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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅵ 四世紀の眠り
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chapitre64. ハイバネイト・シティ

「もし、もう一つの昇降装置に乗ったら無事に上に戻れたのだろうか」


 振動する壁にもたれ掛かりながら、ラムが訝しげに上を見上げた。すでに百メートルは降下しただろうか。気圧の変化で耳がキンと鳴るのを感じながら「多分だけど」とソレイユは応じる。


「彼らもこの場所を知られるのは避けたいはずだ。記憶処理くらいはされたと思うよ」

「――そうだな」


 渋い顔でラムが頷く。


 グラス・ノワールから脱獄してきたソレイユとラムは、何らかの意思によってハイバネイト・シティに招待された。美味しく豪勢な食事で歓待され、導かれた奥の部屋で、地下施設への移住を希望するかどうか尋ねられた。どうやら“春を待つ者(ハイバネイターズ)”と名乗る相手は、地上ラピス市民を地下へ引きずり込むことを目的にしているらしい。ソレイユたちが地下へ向かえば、当然、彼らの手に落ちたことになる。


 それは理解していて、しかし地上に戻るのではなく、地下へ向かうことを選んだ。


 その理由として、たったいまラムに答えたように、無事には地上に帰らせてもらえないだろうという憶測もあるにはあった。だがそれ以上に、今まで地下に閉じ込められてきた彼らに謝罪したいと思ったのだ。“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の力は絶望的なほどに強大だ。それでも交渉の余地はまだあるように見える。


 なら、自分は地下に行く。


 そう宣言したら、なぜかラムも一緒に来たので、結果として2人で昇降装置に乗り込んだ。ソレイユは腕を組んで装置の壁に寄りかかり、正面のラムの顔をぼんやりと眺めた。その視線に気付かれ、「何だ、気持ち悪い」とラムが眉をひそめた。


 彼が地下に来てしまうのは、正直なところ想定外だった。自分で言うのも何だが、怖いもの知らずで向こう見ずな気質のソレイユと違って、ラムは()(この)んで危険な橋を渡る人間ではないと思っていたからだ。


 エリザの名を騙る人工知能に出会ったことが決定的なきっかけだったのだろうが、それにしたってエリザ本人ではないのに、いわば名前の一致だけで決心してしまうとは。本当にラムはエリザを愛しているんだなぁ、と純粋に感心した。まあ、自分も最愛の友人の名を名乗る相手がいたら、たとえ本人ではなくても、それだけで気になって付いていく気もするが。


「ん?」


 そこまで考えて、ソレイユはふと首を捻った。


 じゃあ、ラムがエリザに向ける感情と、自分があの友人に向ける感情はいったいどこが違うんだろうか。


 昇降装置内の気温は変わっていないはずなのに妙に顔が熱くなって、ソレイユは冷たい金属の壁に頬を押しつけた。装置の振動が直接伝わってきて、脳が揺さぶられる。


 ラムが呆れた顔でこちらを見た。


「何してるんだお前」

「分かんない。ぼくはどうしたんだろう」


 話しているうちに昇降装置が停止し、装置の扉がスライドして開いた。2人が装置から降りて無人の廊下に踏み出すと、また天井のスピーカーが話し始めた。


『生存者の皆さま、ハイバネイト・シティ居住区域へようこそ。こちらはS-3区第28層です。まっすぐお進み下さい』


「ぼくらを生存者って呼ぶのは一体何でだろ?」


 ソレイユが疑問に思って呟くと、ラムが横目でこちらを見た。


「もとは寒冷化を生き延びるための施設だからだろう。吹雪に追われてここに辿りついた人間を迎え入れていたんだ。俺たちはまだ名乗っていない。デフォルト・ネームがそれなんだ」

「ああ、そういうことか」


 納得して頷くと、スピーカー横のランプが同調するように点滅した。


『はい。ですが、名乗っていただけばご案内を簡単にすることができます』


「なるほどね。ぼくの名前はシェルだ。よろしく」

「――あ?」


 さらりと偽名を名乗ったソレイユに、ラムが片目を細める。だが特に問いただすことはなく、「俺はラムだ」と、こちらは本名で名乗った。


『はい、シェル、ラム、貴方がたの名前を記憶しました』


 人工的な合成音声は、微妙な表情の機微には反応せず、平坦な声で答えた。ありがとう、と何食わぬ顔でソレイユは天井のスピーカーにお礼を言う。おい、とラムがソレイユの腕を引いて小声で問いかけた。


