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気持ちの落としどころ

 イリシャの話を全て聞いた俺はしばらくの間、あまりに色んなことが脳内を渦巻いていたせいで、どうしていいか分からなかった。


 イリシャが語ったことが全てなのか、それともまだ隠していることがあるのか。彼女に本当に悪意はなかったのか。


 イリシャは話し終えて肩の荷が降りたのか、放心したような様子で俺の言葉を待っている。その様子を見ると嘘をついているようには見えないが、頭の整理が追いついていない俺は理解が追いつかない。


 イリシャは彼女がインキュバスの血を引くことを隠していたが、それは本当に俺に嫌われたくないからというだけで、だったのだろうか?


 彼女は本当に俺をドラージュに差し出す気はないのだろうか?


 そもそも俺はイリシャに利用されたのか? イリシャは俺に好意を持っているようだったが、イリシャは俺が学園にいられなくなるように噂を流し、そしてそのせいで俺は逃げるはめになった。


 しかしもしそれがなければ、どこかで勝手に魔神に覚醒して学園内で事件を起こすか捕まってしまっていた可能性もある。そう考えれば助けられたと言えなくもない。

 考えがまとまらないままに俺は口を開く。


「なあ……一つだけ確認させてくれ。イリシャはこの後俺をどうするつもりだったんだ?」

「もし魔神の力に覚醒しないようであれば、私はこのまま辺境を放浪しても良かったと思っていますよ。力に覚醒したとしてもそれが制御出来るものなら同じことです」


 イリシャは真剣な瞳で俺の方を見た。その表情におそらく嘘はないと思う。イリシャは俺をドラージュに引き渡すつもりは、少なくとも今この時点ではなさそうだ。この村でしばらく一緒に暮らそうと言っていたのも、本心だったのだろう。

 が、すぐにイリシャは目を伏せる。


「でも、こんなこと言っても直前まで魅了をかけていた私をすぐには信用出来ないですよね」


 そう言われると困ってしまう。実際、魅了が解けたような気はしたものの、その後新しい魅了を上書きされていないという保証はどこにもない。なぜなら先ほどまで魅了に掛けられていた俺はそのことに気づいていなかったからだ。

 何なら自分に魔法を打ち消す紫の炎を使っても良かったが、俺がどういう存在なのか分からない以上、俺ごと消滅する可能性もないとは言えない。俺が魔王の魔法により作られた人間に似た存在であるという可能性もある。もしくは魔法を打ち消すと俺の封印的なものが解けて急に魔王に覚醒するという可能性もあるだろう。


 しかし目の前で悲し気に目を伏せているイリシャを見ると、俺はいたたまれない気持ちになった。もちろん学園生活を剥奪されたことに対する不満はなくはない。研究が注目されないことへの不満はあったが、今思えばそれも可愛いものである。それに、「俺の高度な研究を理解出来る者は誰もいない」的な優越感もなくはなかった。


 しかし俺にとってグリモワールを手に入れて古代魔法を自由に使える今の生活もそれはそれで悪くなかった。研究という点ではむしろ進んでいるし、イリシャがいるので生活にも不自由はしていない。もしそれがイリシャの策略によってなされた物だとしても。


 そういう意味で俺は彼女の意図に関わらず、感謝をしていた。

 それにもしイリシャが一緒に人類とドラージュの両方からの逃避行に付き合ってくれるならそれで構わないとも思っていた。


 気持ちの整理がある程度ついてきた俺は、とりあえずイリシャに悪意はないということにしようと決意する。

 他人の心の奥底を把握することは不可能だから証明しろと言われても困るがこれは紛れもなく俺の意志である。俺はそう断言したかった。


「俺はイリシャと旅を続けたいと思う」


 俺の言葉にイリシャはぴくりと顔を上げる。その顔には一瞬ではあるが喜色が浮かんでいた。が、すぐに顔を伏せる。


「でも先輩は今魅了されている可能性があるじゃないですか。それが本心だという証拠はあるんですか? 先輩は知っていると思いますが、魅了って掛けられている本人は気づきようがないんですよ」


 もしかして先ほどからイリシャが視線を合わせないのは気まずいとかではなく、視線というのが魅了のトリガーになるからではないか。そう言えばイリシャは今まで俺を説得するとき、よく目を合わせて話していた気がする。

 それを気にして目を伏せているイリシャを、一体どういう言葉を言えば安心させることが出来るだろうか。


「大丈夫だって。俺は覚醒したんだ。今の俺に魅了をかけるなんて不可能だ」

「本当ですか? 全部は解けてないかもしれませんよ」


 イリシャはなおも目を伏せたままだ。少しだけ面倒だな、と思ってしまったものの、幼いころにそれで事件を起こしてしまったイリシャのそれは理屈がどうこうというよりはトラウマに近いものなのだろう。

 もしかしたらイリシャの友達だった彼も「俺は君のことをそういう目では見ないよ」というようなことを言っていたのかもしれない。


 だとしたらそんな彼女に俺が言える言葉は何か。


「そんなことはない。俺は正直、今イリシャのことが嫌いになった」

「え?」


 イリシャは反射的に顔を上げる。その目は嫌いと言われたことへの動揺と安堵に揺れて少し潤んでいた。

 正直、魔法よりもこちらの方が魅了されそうなくらいだが、それをぐっとこらえる。そうだ、俺が気に食わないと思う理由を何とかして述べなければ。そうすれば、俺が魅了に掛かっていないという証明になるのではないか。

