襲撃
「先輩はこれからどうしますか」
その後、長は俺たちに対して歓迎の宴を開いてくれた。世間から隔絶されている上に来客が厳選されるこの集落にやってくる人物は少ないらしく、久しぶりに誰かを歓迎すると長は言っていた。
それでついつい張り切ったということなのか、人間社会では見ないような獣の肉や知らない野菜や果物、見たことのない料理など本当ならじっくり味わって食べるようなものが所せましと並んでいたが、俺にそれを味わう心の余裕はなかった。
そんな訳でせっかくのもてなしではあったが、俺はイリシャと一緒に早めに抜けて客室(数年ぶりに使われたらしい)に引き上げて来た。
「分からない」
「とりあえず、魔王には覚醒したくはないですよね?」
「それはそうだ」
俺にも人並みの良心があるので、魔王となって人間たちを攻め滅ぼすのは嫌だ。少なくとも歴史書に出てくる魔王は皆魔物を率いて人間を滅ぼそうとしていたので覚醒するとそういう存在になる可能性が高い。
とはいえ、それを防ぐためにはどうしたらいいのだろうか。そもそも覚醒の条件が分からないが、知っているのは大体魔物サイドの人物だろう。おそらく一番詳しいのはドラージュではないか。
「俺はドラージュと戦って勝てると思うか?」
「どうでしょう、私も別に戦った訳ではないので。ただ、ドラージュに戦いを挑むのは負けることのリスクの他にも、出会った瞬間覚醒させられるというリスクもあります。そんなことが出来るのかは分かりませんが」
「今まで二回とも俺は魔石で力を取り戻した。そうである以上ドラージュが巨大な魔石を俺にぶつけたら、もしくは大量の魔力を注ぎ込んだら俺は覚醒する可能性はあるだろう」
「そうでしたね」
ドラージュの目的が俺を覚醒させることであれば、覚醒に十分な魔石を確保していてもおかしくはない。
ただ、覚醒するための条件がそれだけとは限らないし、ただ覚醒しただけで俺の人格がすぐに魔王のものになるのかも分からない。やはり不確定なことが多すぎる。
「このことを全て話せば人間領で匿ってもらえる可能性は……低いよな」
「でしょうね。魔王に覚醒する可能性がある以上処分されかねませんし、そうでなかったとしても、封印されるか研究に使われるかでしょう」
「魔王因子なんてものがあればそうなるよな」
イリシャはドライに言うが、実際その通りになりそうだった。
魔王は魔王因子を強化するということをしていたが、逆に魔王因子を極限まで弱体化して弱小魔王を一体存在させておけば他で魔王が覚醒することを防げるかもしれない。もしくは魔王因子を持った聖人君子のような人間を生み出すことも出来るかもしれない。
「やはり逃げ回るしかないでしょう。ドラージュも四天王の一角とはいえ、魔物軍は現在人間に比べるとかなり戦力的に劣っています。自由に動き回るのは難しいでしょう」
「いや……そうか。分かった。人間を扇動してドラージュを討たせればいいんだ! そしたらその後は今度こそどこか辺境の地に引きこもって暮らせばいい」
「なるほど」
イリシャがぽん、と手を打つ。ドラージュさえいなくなれば、俺を復活させようとしていて、しかも俺より強い魔物はそうそう現れることはないだろう。
「確かに私はドラージュの居場所を知っていますし、それを人間にリークして、ついでに『魔王復活を企んでいる』とでも言えばいいんですね」
「そうだな。実際その通りだしな。……で、どうやってリークするんだ?」
「さあ」
イリシャは首をかしげる。
うーん、方向性自体はこれでいいと思うのだが。
人間の都市に潜入して何となく噂を流すことは不可能ではないだろうが、何となくの噂で軍が動いてくれるかは不明だし、途中で変な噂を流している怪しい奴だと捕まる可能性もある。
「何か、いい感じの古代魔法ないですか?」
「分からん。最近ずっと歩いていてまともにグリモワールの解読が進んでないからな」
さすがに日中ずっと歩いていると、夜は疲れて本を読むどころではなくなる。新たな魔法を覚えるには単に読むだけではなく、文字を解読しながら読まないといけないため、かなり難しい。
「ですよね……とりあえず今日は寝ましょうか」
