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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅴ この手に太陽を
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chapitre58. 自分自身の意志で

 太陽が見たかった。

 リジェラはそう言った。


『光が差しこんでいるのを見て、いてもたってもいられなくなって、持ち場を離れたの。ほんの少しだけ、のつもりだった。でも地上の人に見つかってしまって』

『太陽、ですか』

『きっと貴女には理解できないでしょうけど』


 ロンガが確かめるように呟くと、リジェラは恥ずかしそうに笑った。


 彼女は後ろに首を捻り、明かり取りの窓から差しこんでいる日差しに目を細めていた。一億と五千万キロの彼方で燃えさかる超高温の光球から放たれる光が、八分間の旅を経てリジェラの肩を暖める。当たり前に見えてきっと奇跡であるこの熱を、そうか、彼女たち地底の人間は知らないのだ。


『……この手に、太陽を』


 色の薄い髪に日光が跳ねて、複雑に反射する。ぽつりと呟いたリジェラは、意志の強そうな瞳をまっすぐロンガに向けた。


『それが私たちの合言葉(スローガン)。総代が私たちにくれた、新しい世界を目指す目標』

『総代?』

『ええ。その名前は知らされていないけれど、元は地上の人間だった人で、私たち“ハイバネイターズ”の代表者』

『その人が地底の人間を決起させたと?』

『初めのきっかけは、そう。彼は、番号の組み合わせで呼ばれていた私たちに名前をくれた。リジェラ、と』

『名前を……。そういえば、貴女の名前はどういう意味なんですか?』

『え? 意味なんてないわ』


 何を言っているのか分からない、という顔でリジェラが首をかしげる。


『ただ、総代が私を見て、Rigela(リジェラ)という音の組み合わせで呼びたいと思った。それだけの話でしょう。ロンガの名前は違うの?』

『私の名前は……』


 正確には偽名だが、という言葉を飲み込む。


『言葉、という意味の名詞です。地上の人間はみんな、名詞から名前をとって命名されていますから』

『ふぅん。つまり、モノあっての名前なのね』


 リジェラが小さく唇を尖らせた。


『それって番号で呼ばれるのと何が違うのかしら。地上の人間は“ハイバネイターズ”より自由だと聞いていたのに、本当かな』


 独り言めいたリジェラの呟きに、ロンガはすぐには答えられなかった。機械的に割り振られた名前には、ラピス市民の中から特定の1人を指定するアドレス以外の役割がない。番号で呼ばれるのと大差ないと言われれば、確かにその通りだ。


 そこまで考えて、でも、と閃く。


『リジェラ、貴女の言う通りだと思います。本質的には番号で呼ばれるのと変わりない――でもね』


 そこで悪戯っぽい響きを乗せて、声を潜めた。


『実は私だけは違うんですよ。秘密にしてくれますか?』

『へえ、面白そう』


 リジェラは瞳を煌めかせる。


『いいよ。どんな話?』

『――実はロンガというのは自分で付けた偽名なんです。だから、少なくとも私自身は、私をロンガと呼びたいと思った。言葉を大切にできる人間になりたいと、そう願って、自分自身に新しい名前をつけました』


 彼女の耳元に口を近づけて囁くと、リジェラは次第に口の端を持ち上げていき、耐えられなくなったのか声を上げて笑い始めた。路上で出会ったときは分からなかったが、ひとたび心の壁を乗り越えると、とてもよく笑う性格のようだ。

 リジェラはひとしきり笑うと、はぁ、と小さく息を吐いて目を細めた。


『だいぶ無茶苦茶な人だね。貴女』

『まあ、都合がありまして』


 慣れない異言語で詳細を話す気にならず、ロンガが適当にごまかすと、リジェラはまた笑った。もし彼女が後ろ手に拘束されていなければ、肩を叩かれたような気がする、そんな笑い方だった。そういうの素敵だと思うよ、とリジェラはまだ笑いの余韻が残る声で言って微笑んだ。


