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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅶ 未来は塵となって
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chapitre93. 君が友達だったあの日

 ――ハイバネイト・シティ中間層 第18層――


 アンクルとサテリットが辿りついた部屋は、幸いなことに無人だった。何のためにあるのか想像も付かない機械がいくつも並んで、低いモータ音が常に聞こえている。アンクルは扉に近寄り、鍵の仕組みを調べた。


「どう?」


 サテリットが近づいてきて、手元を照らしてくれる。アンクルは目を凝らして、扉の側面の構造を見る。本来は電子的に操作することで、何本かの突起が出てきて扉を固定するようだが、電気が遮断されているので普段通りには使えない。


「あ――でも、電源があれば」


 思い当たり、リュックサックを床にひっくり返してバッテリーを取り出す。電子ロックの電源がどこから供給されているのか調べ、露出していた配線を切ってバッテリーを繋いでみた。ラムの水晶端末(クリステミナ)を起動すると認証画面が出てきて、彼の権限を使うと、無事に扉を施錠できた。


 かつて工房で仕事をしていたアンクルは、家具の修理が主な役目だったが、時折は電気系の修理をすることもあった。その知識が役に立ち、どうにか上手く行ったようだ。


 良かった、と呟いて壁沿いに座り込む。サテリットが壁を伝ってやってきて、隣に腰を下ろした。


「ありがとう。流石ね」

「こんな時しか役に立てないから――まあ、これでバッテリーが持つ限りはここにいられるね。下手に動くよりは、ラムたちが来てくれることを期待したほうが良いかな」

「そうね」


 サテリットは短く答えて、アンクルの肩にもたれかかる。ヘアバンドでまとめた髪がたわむ、柔らかい感触。彼女が小さく溜息をつくのが聞こえて、心臓がぎゅっと握られたように痛んだ。普段通りを装っていても、内心は不安なのだろう。どこなのかも良く分からない暗い部屋で、ただ助けを待たなければならない。


 頼りなくてごめんね、と喉元まで出かけた言葉をアンクルは飲み込む。彼女はきっと否定してくれるけれど、それはただ気を遣わせているだけだ。ラムやシャルルに比べて弱いのは事実で、仮に自分の全部を使っても、サテリットを守り切れる自身はない。


 荷物運搬用らしいスロープから、シャルルとラムが顔を出すのを、2人は黙って待ち続けた。しかし、数時間ほど経っても彼らは訪れず、サテリットは抱えた膝に顔を埋めてしまった。


「無事……かな」

「どうだろう……」


 交わす言葉も少なく、ひたすら彼らを待つ。何時間待っているのかも分からなくなったが、だんだん空腹になってきて、ようやく時間の感覚を取り戻した。目を閉じているサテリットの肩を叩いて、できるだけ明るい調子で話しかける。


「何か食べようよ」

「そうね。でも確か、安全な食糧は、ほとんど手に入らないままよね?」

「あ――そうだね」


 アンクルは思い出して、苦い表情になる。


 ここでいう安全とは、記憶を阻害しないという意味だ。なぜかは分からないが、ハイバネイト・シティ居住区域で提供される料理の一部には、記憶を阻害し、忘却を促進する成分が含まれている。記憶操作に詳しいラムが、いくつかの「食べても平気なもの」「食べてはいけないもの」を教えてくれていたが、彼の知識にも限界があるようで、そのどちらとも言えないものが多かった。


 リュックサックの中にあった食糧を手分けして分類した。これは食べても平気だ、とラムが教えてくれたものは、かなり量が少なかった。


「節約しても、三日くらいで食べ切っちゃうね」

「そうね……アン、提案がある」


 サテリットは握った手を膝の上でそろえて、真剣な顔でこちらを見た。


「安全なものは全部、貴方が食べて。私はこっちの、安全性が分からない方から食べる」

「え! 駄目だよ」


 慌ててその手を掴むが、良いの、と彼女はきっぱりと言った。


「私とアンの両方、記憶がなくなっちゃうのが、一番危険でしょう。リスクはどちらかが集中して背負うべき」

「だからって、君が犠牲になるなんて、僕はそんなの――」

「違う。ねえ、ちゃんと考えてよ、アン! 私は貴方を守れないの」


 アンクルの手首を、か弱いがしっかりとした力が握りしめた。その手のひらを両手で包み込むと、深い緑色の視線が、射抜くほどの強さでまっすぐ向けられていた。ずっと前から彼女の隣にいたのに、ここ数ヶ月で初めて知った、新しい表情だ。


