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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅶ 未来は塵となって
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chapitre87. 言葉

 翌朝ロンガを叩き起こしたのは、気持ち悪いほど平坦で明るい女性の声だった。わけが分からないまま立ち上がって、周囲を警戒してから、それがスピーカーから流れている合成音声だと気がついた。


 何だ、と安堵して息を吐く。


 ロンガがハイバネイト・シティに立ち入ってから数日経つので、ELIZA(エリザ)と呼ばれている管理AIの声を聞くのは初めてではなかった。ただ、人間のものに比べてあまりにも無機質な声には、まだあまり慣れていなかった。眠たい目を擦りながら寝台に腰を下ろすと、目を閉じていた友人が小さく身じろぎした。


 視線がこちらを捉える。


「おはよう、ソル」


 研修生だった頃、毎朝のように彼を起こしていたことを思い出す。彼は、おはよう、とロンガの言葉を復唱するように呟いた。そのままゆっくりと上半身を起こして、寝台の上に足を引き寄せる。


「何か食べないか。といっても、あまり持ち合わせがないけど……」

「えっと――休憩室に行けば、携行食があるよ」

「便利だな。じゃあ取ってくるから、部屋の場所だけ教えてくれないか」

「ううん」


 友人は小さく首を振った。


「ぼくも行く」

「え――いや、良いよ。休んでいてくれ」


 立ち上がろうとした彼の身体を押しとどめる。


 ひとりで置いて行かれることを彼が嫌がっているのは分かるのだが、外の通路が安全とも限らない。今の彼を庇いながら行くよりは、ロンガが単独で向かった方がずっと良いだろう。彼はしばらく抵抗するそぶりを見せたが、内心では無理だと理解していたのか、しばらくして「分かったよ」と頷いた。


「でも、絶対に帰ってきて」

「もちろん」


 ロンガは居室を出て、彼が施錠したのを確認してから通路を進んでいく。昨日と同じく、通路には死体こそ転がっているが、動いている人間は見つからなかった。通路を塞ぐように倒れている身体を、息を詰めながらまたいで越える。帰り道もまたここを通るのかと思うと、気が滅入りそうだった。


 友人が休憩室だと教えてくれた部屋は、昨日彼と出会った場所だった。黒ずみ始めた血痕の隣を通り、言われたとおりに装置を操作して携行食を受け取る。ふと違和感を覚えて視線を上げると、天井がやけに鮮やかな青色で塗りつぶされているのに気がついた。


「――青空の模倣か?」


 そう思って眺めると、白くて丸い照明は太陽のようにも見える。

 “春を待つ者(ハイバネイターズ)”は地上の空に憧れを持っているようだから、士気を高めるために、こういう部屋を作ったのかもしれない。そういえば、カノンが似たような話をしていたな、と思い出す。


「俺たち地上の人間には、今ひとつ有り難みが分からないが――どうやら“春を待つ者(ハイバネイターズ)”や、総代さんにとっては、人生を捧げられるほどの星だそうだ。あれは」

「……でも、少しだけ理解できるよ」


 そう言ってロンガが頷いてみせると、へえ、と彼は否定でも肯定でもない声をこぼした。


 空が晴れていて、そこに光がある。


 ただそれだけと言われても、人間はずっとそれに救われてきたのだ。少なくともロンガは、朝も夜もない常闇の世界では、あまり元気でいられる気がしなかった。


 太陽があるから時間がある。

 時間があるから未来がある。


 それこそ天地がひっくり返るような悲しみに襲われたって、明日という日は必ずやってくるから、そこに希望を見出さずにいられない。


 でも、だからこそ。


『このまま、二度と目が醒めなければいいのに、って思ってる』


 汚れた顔でそう言った、友人のことが気掛かりだった。新しい日がやってくること、それ自体を拒絶したくなるほどの苦しみが、きっとあったのだ。ロンガは足早に休憩室を出て、急いで来た道を引き返す。


