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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅰ 水晶の街
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chapitre4. 新たなる季節

【あらすじ】予想を裏切り、幹部候補生に選ばれたリュンヌとソレイユ。正直、成績優秀ではない二人がなぜ選ばれたのかリュンヌは疑問に思った。二人は、研修生を統括する立場の大人、ムシュ・ラムに呼び出される。指定された場所に行ったリュンヌは、ソレイユから「何を言われても逆らわないように」という忠告を受ける。

 リュンヌは、自分が幹部候補生に選ばれるとは全く思っていなかった。


 だから、ムシュ・ラムが名前を一人ひとり読み上げていった時も、あまり集中していなかった。どうせ5分後には、同じ内容が情報管理システムで共有されて、水晶端末(クリステミナ)でいくらでも見られるのだから。


 加えて、周囲はうるさかった。


ムシュ・ラムは何度か「静粛に」と言った。それでも抑えられないほどの歓声や嘆きが部屋のそこかしこから上がる。集会所のなかで音は飽和し、名前を読み上げていく声は聞き取りづらかった。


 だからだ。

 彼女の名前が呼ばれたとき、リュンヌが一瞬聞き逃したのは。


 一秒置いて、背中を緊張が駆け上がる。


 慌てて耳を澄ます。

 次に、相方(パサジェ)のソレイユの名前が呼ばれた。


 相方(パサジェ)を組んでいる二人が、揃って幹部候補生に選ばれた、ということになる。


 体幹がぐらりと揺れた。足下の床が今にも無くなってしまうかのような不安感に襲われた。名誉なことのはずなのに、嬉しいどころか恐ろしかった。


 ――私は多数の中のひとりでありたかった。


 責任ある立場に立てるような、そんな人間ではないのに。

 見込み違いだ。ムシュ・ラムに直談判するべきではないか、とさえ思えた。


 ふと思い出して、隣にいるアルシュを見た。政治部の発表も同様に聞き逃したが、彼女が幹部候補生に選ばれなかったことはその青ざめた表情で分かった。


 アルシュに掛けるべき言葉などとても見つからない。

 慰めるだけならまだしも、リュンヌ自身が選ばれてしまった。アルシュが選ばれたかった、その中の一人として。


 アルシュは悲壮に歪みそうな顔を、痛々しさすら感じさせる笑顔に作り替えた。

 堪えるような表情のまま、口を開く。


「……おめでとう。リュンヌ」

「ありがとう……」


 なぜ、私なんかを選んだ。

 声を大にして疑問を発したかった。


 しかしながら、口癖になっている自虐など、とてもできる状況ではなかった。


 周囲から注がれる興味の視線を振り切り、リュンヌはアルシュを連れて部屋に戻った。

 アルシュは自分のベッドにうずくまり、小さく震えながら肩で息をしている。涙を流しているだろう、その顔を抱えた枕に押しつけたまま「ごめん」と小声で言った。


「ごめんね。リュンヌ、素直に喜べないでしょう」

「それは……気にしなくていい」


 初めに謝るのか。政治部の人間が集団の和を基本的に重んじるのは知っているが、自分が苦しいときまで他人の心配をしている姿は痛々しくもある。

 しばらくすすり泣く声だけが響いた。


 彼女を置いて行っていいのか分からず、手持ち無沙汰になったリュンヌは手元の水晶端末(クリステミナ)で幹部候補生の名前を確認した。やはり何度見ても、自分とソレイユの名前がそこにはある。また、軍部の候補生のなかにはカノンも選ばれていた。

 はあ、と溜息をつく。ずいぶんな大役を仰せつかってしまったものだ。


「リュンヌ、悪いけど――」


 布団の中からアルシュが何か言った。小声だったので聞き取れず、「何て言った?」と聞き返した。


「悪いけど……出て行ってほしいの」

「……別に構わないが。午後の講義はどうする?」


 リュンヌが聞き返したとき、喉を詰まらせるような嫌な音がした。大丈夫か、とリュンヌが聞く前に、涙に喘ぐなかから発せられた、低い声が彼女を凍りつかせた。


「どうでもいいの。今、リュンヌと話したくない」


 *


 午後の講義はほとんど、上の空だった。

 手が勝手に動いて講義内容を記録していたが、その内容はほとんど丸写しに近い。


 講義に集中できない、というのは初めての経験だった。


 突然の銃撃事件に謎の少年。幹部候補生への選出。友人からの拒絶。色々な出来事がありすぎて処理の限界に達していた。つまるところ、疲れていたのだ。


 集中していないと講義はひどく長く感じられるもののようだ、とリュンヌは腹が立つほどのろまな時計の針を見つめながら、そう考えた。いつもは与えられる知識を貪欲に吸収していると、何時間でもあっという間に過ぎていくのに。


 ようやく講義の終了時間になったので、リュンヌはソレイユと合流して食事に向かった。


 カフェテリアは例の銃撃事件によってかなり損壊したため、現在は立ち入り禁止になっており、一時的に会議室のひとつが食堂になっている。ルーチンから外れた作業に、職員が手間取っているのが分かった。


