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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅰ 水晶の街
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chapitre5. 深奥の色彩

【あらすじ】幹部候補生に選ばれたリュンヌたちは、今まで立ち入ることの許されなかった塔の最上階に招待される。祈りの間から秘密の通路を抜けた先には、異様に鮮やかな色彩を放つ未知の装置があった。常識とかけはなれたその光景を見たリュンヌは、「研修生の中のひとり」であった自分には二度と戻れないことを悟る。

 リュンヌとソレイユが祈りの間に入って数分後、ムシュ・ラムが扉を開けた。

 親しみ深い大人だったはずの彼が醸し出す、何時もと違う雰囲気にリュンヌは身体が硬くなるのを感じた。彼は手にランタンを持っている。オレンジ色の光が、険しい顔を下から照らし出していた。


「ソレイユ・バレンシア、リュンヌ・バレンシア。うん、揃っているようだな」

「……私たち二人だけ呼び出されたのですか?」


 リュンヌは緊張に鳴り始める心臓を抑えながら、平静を装って質問した。


「その通りだ。先ずは、幹部候補生への昇格おめでとう」


 ありがとうございます、と二人は声を揃えた。礼を言ったものの、なぜ自分を選んだのか問いただしたい気持ちで一杯だった。さらに言えば、身に余る重責だとして辞退を申し出たいとすら思った。


 だが、逆らうなとソレイユは言った。


 ソレイユは時折、何を考えているのか分からない奴だが、彼を信じて裏切られたことはない。

 ソレイユが目配せを送ってくる。逆らわないでね、の意だろう。勿論分かっている、と心の中で答えつつも、ブーツに隠した銃の感触を確認していた。

 

「それでは二人を、開発部の(トゥール)に招待したいと思う。こちらに」


 ムシュ・ラムはそう言って、二人の間を割り部屋の奥に進んだ。板張りの床を革靴が叩く、硬質な音が部屋に反響する。巨大な水晶の前まで歩いて、水晶に彼自身の水晶端末(クリステミナ)をかざす。すると、水晶端末から発せられた光が巨大水晶に吸い込まれ、その中に緻密な模様を描き出した。青白い光の筋が交差し、重なり合って、立体的な模様を描き出す。


 リュンヌは息を呑んだ。

 その立体は、人の頭部の形をしていた。


 目を閉じた女性像が現れた。彼女はその長い髪を後ろに長し、ヘアバンドで抑えている。

 知らない顔だった。だが、どこかで見たようにも思えた。


「……彼女は、ラピスの技術開発に貢献した女性だ」


 ムシュ・ラムは二人に背を向けたまま、独り言のように呟いた。


「敬意を表して、認証システムのインターフェースにデザインされている」

「新都の技術史は、これでも、かなり学んだつもりですが、知りませんでした」


 思わず素直な感想をこぼすリュンヌに、「機密だからな」とムシュ・ラムが微笑む。ランタンのオレンジの光と、水晶端末の青い光。その狭間に佇むムシュ・ラムの笑顔を、相反する2色が照らし出した。奇妙な雰囲気をまといながらも、どこか穏やかに見えた。


 彼に追随するように、水晶の中の女性が笑顔になり、そして消えた。

「認証されました」と、合成音声が言った。


 次の瞬間、部屋がふっと暗くなる。


 同時に轟音が響いたと思うと、天井の高くなっていた一区画が奥に引っ込み、直径2メートルほどの筒のようなものがゆっくりと降りてきた。


「これは……」


 ソレイユが声をもらす。

 リュンヌも声にこそ出さないが、驚いた。祈りの間の天井にこれほど大掛かりな仕掛けがあるとは。

 筒は床より少し高い場所まで降りてきて、3人の目の前で停止した。その側面の一部が横に滑る。筒の内部は空洞になっていた。壁に沿ってぐるりと手すりが設置されており、何人か入れる程度の空間があった。


「入りなさい」


 ムシュ・ラムに促されるまま、二人は中に入った。後からムシュ・ラムが乗り込み、水晶端末で何か操作をする。壁面全体が音もなく滑らかに動き、再び扉が閉じられた。

 その数秒後、円筒がガクンと揺れた。二人に一瞬緊張が走ったが、すぐに気がつく。

 円筒が上昇しているのだ。


「塔への入り口は、ここしかない」


 ムシュ・ラムが驚く二人に振り返って、言った。


「分かっているだろうが、機密だ」

「勿論です」


 ソレイユが硬い声で返す。流石に彼も緊張しているようだ。リュンヌは緊張もしているが、それと同じくらい、わざわざ足を動かさずとも上に運んでくれる装置の素晴らしさに感動していた。


