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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅵ 四世紀の眠り
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chapitre68. 神話の外側

 C-1-1、と刻字されたパネルの下にサジェスが手を当てると、背後でカチリと音がした。


 後ろの扉がロックされた音だ。天井に刻まれた細い溝から空気が吹き出し、髪や服の裾から微細な汚れを払い落として床に吸い込まれる。そのまま十数秒ほど待つとエアシャワーが停止し、壁にはめ込まれた明かりが点灯すると同時に正面の扉が開いた。


 サジェスは小さく息を吐く。


 扉の向こうに広がる、真っ白い人工的な光に満ちた空間を見つめた。風で流された髪をつまんで整え、金色の刺繍が施された長いガウンを羽織りなおす。それからもう一度息を長く吐いて、慎重な足取りで広い部屋に踏み入った。

 巨大な円筒形をした部屋の壁には、無数の四角い窓が並んでいる。窓の向こう側は暗く、光量に差があるためこちらからは見えないが、飢えた獣のような眼光が今にも自分の肉を抉るような気がした。


 次に足を置く場所が、一ミリも狂わないように気をつける。手を振る角度がほんの少しでも非対称にならないように気をつける。何より自分の表情が、奥に潜む迷いや揺らぎを僅かでも透かしてしまわないように、表情筋のひとつひとつを制御して、サジェス・ヴォルシスキーは“春を待つ者(ハイバネイターズ)”総代という名の偶像になる。


 部屋の中央には、数メートルほど周囲より高くなったステージがある。その周りを囲うように備え付けられた階段を一段一段昇ると、ステージの上に設けられたベッドが目に入った。決して華美ではないが上等なベッドとマットレスで眠っている女性は、今日も変わりなく、ただ呼吸だけをしていた。


 サジェスはベッドの隣に膝をついて両手を組み、眠る女性に向けて祈りを捧げた。


 エリザ・ベネット。


 事故によって時間を越え、旧世界から新都ラピスに降り立った女性。その生い立ちに多少の特筆すべき点はあるものの、大まかに言ってしまえば普通の女性だ。人に望まれるままに貢献したいと祈り、そしてこの世界にやってきて、ある男性と恋に落ちて一人の娘を設けたが、病魔によってその身を蝕まれた、旧時代であれば大凡(おおよそ)ありきたりな人生。


 そんなごく普通の女性であるはずのエリザを、後世人類の、新都ラピスの真祖と(めい)()ったのは他ならぬサジェスだ。

 全てが嘘というわけでもないものの誇張と虚飾に富んだ神話を作り上げ、地底の民が持っていたごく小さな不満の種に目を付けて、ラピスの真祖であるエリザは現状を憂えていると(うそぶ)いた。また、名前すら持たなかった地底の民のもとを巡り、それぞれに名前を与えた。十万人の“春を待つ者(ハイバネイターズ)”全員にサジェス自身が名前を付けてやることは叶わなかったが、彼らは互いに名前を付け合い、また自分で自分の名前を決めて、地底の民のひとりではなく名前を持った個人として自我を得た。


 労力と時間はかかったが、成果はあった。それどころか、ひとたび育つことを覚えた不満の種は、神話を肥料に、与えられた名前を水にして飽くなき成長を遂げ、お互いに絡み合ってさらに育ち、花開くどころか空を覆い尽くすほどの大樹になった。


 ――初めに水をやったはずのサジェスすら戸惑うほどに。


「さて――」


 サジェスは短い祈りを終え、立ち上がる。壁に並ぶ窓のひとつひとつに視線を巡らせながら、息を吸って話し出す。襟元に付けたマイクが音を拾い、窓の向こうの部屋にサジェスの声を届ける。


