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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅰ 水晶の街
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chapitre3. 三つの塔

【あらすじ】襲撃事件の犯人、少年ティアは何故新都にいないことになっていたのか。カノンは、彼が正規の手段に則らず出生した市民「ソヴァージュ」だからだろうと推測した。カノンの見舞いから帰ったリュンヌは、幹部候補生の発表が不安で寝込んでいるルームメイト、アルシュの様子を見に行く。

 リュンヌはベッドの脇の粗末な椅子に足を組んで座り、しばらくの間カノンと話をした。

 会話の議題はほとんどが、少年ティアの起こした銃撃事件についてだった。自分が危うく命を落としかけた事件で、まだほとんど時間が経っていないにも関わらず、カノンは真実究明にかなり乗り気なようだった。


 この、自分の命に対する冷淡さはソレイユと少し似ている。


 というより、多かれ少なかれ似たような性質を機関の人間はみな持っていた。自分たちは機関の求める『役割』に沿うため作られた人間に過ぎない。与えられた命を投げ出すことが『役割』ならば、それに従う。命を喜んで捨てるのとは違うが、少なくとも『役割』と釣り合う対価、くらいには思っているわけだ。


 片腕を吊ったカノンは、自由に動くほうの手で顎を掻きながらリュンヌに尋ねた。


「なぁ、リュンヌ。あの少年、正体はなんだと思う?」

「一番ありそうなのは彼がソヴァージュだということだろう。ただ、言葉を教えた人間が問題になる」

「そりゃ、産んだ奴でしょう」

「……そうか、カノン。君は覚えていないのだな」

「どういうこと?」

「あの少年、私たちとは違う言語を喋っていたんだよ」

 

 新都に暮らすほとんどの人間は『役割』を持って生まれる。


 この表現は正確ではない。

 『役割』が先にあり、それを果たすために人間が生産されると言ったほうが正しい。 


 しかしながら、正規の手段に則らず出生したために産まれ持っての『役割』を持たない市民が少数ながら存在し、彼らは野生(ソヴァージュ)と呼ばれていた。ソヴァージュの市民は大抵、4、5歳になった頃に統一機関によって摘発され、その時点で『役割』を与えられる。ちなみに、このように既にある程度成長した市民に『役割』が与えられる場合、統一機関の構成員のような高度な仕事は除外される。


 違う言語を喋っていた、という言葉にカノンは目を丸くした。


「そりゃぁアレか? 発音があまりに稚拙とかそういうことかな。奴の悲鳴みたいな金切り声はうっすら覚えてるけど」

「違う。カノン、あれはただの咆吼ではなかった。私たちの話すこの言葉とは文法も単語も異なる言語体系だった。――本の中に出てきた言葉だから、おそらく作者が作った言語なのだろうな。本当にそれを喋っているところは私は初めて見た」

「へぇ。だとしたら親がその本の作者だろう」

「些か短絡的ではないか?」


 カノンの考えに疑問を呈しつつも、なるほど、とリュンヌは思った。あまり現実的な想定ではないが、自分の作り出した言語でソヴァージュの息子を育てている、というのはない話とは言えない。ティアの見た目は10歳前後だった。普通の市民なら既に教育を受け、言語を自在に操れるようになっている年齢だろうが、あの歳になるまで摘発されなかったソヴァージュなら教育を受けていない可能性がある。


「まあ、ティア君がソヴァージュだったら、政治部は摘発にさらに力を入れるね」

「それは間違いなく。あの歳になるまで摘発されなかったのは政治部の怠慢と誹られるだろうし、それを放っておくのは彼らの沽券に関わるだろう」


 相槌を打ちながら、リュンヌは謎の少年ティアに少し同情を寄せた。統一機関に取り抑えられた彼がこの先、どういう道を辿るのか。ティア・フィラデルフィアという名は七都のひとつ、フィラデルフィアが彼の故郷であることを意味するが、少なくとも、生まれた街に帰ることはもう二度と出来ないだろうと思われた。


 ――リュンヌのこの推測は後に的中する。

 ただし、さらに悪い形で。


 *

  

 あまりカノンと話している時間はなかった。

 昼食の時間が迫っている。それが終われば、例の幹部候補生の発表と午後の講義。


 カノンは幸いなことに銃弾の被害をあまり受けずに済んだようだが、それでも片足を吊っていた。当分は医療棟で過ごすことになるのだろう。


「カノンは幹部になりたいのだろう。選ばれていると良いな」

「そりゃそうよ。だからリュンヌ、結果が分かったら教えに来てくれよ」

「何故だ? 水晶端末(クリステミナ)で名簿が参照できるだろう」

「はいはい、そうですね」


 カノンがふて腐れたような顔をする意味が分からないまま、彼に別れを告げて、リュンヌは階段を降りた。


 時折休みながら階段を上ってゆき、リュンヌは再び研修生のフロアに帰り着いた。

 毎度のことながら、この高さの階段を上りきるのは骨が折れる。低階層は、事務職員が一般市民相手に相談を受けたり申し出を受理するための窓口であり、そこで働いている人々は統一機関の構成員としては見られていない。彼らに言わせると、高階層の構成員専用エリアに立ち入れるのは特権に見えるらしいが、リュンヌからすればただ不便なだけだ、と思う。


 壁際の椅子に座っていると、窓ガラスの外を鳥が群れを成して飛んでいった。


 古くより高さは権力の象徴であり、天に近づくことは即ち神に近づくこととされたそうだ。図書館の本にも同様の価値観が無数に出てくる。

 どちらかというと、高さは恐怖の象徴だとリュンヌは思うのだが。この高さから落ちれば、人は鳥でないが故に、必ず命を落とす。結局、高みに登れば登るほど神に近づくどころか、人間の引きずっている重たい肉体を、枷として直視せざるを得ない。