「そうだな。明日からまた旅するのだるいな」
こうして俺たちはベッドに入った。眠れないかとも思ったが、やはり野宿が続いて体に疲労していたのだろう、久しぶりにふかふかの布団に入るとあっという間に睡魔に引きずり込まれた。
翌朝、いつもより遅くまで寝てしまった俺はダークエルフの使用人に起こされた。すでにイリシャは起きて身支度を終えているので少し恥ずかしい。
その後俺たちは朝食を食べて家を出た。出発間際、俺たちを心配した長はあれこれ土産を持たせてくれようとしたが、そんなに持てないので保存食だけもらって他は遠慮した。
「そうじゃ。物で渡す餞別は難しいが、知識を渡すことは出来る。そなたの生まれ以外で知りたいことがあれば何か教えるが」
家の前で唐突に長はそんなことを言い出した。そこで俺はふと気になったことを尋ねてみる。
「長は古代魔法にも詳しいのか?」
「そうじゃな。全容を知る訳ではないが、そこらの魔物や人間より無駄に長く生きている訳ではない」
それなら聞いてみるか。
「離れたところにいる特定か不特定の相手に何かを伝えるのにいい魔法はないか?」
「ぴんとこないが……それはテレパシーのようなものか?」
「別に思念で伝えるものでなくてもいいが……」
「目的にもよるが、一番ぱっと思いつくのは風を起こしてビラのようなものを目的地の上空に運んでばら撒くとかじゃろうか」
その方法でばら撒かれた情報を人間は信じるのだろうか。とはいえ、信じなくても危機感を煽ることは出来る。ドラージュについての大量のビラをばらまき、住民が「生き残りの魔王軍四天王が魔王復活を企んでいる」と思い始めれば何か対処はしてくれるだろう。
「それに適した魔法はあるか? ただの風魔法ではだめだ。国の外から国の中心に届くぐらいの射程が欲しい」
「それならあるぞ……『無色の風』という魔法が」
そう言って長は俺の右手を両手で握り、目を閉じる。老人のはずなのにその手はすべすべしていた。一対何が始まるのか分からなかったが、俺も釣られて目を閉じた。
すると。
心の中に『無色の風』を使っている自分の姿が浮かび上がる。イメージの中で俺は広い草原に佇み、空を飛ぶ鳥や素手で持ち上げるのが困難な巨岩を風によって自由自在に操っていた。
『無色の風』はただの風ではなく、大気そのものを動かす。風という名前ではあるが、どちらかというと気流的なものだろう。
本来古代魔法を覚えるには文献の記述からイメージを組み立てなければいけないが、長のおかげで実際に自分が使っているイメージが浮かんでいるからその辺の手間がかなり省けている。
「ありがとう」
一連のイメージが終わり、礼を言う。
「いや、むしろこれくらいしか出来ずに済まぬな。だがわしらは平穏な暮らしを送りたいのじゃ」
長は申し訳なさそうに言う。そう言われてしまってはそれ以上何も言うことは出来ない。むしろ本来何も関係ないはずの俺たちにここまで良くしてくれただけで感謝である。
「ありがとう」
俺はもう一度お礼を言ってその場を離れた。
来るときと違って帰り道には俺たちは二人きりだった。見送ってくれる長の姿が見えなくなると俺は少し寂しくなる。
「よし、これからアルファン王国周辺まで戻り、王都にドラージュの討伐を呼びかけるビラを撒こう」
「分かりました。……すいません、そうさせてしまって」
なぜかイリシャは申し訳なさそうに言った。いや、こうなったのはイリシャのせいではない、と思ったがそういうことではなかった。
俺は最初から頭から外して考えていたが、イリシャの力を使えばもっと確実にドラージュを討たせることも出来たかもしれない。
例えば王国の重要人物を魅了するというような手段をとれば。それに魅了という選択肢を考えに入れるならば人間社会に安全に滞在することも出来るかもしれない。
そう思いかけて慌てて俺はその考えを頭から追い出す。
「いや、それはイリシャが気にすることでは……」
俺が言いかけたときだった。
「危ない!」
イリシャが急に俺の体を突き飛ばす。俺は近くの茂みに頭から突っ込んだ。何するんだ、と言おうとして気づく。俺が立っていたところには矢が三本刺さっていた。
「おいおいまたかよ……」