 *


 部屋の奥に手を振って、扉を閉める。


 気がつくと、天頂近くにあったはずの太陽はずいぶん傾いている。1時間以上リジェラと会話していたようだ。想像よりずっと楽しかった彼女との会話を思い出すと、まだ温もりの残る胸が躍った。


 とはいえ、彼女との会話はただのお喋りではなく、MDPに委託された仕事でもある。ロンガは廊下を歩きながらメモ書きを見返して、報告する内容を頭の中でまとめた。


 彼女が地底の民“ハイバネイターズ”の仲間であり、今はその身柄をMDPに拘束されている以上、何もなしに解放することはできない。その辺りの塩梅(あんばい)はリジェラも理解していて、従って彼女の身元を地上で預かることの必要性はすんなりと受け入れられた。しかし、コラル・ルミエールが預かり先として名乗りを上げていることに話が及ぶと、リジェラの表情は濁った。


『嫌だ、と言える立場ではないんだけど』


 そう言いながらも彼女は血の気の引いた顔をうつむけた。コラル・ルミエールのロマン少年に殴られた痕である、頬に広がる腫れは引くどころかさらに広がっている気さえする。言葉の通じない相手に囲まれて一方的に殴られる絶望がどれほどのものか、ロンガには想像すらできないが、リジェラの膝が小さく震えているのが分かった。

 真っ先に攻撃の標的となったバレンシアに友人がいたからロマンの気が立っていたこと、未熟ではあるが悪い奴には見えないこと、彼が反省しているらしいことを伝えて、ひとまずの了承に漕ぎつけたが、押し切って妥協してもらった感覚が否めなかった。


 MDP構成員に報告するときは、その辺りのリジェラの反応をできるだけ織り込んで伝えたつもりだったが「了承された」という点しか引き継がれなかったようだ。彼らにとってもリジェラは厄介な存在で、何はともあれコラル・ルミエールに引き受けてもらえるならそれでいいのだろう。


 嫌な後味を覚えながらロンガはMDP本部を後にした。


 日が傾いたためか一気に気温が下がり、道を駆け抜ける風がひどく冷たい。今晩もリヤンがスープを作ってくれるといいな、と昨日食べたスープの温かさを思い出して唾を飲み込むと、ふと視界の端を何かが横切った。


 導かれるようにそちらに視線を向けると、もう誰もいなかった。一瞬だったが、見覚えのあるシルエットだった。放っておく気にもならずロンガは踵を返して、帰路とは逆方向に向かった。路地を曲がったところで、柱に隠れるように立っていた少女と目が合う。


「ルージュ? こんなところで、どうしたんですか」


 ロンガが問いかけると、彼女はばつが悪そうな顔でそっぽを向いた。

 地面にはまだ雪が溶け残っているというのに、外套も羽織らず、短いスカートからタイツに包まれた足を露出させているのでかなり寒そうだ。耳も鼻先も冷えて真っ赤になっていて、たったいま室内から出てきたという感じではなかった。コラル・ルミエールが住居にしている教堂から近いわけでもないのに、何をしていたのだろうか。


「あ――もしかして、聞いてました?」


 ふと思い当たって問いかけると、ルージュは小さく唇をかんだ。あごを引いて肩を丸める拒絶の姿勢は、事実上の肯定だろう。

 なるほどね、とひとり呟く。窓こそ開いていなかったが、リジェラはあれで結構豪快に笑うタイプだったし、外の壁沿いに立っていれば会話を聞き取ることは不可能ではないだろう。柱と壁の隙間で身体を縮こめるルージュに、ロンガは話しかけてみた。


「ルージュ。まだ未定ですけど、多分、コラル・ルミエールに彼女との対話をお願いすると思います」

「え!?」


 ロンガが語りかけると、ルージュはぱっと顔を上げた。一瞬だけ素の表情らしきものが覗いたのを、慌てて打ち消す。「そうですか」と唇を尖らせて呟いた。


「教堂に住むってことですか?」

「MDP側はそうしたいみたいですね」

「……なんか他人事みたいですね。お姉さん」


 何気ない応答だったが、ルージュは言葉尻を捉えて問い詰めてきた。あごを上げて、赤みの強い瞳でこちらをまっすぐ見つめる。その視線は鋭く尖っていて、どちらかというと睨むという表現の方が適切かもしれなかった。