 通路を走っていると、ふと違和感を覚えてロンガは足を止めた。


 足音が二重に聞こえている。


 自分の足音が通路に反響しているだけだと思っていたが、どうやら違う。柱の陰に身を隠し、音の発信源を特定しようと試みた。友人がこちらを探しているのかとも思ったが、聞こえる方向からしておそらく違う。


 足音は不規則なリズムを刻んでいた。


 一歩踏み出して、迷いながらまた一歩踏み出す。次の一歩は軽やかに、次は戸惑いながら。不安定さを想起させる足音は、少しずつこちらに近づいているようだった。ロンガは息を潜めて、銃を構えたまま外を窺った。


 通路の向こうに人影が現れる。

 その姿を見て、ひっ、と引きつった声が喉からこぼれた。身体中がガタガタと震え、指先が痺れたような感覚に襲われる。


 マダム・カシェ・ハイデラバード。


 かつてロンガを騙して地下に連れ去り、殺そうとした相手だ。ゆらゆらと身体を左右に揺らしながら歩いてくる姿に、2年前の記憶が重なる。首を絞められた感覚が、銃を突きつけられた感覚が蘇った。悲鳴を上げそうになる口を必死に抑えながら、柱の陰に身体を押し込み、どうにか彼女をやり過ごそうとした。


 カツン、カツンと音が近づく。


 長い髪を揺らしたシルエットが、ふらりと傾いた。髪のすき間にのぞいた目が、しっかりとロンガを捉える。彼女はぱちりと瞬いて、こちらに身を翻した。


 やむを得ない。

 ロンガは銃を抜き、その額に照準を合わせた。


 しかし彼女は構う様子もなく、緩やかな動作で床に膝を付き、ロンガの顔をまじまじと覗き込んだ。銃を恐れていないというよりは、ロンガが銃を構えていることすら気付いていないように見えた。


 冷たい手がロンガの顔を持ち上げる。2年前の恐怖が胸の底から湧き上がって、額に冷や汗が伝うのを感じた。垂れ下がった長い前髪が影を作っていて、カシェの表情はよく見えない。


 ややあって、彼女は口を開く。


「エリザなの?」

「……え?」


 その言葉の意味が理解できず、ロンガが間の抜けた声を出すと、ああ、とカシェは溜息をついた。


「違うのね。なんだか似ているのに――貴女、お名前は?」


 やけに穏やかな声で問いかけてくる。口をぽかんと開けていたロンガに、眉根を寄せてもう一度「名前は?」と聞いてきた。


「……ロンガ・バレンシアです」

「そう。私は政治部の幹部()()()、カシェ・ハイデラバード。貴女、エリザって女の子を知っている? 見かけたら、教えてね」


 ロンガが引きつった顔で頷くと、カシェは微笑んで立ち上がり、どこかに歩いて行った。彼女の足音が遠ざかるにつれて心拍が正常に戻り、大きく息を吐く。全身から力が抜けて、ロンガは床に両足を伸ばした。


 かつてロンガを殺そうとしたカシェが、ロンガのことを忘れていた。それだけではない、彼女は自分を「政治部の幹部候補生」と名乗った。だが、そもそも統一機関の政治部自体がもう存在しないし、彼女は候補生どころではなく重役幹部だったはずだ。


 納得のいく説明をつけるなら――つまり、カシェがエリザと出会った、まだ幹部候補生だったおよそ20年前まで、彼女の記憶が巻き戻ってしまったのだろう。


 救われない気持ちになったが、しかしロンガにはどうすることもできない。ロンガはゆっくりと立ち上がり、カシェが向かった方向を避けて、友人の待つ部屋に戻った。


「ソル」


 ノックして声をかける。

 しばらくして「ルナ?」と問い返す声があったので「そうだ」と応じると、鍵の開く音がした。


「ちゃんと帰ってくるって言っただろう?」


 笑いかけてみせると、彼は無表情のまま小さく頷いた。良かった、と唇が動く。

 ロンガは寝台に腰掛けて、携行食と呼ばれている固い焼き菓子の包み紙を剥く。友人にもひとつ差し出すと、彼は慣れた手つきで包み紙を剥がしたが、ひと口かじった瞬間に口を抑えた。うっ、とくぐもった声が指のすき間からこぼれる。


