魔神ダンジョンへ
「ふう、生まれて初めて他人の役に立った」
俺は村長宅を出ると、照れ隠しにイリシャにそう呟いた。
「いえ、生まれて初めてなんてことはないと思いますが……さっきの先輩、ちょっと格好良かったです」
「そうか? まあ俺は上級魔神学の講義に毎回出席した選ばれし三人だからな」
「先輩、その講義出席しなくてもレポートだけで単位とれるって有名ですよ……」
イリシャが無表情でつぶやく。
学生の出席率の低さから薄々察してはいたが、その事実は全く知りたくなかった。
「そいつら全員モールドレックの刻印押されて生気吸い取られないかな」
「何言っているんですか……『センス・マジック』」
イリシャが呪文を唱える。これは魔力の流れを感じる魔法である。術者の魔力によって精度に大分差が出るが、今回は強大な魔力を持つ魔神が相手だからすぐわかるだろう。
が、イリシャは首をかしげる。
「分からないのか?」
「いえ、先輩の魔力が強大過ぎて他に反応しません」
「……」
俺のせいかよ。
そんなことを言いつつ歩いていると、村外れに一人の男が倒れているのが見える。しかも猿轡をかまされてぐるぐる巻きに縛られている。
慌てて俺たちが駆け寄ってみると、何とその男は村長の使用人ライルであった。顔に印象的な傷があるのですぐに分かった。
「ライルさん!? 一体どうしたんですか?」
俺たちは慌てて縄をといて猿轡を外す。
するとライルは心の底から安堵したようだった。
「助けてくれてありがとう」
「いや、いいんだ。しかし一体何があったんだ?」
「……実は昨夜遅く、クマの解体で手がだいぶ汚くなったから家の外で手を洗っていたんだ。そしたらいきなり後ろから殴られて、気づいたらこんなところに倒れていたという訳だ。起きたときは恐ろしかった。何せ状況が何も分からなかったからな……」
昨日会ったときは寡黙そうな印象のライルだったが、恐怖のせいか少し口数が増えている。
「ということは……魔人の仕業か。そいつが入れ替わってタザルに刻印だけして去っていったんだろうな」
「魔人?」
俺は今朝あったことをかいつまんで話す。それを聞いたライルは呆然とした表情になった。
「何ということだ……ん? 何だこれは」
ふとライルは自分の首元に一枚の紙が丸めて押し込められているのに気づく。それを広げると、そこには手書きの地図が描かれている。そこには下手な字で「村」「生贄を持ってくる場所」「こちらが北」と書かれている。
見る限り、村から北東に進めば「生贄を持ってくる場所」があるらしい。そこに魔神がいるのだろう。とはいえ、考えてみれば生贄を持ってくる場所を向こうが指定するというのは当然の話であった。
「まあ、魔神は俺たちが何とかするから村長に無事な顔を見せてやれ。心配……してたぞ」
冷静に考えるとタザルのことに夢中でこいつのことは忘れていたような気もするが、一応心配していたことにしてやる。
「はい、ありがとうございます」
こうしてライルは何度も俺たちに頭を下げながら村長宅に帰るのだった。
一方の俺たちは場所も分かったので村長宅から北東を目指して歩いていく。村を一歩出ればそこは俺たちが歩いて来た荒野が果てしなく広がっている。
途中、おもむろにイリシャが真剣な表情で俺に尋ねた。
「先輩は魔神に詳しいようですが、あのような魔神が偶然にもこの辺に現れる確率ってどんなものでしょうか?」
「言われてみればそうだな……。しかしそもそも魔神自体がそんなぽんぽん出てくるものではないからな。アルファン王国全体で見ても何年かに一体とかそういうレベルじゃないか? 確率で言えば相当低いが、現れるとすればこういう人気のない場所に出てくるような気もする」
「そうですか」
イリシャは少し浮かない表情である。
何でそんなことを訊いたんだろう、と考えたところでふと俺は思い至る。
「何だ? もしや俺たちを狙ってピンポイントで現れたとでも言うのか? 確かに俺に魔神疑惑がかかっているからって……あれ?」
言われてみればその通りだ。俺は自分のことを魔神ではないと認識しているので忘れがちになるが、冷静に考えると突然俺に魔神疑惑がかかっていてその逃亡先に魔神が現れて、俺と何の関係もないなどということがありえるのだろうか。
「はい。無関係な魔神だったらいいのですが」
「いや、何の事情もなく本当に偶然魔神に出くわしたとしたらそれはそれで運が悪いけどな」
俺はそう言って無理やり茶化してみる。
そんな微妙な空気のまま広大な荒れ地を一時間ほど歩くと、小さな小山のようなものが見えてきた。そこには人が数人通れる程度の横穴が空いており、中からは禍々しい魔力が少しずつあふれ出している。小山は大きくないので、おそらく地下に繋がっているのだろう。
