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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅴ この手に太陽を
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chapitre56. 積層の果て

 夜の間に雪が降ったらしい。うっすらと積雪したレンガの道を、いつもよりは少し慎重に踏みしめて歩いた。斜め後ろを歩いているフルルが、「冬用の靴をご用意した方が良いですか?」と尋ねた。


「いや、耐水だから大丈夫だ。ああでも、もし滑り止めがあるなら貸してほしいな」

「分かりました。帰ったら倉庫で探しましょう」

「ありがとう」


 ロンガは微笑んで、白い息を吐き出した。雪雲は朝が来る前に去ったらしい。綺麗に晴れ上がった空が、凍りついた息を溶かして青く光った。


 今、2人は統一機関に向かっている。


 かつては権威の象徴だった巨大な尖塔が、青空の下で不気味に佇んでいる。今や廃墟と化した統一機関の扉は取り外され、誰でも入れる状態になっているらしい。建物内部を漁れば多少の食料や衣料は手に入るかもしれないが、入ろうとする市民はほとんどいないとの話だった。一歩一歩歩くたびに近づいてくる巨大なシルエットを見上げて、それもそうだろうな、とロンガは内心で納得した。


「不気味だな」

「ですね」


 フルルが応じる。


「かつて人が住んでいた場所というのは、どうしてこうも恐ろしいのでしょうね」

「捨てられた側の建物が恨んでいる気がするからじゃないかな」

「ふふ、なるほど。その発想は面白いですね」


 ロンガが冗談交じりに返すと、フルルはくすりと笑ってくれた。


 塔の足下まで辿りつき、2人は取り外された扉があった場所を潜った。砕けた窓ガラスが床に落ちているが、歩けないほどではない。ロンガたちが歩くのに従って空気が動き、風が生まれて埃が舞う。それを吸ってしまって咳き込み、また埃を飛ばしてしまう。


「ほんとうに誰も入らなかったと分かりますね」

「うん、何というか空気が止まっている感じがするな」


 2人は談笑しながら階段室に向かい、長い長い上昇を開始した。久々で足が疲れるかもな、と冗談めかして言ったが、研修生が居住していたフロアまで辿りつく頃には本当に足が上がらなくなっていた。体力の衰えを実感して悲しくなる。この2年間、別に運動不足だった訳ではないだろうが、研修生としての訓練をしなくなったのが災いしているようだ。

 少し休憩することにして、カフェテリアに向かった。もちろん誰も食事を出してはくれないが、椅子が並べられているから休憩できる。廊下を先に曲がったフルルが「うわ」と呟いて、こちらを振り返り苦笑した。


「ガラスが割れたままですね」

「――あぁ。ティアが割ったやつか」

「ですね、ほらこの柱も抉れたままです」


 損傷箇所の周りには、劣化してちぎれたビニール紐が落ちていた。補修が終わるまでは、誰かがうっかり近づかないように立ち入り禁止にしていたのだろう。もう2年も前になるあの事件を、ロンガは懐かしく思いだした。

 あのとき一歩間違えれば、ロンガもアルシュの相方(パサジェ)のように死んでいたのだが、2年も経ってしまうと当時の危機感やら緊迫感はもう思い出せない。ただ、どうしようもなく遠くなった、それだけが確かな事実として存在し、時間の厚みという知覚できないはずのものをすぐ隣に感じた。


 数分休憩して、また階段室に戻った。


 2人が目指す先はかつて開発部の所有していた塔の、最上階の部屋。2年前の秋に、ロンガとソレイユが閉じ込められていたあの部屋だ。とあるものをあの部屋に置いたまま出てきたと考えられるので、ロンガはフルルに協力してもらい、それを探しに行くことにした。


 とあるもの。

 それは、かつてティアと話すために参考にしたあの小冊子だ。リジェラへの対応をどう取るか決定するために彼女とコミュニケーションを取る必要があるが、MDP構成員ではリジェラの言葉を理解できない。コラル・ルミエールの面々ならリジェラと会話ができるかもしれないが、そもそも彼らとリジェラを引き合わせていいかどうか、の段階から決めないといけないのだ。


 そういった、いわば消去法の結果、リジェラとの窓口としてロンガに白羽の矢が立ったらしい。ロンガならある程度リジェラの言葉を理解できるし、アルシュの友人なので完全な外野でもなく、更に言えば最初にリジェラとMDPが接触した場に居合わせていた。自分で言うのも何だが好条件が揃っている。


