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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅵ 四世紀の眠り
83/217

chapitre81. 降下

「あんたひとりのために生きたい、と言ったら、あんたはどうする?」


 そう言ってカノンが片手を差し出した。


 部屋は暗く、静まり返っている。宇宙のような沈黙のなかに、か細いランタンの灯りをはさんで、自分とカノンだけが立っていた。その手は他の誰でもなくロンガに向けられていて、彼が口にした「あんた」というのは紛れもなくロンガのことだった。


「私ひとりのために生きる?」

「そう」

「なぜ……そんな、自ら人生の幅を狭めることを言う? ごめん、よく分からないな」


 ロンガが困惑して問い返すと、カノンが小さく笑う気配があった。そうかい、とほとんど声帯を震わせない小声で言う。


「カノンにこんなことを言うのは悪いけど……自分が誰かのためになれているかどうかなんて、二の次でも良いと私は思うんだけど」

「うん、悪いね。そう言うだろうと思ってたよ」


 忘れてくれ、と言ってカノンが笑う。

 どうも妙な調子だったが、彼が自分の発言を撤回したので、ロンガはそれ以上何も聞けなかった。


 その後、とりとめもない話をしながら携行食を食べた。2人とも体力を消耗していたので、まだ夜になったばかりだが眠ることになった。休憩室のソファを寝床代わりにして、ブランケットで身体を包み込んで眠る。まだ生乾きの髪が冷たかったが、そんなことを気にする間もなく、すぐに眠りに落ちた。


 深夜、ふと目を覚ました。


 窓から月明かりが差しこんでいて、それが目を覚ましたようだった。ロンガは窓際に静かに歩み寄った。泥に覆われた街はあまり見ないようにして、厚い雲の晴れ渡った空を見上げる。


 月が静かに見下ろしていた。


 (けが)れない白は、太陽から受け取った光をそのまま跳ね返しているだけ。太陽と違って植物を育てることもなければ、大地を暖めることもない、ただ、そこにあるだけの天体。なのにこんなに安らぎを感じるのは、きっと月が、誰の役に立たずとも、あまりにも堂々と存在しているからだ。


 ただ在るだけで。

 生きているだけで、それで良いのだと言ってくれる気がするからだ。


 ロンガはふと振り返り、部屋の奥を見た。ソファの陰になっていてあまり見えないが、カノンが眠っている。彼はどうしてあんなことを言ったのだろう、と改めて考えた。カノンは掴み所のない言い回しをする相手ではあるが、ただの気の迷いや冗談と捉えるには、あれはあまりにも勿体ぶった言い方だった。


『あんたひとりのために生きたい』


 誰かひとりのためだけに生きて、その人を自分の指針とする。それはロンガが思う、生きる理由とは対照的だ。あのとき、ロンガが彼の提案を許容していたら、カノンはロンガだけのために彼の人生を捧げていたのだろうか。


 人生を捧げる。

 それは具体的にどういう意味だろうと考えて、唐突に真相に思い至る。


 カノンと出会ってからのできごとが頭の中にいくつも浮かび上がって、ひとつの意味を持ってつながった。研修生だった頃にやたらと絡まれたこと、何度か助けてもらったこと。スーチェンで再会したとき、あんたに会いたかった、とカノンが言ったこと。


 そして、今日のこと。


 心臓の打つ音が耳に聞こえるほど高くなって、冷え込んだ夜にも関わらず顔が熱くなった。ロンガは冷たい窓ガラスに背中を預けて、部屋を満たす暗闇を見つめる。


「そういう意味か」


 まさか聞こえてはいないだろうと思いつつ、カノンが眠っている方に向けて、ぽつりと呟いた。熱でも出したように熱い額を押さえる。いつも浮かべていた薄い笑いの向こうで、カノンが何を考えているのか、想像したことすらなかった。


 無神経だった。

 あまりにも、ひどい答えを返してしまった。


「……ごめん」


 罪悪感が胸を締め付ける。


 とはいえロンガは、自分の出した答えを撤回するつもりはなかった。カノンを友人以上の存在として見ることはできない。それに、今までカノンが誰かのために生きてきたというのなら、尚更、これからは自分のために生きて欲しかった。


