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刻印

 俺たちの朝はわびしい。家の壁がぼろぼろであるためひんやりした冷気に包まれながら起きる。今は夏の終わりぐらいだからいいが、冬になるまでには温かい布団を入手したい。そこで俺はふと疑問に思う。俺は季節がめぐって冬になるまでここにいるのか?


「どうしました?」


 部屋の向かい側で起きたイリシャが眠い目をこすりながら尋ねる。ちなみに俺たちを隔てているのはどこかから拾ってきた木箱一つだけである。


 まあ、イリシャは俺より強いし、そもそも俺はそういうのには全く興味ないのでいたって健全な生活を送っているが。


「いや、俺たちずっとここに住むのかなって」

「先輩は嫌ですか?」

「嫌ではない……いや、本音を言えばもちろんもっといいところで暮らしたい。でも別にこのグリモワールがあれば研究は出来るからそんなに不満はない。だけどいつかは無実を示すために行動を示した方がいいのかなって」


 俺はそこまで深い考えがあった訳ではないが、思ったことをそのまま口にした。そんな俺の目をイリシャがじっと見つめる。


「そうかもしれないですね。でもそれはもっとほとぼりが冷めてからの方がいいですよ」


 彼女にそう言われるとそんな気もしてくる。


「そうだな」


 まあ、小動物でも捕まえながら村人に家具と取り換えてもらえないか頼みつつ生活を改善していくか、などと思った時だった。

 外の方から村人たちがざわざわと集まって話すのが聞こえてくる。うちの壁は薄いので近所の情報は丸聞こえである……逆についてはあまり考えたくない。会話の全部が聞こえてくるという訳ではないが、「不吉な印」「生贄」「魔物」などと物騒な言葉が耳に入ってくる。


 俺はイリシャと目を見合わせ、どちらからともなく家を出る。外では村人たちが数人集まって深刻な表情でおしゃべりをしていた。ちなみにそこにいるのは老婆から若い娘までいるが、皆女である。


「どうかしたのか?」


 俺たちの姿を見ると村人たちはためらうような、でもほっとしたような表情をする。そして一瞬だけ目を見合わせ、一人がこちらを向いて話し出す。


「実は今朝方、タザルさんの額に、妙な刻印が浮かび上がっていたのよ」

「妙な刻印?」

「そうそう、三角を二つ逆向きに組み合わせたものに似ているのかしら。それで今朝から村は大騒ぎで」

「しかも翁様によるとその刻印をされた者は悪魔に生贄に捧げられるらしいわ」

「ああ怖い。魔物のしわざだとしたら誰か退治してくれないかしら」


 一人の女がこれみよがしに怖がってみせる。これは絶対わざとだろう。

 とはいえ、世話になっているのは事実だし、特にタザルとは昨日仲良くしゃべった仲でもあるので放ってはおけない。


「そうか、なら村長に話を聞いて来る」

「あら、退治してくれるの? ありがとう」

「さすが旅人さん。お強いのね」


 勝手に退治することを既成事実にされている。もし古代魔法の力に覚醒していなかったら文句を言っていたところだったが、とりあえず今は村長宅に急いだ。

 村が狭いというのは移動がスムーズという点では非常に素晴らしい。俺たちはすぐに村長宅に着いた。というか、学園の敷地全体の方がこの村より広かったのではないかと思うぐらいだ。


 村長宅にはすでに男たちが何人か集まっていて、深刻な表情で何かを話している。そこに俺たちが現れると、話していた村長がこちらを向いてほっとしたような表情になる。


「おお、そなたらも来てくれたか。待っていたぞ」

「タザルは大丈夫か?」

「うむ、特に異常はないがショックを受けていてな……とりあえず今は寝ている。……皆の衆、とりあえずこの件は旅の方にお任せするので仕事に戻るのじゃ」


 村長の一声で男衆も不安と期待が入り混じった表情で解散していく。皆の衆よりも先に俺たちの意志を確認すべきではないのか。


 ともあれ、村長が俺たちを中に入れてくれるので俺たちもそれについていく。そこで俺はふと気づく。村長の妻はすでに身罷っているようだが、この家には昨日クマを解体してくれた使用人と鍋の用意をしてくれた使用人の少なくとも二人はいるはずである。その割に人の気配がない。


「村長、もしかしてこの家俺たちだけか?」

「いや、テシールは朝の水くみに行ったところで、ライルは……そう言えば見てないな」


 そこで村長はしまった、という顔をする。ちなみにテシールが料理をしてくれた女である。おそらく家政婦のような人物だろう。

 そしてライルがクマを解体してくれた寡黙な男だ。


「まあいい、どこぞほっつき歩いてるのだろう、それよりもタザルだ」


 普段の彼らの行動を知らないのでそれが異常なのか普通なのかすらよく分からないが、村長にとってはどうでもいいことのようだった。一人娘というだけあって溺愛しているのだろう。とりあえず村長の後に続いてタザルの部屋に入る。