「――そんな事情で。お願いしてもいいかな」


 夜明け頃に帰ってきたほぼ徹夜明けのアルシュが、どんよりと濁った目で頼んできた。すでに起きてハーブティーを飲んでいたロンガが一も二もなく了承すると、アルシュは力なく「ありがとう」と頷いて自室にまっすぐ帰った。扉が施錠されるのと前後して、ベッドに倒れ込んだらしいドスンという音が聞こえる。「相当お疲れですね」とフルルが苦笑いした。


 そんな経緯で今、2人は塔の上の部屋を目指している。


「しかし、ここからが問題だな」


 ロンガはきしむ階段を上りながら、数段後ろを歩いているフルルに振り向いた。


「昇降装置は動かないだろうから、どうやって上に行くか」

「多分ですけど、隠し通路はあるんですよ。ムシュ・カノンがそれらしいことを言っていました。でも、もしどうしても無理だったら……」


 フルルは言葉の代わりに、親指を傾けて窓の外を指さした。


「……一応、ロープとかカラビナとか、道具はあります」

「使わなくて済むことを祈るよ」


 ロンガは肩をすくめた。塔の外壁にはろくな思い出がない。いつだか命綱すら付けずに最上階の窓から飛び出そうとした奴がいたな、と苦笑いと共に思い出す。


 祈りの間に辿りつき、重たい扉を押し開ける。


 かつては個人認証式の鍵が掛かっていたが、電気が来ないから機能していないようだ。分厚いカーテンを開けて部屋に光を入れると、背丈ほどもある切り出された水晶が日光を受けてきらめいた。建物はずいぶん荒廃したのに、水晶は全く変わった様子が見えない。もとから数百年単位の時間を生きる水晶からすれば、2年なんていうのは時間が経ったうちに入らないのかもしれないが。


 椅子に乗って天井を調べていたフルルが、あ、と呟いた。彼女が手を伸ばして排気ダクトのカバーを取り外すと、内部に曲がったパイプが突き出していた。少し移動して、真下からのぞき込むと同じような構造のものがずっと上の方まで続いている。

 (はしご)になっているのだ。

 排気ダクトは身体を通すには少し狭いように見えたが、フルルが右腕を突っ込んで中を調べていると、突然ガコンと音がして、天井の隣のパネルが外れた。とっさに手を伸ばしてパネルを受け止めると、それこそカノンのように大柄な人間でも通り抜けられるだけの隙間が生まれた。これが見た目通り換気機能を担っているとは思えないから、元から隠し通路として設計されたのだろう。


 上まで突き抜けた空洞を眺めて、やはり、とフルルが呟く。


「こういうものがどこかにあるとは思っていました。昇降装置だけでは非常時にあまりにも危険ですから」

「それにしては分かりづらい場所にあったな。まあ、分かりやすくしておいて、一般職員がうっかり迷い込んだら困るという意図かな」

「どうでしょうね」


 フルルは少し難しい顔をした。


「統一機関の幹部は塔の上で仕事をしていた、というのが、そもそも私たちの幻想だったかもしれない、という話もあります」

「いつかアルシュもそんなことを言っていた。確かに、統一機関の仕事内容に“ハイバネイターズ”との連携が不可欠だったなら、こんな高いフロアに比重を置くのはおかしいよな。だって彼らは地下にいたのだから」

「はい。今となってはもう分からないことですが」

「権威の象徴に見えていた塔が、実は巨大な()(くら)ましだった、か。ラピス市民に、地下から目を逸らさせるための」


 フルルは言葉を返さず、苦い顔で俯いた。


 2人は協力して天井の穴に身体をくぐらせ、壁面から突き出したパイプを頼りに垂直の壁を登っていった。遠近感が掴めないと危険なので、仕方なく眼帯を外す。どうせ右眼の視界は揺らいでいるのだが、全く見えないよりは幾分ましだった。


 フルルから借りたヘッドライトを付けて、上方を照らす。それでも光が上端に届かないほど空洞は縦に長く、うっかり足を滑らせて落下したら命はないだろう。パイプとパイプの隙間は縦に50センチほど空いていて、かなり手を伸ばさないと次の手がかりに届かなかった。