「凍えた大地の下に春を待ち、遙か青空へ昇る太陽を望む“春を待つ者(ハイバネイターズ)”諸君――我々の作戦は、次なる段階に入った」


 片手は胸元で握りしめ、もう片方の手は緩く広げてエリザの枕元に向ける。この場においてサジェスは「総代表者」であり、10万の同胞を代表して真祖エリザの祈りを聞き届ける人間だ。四世紀の昔、少女だったエリザが教会(チャーチ)でD・フライヤの啓示を受けたと神話に記したように、サジェスは真祖エリザの啓示を受けるべき立場なのだ。


 もちろん、いくらサジェスが祈ったところで、ただ眠っているだけの彼女の声が聞こえるわけがない。同胞たちのなかにも、眠るエリザの声がサジェスに聞こえているなどとは本気で信じていない人間がいるだろう。


 だが。


 この期に及んで、真実か真実でないかなど、さしたる意味はない。


 エリザという名前の下に10万の人間が意志を固めつつあること。それこそがサジェスの描いた未来の実現であり、同時に、果てしない後悔の具体化でもあった。


 *


 C-3-18と記されたその部屋がカノンの居室であるらしい。生活感のない狭い部屋の奥に窓があって、演説しているサジェスと、ベッドに眠っているエリザの姿を見ることができた。そこに彼女がいるということは事前に知らされていたが、実際に目にすると、身体が巨大な質量に押しつぶされるような感覚に襲われた。ソレイユは目眩を覚えて窓にもたれかかる。


「――何だろう。ぼくのなかでエリザの姿は、10年前で止まってしまっているから、違和感がある。あんまり良くない気分だ」

「その割に良く喋るじゃないの」


 細い椅子に腰掛けたカノンが小さく笑った。大柄な彼が座っているせいで、必要以上に椅子が小さく見えて、今にも脚が折れそうだと思った。ソレイユは姿勢を立て直して、演説しているサジェスに視線を向けた。

 話している内容自体は異言語なので、ソレイユにはほとんど理解できなかったが、大勢の視線を受けながら喋るサジェスは実に自信ありげだった。かつてゼロと呼ばれて雑用係をしていた時期が嘘のような、堂々とした佇まい。間違いなく喜ばしい変化のはずなのに、なぜだか嫌な感覚があった。喉の奥に引っかかるものを上手く理解できないまま、どうにか言語化を試みる。


「サジェス君、名前も記憶も取り戻したのに、すごく自信たっぷりに見えるのに、なんか変だ。昔の、冷たい感じというか起伏のない感じが残ってる気がする。何でだろ?」

「そりゃあ、総代としての仮面を被ってるってことでしょ」


 曖昧なソレイユの言葉を、カノンがそんな風にまとめてみせた。ソレイユは眉根を寄せて、サジェスの顔に視線を注ぐ。

 地底でただの労働力として使役されていた人々に名前と大義を与え、“春を待つ者(ハイバネイターズ)”としてまとめ上げたのがサジェスの功労であることは先ほどカノンに教えてもらった。つまり、地底の民の解放を誰よりも早く望んだのがサジェスであり、今まさに彼は自身の目的に肉薄しているにも関わらず、無数のしがらみに縛られて、とても苦しそうに見える。


「自由になるために、不自由になってる」


 ソレイユの小さい呟きに、聞こえなかったわけでもないだろうに、カノンは答えなかった。代わりに水晶端末を操作して、暗い壁に投影されたグラフを一瞥し、一見脈絡のない質問をよこす。


「34人。何の数字か分かるかい」

「分からない……けど」


 カノンの重たい表情や話の流れから、何となく予期できる気はした。カノンは目を閉じてひと呼吸置き、ソレイユが予想した通りの言葉を発した。


「収穫祭の日以降、俺たちの作戦によって犠牲になり、亡くなった地上ラピス市民の数だ。そこに怪我人を含めれば百を超す。10万の“春を待つ者(ハイバネイターズ)”、8万の地上ラピス市民に比べりゃあずいぶんと小さい数だが――」

「多寡の問題じゃないよね」

「そうだ。あんたを襲撃した奴らみたいに、自分らのテリトリーに入ってきた地上の市民を殺す奴もいるし、単独で地上に飛び出して蛮行を働く奴もいる。催涙ガスを吸って喘息の発作を出した結果、亡くなった人だっている。その全てを彼が制御できるわけはないんだが――」