「これが魔神の棲み処か」
「でしょうね。ダンジョン化していなければいいですが」
上級魔神は復活を待っている間、その魂をコアとしてダンジョンを生成することがある。ダンジョンは討伐に来る人々からの身を護る防御と、将来手駒に使う魔物の育成をかねた施設(?)である。復活後にはそのままその魔神の拠点となる。復活する前からそのようなものを形成する力があるということは、復活後の恐ろしさは推して知るべしである。
ちなみにダンジョンの具合は魔神がそこに棲みついてからの時間や復活の度合いによって左右されるため、どの魔神か分かっていてもどんなダンジョンなのかは一概には言えない。
理論の上では、超上級魔神でも全く生贄を得られなければ貧弱なダンジョンしか持っていないこともある。逆に中級魔神程度でも(下級魔神だとそもそもダンジョンを作らない)、ばんばん生贄を捧げれば堅固なダンジョンを生成することがある。
「まあ、考えても仕方ないし行くか」
俺が足を踏み入れようとするとイリシャがそれを手で制する。
「待ってください。先輩は知識と火力しかない言うなれば大砲の役割です。先頭は斥候の私が務めます」
「そ、そうか。でもイリシャは大丈夫なのか?」
「はい、こういう経験もありますので」
生まれてから剣と魔法の学び、それから魔法学園に入ったというのに斥候的な技術も持っているのか? 俺はさらに困惑したが先頭を歩いてくれると言うのに断る理由もない。とりあえず橙色の炎だけ出現させ、イリシャの後に続くことにする。
イリシャが先を歩く形で俺たちは洞窟に入っていくと、中はなだらかな下り坂となっている。
そして数メートルほど降りたところで周囲が天然の洞窟から、何者かが意志を持って作ったかのような通路に変わったことに気づいた。具体的な違いとしては、これまで壁や天井がでこぼこしていたのに急に平らになっていたり、遠くに見える道の曲がり角が天然とは思えないほど直角に曲がっていたりすることである。
「これがダンジョンか」
「そうみたいですね。ということは魔物や罠があるはずです、警戒していきましょう」
俺たちがさらに道を降っていくと、突き当りにさしかかった。道がT型になっており、左右に伸びている。あまり遠くは見えないが、左右に特に違いはないように見える。
「先輩は右と左、どっちが好きですか?」
真剣な表情でイリシャが尋ねてくる。絶対、真顔で尋ねるようなことではない。
「何かと思ったらそれで方向決めるのかよ……じゃあ左だ」
「分かりました」
イリシャは左折してしばらく歩く。
すると不意に、遠くからかつかつという足音が聞こえてくる。足音の数的には数人。ただし俺たちの足音よりは軽いので、大した大きさではないのだろう。
「もし敵が現れたら遠距離魔法で先手を取ってください。討ち漏らした敵を私が始末します」
「分かった」
イリシャが小声で耳打ちする。すると暗闇の向こうから炎の灯りに照らされて小鬼の姿が数体浮かび上がる。短い角に唇から飛び出している牙、そして醜悪な表情。魔神の手下の中ではもっともポピュラーの存在として教科書に載っていた。
「碧の炎!」
俺はすかさず碧の炎を発射する。炎はあっという間に通路を覆いつくさんばかりの大きさになり、次の瞬間には小鬼の群れは炎に包まれ、跡形もなく消滅した。初めてのダンジョンに気負い過ぎてやりすぎてしまったようだ。傍らのイリシャも俺の魔法に絶句している。
「ふう、魔神も大した事ねえな」
「いえ、先輩……敵を全部消し飛ばしたら素材が採れなくて困るんですけど」
「え……素材って何?」
てっきり感心されると思っていたのでイリシャの困ったような声色に俺は困惑する。イリシャは呆れたようにため息をついた。
「魔物から採れた素材は売ればお金になりますし、薬や装備の強化に使えることもあるんですよ? あいつらは小鬼だから大したものは持ってないでしょうが、ただでさえ私たちお金がないって言うのに」
「すまん、それは知らなかった」
魔物と戦うとか実際に冒険するとかそういう実習系の授業は出来るだけ受けないようにして進級してきた弊害がこんなところで出るとは。
「消し飛ばさない攻撃魔法はないんですか?」
「分かった、それなら普通の炎にしておくよ」
おそらく攻撃の威力は落ちるが、それでも俺の魔力なら倒せないことはないだろう。が、そんな俺にイリシャは警戒するような目を向ける。
「ちなみに素材を消し炭にしてもだめですからね?」
「まじかよ。ダンジョン攻略って難度高すぎないか?」
「先輩の魔力が高すぎるだけですが?」
それなら仕方ないか。こうしてよく分からないところでハードルが上がったダンジョン探索が始まるのだった。