出発
夢を見た。いつもとは違う夢だが、そこに出てくる男はいつもと同じ人物であることが何となく分かった。
そして俺はいつもとは違う視点からその光景を見ていた。
生まれたばかりの赤子だった俺は男に抱きかかえられてどこかに連れていかれる。その場所がどこであるのかはもやがかかっていて良く分からない。しかし辿り着いた場所は夢で見知った場所だった。
俺がぷかぷかと浮いている例のきらきらがたくさん浮いている水槽である。それを見て男は俺に何かを言った。そして俺に何か魔法のようなものをかけようとしたところで……俺の意識は途絶えた。
「今回は違う夢だったな」
夢の中で意識が途絶えたところで俺は目を覚ます。
ダンジョンから帰還した俺たちはその後村に帰還したが、色々なことが一気に押し寄せた気疲れなのか、純粋な疲労なのか俺はすぐに眠りについてしまった。
今までこれが何の夢なのかよく分からなかったが、イリシャの話を聞く限り夢に出てくる人物は魔王もしくはその側近的な人物なのだろう。また覚醒してしまったために見る夢の中身も変わっているのかもしれない。
ボロ家の隙間から差し込む外の光を見るともう夜が明けて早朝らしい。イリシャはというと、部屋の反対側ですうすうと寝息を立てている。その寝顔はどこにでもいるあどけない少女のもので、彼女を流れる血の半分が淫魔のものとは到底思えなかった。
そして部屋の真ん中にあった箱がテーブルにランクアップしている。俺が寝ている間にイリシャがもらってきてくれたのだろう。もしかしたらここをすぐに引き払うかもしれないというのに。
俺は何となくグリモワールを顕現させてみる。イリシャは通常のグリモワールはこういうものではないと言っていたが、おそらくまだ覚醒していない中で俺の中にはこういう知識が色々入っていて、それがうっかり出てきてしまったのだろう。
俺が本当に魔王に育てられたような存在であれば、俺の覚醒はまだまだ序の口だろうし、まだ奥に眠っている知識や記憶、力もあるだろう。少なくともこのグリモワール一冊分の知識はあるのだろうから。もしかしたら人格さえも変わってしまうかもしれない。だとしたら俺は自分が何者なのかを知りたい。
「……先輩、起きてます?」
部屋の向かい側でイリシャは目をこすりながら上体を起こす。これまで何度も見て来たイリシャの寝起きだが、昨日の一件のせいで、今までと何も変わっていないはずなのにいつもの部屋着姿が妙に煽情的に見える。
「ああ、すまない」
内心の動揺が表に出ないように意識しながら言う。
俺が起きたせいで起こしてしまったか。イリシャも疲れているだろうに申し訳ない。
「いえ……それより大丈夫でしょうか?」
「俺は大丈夫だが、俺が覚醒したら人類が大丈夫ではないかもしれない」
俺が正直に言うとイリシャは怪訝そうな顔をした。
「それは困りますね。何か思いだしましたか?」
そこで俺は夢のことを話す。最初は目をこすりながら聞いていたイリシャも、話が終わるころには目をかっと見開いていた。
「よく分からないですが、先輩はとても重要人物のようですね」
「そうなるな。だから俺は自分のことが知りたい。ドラージュ以外で魔王と仲が良かった人で生き残っている人っているのか?」
ドラージュの元で暮らしていた時期があったイリシャならそういうことにも詳しいと思って尋ねてみる。
するとイリシャはうーんと首を捻った。
「難しいことを言いますね。生き残っているとしても普通は行方をくらましていますから。私が知っている魔王と縁があった魔物は大体ドラージュの部下ですし。でも案外、先輩が直接話に行けば教えてくれるかもしれませんよ?」
イリシャがやや投げ槍気味に言う。確かにドラージュと会ったからといって殺されることはなさそうだが。
「俺があいつより強くなったら話を聞きに行ってもいいかもな。とはいえ今のままじゃ覚醒していいのかしない方がいいのかすらも分からないからな」
さすがにドラージュの狙いが分からないのに迂闊に近づくことは出来ない。それにいくら強大な魔力を手に入れたとはいえ、魔王軍四天王に一人で勝てるかは疑問である。
するとイリシャはふと思いついたように言う。
「そうですね……あ、そうだ。魔物の領域からも人類の領域からも離れたところにダークエルフの集落があると言われています。ダークエルフは長寿種族であるため、もしかしたら昔魔王と会ったことがある者もいるかもしれません」
「なるほど」
エルフという種族はかなり数が少ないが、その分魔力が高い者が多い。基本的には人里離れたところに集落を作っていることが多いが、中には冒険者や魔術師として人間社会に出てくる者もいる。
