正体
「大丈夫だったか?」
二人の魔人を倒したところで血だらけになっているイリシャに尋ねる。体の正面に鮮血を浴びて血塗られた剣を持って立っている彼女はさながら悪鬼のようであった。
「はい、これは全部返り血です。近距離で倒すのも考え物ですね」
「お、おう」
イリシャの口ぶりがとても落ち着いていて、俺はそのことに多少の恐怖を覚える。俺のように魔法で遠くから倒したのならともかく、近距離で人を刺してそんな冷静でいられるか? いくら魔神と契約しているからといって一応こいつらも人間ではあるはずだ。
いや、それよりも今は生贄の人々と黒い繭をどうにすかする方が重要だ。
「まだ息はあるようですね」
祭壇に駆け寄ったイリシャが寝かされている人々の脈をとる。寝かされているのは若い男が二人と女が一人だった。うなされているのか顔色は青白く、表情は苦痛に満ちている。
「それなら良かった。繭を壊す前に魔法を解くか……紫の炎!」
生きながら生気のようなものを吸っていくシステムなのだろうか。俺は手から紫の炎を出して三人の体を覆う。すると炎が何かと相殺して消滅したので、何かの魔法が解けたのだろう。それを証明するように、祭壇から繭へと伸びていた黒い糸がぼろぼろと崩れていく。
「ヒール」
イリシャが癒しの魔法をかけると生贄の三人の顔色は少しだけ良くなった。おそらく魔法による昏睡からただの睡眠に変わったのだろう、それなら良かった。
よし、この三人が助かった以上後は魔神の繭を消滅させるだけか。
「碧の炎!」
俺は生命を消滅させる碧の炎を発射する。炎は繭を包み込み、さすが魔神の繭と言うべきか、俺の魔法相手に十秒ほど耐えた。
しかしそれ以上どうするすべもなく、やがて消滅する。魔神は体が滅びても魂は残ると言うが、この碧の炎の前にはさすがの魔神の魂も無力だろう。
こうしてこの広間にあった魔神関連のものは一通り消滅した。
そして繭が消滅した後に俺は光り輝く石が落ちているのを見つける。それは人間の頭ぐらいの巨大な魔石であった。俺は思わず息を飲む。
前回、こぶし大の魔石を取り込んだだけであそこまで覚醒したのだ、これをもし取り込むことが出来ればさらに魔法が使えるようになるのではないか。
そう考えて俺は魔石に手を伸ばす。
それを見てイリシャは血相を変える。
「先輩、それは!」
「え?」
イリシャの声が耳に入るが、その時にはすでに俺の手は魔石に触れていた。
すると。
魔石はまばゆいばかりにきらめき、俺の手から俺の体へと吸収されていく。前回魔石を吸収したときと同じような感じだったが、前回よりは落ち着いてその様子を体感する余裕があった。
そして前回よりも、それにより体の奥から湧き上がってくる魔力が強大なのが感じられた。
なんだこの力は。今の魔力も計測してないだけで、先ほどの魔人との戦いを見る限り人間離れしたものだ。魔人は魔神と契約することで身体能力や魔力が上昇していることが多いのでそれを上回っているだけで大したものである。それなのに、俺はさらに巨大な力を手に入れてしまった。
とはいえ、そんなことを考えている間に全ての魔石は俺の体内に取り込まれていった。今俺の魔力が急激に上昇しているのを感じる。
「先輩……何ともないですか?」
イリシャがおそるおそるという目でこちらを見てくる。
しかし魔力が上がったという以外に一つの変化があった。俺にかかっていた何かの魔法が解けたのである。
魔法には大きく分けて二種類ある。何らかの物理現象を引き起こす魔法と、魔力でそのまま相手に干渉する魔法である。
ファイアーボールのような魔法が前者で、これはもし大量の水や氷があれば火を消して防ぐことも出来る。逆に火に当たってしまえば誰であれ燃える。
後者は色々あるが、例を挙げれば相手を眠らせる「スリープ」の魔法が一番イメージしやすいだろうか。これはそのまま相手にかけるので物理的な手段で防ぐことは出来ない。
ではどのように防ぐのかと言えば、人には生まれつき持った魔力があり、魔力を持つ人間は程度の差はあるが魔法抵抗力とでも言うべきものを持っている。その名の通り、スリープのような直接対象にかかる魔法を防ぐ力だ。魔法抵抗力は魔力に応じて上昇するので魔術師の方が高い傾向にあるが、肉体の強化によっても上がるので熟練の剣士や兵士もある程度の抵抗力がある。
その抵抗力があるため、かけられた魔法にはほぼ自動的に抵抗しようとしてしまう。そしてそれは何らかの理由で抵抗力が急上昇した場合も同様である。
要するに俺は魔石を取り込んで魔力が上昇し、それに付随して魔法抵抗力も上昇し、それまでかかっていた何かの魔法が解けたようである。
しかし一体俺に何の魔法がかかっていたんだ?
俺を魔神にする魔法か? だとすれば諸々の辻褄が合うが、そんな魔法は聞いたことがない。仮に俺が無理矢理魔神と契約させられて魔人になったとしてもそれはあくまで人間であって魔神ではない。
が、そこで俺は不意に今まで封印していた疑問が急激に湧き上がるのを感じる。
「イリシャ、お前何者だ?」
魔法学園に入学出来るほどの学力。
今見せた剣技と、実戦経験。
そしてダンジョンで見せた豊富な知識。
俺よりも幼そうな外見。
それらの条件が全て合致することはありえるのか? そしてそんな奴が俺に憧れていたというだけで魔神疑惑がかかっているところを逃がすなんてことがあるのだろうか?
そんな奇跡的な偶然が起こるよりも、俺に何らかの目的があって、剣技と経験と知識を持つやつがやってきたと考える方が自然ではないか?
そしてそれについての疑問を何だかんだ深く考えずにここまできてしまったのは不自然ではないか?
「先輩……もはや魔法が解けてしまったんですか?」
イリシャが俺を見ながら震えるような声で言う。
やはりそうなのか。俺は否定して欲しい、と思いつつ彼女の方を見る。
「イリシャ?」
「先輩、先輩はただの不幸な学園生で、私はただ先輩に憧れただけの後輩ですよ」
そう言ってイリシャはこちらを見つめる。
俺は直感した。
俺は今、イリシャに掛けられそうになった“魅了”の魔法をはじいた。
その事実に気づいたのか、イリシャは諦めたようにため息をついた。
「もう効かないようですね……まさかこんな経緯でばれるなんて思わなかったです」
「おい、一体どういうことだ?」
言うまでもなく、魅了の魔法を相手の目を見るだけで、しかも無詠唱でほいほい使えるようなものではない。そして今解除されたとはいえ、一回目に覚醒したときもまだかかり続けていたということは相当な強度の魔法だったということになる。イリシャは確か魔法はあまり使えないと言っていたはずだ。
そんな俺の様子を見て彼女は観念したようだった。
「分かりました、ばれてしまった以上全部お話しましょう。もっとも、さっきの魔人同様、私も全て知っている訳でもないですけどね」
イリシャは自嘲気味に言った。そして話し始める。彼女の正体、生い立ち、そして心情と目的についても。
やっとイリシャの正体を明かせる……
と言う訳で中盤の山場です。