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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅶ 未来は塵となって
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chapitre83. 対価

 翌朝。


 シェルは、べたついた感触と共に居室で目を覚ました。血で汚れたシャツを脱いで着替える。スピーカーからは朝の放送が流れていて、シェルは重たい身体を引きずって朝食に向かう。こういうとき、従うべきルーティンがあるのは楽とも言える。するべきことが決まっていれば、その分、自殺した彼らのことを考えずに済むからだ。


「駄目だなぁ……」


 シェルは頭を抱えて、休憩室の壁にもたれかかった。


 外から押し付けられた枠組みに従って思考を止めるのは、シェルがかつて忌み嫌った「役割」制度そのものだった。壁に沿ってずるずると座り込み、膝を抱えて目を閉じる。


 ELIZAの無愛想な声が休憩時間の終わりを告げるまで、少し休もうと思った。まぶたの内側にある暗闇を見つめて、自分で自分の心臓を撃ち抜いた友人、イルドの顔を思い描いた。


 忘れないように。


 終わってしまった彼の世界が、せめて自分のなかには残るように。あるはずだった未来のぶんまで背負うのだ。鋭い痛みが胸を突き抜けて、頭の中身が零れてしまいそうな感覚に襲われても、シェルは友人の記憶を心に収め続けた。


 知り合いが亡くなるのは初めてではない。


 牢獄グラス・ノワールに収監されていた頃、生活の厳しさに耐えきれず死んでいった仲間は一人や二人ではなかった。度重なる警告にも関わらず脱獄を企てた結果、管理人の手で殺された仲間だっていた。


 その死ひとつひとつを受け止めて、自分なりに弔いを済ませたつもりだった。


 人間だって生き物である以上、過酷な環境に身体が耐えきれないのは、ある意味で仕方がないことだ。ルールを破った結果として殺されるのは、心理的には受け止め難いけど、因果応報と言えないこともない。


 でも、イルドたちが死んだのはそのどちらでもない。知らないうちに犯していた罪を罪として認識した結果、罪悪感を拭い去る唯一の救いとして死を選んだのだ。


 罪を罪だと教えてしまったのは誰だ?

 気がつかなければ良かったことを、わざわざ教えてしまったお節介な奴は誰だ?


 他ならぬシェル自身だった。


「――ぼくが」


 きつく閉じたまぶたの隙間から何かが流れていく。シェルは嗚咽しながら呟いた。


「ぼくが殺してしまったのかな、イルド……」


 その問いに答えるものは誰もいなかった。代わりにスピーカーから無機質な合成音声が流れ出して、昼休憩の終わりを告げた。


 *


 イルドたちの一件が引金を引いたかのように、ハイバネイト・シティ最下層の随所で、何組かの集団自殺があった。コアルームの隅に座り込んだシェルを見下ろして、「あえて冷淡な言い方をするが」とサジェスが静かに呟く。


「“春を待つ者(ハイバネイターズ)”としても良くない傾向だ。悲観して亡くなったのは、大概、集合意志の形成においては穏健派寄りの投票をしていた人々だ」


 シェルは黙って頷いてみせる。


 多数決でものごとを決めていく“春を待つ者(ハイバネイターズ)”のやり方において、穏健派がいなくなるのは、同胞の暴走を止めたいシェルたちにとっては痛手だ。母数が減るぶん、より過激な提案が通りやすくなってしまう。


 ティアがパネルを操作して、時計を表示した。


 刻一刻とゼロに近づいていくそれは、ラ・ロシェルが砂の底に沈むまでのカウントダウンだ。もう丸2日もない。ふと違和感を覚えて、「少し早くなってる?」と尋ねるとティアが頷いた。


「プロセスの停止(キル)に失敗して、数時間早まってしまったんです」

「そうだ。カノンたちには連絡したが……これ以上システムに不用意に干渉するのは危険かもしれない、と判断した」


 それに、とサジェスが続ける。


「ヴォルシスキー出生管理施設への襲撃も数日後に迫った。ここで仕損じるわけにいかない以上、あまりラ・ロシェルの件に時間を割いていられない」

「――諦めるってこと?」

「言い方は悪いが、そうだ」

「そう……」


 シェルは頷き、否定も肯定もせずにうつむいた。無意識に心を守ろうとしているのか、ひどく感性が鈍っているように感じられた。このままじゃダメだ、と思うものの、その危機感すら輪郭がぼやけて見えるのだった。