「アン、貴方は私を守ってくれる。貴方が私を覚えている限り、きっと大丈夫」

「サテリット……怖くないの」

「怖いに決まってるでしょう」


 瞬いた両目から涙がこぼれ落ちて、それでも彼女は微笑んでいた。視界が歪んで溶けていく。自分だって泣いているくせに、そんなに泣かないでよ、と言って笑う。


「そういうところが大好きだよ、アン。でも、忘れちゃったら……ごめんね」


 毒杯かもしれない食事を食べ終えて、ふたりは寄り添って壁沿いに座り、声を潜めながらお喋りをした。ここがハイバネイト・シティのどこなのか、という真面目な話から、些細なことまで、話題は尽きることを知らなかった。


 両手で自分の頬を包んで、あのね、とサテリットが目を閉じる。


「無事に地上に戻れて、それからこの子も産まれたら――私、行きたいところがあるの。どこだと思う?」

「えっ……さあ。ラ・ロシェルとか?」

「全然、違う。答えはね、ラピスの外側」


 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、彼女は不自由なほうの左足に触れた。


「まあ、この足だし、簡単じゃないけれど……私って、アンが思うより冒険家なのよ。知ってた?」

「知らなかった、かも。えっ、ラピスの外側って何があるの」

「それを見に行くんでしょう」


 何言ってるの、と彼女は不思議そうに唇を尖らせる。


「あのね……リヤンたちがラ・ロシェルに行ったでしょ? 昔は、街と街のあいだを移動するなんて、想像もできなかった。でも今はできるの。なら、ラピスの外側に行くことだって、きっとできる。いえ、今までもできたはず。誰もしなかっただけで」

「すごい野望だね。外側、かあ……」

「ロンガが教えてくれたでしょう、外には海があるの。他にも色々、きっと私たちの知らないものがある。アンも一緒に来てくれる?」

「えっ、僕も行くの」


 アンクルが驚いて目を見開くと、サテリットは「だめ?」と少し眉を下げた。


「その――僕は。宿舎でずっと、みんな一緒にいられれば良くって、それが幸せで」

「うん、知ってるよ」

「そうだよね、でも、サテリットがもっと違う場所に行きたいなら。このままの僕じゃ、重荷になっちゃうのかな」

「えっと、遠くで見守ってくれるなら、それも嬉しい。ちゃんと帰ってくるよ……ふふ、まさに(アンクル)って感じね」

「それで言うなら、衛星(サテリット)は僕の周りをぐるぐる回ってるのかな」

「うーん。同じところをずっと回るのはつまらないかもね」

「酷いな」


 アンクルが苦笑してみせると、サテリットは「ただの比喩だからね」と言って微笑んだ。天井を見上げるグリーンの瞳は澄んでいて、きっとアンクルよりもずっと遠い場所を見ている。彼女がこんな夢を持っていたことに、これだけ近くにいて、少しも気付けなかった。サテリットが気を遣って隠していたのもあるだろうが、やはり少し不甲斐なくて、胸がじわりと痛かった。


 それに、今まで言わなかったことを教えてくれたのは、きっと――忘れるかもしれないと、分かっているからだ。この部屋の暗闇が、涙ぐんだ目元を隠してくれることを祈りつつ、ひとつでも多くのことを彼女が喋れるように、アンクルは相槌を打ち続けた。