「お姉さん、ホントにMDPの人なんですか?」

「――訳あって協力している立場です。正式な構成員ではないですね」


 嘘をつくのは分が悪いと判断して、ロンガは正直に白状した。MDP構成員の証である金属製の笛をロンガは持っていないから、いずれは明るみに出る嘘だっただろう。ロンガの告白を聞いて、ルージュは「やっぱり」と笑った。


「ああ、でも」

 これだけは言っておかないといけないだろう。


「話はちゃんと正確に、MDP本部に伝えていますので、そこはご安心を。彼らの許可も得ているので、非公式な密偵とかではないですよ」

「……別にそこまで疑ってないですよ。アタシ、そんな捻くれて見えますか?」

「ええと――」


 見える、と言おうとした。


 だがこの年代に特有の疑り深さと、本心を隠そうとして仮面を(まと)うのは、どちらもロンガ自身が過去に通ってきた道だった。そして、当時もっとも嫌だったのは、親しいわけでもない他者にそれを指摘されることだった。わざと衝突するように振る舞っておきながら、指摘されると腹が立つのは、矛盾しているようで実は辻褄が合っている。他人に自分の内側を覗かれるのが嫌なのだ。だから大げさな態度で拒絶するし、見透かされていると分かればさらに気分が悪くなる。


 辻褄は合っているが、対応する側からすれば八方塞がりも良いところだ。捻くれて見えない、と言ったところでその言葉は軽薄だ。ここは敢えて無神経な返事をしておくか、と思い「まあ、少しは捻くれて見えますね」と正直に言うと、ルージュはぷっと吹き出した。可愛らしい顔立ちに、にやりと笑いを浮かべてみせる。


「今、めっちゃ考えましたよね。どう答えるか」

「そうですね。めっちゃ考えました」


 ルージュの言い回しを引用してロンガが答えると、「その言い方、似合わない」と言ってまた笑われた。


 暗くなり始めていたこともあり、ロンガは彼女を教堂まで送っていくことにした。という理由の半分は口実で、本当はアックスたちコラル・ルミエールの面々にリジェラのことを話そうと思ったのだが。


「……お姉さん」


 ロンガが貸してやったマフラーで顔の下半分をぐるぐるに巻いたルージュが、白い息を吐き出して話しかけてきた。


「あの子、名前、何でしたっけ? お姉さんと一緒に教堂に来た小さい子」

「ああ――リヤンですね。ああ見えて17ですけど」


 丸っぽくて幼い顔立ちのためか、年齢より年下に見られがちな同居人の名前を答える。ルージュはたしか16歳だと聞いていたので、リヤンの方が彼女よりひとつ年上ということになる。


「リヤンが何か?」

「いえ。ただ、アタシたちの音楽を聴いてくれてた人だから、覚えておこうと思って――それだけです」

「ああ。録音を聴いてたと言っていましたね」

「ですね……ところで、お姉さんのその紅色のネクタイは、統一機関のですよね。ずっとラ・ロシェルにいたのに聴いたことないんですね」


 じとっとした目で睨まれる。心苦しいが、ラ・ロシェルに10年住んでいたにも関わらずコラル・ルミエールの存在すら知らなかったのは完全に事実なので、そうですね、と素直に頷いた。


「音楽に興味ない感じですか」

「当時はありませんでした」

「ふふ、嘘付けない感じの人ですねぇ、お姉さん」

「でも今は少しあります。リヤンがあそこまで喜ぶのは一体どういうモノなんだろう、という意味ですが」


 ルージュに指摘されたとおり、ロンガが率直に答えると、ふぅん、と満更でもなさそうな声をこぼして、彼女はまた白い息を吐き出した。横を歩いているロンガに視線だけを向けて、「もし、ですけど」と切り出した。