 一瞬、女子の部屋に入るなんてと思ったが、ベッドと机とクローゼットがあるだけの質素な部屋だった。学園寮の俺の部屋と、本の量を除けば大差ない。一人一部屋持っているだけで今の俺たちより大分生活水準は上だが。


 タザルは俺たちと違ってきちんと清潔なベッドの上で横になり、布団を掛けられていた。しかしそのきれいな寝顔には、前髪の下に朱色に輝く禍々しい何かが見える。


「見せてもらっても?」

「うむ」


 村長は頷いてタザルの前髪をそっとどける。

 すると前髪で隠れていたその印が明らかになった。そこには細い朱の線で三角を二つ組み合わせた、六芒星に似た図形が描かれていた。六芒星と少し違うのはまず三角形の底辺がタザルの顔に対して水平ではなく垂直になっているため、普通の六芒星と向きが九十度違うというところである。また、三角形が完全な正三角形ではなく少し歪んでいるためやや上の方が狭い形になっている。

 確かにその歪さは多少不気味であったが、逆に言えば教科書通りに書かれていて良かった。もしちゃんとした六芒星に描かれていたら何の印か分からなかっただろう。

 加えて朱色の線からはどこか禍々しさのようなものを感じた。魔力自体を何か邪悪な存在が使っているのだろう。


 そんな図形を眺める俺の険しい表情を見てイリシャが尋ねる。


「先輩、何の印か分かったんですか?」

「ああ、これは魔神モールドレックの刻印だ」

「な、なんと、魔神だと!?」


 村長が驚愕してその場に尻餅をつく。これが魔神と聞いた時の普通の反応であるため、もしイリシャがいなければ俺はあの場で殺されていた可能性すらある。


「嘘……」


 ちなみにイリシャも隣で呆然としていた。


「とはいえ、こいつはまだ復活していない。魔神は身体を滅ぼしても魂を滅ぼすことは出来ない。そのため、身体を滅ぼされた魔神は人間に契約を持ちかけて復活の手伝いをさせる。そして多くの場合魔神の復活には邪悪な儀式が必要で、生贄として人間の体を必要とすることが多い」


 ちなみに全部参考書で読んだ知識である。上級魔神学という受講者三人(少なくとも教室にはそれだけしかいなかった。他の受講者はレポート一発で単位をもらったのだろうか。許せん)の講義に出続けた甲斐があったというものだ。ある意味一番役に立って欲しくない授業の知識が役に立ってしまっているが。


「だが、それなら彼女を直接連れていけばいいのでは? もちろんそんなことをされたら困るが……」

「まず魔神は完全な復活を遂げていないため力がない。そして復活に必要な生贄は一人だけではない。でも多人数を一度に攫っていくのは難しいからな。さて、この刻印は魔術的な効果があり、刻印された者から徐々に生気を吸い取っていく。ここまで言えば分かるだろうか?」

「つまり権力者や大事にされている者に刻印することで、人間に自発的に生贄を捧げさせると……」


 イリシャが脅えた表情で推測を口にする。

 残念ながらそれが正解だった。


「そういうことだ。まあ、そもそもこの村では誰も刻印の意味を理解していなかったから、そのうち魔人が伝えに来るのだろうが。あ、魔人というのは魔神と契約した人間のことだ」


 大体の場合魔人は力を与えられる代わりに、魔神復活のために働かなければならない。魔神を裏切ると魂が奪われるような契約を結ばされることが多いという。もっとも、これも教科書で読んだだけだが。


「つ、つまりわしは村人を生贄に捧げなければならないということなのか……?」


 村長が恐る恐るこちらに尋ねてくる。娘が大事なのは分かるが、当然のように村人を生贄に捧げようとするのはどうなのだろう。


「俺がいなければそうなっていただろうな」

「と、ということは何とかなるのでしょうか!?」


 村長が膝まずくようにして俺に懇願する。


「ああ」


 そう言って俺はタザルの額に手をかざす。これで失敗したら恥ずかしいが、魔法の本質上失敗したとしてもタザルに害はないはずだ。


「紫の(イエサントム)!」


 俺が唱えると、手から紫色の炎が現れてタザルの額を覆う。そして紫の炎と朱の刻印は即座に対消滅した。


「ふう、うまくいったようだ」

「おお!? ありがとうございます!」

「先輩すごいです……」


 俺は二人から称賛を得て満更でもない気持ちになる。俺の研究が他人の役に立つなんて人生で初めての場面ではないだろうか。これで皆に失笑と同情と憐憫を向けられながら研究していた日々が報われたというものである。

 ちなみに紫の炎は魔法を消す炎である。逆に言えば魔法以外のものには一切影響しないので、安心して使うことが出来た。

 俺はこほん、と咳払いした。褒められ慣れていないので照れたのだ。


「とはいえ、刻印がされているということは魔神が近くにいるということだろう。もしかしたら他の村の人を生贄にして復活するかもしれないから、今のうちに倒さなければ」

「おお、何とありがたい……」


 村長が涙を流しながら感謝している。

 そんな訳で俺は魔神が相手だというのに結構高めのテンションで討伐に向かうことにしたのである。

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