「大丈夫か?」


 彼は首を振りつつ、顔を真っ白にしながらどうにか飲み下した。ごめんね、と呟いて、残りを紙で包み直す。


「……食べられない」

「そうか、分かった。いや、気にしなくていい」


 ロンガは頷き、自分の分の携行食に口をつける。それはカステラとビスケットの中間のような食感で、古い油のような風味がする上に吐き気がするほど甘かった。顔をしかめてどうにか飲み込む。


「不味いな、これ」


 ロンガが呟くと、友人は少し驚いたように視線を上げて「そうなの?」と問いかけてきた。ああ、と肩をすくめてみせる。


「仲間に優秀な料理長(シェフ)がいたからかな、昔よりずっと舌が肥えてしまった」

「……そうなんだ」


 彼は呟いて、ほんの少しだけ口の端を持ち上げた。ロンガの記憶にある彼の笑顔よりずっと控えめな表現だが、どうやら笑ってくれたようだ。


 それから友人は、彼がここにいる経緯や、ここで何があったかをぽつりぽつりと語ってくれた。彼の話は飛び飛びだったが、ハイバネイト・シティの構造や“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の目的については、カノンから予め聞いていたので、理解にさほど苦労しなかった。通路でカシェと出会ったことを伝えると、ああ、と彼は頷いた。カシェがここにいることと、正気を失っていることは、彼も前々から知っていたようだ。


 しかし、ここで起きたことの具体像に話が及ぶと、とたんに話が曖昧になった。話は前後に行ったり来たりして、連続したストーリーとして組み立てることが難しい。質問をしながら彼の記憶を一緒に整理してやって、ようやく、ひとつの鍵となる情報を手に入れた。


「出生管理施設が、燃えた?」

「――うん、ああ、そうだっけ」


 地下ではシェルと名乗っているらしい彼は、自分が言ったことにも関わらず、疑るような表情をしている。ヴォルシスキー出生管理施設といえば、いわゆる野生(ソヴァージュ)でないラピス市民が生まれる場所だ。新しい生命が生まれることは未来の創出とも呼べる。その場所が失われたということは――


「……そうか」


 ロンガは呟いて、胸の中に吹き出したどす黒い絶望を抑えようとした。しかし、抑圧しようとすると、かえって黒は濃くなっていく。凝縮された暗闇がひとつ、まぶたの端からこぼれ落ちた。