「また微妙な嘘をついたな。何を考えている」

「だってソレイユ・バレンシアは2年前に死んでるもの。そうでしょ?」

「――このくそガキが」


 ソレイユは冗談めかして答えて、ラムに汚い言葉で罵らせておいてから、「それにね」と真面目な顔になって小さく肩を竦めてみせる。


「ぼくら地上の人間から太陽(ソレイユ)を奪い取る。それがどうやら向こうのお題目みたいだ。ちょっと危険じゃない? 彼らが目的としている対象、そのものの名を名乗るのはさ」

「ふん。確かにな――しかし、ならそのイヤリングも外すべきじゃないのか」

「ん……これはぼくの名前なんかよりずっと大切なものだから、無理」

「あぁ、そうかい」


 ラムが鼻を鳴らす。

 太陽をモチーフにしたイヤリングを、ソレイユは片手でつついて揺らした。


 合成音声のアナウンスに従ってまっすぐ伸びている廊下を歩いて行くと、しばらくして人の声が聞こえ始めた。居住区域には、もう既に何人か入居者がいるようだ。昨日の夕方の放送を聞いて即座に地下への入り口を探し、無事ハイバネイト・シティに辿りついた人々、ということになるのだろうか。

 上にランプが点灯している扉がふたつ並んでいた。そこに近づくと、しばらく黙っていた合成音声がまた話し始める。


『S3-28-4がシェルの居室、S3-28-5がラムの居室となります。私に聞いていただければいつでもお答えしますが、忘れないようお気を付け下さい。それではご案内を終了します』


 軽やかなチャイムが鳴って、放送が終わった。ひとりでに居室の扉が開き、中の電気が点けられる。ソレイユはラムと目を見合わせて、さて今からどうしようか、と考えた。


 *


「S3-28-4、第28層。というのが縦方向に28番目なのは間違いないとして数えてるのは上から? 下から? 天井の高さは2.8メートル。床はかなり厚そうだなぁ、一層につき3.5から4メートル? 28倍して、ええと……98から112メートル。ダメダメ、幅がありすぎる。昇降装置に乗っていた時間は2分くらい? 3分はないはず。2分半、一秒あたり1メートル降下するとして150メートル、でも加速と減速があるから実際はもう少し短いかな? とすると大きくズレてはいないけど――」


「黙って計算できんのか。こんな時間からうるさいぞ」


 居室の扉を開けてラムが部屋に入ってくる。「こんな時間って、もう朝だよ」と言い返して、ソレイユは壁にかけられた時計を指さす。午前6時少し前を指した時針を見て、ラムが顔をしかめた。


「グラス・ノワールにいた頃のお前はもっと遅く起きていた気がするんだが」

「そうだね。ぼくが朝に強かったことは生涯を通して一度もないよ」

「生涯って、まだ20代だろうが」


 ぼやきながらラムが勝手に椅子を取って、テーブルの正面に座る。ソレイユがテーブル一面に広げていた紙を一枚取って目を通し、ポケットから出したペンで書き足していく。毎日少しずつ作っている、ハイバネイト・シティ居住区域の地図だ。水平方向にはかなり広く行動できて、S-3区の両隣にはS-2区とS-4区があることまでは確認できた。

 おい、とラムがソレイユを呼んで、七つの正六角形を並べた、蜂の巣のような図を見せる。新都ラピスの七都を、距離や規模を無視して抽象的に表現するときによく用いられる図法だ。


「S-2とS-4が、ここから見た方角にして120°違うから、区域が七都のそれぞれに対応しているんじゃないか、という仮説を話しただろう」

「そうだね。その仮説が正しければ、ここがスーチェン地下だから、S-2がバレンシアでS-4がフィラデルフィアに対応していることになる」

「だろう。で、ここにだ、新しくCという区域を見つけた」


 ちょうどS-2とS-4の中間地点にあたる場所に、ラムがペン先を打ち付ける。紙に小さいインクの染みができた。


「C……中央(サントル)かな? ラ・ロシェルに対応していると見て良いかもね」

「そうだな。Sは何の略だ、という問題になるがな」

「まあ、確定はできないね」


 紙の端に『C→Centre? La Rochelle?』と書き付ける。紙はメモ書きでいっぱいだが、ほとんどが今のようにクエスチョンマーク付きの未確定な情報だった。好き勝手に書き付けた情報を眺めていると、蓄積した疲労がどっと襲ってきて、ひとつため息をついた。


