になったのを見て俺も少し気がとがめたが、いくらイリシャの腕が立つとはいえ見えないところから奇襲される危険がある以上、放っておくわけにはいかない。
「灰の炎」
その後俺は少し進んでは周辺の森を消滅させる、ということを繰り返し続けた。どれだけ珍しい木々も植物も果物もまとめて消滅し、時折動物たちが慌てて奥の方へ逃げていく。
すごく悪いことをした気分になったが、悪いのはあいつらだ。これで悔い改めてくれればいいのだが。
広大な森の中に俺たちが進んできたところだけ木々が消し飛び通路が出来ているのは少し壮観ではあった。
そしてもう一つ驚きだったのはそんな馬鹿みたいな魔力の使い方をしていても俺の魔力が全然底を尽きなかったことである。これが魔王因子の力なのか、と俺は密かに自分に恐怖した。