エルフ族の価値観にはかなりばらつきがあり、そんな中で比較的人間に価値観が近い者たちが一般的なエルフ、魔物に価値観が近い者たちがダークエルフと呼ばれている。
もっとも、魔物に価値観が近いというのはやたらめったら人間を襲うとかではなく、邪悪な魔法の使用や人体実験を良しとするとかそういう方向性である。ダークエルフの中には魔王に仕えていた者もいたらしいが、詳しいことはよく分からない。
「場所は分かるのか?」
「まあ、大体でしたら。でも、せっかく家具もそろってきたというのにここを出るなんて寂しいですね」
イリシャは少し感慨深そうに言う。言われてみればテーブルの他にも鍋やヤカンが増えている。
「悪いな、せっかくもらってきてくれたのに」
「本当ですよ、せっかくダンジョンでとった素材と色々交換してもらってきたのに。でもまあ、私たちがここに長居したらそれこそ村に迷惑ですけどね」
確かに、またドラージュがいらぬちょっかいをかけてくるかもしれない。
「分かった、せっかく用意してくれたんだ、せめて今日ぐらいはこれで朝食をとろうぜ」
「そうですね」
俺たちは手元にあった野菜と肉を切って鍋に放り込み、スープを作る。お互い料理には何のこだわりもないタイプな上、荷物に入らなさそうな食材を全部入れたのでスープというよりはただの野菜と肉の煮物になってしまったが。
それを俺たちはイリシャがもらってきたテーブルに置いて食べる。
「こういう日常を送りたかっただけなんですけどね」
イリシャはぽつりと言った。ついこの前まで学園で平和な日常を送っていた俺には理解は出来ても共感しきれる心理ではないのだろう。俺にとってはついこの間まであったものでも、彼女にとっては遥か昔に失われたものだった。
昨日のことがあったせいか、これまでと違って少しだけ彼女は弱さのようなものを俺に見せたような気がした。俺は懸命にそれに気づかない振りをした。
その後俺たちは持っていける荷物だけを整理して家を出た。数日間滞在しただけなのに、来たときは何もない廃屋にはすっかり生活感が生まれていた。
「おお、お二人さんおはよう」
村長宅に行くと村長が気さくに挨拶してくれる。魔神の件を解決したため、村長はすっかり俺たちに好意を抱いている。そのため少し申し訳なく思いながら俺は出立を告げる。
「すいません、俺たちこの村を出ることにしました」
「おおうぇ!?」
村長の口からよく分からない叫びが漏れる。彼は呆然とした表情でこちらを見つめる。
そしてよほど慌てたのか、まくしたてるような口調で話し始める。
「そんな、やはりこの村の環境では不満か? それならもっといいものを……」
「いや、そういうことではないんだ。ただ、俺たちがいればもしかしたら昨日のような事件がまた起こるかもしれない」
「そうか……」
その言葉に村長は沈黙を余儀なくされる。
しかし俺たちの素性が不明であるということから何かを察したようだった。
「しかし残念だ、タザルにもせっかく年の近い友人が出来たと思ったのに……こればかりは親でもどうにか出来ることではないからな」
そう言って村長はため息をつく。確かにタザルのことを持ち出されると弱い。
「おいタザル! 出て来い!」
不意に村長は家の中に向かって叫ぶ。まだ眠い、という答えが返ってくるが、
「馬鹿者! 何でもいいから早く出て来いと言っているだろうが!」
恐ろしい勢いで一喝する。こんな剣幕の村長初めて見たんだが。
「いや、そこまでしなくても……」
俺がフォローに入ろうとした時だった。家の中からタザルが出てくる。さっきまで寝ていたところだったのだろう、寝間着で眠い目をこすっている。
「もう、一体何……てセドリックさんとイリシャさん?」
タザルは俺たち、正確には旅支度を整えて村を出る寸前の俺たちを見て顔色を変える。そんな彼女に村長は優しく告げる。
「お二人はもう村を出るそうだ。ちゃんと挨拶しなさい」
「え、そんな……」
最初驚いていたタザルだったが、やがて覚悟が決まったのか、決然とした表情になる。
「昨日はありがとうございました。旅、気を付けてください」
「いや、そんな。こちらこそ良くしてもらってありがとう」
「でも……良ければまた戻ってきてください」
そんないじらしいタザルの言葉に、しかし俺は確約することは出来なかった。
「そうだな、そうなるといいな」
「私も大変お世話になりました。皆さんお元気で」
イリシャもぺこりと頭を下げる。
こうして、俺たちは名残惜しく思いながらも村を後にした。わずか数日の滞在でも、名残惜しいと思うものなのだな、と思った。