 ――いや、だからこそ、高い場所で安全を確保できることが即ち、富や権力の象徴であるのか。


 リュンヌが空を仰ぎ見ると、三本の塔がそびえ立っている。

 塔の窓には景色が反射していて、中の様子は見えない。


 権力の象徴たるあの場所に、今日、自分と同じ年齢の人間が何人か選ばれて向かうことになるのだ。そう思うとどこか不思議な気分になった。10歳、初めてこの機関に足を踏み入れたときからずっと横並びだった研修生の間に、初めて埋めようのない差が生まれる日だ。


 不意に寂しさのようなものを覚えた。

 ――集団への帰属意識など持っていた覚えは、ないのだが。


 それでも、自分の周りを何となく包んでいた「研修生」という名前の集団は、少なからず肌に馴染んでいた。優秀な精鋭、凡庸な大半、そういう曖昧な濃淡こそあったものの、大まかに言えば均一な集団の一部であることはどこか心地よかった。

 

 リュンヌは一度部屋に戻り、ルームメイトのアルシュの様子を見に行こうと思った。


 彼女は朝から寝込んでいた。神経質で気が滅入りやすく、精神の不調が身体に出やすい気質なのだ。ソレイユが指摘したとおり、幹部候補生の発表を控えていることが心配なのだろう。


 ある意味では幸運なことに、午前の講義は無くなったため彼女の成績に欠席がマークされることはなかった。しかし、流石にそろそろ起こしてやらないといけないだろう。アルシュはリュンヌの隣のベッドを使っていて、毎朝リュンヌの髪を結ってくれる相手だ。社交性に欠けるリュンヌにも親しく接してくれる、ソレイユを除くと一番仲の良い友人だった。普段からの恩もある、彼女を放っておくわけにもいかない。


 共同寝室に向かい、控えめにドアをノックする。

 返事はなかったが、身じろぎする気配があった。自分たちの部屋なのだから入って良いだろう、と判断し、ドアを細く開けて中を窺う。


「――アルシュ」

「リュンヌ?」


 か細い声がベッドから帰ってきた。カーテンが引かれたままで、部屋の中は暗い。起き上がったようだが、目が慣れないのでその姿はよく見えなかった。


「カーテンを開けて良いか?」

「……うん、ありがとう。今、何時かな」

「もうすぐ昼休みが終わる」

「え、嘘……。そんなに寝てたんだ。ねぇ、午前中の講義、何だったっけ?」


 リュンヌは部屋の奥に向かい、分厚いカーテンを開けた。とたんに真昼間の陽光が溢れるように降りそそぎ、部屋を照らし出す。


「大丈夫だ。午前の講義は……色々あって、休みになったから」

「え、そうなの。ちょっと安心しちゃった」


 安心しちゃダメだよね、とアルシュが弱々しく笑う。彼女は腫れている目を擦って、ベッドから足を降ろした。ふぅ、と小さく息を吐く。


「体調はどうだ?」

「大丈夫……。リュンヌ、ありがとう。何だか、幹部候補生の発表だ、って思ったら怖くなっちゃったの。風邪とかじゃないんだ」

「ああ、やはりそうか。何にしても、病気でなかったのは良かった」

「あ、バレてたの?」


 アルシュが少し目を見開いた。


「リュンヌは全然、緊張なんてしてなかったみたいだから。発表を恐れて寝込む人がいるなんて、言わないと気付かないかと思ってた」


 誰も彼もひと言多いんだ、とリュンヌは内心唇を尖らせる。


 着替えたアルシュと一緒に、集会所に向かった。

 既に多くの研修生が集まっている。人波の向こうに、目立つオレンジの髪を見つけたが、声が届くような距離ではなかったので諦めた。


 二人はそれぞれ、所属する部門の出席簿に名前を書き込んだ。リュンヌは開発部だが、アルシュは政治部の所属だ。


「やっぱり……選ばれたいな、私」


 アルシュが手を胸元で握りしめて、小声で呟いた。


「皆そういうものだろう」

「それは嘘だよね。だって、リュンヌは幹部候補生に選ばれたいの?」


 リュンヌは答えに窮して沈黙した。

 アルシュに掛けた言葉は、彼女の緊張を解くための詭弁だったからだ。集会所に集まった研修生のうち、幹部候補生に選ばれたいと思っている人間はおそらく半分もいない。むしろ、余計な仕事を免れたいと思っている方が多いだろう。だからこそアルシュのように、新都に貢献したいという、水晶のごとく純粋な志を持つ研修生は時折肩身が狭いのだ。

 

 集会所の灯りが暗くなり、舞台にあごひげを蓄えた男性が現れた。


 彼はムシュ・ラム。

 研修生を管理する立場の大人だ。彼もまた幹部を目指したが、夢破れた人間だ。噂では幹部候補生に抜擢された過去を持ち、当時非常に優秀だったものの、事故を起こした責任を取って降格したと言われている。そういった過去のためか、研修生に対する態度は誠実にして厳格だ。


 その、舞台上のムシュ・ラムと一瞬目が合ったような気がした。

 錯覚だろうか。


 彼はマイクを取り、集まった研修生をぐるりと見渡した。


「――それでは。諸君らの中から栄誉ある幹部候補生に選出された研修生をこれより発表する」


 アルシュが唾を飲み込む気配がした。

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