 眠って起きて、また話をした。


 翌日の朝、サテリットはラムの存在を忘れていた。統一機関に所属していた人で、危険だったときに色々助けてくれたんだよと教えても、彼女は首を捻るばかりだった。


 正午、今の自分たちがハイバネイト・シティという場所にいることを忘れていた。どうして宿舎にいないの、こんな暗い場所にいるの、と不安そうな顔で何度も聞いてきた。地上が“春を待つ者(ハイバネイターズ)”に攻撃されたことを教えるべきか悩んで、結局は教えなかった。余計な心配をかけたくなかったからだ。


 夕方、ロンガの存在を忘れていた。かつて仲間だった彼女とサテリットは、みんなが寝静まった夜に、宿舎の屋根の上でよく秘密の話をしていたはずだ。変わった出自と経歴を持つ彼女に、サテリットは興味を示していたはずなのに、知らない、と眉をひそめた。知らないならそれで良いんだよ、と言って、不安そうな彼女を抱きしめた。


 少しずつ、時計を巻き戻すように、記憶が消えていっている。非日常的な状況も相まってなのか、薬剤がよく効いてしまっているらしく、記憶が弾けて消えていくのが見えるようだった。床に横たわって眠るサテリットの手のひらを握りしめたまま、アンクルは声を殺して泣いた。自分よりもずっと不安だろう彼女の前では、絶対に泣けない。だから、胸の中に溜まりつづけた不安や悲しみを、今のうちに外に出しておかないといけない。


 いつ、助けは来るのだろう。

 そもそも来るのだろうか。


 シャルルやラムは――今、どこにいるのだろう。リヤンやロンガは無事だろうか。バレンシアの人たちはどうしているのだろう。“春を待つ者(ハイバネイターズ)”は、ラピスは、一体どこに向かっているのか。


 果てない不安が流れ出す。こんなときばかり、手が届かない遠いものに思いを馳せてしまう。


 目を閉じると、雪の降る夜が思い出された。


 サテリットが妊娠しているのではないか、とシャルルに突然言われて動揺し、とっさに否定してしまって殴られた後の会話だ。


 ――ラピスは今、まさに変わろうとしてるじゃねぇか。みんなが自分の行きたい方に行こうとしてんだよ、今は。なあ、お前たちだって好きな方に行きゃあ良いんだ。それ自体は何も悪いことじゃねぇ。


 シャルルの言葉に、その通りかもね、と頷く。あれは、今になって思えば、ラピスを飛び出したいと願うサテリットにこそ、届いて欲しい言葉だった。


「でもさ……行きたい方を忘れちゃったら、どうしたら良いのかな。忘れちゃうのかな」


 見たことがないものを見たいのだ、と打ち明けてきたサテリットの表情は、アンクルが今まで見てきたどんな彼女よりも、さらに魅力的だった。そんな側面があると知っていたら、きっと、もっと早く好きになっていたと思う。


 もちろん、それとは関係なくサテリットを愛しているけれど、彼女が彼女たる所以(ゆえん)が少しずつ消えていくのは、彼女を構成する要素が少しずつ剥がれていくのは――心が壊れそうなほど辛かった。


 硬い床に寝転んで、彼女の寝顔をぼんやりと眺める。冷たくて小さい手のひらを、丁寧に両手で包み込む。


「忘却のトリガーは後悔だ……だっけ」


 ラムが教えてくれた、記憶操作の特性を思い出す。彼も一度、記憶操作を受けたものの、自力で乗り越えることに成功したそうだ。彼の説明によると、その人がもっとも後悔している記憶を呼び覚まし、精神的に苦痛を与えることで、忘却を受け入れやすい精神状態になるらしい。


「つまり、後悔していることに立ち向かえば、忘れずに済むんですか?」


 以前、アンクルがラムにそう問いかけたとき、彼は顔をしかめた。


「一応は、そういうことだ。ただ――俺は知識としてそれを良く知っていたにも関わらず、忘れる直前まで行った。正直、あれは奇跡のようなものだ。記憶操作を受けないに越したことはない」


 サテリットも何か後悔をしていて、その辛い記憶が彼女を今も(むしば)んでいるのだろうか。そう考えるとまた涙が止まらなくなる。どんな不安より、隣にいる大切なひとを守れないことの方が、ずっと苦しくて痛かった。