「背負わずにはいられない、んだね。総代と名乗っているからには」

「そう」


 カノンが重々しく頷く。


「それに――これは間違っても総代さん本人の前では言えないが、ここ2年間の困窮も彼のせいだ、と言えなくもない。責める気なんて微塵もないけどね。でも、彼が地上と地下のコネクションを切り離したことで、地上ラピス市民に与えられていた一方的な恩恵が失われたのは事実だ」

「――うん」


 不意に胸がずしりと重たくなって、ソレイユは床に座り込んだ。膝を折って引き寄せ、自分の体温を抱きしめるように身体を丸める。鼻の奥がじわりと痛くなり、感情が形を伴って押し寄せてくるのが分かった。ソレイユはこういう時、じっと押し黙って感情の波に耐えるよりは、口に出してしまうほうが楽になる性格だった。あごを僅かに持ち上げて、表情の読めないカノンの顔を見上げる。


「ぼくの話をしてもいい?」

「話すだけなら、ご自由にどうぞ」


 そう言ってカノンはグローブに覆われた手を広げてみせる。ありがとう、と呟いて小さく笑ってみせた。カノンに聞かせるためというよりは、自分の考えを言葉にして理解するために、言葉を選んで繋げていく。


「……グラス・ノワールには最初、27人の仲間がいた。でも、食糧も電気も何もかも足りなくて、厳しい季節を乗り越えるたびに死んでいった」


 名前や出自こそ知らなかったけれど、たしかに仲間で友人だった老若男女の囚人たちの顔は、今は明確に思い出すことができた。捻くれた相手や気性の荒い相手こそいたけど、みんな大切な仲間だった。しかし、生活の厳しさのせいで身体が弱い者から死んでいき、脱獄するときには半分以下になった。


「――死んでしまったんだ」


 分かっていたつもりで、どこか棚の上に上げたままだった事実を、死んだ仲間の数の分だけ(ほど)いて、口に押し込んだ。そんなつもりはなかったのに、見開いた目からひとりでに涙が落ちる。眉をしかめた険しい表情のまま涙を零すソレイユを、カノンは何も言わずに眺めていた。


 ひとしきり涙を流しきると、ソレイユは濡れた顔を手の甲で拭って「でも」と顔を上げた。


「でも! ぼくは、それがサジェス君のせいだなんて言いたくないんだよ。言いたくないのに、今ね、少しだけ思っちゃったんだ。グラス・ノワールの仲間はきっと、こんなことにさえならなければ死ななかっただろうな、って」

「――泣きたくなったのが、今で、良かったじゃないの。今なら誰も聞いてない」


 ずっと黙って聞いていたカノンが小さい声で言った。


「シェル君がそう思うのは自由だ。でもそれは、総代さんやティア君や、他の仲間の前では言わないでやってね」

「……カノン君は怒らないんだね」

「まあね。あんたの言葉を借りるなら、感情を持ってこそ人間だ。仲間の死を悲しく思うのも、総代さんを責めたくなるのも、そんなシェル君をあんた自身が責めてしまうのも、あんたの優しさだし人間臭さでしょ。怒る気なんてしないね」

「うん――ありがとう」


 もう一度目元を拭って、ソレイユは身体にまとわりつく重力から逃れるように立ち上がった。

 大きく息を吸って吐き、呼吸を整える。


「ひとつ認識を改めないといけない。ぼくは、今ならまだ地上と地下がわかり合えると思ってこの場所に来たんだよ。ほとんど被害が出てない今ならまだ、ってね」


 でも違ったんだ。

 ソレイユがそう呟くと、カノンは頷いた。


「“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の復讐は、2年前からもう始まっていたんだね」

「そうだね。それを知って尚、地上と地下が『仲直り』できる未来があると思うかい」

「分からないよ。でも、しなきゃダメだ。ぼくら人類はたった18万しかいないんだよ。新たな社会の形態を望むなら、尚更、睨み合うなんて悠長なことしてる場合じゃない」

「なるほどね――そこがひとつの分かれ目かも知れないね。18万()()()()()と見るか、18万()()()と見るか」

「うん、例えば――バレンシアで火災があったと言ったよね。幸いにもすぐ消火されたそうだけど、もしも燃え広がって山火事にでもなれば、百人単位で簡単に死んでしまったはずだ。18万のラピス市民を分母にしたとき、それは決して少ない数じゃない」