 いや、分からない。

 ロンガのために生きることが、カノン自身のためでもある、のだろうか。そこまで考えた上で言ってくれたのだろうか。


 空を見上げる。

 月の傾きからして、まだ朝は遠いようだった。ソファに戻ってブランケットを被り直したが、色々と考えてしまってなかなか寝付けなかった。


 *


 翌朝、倦怠感と共に目を覚ました。

 窓から日光が差し込んでいる。寝癖のついた髪を指先で()きながら起き上がると、向こうのソファですでに起きていたカノンと目が合った。


「おはよう」

「ああ――おはよう」


 声をかけられた瞬間に、昨夜話したことを思い出してしまい、まともに彼の顔が見られなくなった。熱くなる顔を抑えてロンガが視線を逸らすと、「その調子だと」とカノンがさりげない口調で切り出した。


「俺が昨日言ったことの意味が分かっちゃった?」

「……うん。多分」

「そうかい。分からないならそのままでいいと思ったんだけどねぇ」


 視界の端で、カノンが広い肩を竦めるのが見えた。その目元が少しだけ腫れているように見えたのは、目の錯覚だろうか。


「その――ごめん。カノン」

「謝らないでよ。余計に悲しくなるから」

「ん……いや、そうじゃなくて」


 悲しい、なんてストレートな表現がカノンの口から出てきたことが、針のように心に突きささるのを感じつつも、ロンガは小さく首を振った。


「今まで全然気がつけなかったことに対して、謝ってる。昨日も、思い返せば無神経な返答だったよな」

「ああ……」


 彼が笑う気配があったので、少し安堵する。


「それは是非とも、一生反省して頂きたいね」

「うん。悪かった」

 

 まだどこかぎこちないながらも、昨日までと同じ関係に戻れた気がして、ロンガはほっと息を吐いた。


 ロンガは立ち上がってブランケットを畳み、部屋のすみに置いた荷物を整理した。簡素な朝食を食べると、さて、と言ってカノンがどこからか水晶端末(クリステミナ)を取り出した。部屋の壁に、木の根のような複雑な図形が投影される。


「こいつが地下の地図だ。まずは――アルシュを連れてここに向かう」


 そう言ってカノンは、中央付近の一点を指さした。“ハイバネイターズ”の本拠地である地下施設は、50近い数の層から構成されているらしく、下に近づくほど層に割り当てられた番号が小さくなった。カノンが指さした部屋のあるフロアには、第17層と記されている。


「なぜここに?」

「医療施設がある。彼女の症状も、治せるかもしれない」


 カノンは、ソファで眠っているアルシュに目をやり、平坦な調子でそう言った。え、とロンガは目を見開いて息を呑む。


「――治るのか。彼女の主治医は諦めたのに」

「可能性がある、という話だけどね。頭を打って意識が不鮮明になったと言ったのは、頭蓋のなかで内出血が起きているんじゃないかな。なら、その血を抜いてやれば改善するはずだ。主治医の先生は、それが分からなかったというよりは、手術をする環境を持っていなかったんだろう」

「……そんなことを言っていた。そういえば」


 ロンガはふらつく足で立ち上がって、目を閉じているアルシュの隣に膝を付いた。伸びた前髪に覆われた、痩せて血の気の失せた頬。このまま彼女は少しずつ弱っていき、蝋燭(ろうそく)の火が燃え尽きるときのように、前触れもなく二度と目覚めないようになるのだと、どこかで覚悟していた。


「また、元気になれるのか?」

「上手く行けばね」

「可能性があるだけで十分だ、今まではそれすらなかったから」


 濡れた目元を拭って微笑むと、カノンが頷いた。


 荷物をまとめてから、アルシュを背負ったカノンと共に部屋を出る。カノンの案内に従って廊下を歩き、しばらく進んだところでカノンが「ここだな」と指さしたのは、何の変哲もない倉庫だった。

 不思議に思いながら部屋に入ると、天井の構造に見覚えがあると気がついた。一部分だけが高くなっている。対応する床板の部分にも、良く見れば切れ込みがある。


「昇降装置だ」


 もっと近くで見たいと思い、ロンガが部屋の奥に進もうとすると、腕を掴んで引き止められた。


「不用意に近づいちゃ危ない。床が抜けるかもしれないよ」


 そう言いながらカノンは背負っていたアルシュを床に下ろし、足下を確かめながら部屋の奥に進んでいった。彼が埃の積もった床を工具で叩いていくと、床の切れ込みを越えた辺りから明らかに音が変わった。叩いた音がやけに響き、明らかに下に空洞があると分かった。


