【イリシャⅡ】
そしてあるとき、ドラージュは私に命令を出した。王立魔法学園にいるセドリックという人物を連れてこいと。
当然私は疑問に思った。
「その人は何者なんですか?」
「詳細は分からない。ただ、魔王様が最後の戦いの間際に一人の赤子を落ち延びさせたと聞いた。おそらくその赤子ではないかと思う」
ドラージュは普段は人間の姿をしている。きっちりしたタキシードにシルクハットにステッキといういで立ちを好んでいた。
しかし彼と付き合いが長い私はその眼差しの奥にひそむ底知れない闇に気づくようになっていた。今も詳細は分からないと言っているが、本当に分からないのか、私は信用していない。
「とはいえ、学園に入学しているということは魔物ではないということですよね?」
「そうだな。戦争の前で慌ただしかったこともあり、誰も詳細を知る者はいない」
「それで本人はそのことについて何か知っているのでしょうか?」
「さあな。その辺を探るのも任務だと思ってもらいたい」
そう言ってドラージュは嫌な笑みを浮かべた。別にドラージュはただインキュバスの血を引く私が男性の秘密を探って連れ出すという任務には適任だと思っただけで、他意はなかったのだろう。
しかし私は生まれ持った力を嫌悪していた。純粋な少女が性的なことを嫌悪するように、私も魅了の力を嫌悪していた。だからその時はことさらに侮辱を受けたような気がした。
とはいえ、任務についている間はドラージュの元を離れられる。それは純粋に喜ばしいことであった。
いくつか方法はあったが、私は制服を手に入れてしれっと生徒の中に紛れ込むという方法をとった。
学園内では授業に出席したり、図書や魔道具を借りたりする際には学籍のようなものが必要となるが、ただ学園をうろうろしているだけでは怪しまれない。生徒数は全体で千以上おり、一人一人の顔を記憶している者などいなかった。それに数年の修行の末、私は自分の力を完全にコントロールできるようになっていた。
さらに、怪しまれて『ディテクト・モンスター』の魔法をかけられても反応しないという安心もあった。人間と魔物のハーフとして生まれた者の魔術的な分類は、より色濃く血を引いている方ということになる。私の場合は人間であった。
ちなみに人間の血を色濃く引いている者は常識や価値観も人間寄りになるという。私はやむなくドラージュの下についているが、出来ることなら普通に人間社会で暮らしたいと考えていた。
私は先輩の授業が終わった後などを見計らって声をかけることにした。出来れば魅了の魔法を使うことはしたくなかったので、純粋なコミュニケーションのみで関心を得るため、先輩のことを聞いて回った。
魅了の魔法を使いたくなかったのは私の好みというのもあったが、学園内で使うと魔法に詳しい教授などに露見する可能性があったからというのもある。
先輩は変人として一定の知名度を得ていたので調べるのは簡単だった。私は付け焼刃で古代魔法語の勉強をすると無邪気な後輩を装って先輩に近づいた。
しかし色々聞いてみたものの、全くそれっぽい情報が出てこなかったので私は焦った。先輩は魔力もないし、強いて言えば、先輩が天涯孤独で孤児院で育ったということぐらいだろうか。
もし魔王に関係している自覚があるのならば人間社会にいればいずれはばれて殺される、などと説得して連れ出そうかと思っていたが、特に繋がりは見受けられない。強引に連れていくことも不可能ではなかったが、先輩は学園生という立場を生き生きと楽しんでいた。それを邪魔していいのだろうか。ドラージュの人違いという可能性はないのだろうか。
そしてたまにとはいえ先輩と他愛のない会話をする日々も楽しかった。もっとも、私は授業に出られないからそれを満喫出来たというほどではなかったけど。
そんなある日のこと。先輩と話していたアナスタシアという女のペンダントがかすかに反応しているのに気づいた。その時アナスタシアは歩いていたこともあって、その微弱な反応を感知出来なかった。あれは何なのだろうか。
