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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅰ 水晶の街
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chapitre6. 隠された技術

【あらすじ】塔の最上階にあった得体の知れない装置は、時間を超えた移動を可能にする《時空転送装置》であることがリュンヌに知らされる。また、今朝に突然現れた未知の少年ティアは、装置に巻き込まれてしまったのではないかという憶測がムシュ・ラムによって語られる。そんな折、装置が突然暴走を始めた!

「この装置は新都ラピスが生み出した神であり、悪魔だ」

 

 どこか陶酔したような表情で、ムシュ・ラムが円筒形の空間に歩み寄る。リュンヌ達の視線も自ずとそちらに誘導された。滅茶苦茶な色に輝く空間が、細長いシルエットを七色に照らし出している。


 リュンヌは多少落ち着いた目で、その空間を観察する。


 その円筒は上下を薄い円盤に挟まれているようだ。円盤は機械と水晶が複雑に噛み合ったような作りになっていて、上の円盤は細いワイヤーで天井から吊されている。電極のように、二枚の円盤が互いに作用し、その間の空間に何らかの力を及ぼしているのだ、と想像がついた。


 だが少し、違和感を覚えた。

 研修の一環として、新都の端のほうに設けられた工業地帯に行ったことがある。そこで見かけた機械はどれも、無数の配線に取り巻かれていたし、もっと複雑な形をしていた。見たところ円盤に繋がっているのは一本のワイヤーだけだし、そのワイヤーも導線のように電気を通すようには見えなかった。


 ――もっとも、これが機械であれば、の話だ。


 リュンヌは小さく首を振った。

 隣のソレイユは硬く口元を結んだまま、装置を見つめている。


「見ておきなさい」


 そう言ってムシュ・ラムが、胸元から取り出したトランプ・カードをその混沌とした空間の中に投げた。長方形のカードはまるでフリスビーのように回転しながら飛び、滑らかな動きで七色の空間に吸い込まれていく。つまり、その円筒形の色彩に実体はないのだ。であれば、一秒もしない間に円盤のあいだを突っ切り、反対側から飛び出すはず。


 しかしながら、カードが再び外の空間に出てくることはなかった。


「ブラックホールのようなものですか?」


 リュンヌは思い付いたことを言った。

 宇宙にはあらゆるものを吸い込む穴があると聞く。その正体は想像を絶するほどの質量。光さえ捉えてしまうほどの重力を湛えて全てを吸収せんとする天体があるらしい。本で読んだ当初は恐怖に震えたものだ。


「こんなところにブラックホールがあったら私たちも只ではいられないさ」


 ムシュ・ラムは少し笑った。

 考えてみれば、仮にこの円筒が全てのものを吸い込むのなら、リュンヌ達やこの部屋が無事でいられるわけがないのだ。そうでした、とリュンヌは呟く。


「だが、視点は良い。恐れるな、良い間違いというものは大事だ。第一に、この空間は全てを飲み込む」


 ムシュ・ラムが水晶端末を何か操作する。

 目の前で生じた光景に、またもリュンヌは目を見張った。円筒形の七色の闇が音もなく消え失せたのだ。視覚を激しく刺激していた煌めきが消失したので、しばらくの間、視界の中で残像が星のように瞬いていた。再び部屋はランタンの心許ない光のみによって照らされる。