「この装置があれば、機関内での行き来も楽になりそうですね」

「その通りだな。しない理由の一つはコストだが、もう一つは何だと思う? リュンヌ・バレンシア」

「……上に昇るには階段と(はしご)しかないという先入観があれば、天井の一部が割けて降りてくるなど、思いも寄らないでしょう。つまり、その思い込みを、セキュリティに利用しているわけですか?」

「正解だ。察しが良いな」


 ムシュ・ラムは褒め言葉を言いつつも、声のトーンには全く変化がなかった。この程度は分かって当然、ということだろうか。――幹部候補生に選ばれたのならば。


 足下の微動が止まり、扉が再び静かに開いた。

 辿りついたのは暗い部屋だった。箱やら麻袋やら、様々なものが床を埋めている。ムシュ・ラムが先に降りると、それに呼応するように部屋の灯りがつく。三人を降ろした円筒は、滑らかな動きで床に吸い込まれていった。部屋が明るくなったことで、リュンヌはその部屋の特徴的な造りに気がついた。想像以上に広い。部屋は円形で天井が高く、僅かに湾曲してガラス張りになっている。その向こうに星の瞬くのを見て、リュンヌはようやく自分がいる場所がどこか気がついた。


 ここは塔の最上部なのだ。

 ムシュ・ラムが天井を仰ぎ見て、それから二人に視線を向けた。


「私が伝えたかったのは、君たちはコントロールされている、ということだ。何を知っているか、何を考えているか、何を志すか。それら個人の意思と思われるものはいずれも、環境によって操作されており、その環境は我々によって提供されている……」


 リュンヌは、彼の視線を追うように、円筒状の昇降装置があった場所を振り返った。


 その場所に、今まで見たものの何であるとも表現できない空間があった。一言で言うならば円筒形に空気が切り取られて、代わりにオーロラを詰めたような空間。あらゆる色を混ぜたように混沌とし、しかし混ざりきらずに不可思議な模様を為していて、それが絶えずうごめく様子はまるで生き物のようでもあった。


「……何だ、これは」


 リュンヌは思わず、口に出していた。

 ムシュ・ラムを振り返る。彼は微笑んだまま、言った。


「そして、君たちはこれから、コントロールする側になって貰わねばならない。――正気を失うなよ?」


 *


 二人はムシュ・ラムが淹れた珈琲を飲んだ。


 鋭い苦味は、リュンヌの高鳴る心臓を抑え、彼女が正気を保つのに十分だった。そして、これが夢ではない現実だと確信させるためにも、十分だった。パイプをねじ曲げて作ったような形の椅子に腰掛け、改めて部屋の中心にあるものを見る。何度見ても異様だ。円筒形の混沌、それ以外に形容できなかった。


「さて、特別講義を始めよう」


 ランタンの光が、ムシュ・ラムの影を天井に描き出す。炎のようなオレンジ色の光は変に所帯じみていて、じっと眺めていれば背後にある異様な色彩を忘れられるのではないか、と思えた。


 眼前には日常の仄かな灯り。

 背後には異色の激しい煌めき。


 その狭間に身体を挟まれ、リュンヌは一瞬、自分の居場所を見失いかけた。


 ちらりと横を見れば、見慣れた顔が、神妙な見慣れない表情を湛えて背筋を伸ばしている。彼女の視線に気づき、口の端を僅かに持ち上げて見せた。負けじと、リュンヌも姿勢を正した。


 沢山いる研修生のなかから選ばれた理由は分からない。

 それでも、自分は幹部候補生として選ばれたのだ。期待に応えなければならなかった。


 正気を失うなよ?

 ムシュ・ラムはそう言った。今から君たちの常識を塗り替えるから着いてきなさい、と言われたのだ。相方より先に脱落してたまるか、という程度の張り合いは彼女にもあった。


 それにもうひとつ、正気を保たなければならない理由がある。この部屋、水晶のなかの女性、あの化け物じみた色彩。全て、この新都ラピスの機密に抵触するものだろうと分かっていた。自ら見に行ったのではなく、ムシュ・ラムに見せられたものだが、知ってしまった以上はもう階下には戻れないのだろう。


 ならば、せめて幹部候補生に相応しいふるまいをしなければと思った。


 そうでなければ、多分……この新都に、リュンヌの居場所はない。

 短時間で彼女は覚悟を決めた。

 自分は塔の上で、幹部候補生として生きていくのだ。

 

 束の間、友人の顔を思い出した。

 硬い声でリュンヌを拒絶して泣いていた彼女。


 あれは最後の別れだったのかな。


 もし、昨日がずっと続いたなら、きっと素敵だったかもしれないな、と考えた。

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