12月(デサンブル)のコンサート、やるっていったら来ますか?」

「えっ。ああ、あの聖夜の」

「そう、24日の夜です。なんかぁ……ロマンが昨日、突然やりたいって言い始めて」

「へえ、彼が」


 どうやら思わぬ展開になったようだ。もしかしたら、リヤンのようにコラル・ルミエールの演奏を賞賛してくれる存在に出会ったことで、彼の中の何かが勇気づけられたのかもしれない。


「それは是非(ぜひ)行きたいな。でも、こんな不安定な情勢で、明日にもラ・ロシェルが攻撃されるかもしれないのに、貴方たちは平気なんですか。演奏会を開く余裕があるんですか?」


 12月(デサンブル)の演奏会まで、まだ二ヶ月ほどある。その間にラ・ロシェルが攻撃の標的にならない保障はなく、生活がどう変化するか誰にも予測できない。ただでさえ電気は完全に失われた。十分な食料が手に入るのか、厳しさを増していく寒さに対処できるのか、生きていけるのかどうかすら分からない。


 そんな状況で歌を歌うなんて。


 ロンガの問いかけに、しかしルージュは不敵な笑みを浮かべた。


「もちろん、平気ですよ? だって、音楽はアタシたちの使命ですから」

「使命……役割、ということですか」

「はい。アタシやアックスやロマン、コラル・ルミエールの仲間たちは歌うために新都ラピスに生まれ、芸術の街サン・パウロで育った。お姉さんたち客席から見たら、音楽は娯楽でしょうけど、アタシにとっては生命(いのち)そのものです」

生命(いのち)、ですか。それが貴女の……」


 ロンガは言葉を切って、暗くなりゆく藍色の空を見上げた。

 人生を縛り付ける、「役割」というお仕着せの運命。それはかつてロンガが切り開こうとしたものだった。でも、ルージュがいま語った「使命」は、やはり誰かに与えられたものかもしれないが、たしかな喜びと誇りに満ちていた。まっすぐ前を見つめる瞳は、一番星のようにきらきらと輝いている。


「ルージュ、ひとつ聞いても良いですか? もし貴女が、唱歌隊(コラル)の一員ではなく統一機関の研修生として生まれていたら、それでも音楽を愛しましたか」

()ったり(まえ)じゃないですか。それ、何か関係あります?」


 何を意味のない質問を、そう言いたげにルージュは小さい肩をすくめた。まったく装飾されていない無愛想な表情は、本心から彼女がそう思っているのだと確信するのに十分で、ロンガは口元に笑いがこみ上げるのをこらえられなかった。全身の皮膚がちりちりと痺れて、身体の中心がふわりと暖かくなる。


「何ですか、ニヤニヤして。変なの……」


 ルージュが尖らせた唇を覆い隠すように、マフラーを上に持ち上げた。五つも年下の小柄な少女が、こんなに勇気の出る言葉をくれると思わなくて、それが嬉しかった。生まれ持って「役割」を与えられているからこそ、全ての市民はその「役割」にそぐうように成長する。もしも与えられた「役割」が違えば、その筋書きに沿って育つ。それが当然で、誰もそれを疑っていないと思っていた。


 ――もし統一機関の研修生に生まれていたって音楽を愛しましたよ。何か関係ありますか?


 ルージュの言葉はそれを真っ向から否定した。

 与えられた役割よりも先に「音楽を愛するアタシ」がいて、「音楽を愛するアタシ」は名前が違っても、役割が違っても、生まれた街が違っても何も変わりない。もちろんルージュが別の存在として生まれ変わることはできないから、一連の話は仮定に過ぎないが。でも、今ここにいるルージュが本気でそれを信じていること、そこには疑う余地などない。


 ロンガは視線を横にずらして、沈みかけの太陽を眺めた。オレンジ色に世界を染めあげる、はるか遠くの恒星と、それよりはまだ近くにいるだろう友人に思いを馳せる。


 誰もがルージュのように、自分自身の意思で好きなモノを見つけられたなら。


 生まれ持っての「役割」にとらわれない世界が。

 もしかしたら、可能かもしれない。

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