 数の問題ではないと分かっていながらも、ソレイユはそう言った。カノンにもその意図は伝わったようで、彼は緩やかに頷いて足を組み替える。木の椅子が軋む音が聞こえた。


「そこを分かってもらえないかな」


 ソレイユが顔をしかめて言うと、カノンはあっさり「もらえないだろうね」と答えた。硬そうな拳の上に乗せた顔は、相変わらず表情が読めない。


「何故なら、8万と10万と見るか、足して18万と見るか、がそれ以上に大事だからだ。地上(うえ)の人間はともかく、地下(した)の人間はほとんどが前者だ。つまり、地上の奴がどれだけ死のうが、その死を(いた)もうなんて思っちゃいない」

「うん……認めたくないけどね、そんな雰囲気は感じ取っていた。どうしてだろう」

「分からないね。ただ、ひとつ言えるのは、怒るためには対象が必要ってことだ。虚空を殴るよりは、人形相手のほうが殴りやすいだろう。総代さんは――名もなき地底の民を“春を待つ者(ハイバネイターズ)”としてまとめ上げるために、怒りのエネルギーを利用した」


 正当な成り行きだと思うね、俺は。


 カノンはそれだけ呟いて簡素な寝台に寝転がり、寝不足だと言って目を閉じてしまった。ひとり取り残されたソレイユは、窓ガラスに片手を添えて、硬い表情で演説を続けるサジェスを眺め続けた。


 眠っているエリザの啓示を受け取り、彼女が示す正義だと銘打って地上と地下の反転を目指す。サジェスが表向きに振る舞っているのはそういう立場だ。だが実際のところ、サジェスが与えた正義によって同胞が暴走しかけていることは、彼自身が誰よりもよく理解しているようだ。


『真祖の病んだ臓腑の代わりを作り上げ、長い眠りから目覚めてもらう。真祖エリザの言葉しか、もはや、暴走しかけた同胞を止められないんだ』


 サジェスはそう言っていた。


 生命凍結状態にあるエリザの身体を回復させて、彼女の鶴の一声によって“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の(こころざ)す向きをまるごとひっくり返す。眠っているエリザの意思こそ“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の意思なのだから、目覚めた彼女がサジェスの言うことを否定すれば、たしかに集団はその通りに動くかも知れない。


「――でも」


 そうなったときにサジェスがどんな立場に立たされるか、まだ事情を把握しきっていないソレイユですら想像できる。10万の同胞を欺いて偽物の正義を振り回した、とんだ大嘘つきだと槍玉に挙げられ、果てしない非難と批判に晒され、そして――


 嫌だ、と呟いて拳をきつく握りしめた。


 統一機関に全てを奪われていたはずのサジェスが、せっかく自分の名前と記憶と意思と声を取り戻したのに、こんなところで終わってしまうなんて。


 でも、何より苦しいのは、エリザの目覚めによって自身の立場が失われると分かっていないわけがないのに、それでも尚サジェスが“春を待つ者(ハイバネイターズ)”と地上ラピス市民のためにエリザを目覚めさせようとしていることだった。いま、彼が大仰な手振りで同胞に呼びかけているのは、全てエリザに(くつがえ)されるための伏線に他ならない。


 身体の奥からどす黒い闇が這い上がってきて、心臓が握りつぶされるように痛んだ。それ以上サジェスの姿を見続けることができず、ソレイユはその場に屈み込んだ。

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