「昨日、昇降装置に乗れないか試したんだけど。ダメだったね」

「上下には全く移動させてもらえんな」


 ラムの言葉に頷く。今のところ地図は水平方向に広がるばかりで、ひとつ上の階層に移動することすら叶わなかった。ものは試しと思い、この階層に来るために乗った昇降装置の場所まで戻ってみたが、昇降装置に乗り込むどころか、装置のある部屋に入った段階で心臓を毛羽立たせる警告音が鳴った。赤い色の回転灯が部屋を照らし、スピーカーから平坦な声が流れ出す。


『侵入者へ警告します。今すぐに退去してください。30秒以内に退去しない場合、強制的に撤去されます』

「おおっと。ごめんって」


 人工知能相手と分かってはいるが、ついつい謝罪しながらソレイユは部屋を飛び出して廊下に戻った。その途端に赤い回転灯と警告音は消え、居住区域に静寂が戻る。飛び出しかけた心臓を抑えて、安堵の溜息をついた。


 その時のことを話して聞かせると、「ちょっと待て」とラムは考える顔になった。


「侵入者、と呼んだんだな? シェルではなく」

「あ、そうだね。そこは間違いないよ」

「すると……個人を認識できる形ではこちらを見ていないのかもしれないな。赤外線センサか質量計か分からないが、シェルという個人ではなく、人間が立ち入ったとしか判別していない可能性がある」

「ん。なるほどね」


 ソレイユは彼の意図するところを察し取ったが、具体的に言葉に出すのは止めた。この部屋にもスピーカーがある以上は、言動が“春を待つ者(ハイバネイターズ)”に監視されている可能性がある。行動可能な領域の地図を作る程度はどうやら許容されているようだが、立ち入ることが明確に禁止されているらしい別の階層に行くための算段を口に出すのは、流石に危険だ。ハイバネイト・シティの規律を乱す危険分子と見なされたら、どうなるか分からない。


 しかし、ソレイユは自分の目的のために、何としても別の階層に行きたかった。

 というのも、この階層で出会う人間は、今のところ全員が地上からやってきた人間なのだ。“春を待つ者(ハイバネイターズ)”に直接会って謝るためにハイバネイト・シティにやってきたのに、これでは全く目標が達成できない。


 おそらく“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の活動している領域と、移住していた地上ラピス市民が配置される居住区域が分離されているのだろう。予想していなかったわけではないが、上手くいかずに時間ばかりが過ぎていくので、少し焦り始めていた。地下なので朝と夜に何も変化がなく、ひたすら単調に過ぎる日々がその焦りに拍車をかける。とはいえ時計は各部屋にあり、食事の時間も固定されているのだが、太陽を浴びられないだけでこうも調子が狂うのかと驚いた。


 それに、もう一つ心配事がある。


 ソレイユは、紙にペン先を走らせているラムの顔をちらりと盗み見た。ちょうどそのとき、分針が音を立てて頂上に辿りつき、同時にスピーカーからバチッと音がして合成音声が流れ出す。


『おはようございます、生存者の皆さま。本日は稼働より149247日、負荷率12.8パーセント、システム異常なし』


 はっとした顔になってラムが顔を上げる。


「おはよう、エリザ」

『――おはようございます、ラム』


 天井のスピーカーがラムの名を呼んで応答する。この部屋がソレイユの居室として割り当てられているにも関わらず、ラムがいると判断したということは、おそらく話しかけた声紋を解析しているのだろう。平生の彼ならめったに見せないような、明るい笑顔を天井に向けていたラムが、ソレイユの視線に気づいて渋い顔に戻る。


「鼻の下伸ばしちゃってさあ」

「……やかましい」

「何度も言うけど、ホント、気をつけてよね」


 ソレイユは痛む額に手をやった。


 これこそがもう一つの心配事だった。

 エリザの名を名乗り、エリザの声に似せた合成音声で話しかけてくる人工知能に、どうもラムが傾倒しすぎている気がしてならない。せめてラムも、ソレイユのように偽名を名乗っておけば良かったのに、本名で呼びかけてくるのが、余計(たち)が悪いような気がする。


「貴方がスピーカーに顔突っ込むひとになっても、ぼく、止めらんないからね」

「――分かっている」

「……あのさぁ、正直言うけどぼくは、貴方に地下に来てほしくなかったんだ。こんなところでうっかり死んでもらったら困るからだ。貴方は自分の娘にしっかり頭を下げるべきなんだ。あんな(まが)(もの)の合成音声じゃなくて、生身の女性を愛した貴方の、本物の血縁の娘と、顔を合わせてしっかり話をしろ」


 溜息交じりにソレイユは言った。


「分かってるよね?」


 ラムは返事をせず、眉間に濃いしわを寄せて、組んだ両手に視線を落とした。

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