その後私はさりげなくペンダントのことをアナスタシアに尋ねた。彼女によるとそれは魔神の存在を感知する効果があるらしいという。要するに先輩は魔物ではないが、魔神と思われる何かであるという。ようやく出てきた手がかりは意味不明だった。
魔物ではないが魔神。そんな例が果たして本当に実在するのだろうか。それともペンダントの効果が実は違うのか。
しかしペンダントを調べる手段もない。アナスタシアに聞こうにも本人も詳しくはなさそうなのだ。
窮した私はだらだらと日常を続けてしまっていた。先輩をドラージュの元に連れていくのが嫌だという気持ちと、この日常を続けたいという気持ちが無意識のうちにそうさせてしまったのかもしれない。
そんなとき、酔った先輩に接近したアナスタシアが、ついに先輩がペンダントに反応するという事実に気づいた。遠目に見る限りではあるが、前の時より反応が強くなっていたとは思う。もしかしたら先輩の何かが無自覚に覚醒に向かっているのではないか。
そう考えた私は先輩を学園から連れ出すことにした。
まず先輩が魔王の生まれ変わりであるという根も葉もない(ドラージュの言うことを信じるのであれば根も葉もあるが)噂を流した。万一なら魅了を使わざるを得ないとも思ったけど、先輩が変人だったこともあって、意外と噂はすんなり広まった。
後は先輩を「もう学園にはいられない」と説得して連れ出すだけだったが……誤算だったのは噂が強くなりすぎて先輩が学園に来るより先に教授が動いてしまったことだ。
後は知っての通り、そこで私は教授に同行して隙を突き、先輩を連れて逃亡したことだ。
ちなみに先輩の最初の覚醒に使われた魔石はドラージュから渡されたものだったので、やはりドラージュにはそういう意図があったのだろう。
その後私のことを不審に思う先輩に魅了をかけてしまったことにはかなり自己嫌悪した。怪しまれないためには仕方なかったという気持ちもあるが、結局のところ正体がばれて嫌われたくないという思いがあったことに思い至り、ぞっとする。
そんなことのために魅了をかけるなんてサキュバスそのものではないか。そういう自責の念もあって、私がかけたのは、私の言うことを信じやすくなるという軽度の魅了であった。せめて必要最小限の魅了に留めることで私はどうにか自分を納得させていた。
先輩を連れ出した私だったが、ドラージュの元へ連れていく気にはなれなかった。先輩が何のしがらみにもとらわれずに好きな学問を研究しているのには鳥かごの鳥が大空をはばたく鳥を見るような憧憬を抱いていた。
せっかく先輩は好きだった古代魔法が使えるようになった。だとすればその力はドラージュのためではなく先輩自身のために使われるべきではないか。私はそう思った。
ちなみに、私はグリモワールについても怪しく思っている。私のグリモワールは剣だ。魔導書だったり杖だったりする者もいるが、グリモワールは通常個人の内面を象徴する物が多い。
そしてそれは象徴するというだけであって、術者本人が知らないような情報がグリモワールに書かれているなどという例を私は知らない。そのため、先輩すら知らない古代の言語がかかれたグリモワールは何かのイレギュラーの産物だろう。
最後に、魔神モールドレックについて。
私たちの動きを掴んだドラージュは先輩の力を計るためか、それとも魔神の繭から出る魔石により先輩をさらに覚醒させるためかのためにこのようなことを仕組んだのだろう。私はドラージュの元を離れてから一切連絡をとっていなかったので本当に何も知らなかった。
ただ、事の全貌を知らないまま奴に使われているという点では私も大して変わらない。そんな訳で彼らには同族嫌悪が湧いてしまった。
「……というのが私の知っている全貌です。これまで騙していたこと、魅了を勝手にかけたことについてはお詫びの言葉もありません」
さて、こんな私を先輩はどう思うだろうか。それについては想像もつかなかったが、これまでずっと隠していた全ての秘密を先輩に吐き出したことで私は肩の荷が降りたような気分になった。