「だから――もうぼくたちは、減っていくだけだ」


 異常なほど落ち着いた声で、シェルが呟く。彼が顔を俯けると、頭の動きに従って、ほつれた三つ編みが静かに揺れた。


「減っていくだけ……」

「生まれないから、死ぬだけだ」

「でも」


 ずしりと重たくなった空気を払いたくて、ロンガはわざと明るい声を出した。


「私みたいに出生管理施設の外で生まれた人間だっている。先日だって、私の友達がひとり、妊娠したんだ。全く生まれないわけじゃないよ」

「そうだけど……ルナは、じゃあ今すぐ、子供を産んでくださいって言われたら、そうするの?」

「何てことを聞くんだ」


 ロンガが驚愕して問い返すと、シェルは何かに気がついた顔になって、ごめん、と頭を下げた。


「……ぼく、すごく失礼な質問をしたね」

「いや――でも、要はそういうことだよな。野生(ソヴァージュ)が忌まれ続けてきたラピスで、今更、自然な妊娠に頼ることが本当に可能なのか、という」

「うん……それに、出生管理施設で生まれた人間は、生殖機能自体を抑えられている、って噂もある」

「ああ、聞いたことがあるな」

「そう、だからね、ぼくらは――“春を待つ者(ハイバネイターズ)”やMDP(メトル・デ・ポルティ)は絶望して、きっと、それで死んでしまったんだと思う」

「それで――この、惨劇か」

「あんまり覚えてないけど……多分」


 シェルは頷き、それからはっと顔を上げて、ロンガの両肩を痛いほどの力で掴んだ。ぼさぼさになった前髪の下で、余裕のない表情がこちらを見ている。


「――ルナ!」

「どうした?」

野生(ソヴァージュ)だっていうの、誰かに言った?」

「何人かには」


「それ、信頼できる相手? ねえ、おかしな人には、絶対言っちゃダメだよ。出生管理施設が燃えちゃって、一般のラピス市民じゃ妊娠が難しいって広まったら――ルナ、どういう目で見られるか、分かるでしょ」


「……ああ」


 シェルが危惧している内容を遅れながらも理解し、ロンガは溜息を吐いた。大丈夫だ、と彼の手に自分の手を添える。


「仲間と呼べる人にしか言っていないよ」

「良かった……」


 シェルは力が抜けたように目を閉じて、壁に背中をもたれさせた。こんな状況になってもまだ彼は、自分のことを心配してくれている。それがどこか嬉しくもあり、心配でもあった。


「……ルナ」


 静かな声が名前を呼ぶ。


「あのね、こんなこと言いたくないけど……もうぼくたちは、ラピスはどうにもできないよ。ゆっくり死んでくんだと思う。でも、だから、ルナ――最後まで、絶対に、君だけは幸せなままでいてほしい」


「待って――ソルらしくない。早々に諦めるような性格じゃないだろう?」


「違う。ぼくだって、地下に来てすぐの頃は、今のルナみたいに思ってたよ。でも、ようやく分かった。ぼくがやったことは、全部、間違いだった。浅はかだった。希望があると思って、期待は裏切られて、それでも信じようとして――だけど、みんな、死んじゃったんだ。ぼくが殺したようなものだ。これ以上、どうにもならない状況なんてある?」


 ふふ、と小さい笑い声。


 自嘲気味に歪められた口元を見て、胸が痛くなる。2年ぶりに再会してから、初めて彼がはっきりと笑っているのに、こんな悲しそうな笑い方をされるくらいなら、泣いていた方がまだましだ。


「ソル……あまり、言葉で自分を傷つけないでくれ」


 安易な励ましはしたくなかったが、それでもロンガは彼の手を取った。


「言葉っていうものは祈りで、救いで、同時に呪いなんだ。強い言葉で自分自身を苛めないほうが良い。本当に、言った通りになってしまうから……」


 自分を否定し続ける彼の姿が、2年前の自分と重なって見えた。

 自分が周囲から嫌われていると思って、人と関わることを避け続けた、研修生だった頃のロンガはそんな人間だった。シェルや他の友人たちと触れ合って、やっとその呪いを解きつつあるのに、今度は彼が自分自身に呪いをかけようとしている。


 彼はほとんど唇を動かさないまま、だって、と呟いた。


「だって――何一つ、ぼくがいて、良いことなんてなかった。何もできなかったぼくなんて、傷だらけになったって足りない」

「ソルがここで生きてて良かったって、私は思ってる。それじゃ駄目か?」

「……ルナ」


 彼は宇宙の果てのように暗い目でこちらを見る。


「ごめんね。ルナが喜んでくれるのは、ぼくも嬉しいよ。でもそれは、死ねない理由にしかならない。そう、ぼくってもっと、明るかったはずだよねぇ……けど、今は、思い出せないんだ」


 上を仰いでも太陽の見えない部屋で、シェルは空虚に言葉をつなぐ。今の彼にどう言葉をかけていいのか、ロンガには全く思い当たらなくて、ただ、その手を握っていることしかできなかった。

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