「どうするんだ?」

「こじ開けよう。元々開くようにできているはずだ」


 バールを切れ込みに突き立てて、隙間を広げていく。床板が痛んでいたこともあってか、その作業はすぐに終わり、1メートル四方の深い穴がロンガとカノンの前に姿を現した。本来は昇降装置が行き来するための空間だが、穴をのぞき込んでも何も見えず、空洞だけがそこにあった。底が見えないほどの暗闇に、気がつくと冷や汗をかいていた。

 細いワイヤーで身体を固定し、できるだけ下は見ないようにして下っていく。5メートルほど上で、アルシュを背負ったカノンが同じように降りてくる。彼が持っている灯りが唯一の光源だった。暗闇が質量を持って周囲から自分を押しつぶすような錯覚に何度か苛まれたが、どうにか堪えてワイヤーを握り直す。

 数十分ほど先の見えない降下を続けると、カノンが「今いるところで止まってくれ」と声をかけてきた。壁にバールを突き立ててこじ開けると、扉になっていたらしく、隙間から薄い光がこぼれ出す。そこから通路らしき場所に出て、ようやく一息ついた。


「ああ、疲れた――ここが第17層か?」


 金属板を貼り合わせただけの、無骨な天井を見上げる。壁には配線がむき出しになっていて、全く体裁を整える気のない内装だった。


「そう。ようこそ、ハイバネイト・シティへ」

「なんだか暗いな。快適な住環境が用意されてるんじゃなかったのか」

「それは嘘じゃないよ。ただ、ここは本来居住区域じゃないからね。中間層と呼ばれる、()()()()()無人のフロアだ」


 言いながらカノンが拳銃を取り出し、腿にホルスターを付けて固定する。嫌な予感がよぎり、ロンガは「基本的には、と言ったか?」と問いかけた。


「そうだ。最近は銃を持った奴らがうろついている、話の通じない奴らだ。あんたも一丁持っておいた方が良い」

「――分かった」


 カノンが渡してくれた銃を身体に固定して、ロンガは荷物を背負い直す。道を知っているカノンが先に行き、彼が背負っているアルシュを守るようにロンガが後ろを警戒しつつ進む。金属製の床なので、足音が響かないように歩こうとすると、どうしてもゆっくりになってしまう。


 30分ほど進んだとき、どこからか音が聞こえた。

 カノンが振り返り、目を見合わせて頷く。決して遠くない場所で足音がする。3人といったところだろうか。カノンとロンガは息を殺しつつも、早くこのエリアを抜け出そうと先を急いだ。


 しかし、音は着実に近づいているようだった。


 カノンが柱の陰で立ち止まって、背負っている荷物とアルシュを下ろし、ここにいろ、と口の動きで言った。ロンガは頷き、アルシュを奥に押し込んで、柱の陰から外をうかがった。


 カノンが向かっていった方から、二、三の銃声が聞こえる。


 衝撃波に近い音に身を竦ませつつも、ロンガは息を潜めて周囲を見回した。こちらに足音が向かってくる。それがカノンでなければ、即座に撃って彼を助けなければいけない。

 幸いにも曲がり角の向こうから現れたのはカノンで、息を詰めていたロンガに向けて笑いかけて見せた。ロンガはほっと息を吐いて拳銃をホルスターに戻し、2人は再び暗い通路を進み始める。吸って吐く空気に、薄く血の匂いが残っているような気がした。


 またしばらく進むと、ここだ、とカノンが呟いた。


 扉の横にパネルがあり、カノンが手を押しつけると音もなく開く。廊下とはまた印象の違う、やけに人工的な空間が広がっていた。顔が映り込むほど磨き上げられた白い床と壁。ロンガが部屋を見回していると、カノンが天井に向かって呼びかけた。


「エリザ。傷病者だ」

「――エリザ?」


 聞き逃せるはずもない名前が聞こえて、ロンガが反射的に問い返すと、ああ、とカノンは小さく笑った。


「あんたの母親なんだっけな。本当は」

「あれ――カノンは知ってたんだな」

「俺はこれでも昔、ムシュ・ラムのお付きの護衛だったんでね。その辺の事情は前々から知ってたよ」


 カノンは肩をすくめ、でもね、と口の端を曲げてみせる。


「それとこれは別だ。ELIZA(エリザ)っていうのは単に、ここを管理してるAIの名前さ――ELIZA、聞こえてないのか。傷病者だ」

「会話応答ができるのか?」

「そのはずなんだけどね。最近どうも調子が悪い」


 カノンが首を傾げると、天井にはめ込まれたスピーカーからバチッと音がして、隣につけられたランプが点滅した。女性の合成音声が流れ出す。


『――はい、カノン。傷病者ひとりを認識しました』


 それと前後して壁の一部が開き、人ひとりを乗せられるような大きさの寝台が出てくる。カノンが背負っていたアルシュをそこに下ろすと、何か軽快な合成音がして、寝台は再び壁に吸い込まれていった。