「出生管理施設のことは――やっぱり、まだ諦めてないんだね」


 その代わりに話題を変えた。


 ラピス七都のひとつ、ヴォルシスキーに存在する出生管理施設は、その名の通り生命が生まれる場所だ。サジェスは出生管理施設の技術を利用して、臓腑を病んで眠ったエリザに健康な身体を与え、“春を待つ者(ハイバネイターズ)”が真祖と崇める彼女自身の言葉によって同胞の暴走を止めようと企てている。


 ああ、とサジェスが頷いた。


「真祖に目覚めていただき、彼女自身の言葉で諫めてもらうしか、やはり、同胞を止める手段はないだろう」

「まだ残っている“春を待つ者(ハイバネイターズ)”は、要するにMDP(メトル・デ・ポルティ)の謝罪では心が動かされなかった人々ですから――より、根本的な説得が必要になるということですか」

「その通りだ、ティア」

「理屈はね、うん、ぼくも分かるんだよ」


 言いながらシェルは服の埃を払って立ち上がった。突然立ったせいで、貧血を起こして倒れそうになるのを耐えながら、無表情の仮面に覆われたサジェスの顔を見つめる。


「でもさ――」

「貴方が俺の身を案じているのは知っている」


 彼は先回りして、そう言った。


 太陽を取り戻そうと言って“春を待つ者(ハイバネイターズ)”を煽動したのは、他ならぬサジェスだ。しかも彼は、真祖エリザからの啓示という(てい)で正義を掲げた。

 エリザ本人が目覚めて、“春を待つ者(ハイバネイターズ)”を(いさ)める側に回ったならば、当然サジェスはただではすまないだろう。


 それを分かっていないはずがないのに、サジェスは「だが」と表情を崩さないまま続けた。


「だが、俺の生命(いのち)ひとつでこの対立が終わるなら安いものだろう」

「そんな訳ないじゃん……」


 シェルは呆然として言葉を零しながら、それに、と付け加える。


「指導者を欠いた“春を待つ者(ハイバネイターズ)”がどうなるか考えたことある? エリザに全責任を押し付けて死ぬつもりなの」

「特定のトップがいなくても回る社会がシェルの理想像だろう。ブレイン・ルームを連結させて集合意志を形成するのに際して、指導者という存在は、本来必要ない。一票の重みは平等だ。現在はやや階層的な連結モデルを採用しているが、それは今後改善できるはずで――」


「だって、現状は違うじゃない!」


 シェルはサジェスの長広舌を遮った。話しているうちに、抑制されていた感情が溢れ出してきて、言葉になって口から流れ出す。


「“春を待つ者(ハイバネイターズ)”は今まで、明確なトップがいる社会で生きてきたんだよ。サジェス君、貴方がいたから、彼らはここまで来たんだよ」


 シェルは一息おいて、良くも悪くもね、と付け足した。


「だから――」

「いや、だからこそだ。その観念を覆せるのなら、十分に大きな前進と言える。前に立っている声の大きな人間が、正しいとは限らないと学ぶだろう」

「うーん……サジェス君がそれで良いと思ってるなら、ぼくが口を出すのは間違いかも知れないけどさ。友達に生きていて欲しいと願うのは、そんなに変なことかな」


 語気が弱まるのを感じながらも、シェルがどうにか自分の感情を言葉にすると、サジェスが小さく微笑んだ。釣り上がった眉が少し下がり、サジェスは“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の総代から、年齢相応の青年の顔に戻る。


「シェル、君と君の友人が繋いでくれた、俺の記憶がここで途切れてしまうのは、俺だって残念だよ。ティアやカノンにも、ここまで付き合ってもらって、途中で投げ出すのは申し訳ない。だが――それでも尚、やらねばならないと思っている」


 そんな、とシェルが反論しようとすると、黙っていたティアが視線を上げた。まだ幼さの残る高い声でサジェスに問いかける。


「ずっと、聞かないでおこうと思ってたんですけど、サジェスさん――本当にそれが、貴方の本音なんですか?」

「……ティア君?」

「本音は違うんじゃないですか」


 少年は胸元で拳をぎゅっと握りしめた。


「僕、貴方が分からないんです。どうして、自分のいない世界にそこまで希望を託せるんですか。それで何か変わったって、死んでしまったら、もうその未来は見えないんですよ」


「――ぼくも、少し変だと思う。今日、ELIZAに不可思議なエラーが起こったときの貴方は、未知の問題にわくわくしてるように見えた。サジェス君さ、まだ全然、人生に満足してなんかないでしょう?」