 再び装置に焦点を合わせたとき、リュンヌはムシュ・ラムが示したいことを悟った。


 トランプ・カードが消えている。


「第二に、飲み込まれた対象は消える」


 マジックを披露するように、ムシュ・ラムが大げさに手を広げて見せた。もし本当にマジックなら良いのだが、ここまで周到に話を運んでおいて今さらマジックな訳がない。

 つまり答えはひとつしかない。本当に消滅したのだ。


 それでも目を疑ってしまうリュンヌを見遣って、ソレイユが口を開いた。


「――人を試すような話し方ではなく、単刀直入に言っていただけないのですか?」

「どうした、ソレイユ?」


 リュンヌは驚き、小声で彼に問いかけた。

 彼はそれに答えない。


 まるで、ムシュ・ラムがこれから語る内容を知っているかのような言い方だ。


「ムシュ・ラム、焦らすような真似は止めていただけませんか。リュンヌに、真実を」


「せっかちだな、君は」


 橙の光に見上げられて、ムシュ・ラムが笑う。


「分かっているだろう。一度に多くを与えれば破裂する。遠回りに話すのが彼女のためなのだ」

「ですが今日ばかりは違うでしょう。全てを明かす覚悟でいるのではありませんか? 貴方の態度はまるで、リュンヌの反応を楽しみ甚振(いたぶ)っているようにしか……」


「ソル」


 リュンヌは小声で彼の愛称を呼んだ。ソレイユが眉をひそめた表情のまま振り返る。


「ムシュ・ラムに逆らうなと言ったのは君だ」

「そうだね――ごめんね、ルナ」


 ソレイユが小声で謝る。


 自分の行動に対する謝罪に思えるが、もっと重い意味を凝縮した「ごめんね」に聞こえたのは、リュンヌの思い違いだろうか。不吉な予感がざわざわと胸の奥に波を立てた。


「勝手な判断で話を進めるのは止めてほしいものだ」


 ムシュ・ラムが肩を竦めて、冷たい目でソレイユを見た。


「全てを教えてやるさ。その為に君たちを呼んだのだ。ちゃんと、段取りを踏みさえすれば真実は一から千まで全て、君たちのものだ。――君たちも開発部の研修生なら、真実は喉から手が出るほどほしいだろう?」


 それから伝えられた内容は、あまりに突飛が過ぎると感じられるものだった。


「時間を、遡る技術……?」


 リュンヌは眉間を抑えて屈み込む。

「待ってください。理解できません」


「簡単に言えば、この円盤によって挟まれた空間は、あらゆる時間軸上の同じ場所と共有される。リュンヌ、君は水晶を神聖なものとして崇める文化を知っているか?」


「……噂には」


 驚愕を隠しきれないリュンヌとは対照的に、ムシュ・ラムは淡々と話を進める。

 いつの間に持ってきたのか、黒板に円筒の絵を描いた。


「あれは水晶の産出される地域で、非凡な現象が次々生じたために発生したものだ」

「非凡とは?」

「突然人が消えたり、その消えた人が帰ってきておかしなものを見たと主張したり、あるいは……その逆に、突然人が現れたりしたのだ」


 リュンヌは驚いた。

 それを悟られまいと、冷静に言葉を選ぶ。


「それは、つまりティアの……今朝の例ですか?」

「そうだ。連れてこい」


 ムシュ・ラムが背後に呼びかける。

 奥の扉が開き、誰かが部屋に入ってきた。暗闇が濃く、顔の判別はつかない。彼は何か丸めた布のような塊を床に置いて、来た扉に戻っていった。


 暗がりに転がるそれが、呻き声のようなものを零した。


「ティア……?」


 リュンヌは思わず立ち上がっていた。

 彼は目隠しをされ、手を背中側で縛られている。相当ぐったりした様子の彼は、呼ばれた自分の名前に反応してか、僅かに身じろいだ。


「……随分、乱暴な仕打ちをしたようですね」


 冷静さを欠くな、リュンヌは自分に何度も言い聞かせた。しかし、庇護されるべき立場の子供が傷つけられている様子は、想像以上に彼女の心を痛めた。リュンヌは感情も表情も、決して豊かな方ではない。しかし、力なく倒れているティアを見てなお声を荒げないよう努めるのは簡単ではなかった。震え始めた彼女の身体を、ソレイユが後ろからそっと支える。


 ムシュ・ラムは、リュンヌが必死に収めた怒りを見越すように、「君はまだ知らないかもしれないが」と何気ない声で話し出した。


「先程、医療棟から連絡があった。朝の事件で傷を負ったうちのひとりが、当たり所が悪く息を引き取ったそうだ。政治部の幹部候補生に選ばれた、優秀な者だ。その少年は殺人者になった」


 人を殺めた者。


 その言葉は薄暗い部屋の中で、やけにはっきりと響いた。部屋は静まりかえり、一歩後ろにいるソレイユが唾を飲み込む気配が伝わる。


「正当性なく、優秀な研修生の命を奪った者にしては丁重に扱った方だ」


 ふん、と彼は鼻を鳴らした。

 邪魔だと言わんばかりに、床に転がるティアを足で横に除ける。それ以降彼はティアに目もくれず、部屋の中央にある装置の傍に歩み寄った。これ以上の追求は無駄だと判断して、リュンヌは溜め息をつき、意図的に、床に転がるティアから視線を逸らした。そのような真似をするのは忍びないが、まっすぐ見てしまえば胸が焼けるような怒りに襲われるのだ。


「……ティアの待遇については保留します。それで、彼が水晶となにか関わりがあると仰りたいのですか?」

「まあ、及第点の返事だな」


 ムシュ・ラムはふむ、と顎に蓄えた髭を撫でた。


「だがそれを説明する前に、この装置についてもっと詳しく話さなければならない。この装置に使われている鉱物は水晶の中でも特別な、虹晶石と呼ばれるものだ。近づいて見てみなさい……と言いたいのだが少々危険でな。そこから観察してみると良い」


 リュンヌは言われたとおり、目を凝らした。円盤のかたちにくり抜かれた水晶は、絶えず変化する虹色の色彩を薄く纏っていた。図鑑で見たオパールに少し似ているが、それよりも透明度が高い。それに、なんだか色が揺れ動いている。