 一連の流れるような作業に、こんな状況にも関わらず素直に感心してしまった。すごいな、と思わず呟くと、カノンが苦笑して見せた。


「開発部の人間ってのはどいつもこいつも、こういうのが好きだね」

「地上にはこんなのなかったからな。いや、地下の技術がすごいというのは聞いていたけど」


 そうかい、と相槌を打ってカノンが荷物の横にどかりと座り込んだ。


 それから2日ほど、アルシュの処置が終わるまで待った。外の通路には銃を持った連中がうろついているので、部屋からは出られなかったが、カノンが地下施設の情報を色々と教えてくれたのでほとんど退屈しなかった。


 カノンが教えてくれた話の中で、何よりもロンガを驚かせたのは、サジェスが地下施設の最深部にいて、自らを“春を待つ者(ハイバネイターズ)”と名乗る、地底からの開放を宿願とする集団の指揮を執っていることだった。


「俺と、ティア君にサジェス君。“春を待つ者(ハイバネイターズ)”は地底の民だと言いつつ、俺たちのように地上生まれだが身元を隠して協力している者もいる」 

「なるほど。これはただの疑問なんだが、なぜカノンは地下の側にいたんだ。サジェスの掲げる理想に共鳴したのか」

「いや、どうも危なっかしく見えて――気がついてしまうと放っておけなくてね。実際、力及ばずこの(ざま)だが」


 カノンが自嘲したので、そんなことないだろう、とロンガは彼を励ました。


「カノンたちがMDP(メトル・デ・ポルティ)に協力を仰いでくれて良かったよ。それに、こちらの謝罪が届くように手を尽くしてくれたんだろう。おかげで少しは良い方に進んだんじゃないか?」


 ロンガは明るい調子で言ったが、どうだろうね、とカノンは曖昧な返事を返すだけだった。


 その夜だった。


 睡眠を取っていると、突然いやな警戒音が耳に突きささり、ロンガはブランケットを払って飛び起きた。非常灯が付いている。カノンが水晶端末(クリステミナ)を起動してのぞき込む。その表情は見る見るうちに歪んでいった。


 天井のスピーカーから合成音声が流れ出す。


『ハイバネイト・シティの指揮系統が失われました。非常時モードに切替。ドアロックを解除します――』


「カノン! これは」

「逃げるしかない。ここにいては危険だ」


 カノンが荷物を引っ掴んで立ち上がり、ロンガの腕を掴んで部屋の外に出す。余計なことを考えている暇もなく、彼について走るので精一杯だった。複雑な構造の道を駆け抜け、突き当たりの部屋に飛び込む。昇降装置があるようだったが、水晶端末(クリステミナ)を操作していたカノンが舌打ちをする。


「駄目だ、動かせない。となると、下に向かうしかないが――」

「待って。アルシュは大丈夫なのか」

「分からない」


 カノンが素早く首を振り、こちらにハーネスを投げてよこした。ロンガが言われるままに装着すると、カノンがカラビナを繋いでくれる。昇降装置の扉をこじ開けると、深い穴が口を開けていた。


「俺はアルシュのところに戻るから、あんたはここに来たときと同じ要領で、下に行ってくれ。この層よりはまだ安全なはずだ」

「待って、でも――っ」


 どん、と肩を押され、ロンガは重力に従って落下した。


 5メートルほど落ちたところで、ハーネスが身体に食い込み、衝撃とともに停止する。驚きで止まりかけた心臓が、今度は苦しいほどに早く動いていた。上を見上げるが、カノンの姿はもう見えない。ロンガは息をゆっくり吐きながら、ワイヤーを掴んだ指先に力を込めて、暗闇の中をひたすら降りていった。


 何分、それを続けただろうか。


 不意に足先が地面について、ロンガは我に返った。目を凝らして扉を見つけ、こじ開ける。荷物を背負い直して通路に出ると、C-3-1と刻印されたプレートを見つけた。2番目の文字が階層を表しているとカノンが教えてくれたことを考えると、ハイバネイト・シティの最下層付近まで来たようだった。


