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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅵ 四世紀の眠り
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chapitre74. 守れなかった人たち

 “春を待つ者(ハイバネイターズ)”からの返事は深夜に訪れた。


 眠っていたというのに合成音声によって起こされたラムは、照明の落ちた廊下を案内に従って進む。右に左にまた右に、長い直進の果てに180度近く折り返す。最初は道を覚えてやろうとしたが、あまりの複雑さに諦める。小一時間は歩き通したあげくに、ようやく昇降装置のある部屋に案内され、乗り込むようにと言われる。

 長い降下を経て、今までいた居住区域とは全く趣の違う階層に送られ、また歩かされる。延々と複雑な道のりを歩かされ、ようやく一枚の扉に辿りついた。


 案内された部屋に待っていた人間の顔を見て、ラムは今までの人生史上2番目に驚いた。1番は、自分が殺したはずの少年と牢獄で再会したあの時だが、それに負けず劣らずの、予想だにしない顔と出くわした。


 恐る恐るその名前を呼ぶ。


「――ゼロ、か?」

「違う」


 あっさりと彼が首を振るので、なんだ、とラムは息を吐く。


「他人の空似か」

「いや、ムシュ・ラム、そういう意味ではない。今の俺はサジェス・ヴォルシスキーだと言っているんだ」

「……ああ」


 何周も遅れをとった思考を、ラムは必死に巻き返した。明らかに今の自分は冷静を欠いていた。回転しすぎて摩擦熱を発しそうな頭を抑えて、ひとつ溜息をつく。

 彼がここで姿を現したことで、いくつかの事実がラムの頭の中で繋がった。


「なるほど。お前自身が受けていた記憶操作を、武器として利用しているのか」


 内鍵をかけた扉の前で、直立不動に立っているサジェスの顔は揺るがない。堂々とした態度からは、記憶を失っていた頃の面影は感じ取れないのに、やはりどこか人間的なディティールの抜け落ちた立ち姿だった。

 ラムの言葉に彼は小さく頷く。


「そういうことになる」

「面白いことを考える。しかし俺には効かない」


 本業を舐めるな。

 ラムがそう言って口元を上げてみせると、サジェスは僅かに苦い表情を浮かべた。


「……そのようだな」

「この調子だと他の移住者にも記憶操作をしているだろう。先日シェルの記憶が曖昧になったのもお前の仕業か?」

「何のことだ」

「とぼける気か? おそらく食事に何か仕込んでいるだろう。まあ、お前がそこを認めようが認めまいが、俺に記憶操作をしようとした事実は変わらん」


 苦い夢を思い出して、ラムは顔をしかめた。


 実際に自分の身で記憶操作を受けるのは初めてだが、開発段階で携わったため、操作対象者がおおよそどのような感覚を味わうかは知識として知っていた。


 記憶操作の種類によるが、対象者は大概の場合、負の感情が大きく揺り動かされた記憶を追体験する。その苦しみから逃れるため、忘却を甘んじて受け止める精神状態になるのだ。


 だから忘却に抗うためには、その苦しみを正面から受け止めなければならない。痛みを伴う記憶を、苦痛ごと抱きしめる覚悟を持って、初めて記憶操作を乗り越えられる。


 ラムは暗い眼光をサジェスの無表情に注いだ。


 彼自身もまた、ラムの後悔を具現化したような存在だった。かねてより成績優秀で、幹部候補生として周囲から期待され、本人も希望を持って塔の上にやってきたサジェスの記憶を消し、その人格を否定して、雑用係のように扱った。サジェスの金色の瞳に宿っていた意志の光は消え失せた。ラムも統一機関の仕事として行ったこととはいえ、とっくに煤で汚れたはずの良心が痛まないわけではない。


 だからこそ。


 サジェスがこの地下世界で、何らかの強い意志を持って動いているらしいことは、その理由が何であれ、ラムにとっては仄かな救いだった。


「お前の目的は何だ?」


 ラムが問うと、サジェスは間髪入れず「地底人類の解放だ」と答えた。


「お前は地上を捨てて地下に与したのか」

「それは違う。目指すは地上と地下の調和であり統一だ」

「地上であれだけ好き勝手に暴れておいて、そんなご大層な目的があるとは恐れ入った」


 ラムが皮肉ると、サジェスは小さくあごを引いた。


「止めたいと思っている」

「ほう」

「ムシュ・ラム。貴方がこれに賛同し、地上と地下を守るために協力してくれるのであれば、是非、我々の階層に来ていただきたい」

「お前たちの階層?」

「ハイバネイト・シティ最深部だ。真祖の眠る部屋を中心として、我々の生活域はおよそ第1から10層に広がっている」

「――お前たちの言っている真祖というのは、エリザのことだったな。そうか、彼女が眠っているのを良いことに、真祖とか呼んで(まつ)り上げたのか」

「そうだ。彼女は四世紀の昔から眠り続けている」

「馬鹿も休み休み言うがいい」


 ラムは鼻から息を吐き出した。


 ハイバネイト・シティにおいて、エリザが単なる『過去から来た人間』以上の目で見られていることは察していた。彼女のことを愛していて、彼女に愛されていたと自負しているラムにとっては、あまり気分の良いものではない。