「虹晶石の生成される条件は不明だが、この石は時間に関与する何らかの力を帯びているようだ。水晶の産出地域で不可思議な現象が相次いだのは、おそらく虹晶石のためだ」

「似たようなことが、ティアの身にも起きたと? ……ああ、この装置の影響によって、ですか」

「そうだ。何せ新都で最も純度の高い虹晶石を使った装置だ。それが妥当だと考えている」


 だとしたらティアは、虹晶石の力に巻き込まれた被害者ではないか。口に出す度胸はなかったが、リュンヌはそれを改めて理解して唇を噛んだ。新都の作り出したこの装置によって、全く違う世界で生活を紡いでいたティアはこの新都に連れ去られ、自分を守るために取った行動を咎められて罪人扱いされている。


 ティアは確かに、結果的に人を殺めた。

 だがそれはあくまで、彼が放り込まれた未知の環境に対し防衛した結果なのだ。元々の原因を作ったのは、彼をいま罰している統一機関のほうだ。ずいぶん自分勝手ではないか、と内心舌を打つ。それと同時に、その自分勝手な組織の一員として今まさに成り上がろうとしている自分自身に嫌悪感を抱いた。


「過去か未来か分からないが、別の時間から掠われてきたのだ。この少年が言葉を解さないせいで話が進まないが、統一機関はそう見ている」


 床に転がされたティアの呼吸は、恐怖に引きつっている。雑に扱われたことを示すように、その洋服は埃にまみれ汚れていた。靴跡と思わしき汚れがいくつかシャツに残っている。何を喋っているのか分からない大人達に囲まれ、さぞかし怖かっただろう。想像すると胸が痛くなった。


「とても信じられませんが……ムシュ・ラム。貴方の主張は分かりました。それで、私たちにそれを教えた理由は何ですか? 拝聴したところ、新都の機密の中でも最上級に知れ渡ってはまずいものと察しますが」

「簡単だ。リュンヌ・バレンシア、ソレイユ・バレンシア。君たち二人に、この新都随一の魔物を預かって欲しいのだよ」


 その瞬間。

 ムシュ・ラムの言葉に呼応するように、円盤の間に挟まれた空間が青白く光り始めた。


 そこから光は瞬く間に部屋中に広がり、乱雑に積まれた荷物のひとつひとつまで照らし出す。


「暴走だ」

 ムシュ・ラムが舌打ちした。「飲み込まれないように気をつけろ」


「ルナ、こっちへ」


 ソレイユに手を引かれ、二人は部屋の隅まで待避した。火球のようになった光を直視できず、リュンヌは目を細める。床に転がっているはずのティアの存在を思い出して、リュンヌは声を上げた。


「ティアは? どこにいる」

「流石に大事な時間移動の証拠を手放したりはしないよ、安心しろ」


 部屋の向かいからムシュ・ラムの声がした。ティアが無事であると分かり、少し安心する。リュンヌは顔をそちらに向けようとしたが、ソレイユに止められた。


「直視しない方が良い。目がやられる」

「……どうしてソルはそんなに冷静でいられる? 何か知っているのだな」

「ルナ。後で話す、と言ったはずだよ」


 ソレイユの声はひんやりとした部屋の空気によく似ていて、反論を許さない鋭さがあった。リュンヌは彼に導かれて本棚の後ろに隠れ、様子を窺った。円盤に挟まれた青白く光る空間が、内側から押されて広がるように膨張していく。部屋にある小物が、ひとつ、またふたつと光の中に飲み込まれていくのが見えた。さっきムシュ・ラムが投げたトランプのカードのように、あの光の中に入ってしまうと帰ってくることができない、ということなのだろうか。


 光はしばらく膨張を続け、じりじりと彼らの隠れている場所まで近づいてきたが、本棚の寸前まで広がったときに、突然無数の光の粒にはじけて消えた。目を灼くほど強かった光は嘘のようにかき消える。リュンヌは静寂の向こうに佇むムシュ・ラムと、彼に抱えられたティアの姿を確認して胸をなで下ろした。


「もう大丈夫なのか?」

「問題ない。まあ、巻き込まれずに済んだ幸運に感謝することだ」


 ムシュ・ラムがシャツの埃を払う仕草は落ち着いており、この装置の暴走など彼にとっては日常なのだ、とリュンヌは直感した。円盤に挟まれた空間は、一連の騒ぎがなかったかのように静まりかえり、凪いだ空気に満たされている。

 リュンヌは、部屋の中央で静かに佇むその装置を見つめた。

 当面の危険が去ったことで、改めてムシュ・ラムの告げた言葉の意味を反芻することができた。

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