 *


 エナメルの光沢がつややかな、深いグリーンの靴。5センチのヒール付き。歩きづらいから普段は使わないけれど、晴れの日だからと少し背伸びして履いてみる。背が高くなったみたいで楽しかった。


「あはは、僕より背が高いね。サテリット」


 黒髪の少年が振り向いて、こちらに笑顔を向けた。彼に悪意がないのは分かるのだが、そう言われると、着飾りすぎたかなと不安になってしまう。


「いつもの靴の方が良かったかしら」

「ううん、似合ってるよ。とっても」


 第43宿舎の宿長である彼は、いつでもまっすぐな言葉で褒めてくれる。屈託のない笑顔を、彼はそのままサテリットの斜め後ろに向けた。宿舎は5人が基本単位なのだが、今日はリヤンとシャルルが畑に寄ってから来る。なので今日は珍しく3人で歩いており、彼の見つめる斜め後方にはひとりしかいなかった。


「ね、アン。君の相方(パサジェ)は今日も綺麗だね」

「えっ。えっと、その――」


 やけに動揺した様子のアンクルを、サテリットは振り向いてじっと見た。別に褒めて欲しかったわけではないけど、言葉に迷うそぶりを見せられるのは、あまり気分が良くない。


「……似合ってないなら素直に教えて?」

「ち、違うよ。いつもと雰囲気が違うからびっくりしてて、でも、素敵だと思う」

「そう? ……ありがとう」


 サテリットは、思わず熱くなった頬を抑えてお礼を言う。ふたりのやり取りを笑顔で見守っていた彼は、外套の裾をなびかせてこちらに向き直り「そうだ」と言った。


「僕、ちょっと用事があるから先に厩舎に行くよ。歩きづらいでしょ、ゆっくり来てね」

「えっ、待って、リゼ――」

「また後でね!」


 振り向いてもう一度笑ってから、リゼは坂道を駆け下りていった。


「忙しいのね」


 サテリットが呟くと、どこか緊張した面持ちのアンクルが「そうだね」と応じる。


 高いヒールを履いて坂道を下りるのは、思ったより怖かった。歩く速度がゆっくりになってしまい、アンクルが数歩先でこちらを振り向く。


「そんなに歩きづらいんだね」

「歩きにくいというか、ちょっと怖いのよ。傾斜が何倍にも感じられて」

「確かに。ずっと爪先立ちしてる感じだよね」

「ええ。ねえアン、もし良ければ手を貸してくれない?」


 サテリットが片手を差し出すと、え、と彼は表情を強ばらせた。良いけど、とこちらに向ける手がやけに震えていて、サテリットは頬を膨らませる。


「嫌なら良いのよ」

「ううん! 僕で良いなら、喜んで」

「そんな大袈裟なことじゃないけど……」


 アンクルの手を借りると、少しだけ怖さが薄れた。彼の手に縋って歩く感覚は、初めてのはずなのに、なぜかよく知っているようにも思えたが、頭がふわふわしてあまり考えられない。


 風を含んで広がるスカートを抑えて、サテリットは晴天の空を見上げた。


 今日は収穫祭の日だ。


 そう思った瞬間、左足がずきりと痛んだ。身体がふわりと宙に投げ出されて、支えを失う。硬い地面に身体が叩きつけられて、衝撃に目を細めた。


「アン?」


 彼がいない。


 毛足の長いカーペットの上を、不安な足取りで歩いて行く。左足になぜか力が入らなくて、ひどく前に進みづらい。それでも何とか歩いて行くと、重たい扉が勢い良く開いて、中から少年が飛び出してきた。右の手のひらに怪我をしていて、ぼたぼたと落ちる血が床を汚す。