「眠りについたのはたった10年前だ。病気に身体を冒され、やむなく生命凍結処置を受けたんだ。神でも真祖でも何でもない、彼女はただの人間だ」

「貴方はそう思うだろう」

「俺が間違っていると言うのか?」

「いや。しかしハイバネイト・シティ下層では、俺の話こそが()()だ」

「二通りあるものを真実とは呼ぶまい」

「――ムシュ・ラム」


 ふぅ、と息をついてサジェスは眉をひそめた。


「すまない。俺は貴方を怒らせたいのではない。本来は貴方の伴侶である真祖エリザに、勝手に神格を与え、偶像として利用しているのは事実だ。ただ――もしもだ。彼女に健康な臓腑を与え、再び目覚めさせると言ったら、貴方はどうする?」

「健康な臓腑を与える――つまり、俺の腹を割いて、か?」


 ラムは口の端を引きつらせて笑った。


 10年前にエリザの病気が明らかになったとき、ラムは自分が内臓移植の適合条件を満たしていることを知った。しかし、病んだ臓腑を全てラムのものと取り替えたのでは、ラム自身の生命が絶たれることは考えるまでもなく明らかで、ラムも、エリザもそれを良しとしなかった。


 だが、ただひとり、生命を生命と取り替えてでもエリザを生かそうとした女性がいた。その女性、カシェ・ハイデラバードは、無二の親友であったエリザの不調に際して精神の均衡を崩してしまったのだろう。彼女はラムや、同じく適合条件を満たしていたラムの娘を狙い始めた。いつの間にかとんでもない権力者に上り詰めたカシェは、様々な手でラムや娘を殺そうとした。


 ソレイユ・バレンシアを殺した罪を着せられ、投獄されることでラ・ロシェルを抜け出すまでの10年間は、ほとんど悪夢のようなものだった。

 その日々を思い出し、ラムが苦いものを噛んだような顔になると、サジェスは「いや」と首を振った。


「誰かの生命と引き換えに、というわけではない」

「ではどうするんだ」

「俺たちはヴォルシスキーの出生管理施設を狙っている。それさえ手に入ってしまえば、内臓のみを短期間で培養することが可能だ」

「……はは。詭弁(きべん)だな」


 ラムが空気の塊を吐き出すと、目の奥がつんと痛んだ。


「出生管理施設を手に入れるって? 無血で取れるわけがないだろうに、そんなものを彼女が望むと思うのか。お前は彼女の意思も聞かずに、仲間を駆り立ててヴォルシスキーを奪おうとしているのか」

「あくまで名目上は“春を待つ者(ハイバネイターズ)”による地上制圧の一環だ。生命が生まれる場所を抑えるというのは戦略上極めて重要だ。真祖がいてもいなくてもそこは変わりない」

「大義名分など関係ない」


 ラムは断固として首を振った。


数多(あまた)の死ありきで生き返ることを、彼女が望むはずがないと言っている」

「……そうか、分かった。我々の階層に来てもらい、停戦と真祖エリザの再生に協力して欲しかったんだが」

「交渉決裂だ。それに俺は――エリザに会いたくない」


 今の自分が眠るエリザを目にしたらどうするか、想像した。


 ただ声が似ていて、同じ名前を名乗るだけの人工知能に話しかけられただけで、そこに吸い込まれそうになったのだ。あの微笑みや懐かしい匂いを、少しでも感じられる場所があるのなら、ましてや本物の彼女が眠っている場所があるというのなら――行きたくないわけがない。


 だからこそ行けなかった。


 彼女の幻像と心中できるほど、人生はまだ終わっていない。ラムにはもう一人、どうしても会わなければならない相手がいた。


『貴方は自分の娘にしっかり頭を下げるべきなんだ。あんな(まが)(もの)の合成音声じゃなくて、生身の女性を愛した貴方の、本物の血縁の娘と、顔を合わせてしっかり話をしろ』


 小憎らしい青年の言葉がラムの頭の奥で響いた。何もかも気にくわない相手だが、しかし、その言い分に限っては完膚なきまでの正論だった。


「娘に謝らなければいけない」

「……彼女か」

「あの子に頭も下げないうちから、エリザの顔を拝む権利などない。だから――記憶操作のことを広められたくなければ教えろ。彼女は今、どこにいる」


 一転して語気を強めて言うと、サジェスはすぐに「地上だ。ラ・ロシェルだ」と答えてから、しかし、と首を振った。


「貴方をハイバネイト・シティから出せと言うのならば、俺は流石に応えられない」

「それでも出せと言ったら?」

「そのときは……」


 サジェスは無造作にすら見える素振りで背後に手を回し、拳銃を抜いてラムに突きつけた。引き金が引かれた、と思った次の瞬間、首の後ろで小さな衝撃が響く。細い髪ゴムを正確に切り裂いた銃弾が壁にめり込み、髪の毛が何本か持って行かれて宙に舞った。