 俺は心を鬼にして俺がイリシャを嫌う理由をでっちあげる。


「魅了が嫌いなのに勝手に他人を魅了して勝手に後悔するな。そうやって、自己完結して勝手に落ち込んでいるところが嫌だ」


 俺の言葉にイリシャは一瞬落ち込んだ様子を見せたが、すぐに表情が明るくなる。


「はい、本当にその通りです。私は自分勝手です」


 俺の言葉に対するイリシャの声には力が戻ってくる。こんな風に自分勝手とか言われて嬉しそうにするやつを始めてみたが。

 そして自分の中で諸々の整理がついたのだろう、吹っ切れたような表情で俺の方を見る。そして笑顔で言った。


「自分勝手なので先輩に嫌われていても勝手についていくことにします」

「そうか、勝手にしろ」


 分かるような分からないような理屈ではあるが、それで本人が納得しているのならそれで良かった。


「……だから先輩、決して私に魅了なんてされないでくださいね?」


 そう言ってイリシャは上目遣いの震える目でこちらを見つめてくる。随分難しいことを言う後輩だな、と思ったが何とか俺は堪える。


「ああ、俺に魔法をかけるなんて不可能だからな」


 俺の言葉にイリシャはにこりとほほ笑んだ。魔法をかけるのは不可能だけど魔法なんてかけなくても俺を魅了することはできるんだよな。もっとも、それは出来る限りイリシャに悟られないようにするが。


「それはそれとして、いつまで俺のことを先輩って呼ぶんだ? そもそもお前本当は後輩ですらないんだろ?」


 俺は気まずくなって話題をそらす。

 するとイリシャはいたずらっぽく笑って言う。


「じゃあ何て呼びます? 魔王様? 魔神様?」

「……ごめん、やっぱり先輩のままでいいや」

「分かりました、先輩」




 そんな話をしているとぴしぴしと音がして俺たちは上を見上げる。するとダンジョンの天井や壁にひびが入っていた。そして鉄で出来ているはずの天井に次々と亀裂が広がっていく。


「おい、まさかこれ……」

「はい、ダンジョンコアが消滅したのでダンジョンを維持する魔力は消滅しました。さっさと出ないと危ないです」

「おい、そういう重要なことは先に言ってくれ!」

「あのテンションで話しているときにそこまで気が回る訳ないじゃないですか!」


 それはそうだが。

 さらに祭壇の上に横たわっていた三人の体がぼうっと輝いて徐々に薄くなっていく。


「あ、あれは大丈夫なのか?」

「魔神の供物は魔神が消滅すると自動的に元の場所へ転送されるようです。私たちも走りますよ!」

「おお」


 言うが早いか、イリシャは走り出す。俺も慌てて後を追った。

 しかしダンジョンの道は元々曲がりくねったり障害物があったりする上に、走っていく途中にも床に亀裂が入っていく。そもそも俺は生まれてこの方本ばかり読んでいたので体力も身体能力も何もない。


「うわっ」


 俺は地面に倒れていた獣人(多分来るとき倒したやつ)の死体につまずいて転ぶ。くそ、こんなことならこの世から消滅させておけば良かった。とっさに受け身をとるが、急いで走っていたせいか、地面についた手に痛みが走る。


 とはいえここで走るのをやめればここで死ぬ。ドラージュと戦って死ぬとか人間に捕えられて死ぬとかそういうのならまだ許せるが、こんなどうでもいいところで死んでたまるか。


 そう思って俺が足に力を込めたときだった。

 不意に体がふっと軽くなる。

 気が付くと俺はお姫様抱っこの要領でイリシャに抱きかかえられていた。彼女の腕と体から体温が伝わってくる。


「……悪いな、わざわざ」


 情けないことに俺はそれしか口にすることが出来なかった。これ以上口を開けば俺が彼女に好意を抱いていることが伝わってしまいそうだった。


「いえ、舌噛まないように気を付けてくださいね」


 一方のイリシャは先ほどまでとは打って変わって凛々しい表情である。それには素直に冒険者の相方として頼もしいと感じた。


 イリシャは俺を抱えるというハンデを背負いながらも、崩壊を続けるダンジョンをまるで家の廊下でも走るかのように軽やかに駆けていく。目の前の地面に瓦礫が落ちていようが、天井が崩落してこようが、あらかじめそれが分かっているかのように颯爽とそれを避けていく。


 これが魔物の血を引く者の身体能力か。いや、イリシャ自身が自分の血筋を呪って努力した成果なのだろう。動機が何であれ、ここまでの技量に至った努力は尊い。

 そんなことを考えているうちに俺たちはあっという間にダンジョンの外に出た。




「うわっ」


 久しぶりに日の光を浴びたからか、走ってきたのが疲れたからか、外に出るなりイリシャはふらりとよろめいた。


 俺はとっさにイリシャの手の中から降りると彼女の体を支える。肩を支える手から彼女の温もりが伝わってくる。先ほどまでの奮闘が嘘のように思えるほど、彼女の体は俺よりも小柄で、華奢だった。そして俺はイリシャの顔がすぐ近くにあることに気づく。直前まで走っていたせいか、息が荒く、少し上気している。


 俺は慌てて彼女から離れた。


「わ、悪いずっと触っていてしまって」

「いえ、その、あ、ありがとうございます……」


 こうして無事ダンジョンを抜け出したものの、その後しばらく俺たちはお互い目を合わせられなかった。

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