「リゼ」


 彼の名前を恐る恐る呼ぶと、冷たい表情で彼は振り向いた。


「サテリット」

「酷い、怪我をしてる……」

「聞いて。僕はね、非正規児(ソヴァージュ)だった。リヤンもそうだ。あの子、僕の妹なんだってさ」


 光のない瞳がこちらをのぞきこみ、血塗れの手がサテリットの手を包む。彼の話している内容が信じられなくて、サテリットはぱちりと瞬きをした。


「嘘よ、そんなの」

「そう思いたいよね。僕もだよ」


 リゼの頬に細い傷が走り、そこから血が噴き出す。左足がまたずきりと痛み、サテリットはその場に屈み込んだ。自分の前に膝をついたリゼの身体が、見えないナイフに切りつけられる。だが、全身から血を噴き出しても彼は笑顔だった。優しげに微笑んでいる目尻が切れて、涙の代わりに一筋の血がこぼれる。


 やめて、とうわごとのように繰り返した。


「どうしてそんなに傷だらけなの。ねえリゼ、もう止めて」

「そうだね。でもね、これが真実(ほんとう)なんだよ」

「嫌だ、嫌よ――貴方が傷つくのは」

「……それじゃあ、こうする?」


 彼はこちらに手を差し伸べて、サテリットの手を引き、立ち上がらせた。


「なかったことにしようか、サテリット」


 白い光に飲み込まれて、全てが溶けていった。暖かいリゼの声に、導かれるように進み――そしてサテリットは目を開けた。硬い床に、リュックサックを枕にして眠っている。宿舎の部屋ではない、一体どこだろう。目の前で寝息を立てているのは、アンクルに似ているけど、何だか違う人にも見える。


「アン?」


 恐る恐る声をかけると、彼はすぐに目を開けて「ごめんね、寝てた」と答える。そこで初めて、彼が自分の両手を包み込むように握っているのに気がつき、いつにない距離の近さに当惑した。ぱっと手を振り払うと、アンクルらしき青年は少し傷ついたような表情を浮かべる。


「ねえ、ここはどこ?」

「ああ――ええとね、ここはハイバネイト・シティと言って」

「なにそれ、どうしてそんなとこにいるの! ねえ、今日って収穫祭の日よね。リゼはどこで何をしてるの」

「リゼ?」


 彼ははっと息を呑んで、ああ、と掠れた声をこぼした。やはりアンクルに似ているし、話し方もそれらしいのだが、妙に大人びているような気もする。


「そっか、もうそこまで忘れちゃったんだ」

「忘れた? 一体何の話してるの」

「サテリット、じゃあ――君にとっての僕って何かな」

「えっ、同じ第43宿舎の住人で、相方(パサジェ)よね。質問の意味が、良く分からないんだけど」


 サテリットが首を傾げると、うん、と頷いて彼はこちらに笑顔を向けた。その目元がやけに腫れているのは、なぜだろう。とにかく身支度をして収穫祭に向かわなければ、と起き上がって、そこで腹部の違和感に気がついた。


 妙につっかえる感じがして、硬く張っている。その症状に該当する状況説明がひとつしか思いつかなくて、サテリットは衝撃に目を見張った。


「えっ――妊娠してる、の? どうして。なんで。心当たり、ない」

「そうだよね……」


 苦々しい表情でアンクルが頷いて、それから意を決したように顔を上げ、抑制した口調で次々に話を始めた。

 自分が5年分の記憶を失っていて、リゼはもう死んでしまって世界のどこにもいないこと。自分は昔、左足を怪我していて、今もあまり力をかけられないこと。宿舎には新しくロンガという女の子がやってきたが、今はリヤンと一緒にラ・ロシェルに行ってしまったこと。地上の人間を敵と見なす“春を待つ者(ハイバネイターズ)”と名乗る集団が現れて、地上を攻撃し始めたこと。


 それから――アンクルと自分が、恋人関係にあったということ。


「じゃあ」


 吐き気を堪えて、サテリットは後ずさりしながら問いかけた。


()()って、アンとの子供なの?」

「……そう」


 嫌悪感で息が苦しくなる。彼の姿を視界のなかに収めているのすら苦しくて、サテリットは部屋の対辺まで遠ざかり、震えながら首を振った。


「ごめんなさい。受け入れられない」

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