「外壁を登るのと気分は大差ないな」


 背筋が冷えるのを感じながら呟くと、数段下に掴まっているフルルがカラビナを差し出してきた。指先を伸ばしてどうにか受け取る。


「腰に着けておいて下さい。念のための備えです」

「命綱か。待って、その先はどこに繋がっているんだ?」

「私ですが。不安ですか?」

「……迂闊に落ちられなくなったな、気をつけるよ」


 当たり前じゃないですか、と不思議そうな声が狭いダクトに反響する。ロンガは笑い声で受け流して、慎重に一段ずつ(はしご)を登っていった。

 腰のベルトホールに着けたカラビナが、動くたびにカチャカチャと音を立てる。奇しくも2年前、この塔の上でアルシュから手紙を受け取ったときと良く似た状況になった。あのときソレイユが命綱を受け取ってくれなければ、今ここにいることもなかっただろう。不思議な偶然と何気ない選択を積み上げて、何の因果なのか、またこの場所に帰ってきたのだ。一段一段を踏みしめて身体を引き上げるたび、身体の中心が熱くなり、心臓の鼓動が早くなるような気がした。


 できるだけ下は見ないようにして、ひたすら登った。


 やがてヘッドライトの照らす上方に、突き当たりが見え始めた。焦るな、と自分に言い聞かせながら近づいていき、ダクトの天井に目を凝らす。何のでっぱりもへこみもない板だったが、よく見ると一つの辺に蝶番がついている。押し上げてみると、重たい感触と錆び付いた音と共に天井がゆっくり持ち上がり、眩しい昼間の太陽が目を灼いた。


 隙間から顔を出すと、懐かしい正七角形の部屋がロンガを出迎えた。


 ガラス張りの天井、大理石の柱。

 そして、天井から照らされた一対の虹晶石(こうしようせき)の円板。


 全てが静まりかえり、太陽の光の下に、ただ存在するだけの静物として時が過ぎるのを見守っていた。


 地面には薄く埃が積もっていて、歩くと足跡が残る。どこかの窓が開いているようで、風が吹き込んでくる。中央の部屋を出て、塔をぐるりと取り囲む回廊を歩き、二週間ほど寝室として使っていた部屋に向かう。


 お目当ての本は、丸いテーブルの上で静かにロンガを待っていた。


 緊張して変に震える指で、薄い冊子をつまみ上げる。ベッドに腰を下ろして本を開くと、当時の記憶がざぁっと音を立てて身体の中に流れ込み、鳥肌が立った。飲み込みきれないものを無理やり飲み込んだ時のように、胸元が苦しくて思わず前屈みになる。


 そうだ、いつも自分はここに座っていて。

 そして、開けた窓の桟に彼が座っていた。


 高所なのに恐れることもなく、太陽を背にして堂々と、まだ夏の匂いが残る風にオレンジ色の髪を(なび)かせて。靴と靴を引っ掛けた、床に届かない足をぶらぶらと揺らして。赤みの強い瞳が自分を、まだラピスに与えられた名前を名乗っていた頃の自分を捉えて、ぱちくりと瞬いて、いつも通りの笑顔を浮かべた口元に言葉を乗せる。


『どうしたの、**。何かあった?』


「いや、何も――」


 思わず答えてしまった、その瞬間ソレイユの幻像は霧散した。

 嫌な夢を見た。窓は開いていないのに、もう夏ではないのに、今はあのときの名前ではないのに、ここに彼はいないのに、まるでそうであるかのように、2年前の自分がここにいた。


『何かあった?』


 それは、ロンガが彼に初めて隠し事をしたときにソレイユが言った言葉。彼がロンガの嘘を見抜けないわけがないのに、下手な嘘で押し通して、結果として殺されかけたあげくにソレイユに助けてもらった。


 とっさに思い出した言葉がそれなのは、何かの罰だろうか。


 ざらついた胸中を拭い去れないまま、ロンガはベッドから立ち上がった。部屋に入ってきたフルルと目が合い、「顔色が悪くないですか?」と不審そうな顔をされる。経緯を話すのはあまりにも恥ずかしくて、ロンガは小冊子を引っ掴み、逃げるように塔の最上階を後にした。


 2年前の自分と今の自分、そして自分を取り巻く環境。あまりにも違いすぎて、どちらが良いと言えるようなものでもない。ただ、2年前に欲していたものの幾つかを手に入れたのは確かで、あの頃知らなかったことを今はたくさん知っている。


 そう、前に進んでいる感覚はあるのに。

 それらの全てと釣り合うくらいに、会えない今が辛かった。

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