 周囲を見渡すが、誰の姿もない。


 銃を構えたままフロアを進む。開いている扉の中をのぞくと、寝台と机があり、簡素だが人が暮らせるような部屋になっていた。にもかかわらず人の気配がなく、廃墟に迷い込んだような不気味さに鳥肌が立つ。


 通路の脇に、小高く盛り上がった影があった。恐る恐る近づくと、血の気の失せた顔が見えて、ひっ、と喉から悲鳴がこぼれる。胸を撃ち抜かれて死んでいるようだ。


 何かがあったのだ、ここで。


 ロンガが息を殺して歩いて行くと、不意に誰かの声が聞こえた。

 悲鳴に近いわめき声に思えた。


 地上にいるときなら、関わり合いにならないよう遠ざかったかもしれない。だが、この極限まで孤独な状況では、生きている人がいるというだけで救われたような気がした。ロンガは耳を澄まし、声の聞こえた方に向かう。


 それに、どことなく。

 聞き覚えのある声のような気がしたのだ。


 声がまた、今度は近くで聞こえた。


 それに従って、ロンガの足も速くなった。早歩きだったのが小走りに変わり、途中から銃を構えることすら忘れて全力で走った。

 感情をむき出しにしたその声は、馴染みのない発声だったけれど、声の響きが、その色が――忘れられるはずもない、ずっと隣にいた人のものだった。頭の芯が痺れたように熱くなる。息が上がる。けれど、足は止まらず進み続ける。


 どれだけ走っただろうか。

 明るい、白い光がこぼれている部屋があった。

 

 ロンガはそこに駆け込んで、地面に膝を付いていた青年の名前を叫んだ。


「ソル!」


 オレンジ色の長い三つ編みを垂らした彼は、ゆっくりと顔を上げた。右耳に揺れる、太陽を象ったイヤリング。ひとつ瞬きをして、うそ、と唇を震わせた。


「ルナ?」


 2年前に別れた旧友、ソレイユとの再会を喜ぼうとしたロンガは、彼の表情を見て氷のように固まった。


「……なんで、来ちゃったの?」

 

 目元は腫れているのに、血の気の失せた真っ白な顔。長い睫毛に縁取られて、いつも強い光を湛えていた赤みのかった瞳は――月のない夜のように真っ暗だった。切れて血のにじんだ口元が僅かに動き、どうして、と呟く。


「こんなとこに来なくて良かったんだよ。ルナ」

「ソル?」


 震えている肩に手を伸ばすと、その指先が触れる直前に、彼は飛び退()いて距離を取った。ロンガは不格好に伸ばした指先と、憔悴(しょうすい)しきった顔の友人を交互に見た。改めて見ると、彼はかなり怪我をしていた。右足のレギンスは破れて切り傷が見え、後ろで結った髪はぐしゃぐしゃに乱れている。服には血の染みが広がっていた。


 ロンガは立ち上がり、自分の膝を引き寄せてうずくまるソレイユに歩み寄った。


「何があったか知らないが、手当をした方が良いだろう」

「……いいよ。いらない」

「何を言ってる?」


 彼は床に腰をついたまま、後ずさる。その顔に浮かんでいる表情は恐れとか、あるいは怯えに分類されるものだった。いつも堂々としていて笑顔だったソレイユが、一度もロンガに見せたことのない顔だった。


「怪我してるだろう」

「ぼくの血じゃない」


 ソレイユは震えながら首を振った。その拍子に服の背中側が見えて、思わず息を呑む。(おびただ)しい量の血が服の生地に染みて、赤黒く光っていた。壁際まで後ずさりしたソレイユの前に膝を付くと、彼は消え入りそうな声で「ぼくに触らないで」と言った。


「ルナを汚してしまうから」

「そんなの問題のうちに入らないだろう」


「違う、違うんだよ、ルナ――もう、ダメなんだよ。ぼくは。違う、分かんない。ずっと前からもう、ダメだったのかな」


 激しい混乱を表す、ままならず混ざり合う言葉。


 首を振った拍子に、右耳のイヤリングが外れて落ちた。太陽を象ったそれが血溜まりの中に落ちて、ロンガの服に血が跳ねる。

 ラピスの最奥部で、ずっと探し続けた太陽をようやく見つけたのに、それは、今にも燃え尽きそうなか弱い眼光で、あらぬ場所を見つめ続けていた。



 Ⅶ 四世紀の眠り 了

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