 仕方ないと言うべきか、選べるメニューの数はかなり減っていた。

 リュンヌはトーストとバジルドレッシングのサラダに茹でた鶏卵、ソレイユはパウンドケーキとレモンティを頼む。


「またソルは菓子ばかり食べているな」

「うっ。良いじゃない、一日に三度しかない楽しみなんだから」

「三度しか、か。私は一日に三回も食事をしなければならないのが面倒なんだがな」

「はぁ。理解できないや。ルナの分までぼくが食べてあげたいよ」

「それで私の腹が減らないのなら、是非そうして欲しいものだ」


 軽口を叩きながら空席に着く。保温できる設備がないのだろう、食事はどれも冷めかけていた。ナイフを使ってトーストにバターを伸ばすが、ほとんど溶けてくれない。

 

 いつも通りを装っているものの、二人とも疲弊していた。


 リュンヌは正直なところ、自分が幹部候補生に選ばれるほど上澄みにいるとは思っていなかった。確認したことはないが、ソレイユもおそらく同じだろう。最底辺でも最上層でもない中央の、その他大勢。ボリューム・ゾーン。そこに属しているはずだったし、実際、定期的に公表される成績もそんなものだった。


 何故、自分たちが選ばれたのだろう。


 幹部候補生に選ばれたからには、明日からは今日までと同じという訳にはいかない。寝室は塔の高層部に移動となり、訓練の内容も変わる。リュンヌが知っているのはそのくらいで、具体的に何をするのかは全くもって不明だった。機密のため、幹部の行っている業務内容は一般研修生にはほとんど知らされないのだ。

 

 レモンティを飲み干したソレイユが周囲を見回し、口の動きだけで言った。


『ルナも多分ムシュ・ラムに呼ばれてるよね?』


「ああ、うん」と肯定する。


 研修生を統括するムシュ・ラムから、夕食後に極秘での呼び出しがあった。内容は知らされていないが、察しがつく。明日からの訓練日程についてだろう。


 指定された場所は「祈りの間」だった。


 二人は食後、誰かに後をつけられていないか確認しながら祈りの間に向かった。階段をぐるぐると回って登り、研修生の権限で立ち入れる範囲では最も高い階層まで辿りつく。夜にはいつも鍵が掛かっているが、二人が水晶端末で認証を済ませると鍵が開いた。重い扉を押して中に入るものの、室内に灯りはなく、月明かりが薄くものの輪郭を描き出している。


 部屋の中央に、ひときわ際立つ、巨大な水晶がまつられていた。


 月の光を受けて反射する水晶は、まるで自ずから発光しているかのような錯覚を見るものに抱かせた。水晶に含まれる微少な不純物が怪しく煌めく。


 そういえば、新都の一部の人間はこの国の技術を大きく発展させた水晶を信仰しており、水晶に祈りを捧げる地域もあるという話をどこかで読んだような記憶がある。リュンヌは祈りを捧げたことなどないが、水晶に神聖さを感じる人がいるのも分かる気がした。


 知らされた時間になっても、部屋には二人以外は誰も来なかった。


「……まだ、誰も来ないのか」

「幹部候補生が集められた、訳じゃないってことね」


 ソレイユがやけに納得した口調で言うので、リュンヌは「そうなのか? ソル」と尋ね返した。


「分からないぞ。遅れているだけかもしれない」

「ルナ……多分だけどね、違うんだ。ぼくらが呼ばれた目的は別にある」


 ソレイユがリュンヌの肩に手を置いた。

 そして、彼女の耳元に口を近づける。


 昼間の光のように屈託のない微笑み。太陽に照らされた草のような、朗らかな匂い。影を作らない陽射しのように、あまねく降りそそぐ優しさ。太陽の名前を冠する彼はまさにリュンヌを照らす光だった。幼い頃からずっと隣にいた、親しんだ相方の気配は闇の中でも穏やかだ。


 だけど彼の纏う空気が冷たく張り詰めていることに、嫌でも気づかされる。


 朝の銃撃戦で身の危険を冒したときよりも、なお強い緊張と警戒。

 信頼できる相方(パサジェ)の、ほとんど音のない声に、リュンヌは声を傾けた。


「ルナ、君はきっと驚く。だけど決してムシュ・ラムに逆らわないこと。大事なことはぜんぶ、ぼくが後で教えよう」


 ルナはぼくがきっと守るから。ソレイユが小声で付け足した。

 

 守るって、何から守るのだろう、リュンヌはふと考える。わからないことばかりだった。


 だけど。

 何となく、予感があって。

 今朝までの穏やかな日常には二度と戻れないような気がした。


 (エテ)の終わり、(オトンヌ)の始まり。


 薄く開けた窓から入る夜風は凜として涼しく、知らない匂いを運んでくる。

 幾度となく訪れた季節の変わり目に感傷を抱くことなどなかった。ただ、何かが始まるという予感がその夜風を特別なものに思わせた。

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