「勿論……そうだ。俺は、ラピスが好きなんだ。そこに住まう人も、土地も、この星も。この美しい世界の行く先を、できれば自分の目で見ていたいさ」


 サジェスは、真祖エリザからの啓示を受け取るときのように堂々とした声で言い切って、だが、と言葉尻を淀ませた。ローブの裾を払って背を向け、椅子に深く腰掛ける。何かを考え込むように、両手を組んで顔をうつむけた。


「だが、そうだな――シェル。貴方が牢獄グラス・ノワールにいたとき、きっと、生活苦のために多くの囚人が死んだだろう。彼らを殺したのは俺だ」

「――それは」


 シェルはぐっと言葉に詰まった。

 言い返せない。


 サジェスが“春を待つ者(ハイバネイターズ)”を扇動したために、地上が困窮に陥ったのは真実だ。シェル自身も、サジェスのせいで仲間が亡くなったのだと、心のどこかで感じ続けていた。


「地上で、地下で、多くの人間が死んだ。初めはひとつひとつの死を悼んでいた。だが、もう悲しむことすらできなくなったんだ。自己を保ち続けるために、俺は、人間であることを辞めた。そんな俺が――陽の当たる場所で安穏に生きられるとは、もう思えないんだ」


 彼は背もたれに倒れかかり、だから、と低い声で言う。


「この生命(いのち)()すに値するものを、ずっと探していた。今がその時なんだ」

「……ダメ、ですよ」

「ティア君?」

「ダメですよそんなの!」


 とっさに制止したシェルを振り払い、ティアはサジェスの元までつかつかと歩み寄って睨みつけた。


「――知ってますよね。僕、人を殺してます。何の罪もない、そこに偶然いただけの人の未来を奪いました。苦しくて仕方がなくて、この生命(いのち)に代えて償おうと思ったこともあります。でも、今ここにいる僕がいなくなったら、この苦しみだって消えてしまうんだ」

「ティアと俺では罪の大きさが違う」

「何人背負ってるかの問題じゃないでしょう!」


 コアルーム中に響き渡る大声で、ティアが叫んだ。見開いた目から涙をこぼして、サジェスの顔をのぞき込むように睨んでいる。


「自分の犯してしまった罪を、生命(いのち)で支払うなんて――そんな考え方、僕は許せません」

「――違う。分かってくれ」


 もう、重すぎるんだ、俺には。


 額を抑えて、押し殺した声で言う。まだ何か言いたげだったティアを、シェルは引き止めて首を振った。


 サジェスは、自分が行動した結果亡くなった人や傷ついた人への償いとして、死地に向かおうとしているのではない。彼が死んだって、誰一人として生き返ることはない。生命というのは、生まれたら一方向に死へ向かうものだからだ。

 ただ単に――彼の旺盛な好奇心や、誇りや、ラピスへの愛着を差し引いても、なお残り心を苛む罪悪感が、耐えきれないほど重たいのだ。


「サジェス君」


 ティアの肩を掴んだまま、シェルは静かに語りかけた。


「話してくれてありがとう。無理に聞いちゃってごめんね。こんな形で知りたくなかったけど……でも、本当のことを教えてくれて、ぼくは嬉しい。あと――罪悪感の重みを感じられるのなら、まだ全然、人間としての感性を持っていると思うよ」


 おやすみ、また明日。


 シェルは呟いて、コアルームを出る。通路をふらふらと歩いていると、後ろからティアが追いかけてきた。彼は黒ずんだ目元を擦って、はあ、と息を吐く。


「言い過ぎました、僕」

「そうかな……」

「僕だって、自分の中の罪悪感を紛らわすために、こんな場所にいるのに。やっぱりどこかで、苦しむことで罪を償える気がしてしまうんです。まやかしの救い、ですよね」

「うん……あれ?」


 聞き覚えのある表現が出てきて、シェルは首を捻った。以前、カノンと会話したときに、そんなことを言った覚えがある。あの時たしか、ティアは眠っていた気がしたのだが。


「聞こえてたんだ」

「ごめんなさい。僕、眠りが浅くて、声が聞こえて起きてしまって」

「ううん。ぼくこそごめんね」


 ティアは首を振って、年齢に似合わず異様なほど落ち着いた視線をじっと暗闇に向けた。


「救われちゃ、ダメなんですよ。僕は」

「そう――でもぼくは、ティア君もサジェス君も、美味しいものを食べて、見たいものを見て、友達と笑い合って過ごして欲しいなって、本当は思ってるよ」

「……ありがとうございます」


 シェルは頷いて、笑顔に見えるように、口角を持ち上げた。

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