「こういう選択肢もある」

「はは。カシェならそこで眉間を撃ち抜くのに、お前は随分と手心を加えるな」


 ラムが余裕めかして笑ってみせると、そうかもしれないな、とサジェスも答えて小さく笑った。今も昔も、サジェスとラムが対等な関係になったことは一度もない。にも関わらず、不思議なことにその瞬間だけは、古い友人のように心が通じ合ったと思えた。


 *


 結局、いくつか要求を突きつけて、ラムは居住区域に戻された。


 まず昇降装置の利用権。

 ハイバネイト・シティの管理AIであるELIZAは声紋を利用して個人を区別しているらしく、ラムの声で話しかければ昇降装置が利用できるようになった。ただし、移動できるのは地上の人間が暮らしている居住区域だけで、“春を待つ者(ハイバネイターズ)”が生活している下層や、地上に戻ることは許されなかった。


 次に水晶端末(クリステミナ)

 “春を待つ者(ハイバネイターズ)”が利用している端末と同等のモデルで、権限は限られているが彼らの見ているデータベースにアクセスできるようになった。


 そして、最後に。



 居住区域に闖入(ちんにゅう)してきた“春を待つ者(ハイバネイターズ)”のはぐれ者と思われる5人組を始末したラムは、昇降装置に乗って上の階層に向かった。扉が開くと、緊張に満ちた視線でこちらを見ている若者たちと目が合う。

 彼らは一瞬身体を強ばらせて、直後にラムだと気づいたのだろう、一斉に安堵の表情になった。一番背が高い男が歩み寄ってきて、息を切らしているラムの肩を支える。


「大丈夫かよ、おっさん」

「俺は無事だ」

「どうやったんだ」

「銃を奪った。それだけだ、下の階層に戻るぞ」


 ラムは素っ気なく答えて、ELIZAに命令し、昇降装置を動かすよう頼んだ。小さく揺れながら降下する装置の内部で「どうして装置が使えたんですか」と小柄な女が聞いてくる。


「私たちが試しても全然ダメだったのに」

「……俺がELIZA(エリザ)と旧知の仲だからだ」

「教えてくれる気はないってことですね」


 穏やかそうな顔つきの青年がそう言って苦笑した。好奇心旺盛な性格であるらしい、女の方は少し不満げな表情を浮かべている。ガタン、と揺れて昇降装置が停止し、彼らの居住区域である第22層に辿りついた。


 ラムは彼らに続き、最後に装置を下りる。


 廊下に転がる死体を見なくて良いように、盾になりながら送ってやった。時刻は就寝すべき時間を大幅に過ぎていた。彼らはそれぞれの居室に戻っていき、ラムが自分の居室に戻ろうとすると、「あの」と呼び止められた。


「本当に……ありがとうございました」

「構わない。危険な目に遭わせて、俺こそ悪かった」

「ラム――その、前から聞こうと思っていたんです。どうして僕たちをここまで気に掛けてくれるんですか?」


 3人の中で意見をまとめることが多い、元は何かの長だったという青年は、意を決したようにそう尋ねてきた。そろそろ聞かれるだろうと思っていたが、いざ答えようとすると意外にも、上手く言葉が選べない。全ての事実を明かしてしまうのも怖くて、結局ラムはかなり遠回しな表現を選んだ。


「俺にはできなかったことが、君たちにはできたからだ」

「ん? どういう意味ですか」

「いつか教える。今は聞かないでくれ」


 ラムは追及される前に背を向けて、奪った銃を(かつ)ぎ直す。照明が落とされて薄暗いなか、昇降装置のある部屋へと通路を引き返していった。


 型破りの方法でラ・ロシェルを脱出し、故郷バレンシアに向かったラムの娘は、とある宿舎に迎え入れられて、そこで2年の歳月を送った。5人単位で生活を送るバレンシアの宿舎は、まるで旧時代に家族と呼ばれた集団のように、お互いがお互いを支えながら一緒に暮らす。

 自分とエリザが娘に与えられなかった、慎ましくも暖かい暮らしが、彼ら、第43宿舎の同居人によって()しくも実現されたのだ。


 その恩に報いるためならば、彼らに害をなす不届き者どもの頭のひとつやふたつを吹き飛ばす罪悪感など、痛みのうちに入らない。


 *

 

 あの日、水晶端末(クリステミナ)を眺めたサジェスが少し眉を動かして言った。


「彼女に会わせてやることはできないが、彼女が世話になり、そしておそらくは守りたいと願うだろう人々が、ハイバネイト・シティ居住区域に来ている。娘に謝罪したいと言うのならば、彼らを守るのも手法のひとつではないか」

「守る、だと?」

「彼らの住む第22層は、地上ラピス市民の居住区域のなかではかなり下層だ。10から20は中間層と呼ばれているんだが、あの辺りは銃を持った奴らがうろついている。今はまだ例がないが、下手をすると居住区域に迷い込むかもしれない」

「それは随分と物騒な話だ」


 ラムは肩を竦めてみせたが、言い終わる頃にはもう意思は固まっていた。

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