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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅴ この手に太陽を
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chapitre46. 導きのともしび

 月夜の下に密やかに息づく、人々の暮らし。


 窓の向こうに暖かいオレンジ色や黄色、白がぽつりぽつりと灯る様子は、まるで星団のようだ、と思った。頬を撫でる、凜々しく涼しい風が吹く。解放された空間を、空気が滞らずに流れていく、その感覚すらひどく懐かしくて、身体が震えるのを堪えられなかった。


 ソレイユが感動に打ち震えたのと同様に、ラムも、一緒に脱獄した仲間たちも、外の世界を思い思いに味わっていた。グラス・ノワールにいた頃と違って、ここでは時間を気にする必要すらない。好きなだけ時間をかけて、感動を噛みしめることができる。無限の自由が広がっているような気さえした。


 11人の元囚人たちは、交わす言葉も疎らに、スーチェンの路地を歩いた。お互い、はぐれないように気を張ってはいたが、その足取りは外の世界に浮かされていた。地面が冷たいコンクリートではないだけで、一歩踏み出すのすら楽しく感じられた。


 15分ほど散策をして、落ち着いたところで地面に腰を下ろし、互いに自己紹介をした。


 グラス・ノワール内ではお互いのことを、割り当てられた番号で呼んでいたので、2年の間一緒にいたのに彼らの名前を知らなかった。一緒に脱出してきた仲間は、男性が7人に女性が4人。年代はばらけていたが、ソレイユが最年少でラムが最年長だった。


 ひととおり仲間の名前を頭に入れると、よし、と頷いてソレイユは話を切り出した。


「ぼくたちの方針を決めよう。今後どうする?」

「ひとまず一刻も早く、スーチェンから離れるべきだろう」


 ラムが即座に答えた。


「脱獄が起きたことは即座に知れ渡るはずだ。そのときに、少しでもスーチェンから遠ざかっていた方が、俺たちの正体が暴かれにくい」

「そもそも、どうやって生きていくか、という問題だ」


 アルクと名乗った男が、難しい顔で顎を抑える。


「この2年でラピスはだいぶ様変わりしたようじゃないか。君、ソレイユと言ったっけ? どこか頼る当てはあるのか?」

「まあ、ないね。今のところは」


 ソレイユがあっさりと認めて手を広げると、苦笑と溜息の輪が広がった。


 ともかく目的が必要だった。ソレイユが自分の欲求に正直になれば、2年前に別れた友人のいるであろうバレンシアに向かいたかったが、今はそんなことを言える状況ではなかった。明日の宿も食事もないのに、自分の都合で彼らを振り回すわけにはいかない。

 しばらく話し合ったが、意味のある議論をするには決定的に情報が足りなかった。これ以上話しても仕方ない、という諦めの雰囲気が流れ始めた頃、すっと手を上げた者がいた。


「私、ひとつ提案がある」


 そう言って皆を見回したのは、ローズと名乗った女性だった。


「昨夜の放送の内容、覚えてる? 地下に向かえ、そう言ってた。そこへの道は既に開かれている、とも。それを探してみるっていうのはどうかな」

「危険だろう。あんなことをする奴らだぞ」

「あんなことができる、ってことだよ。いま、彼ら以上に、力を持っていると分かる相手がいる?」


 彼女の提案は誰にも取り合われないまま流されたが、ソレイユは内心、悪くない案ではないか、と考えていた。というのも、自分たち脱獄囚の立場は非常に不鮮明なのだ。統一機関がなくとも、その後を継いだ何らかの組織がラピスを支配している場合、自分たちは好意的には見なされないだろう。


 一方、あの声の主がラピスと――彼らの言うところである「地上」と敵対しているのは明らかである。


 すると、もしかしたら、「地上」を敵に回して地下に下ったほうが、自分たちにとって有利である可能性も捨て切れない。もちろん、新都中の配電系統を乗っ取るという強硬な手段を使った相手だ、安易に(くみ)するのは危険かもしれないが――


 話し合う仲間の声に耳を傾けていると、いくつか足音が近づいてくるのに気がついた。見つかって素性を問われたら面倒だ。一行は目配せして立ち上がり、足音から遠ざかる方向に向かった。


 複雑に交差した路地を行く。


 5つに分岐した道を行くと、階段を数段下り、身をかがめてどうにか通れる程度の穴を抜けるとまた道が3つに分岐している。しかし、そのうち2つはしばらく進んで行き止まりになった。「迷路だな」と誰かが呟いた。途中までは道を覚えようとしていたが、あまりの複雑さに努力することを放棄した。


 遠ざかっているつもりなのに、足音が聞こえ続けている。その焦りで次第に早足になりながら、ソレイユは違和感を覚えていた。街の作りとしてはあまりに複雑すぎる。しかも行き止まりが多く、そもそも何のために作られたのか分からない道もある。何番目かの行き止まりにぶつかったところで、ソレイユは気付いた。


「これ……壁じゃないね。可動式だ」


 言いながら歩み寄り、壁の端を確かめる。暗くて見づらいが、レールのようなものが柱に刻まれており、柱と壁が組み合って上下に動くようだ。滑車か何かが仕込まれているのだろう。上を仰いでみると、周囲の家の屋根よりも高く柱が伸びている。


 隣にやってきて、ラムが腕を組んだ。


「壁と言うよりもシャッターか。昼間なら開くのか?」

「どうだろうね。普段ならともかく、今は配線がやられてるし……っ」


 その瞬間、ラムの手がソレイユの口を塞いだ。その理由はすぐ分かった、すぐ近くで仲間のものではない足音が聞こえたのだ。こちらに来るな、という祈りも虚しく、角を通りかかった男が、暗がりで息を潜める元囚人たちに目を留めた。


「あぁ? おい、何してる?」


 ふらついた足取りと、妙に舌足らずな口調に、微かに鼻腔(びこう)をくすぐるアルコールの匂い。要は深夜まで飲み交わしていたらしいが、男は銃を担いでいた。凍りついた一行に、男はおもむろに銃を向ける。


「見覚えのない顔だな」

「――ぼくら、バレンシアから来たんだよ。ちょっと迷っちゃってね」


 ソレイユが歩み出て、苦しい言い訳だ、と思いながらも弁明すると「そうかい」と言いながらも男は銃を下ろさなかった。


「俺は自警団のモンだ。この辺じゃ、よそ者は撃つって決まってる。1年ちょい前に、囚人どもが脱獄しやがったからな」

「それは知らなかったよ。見逃してもらえない?」


 ソレイユは友好的な笑みを浮かべながら、背後にこっそりと目配せをした。銃を持っているとはいえ、その扱いは見るからに素人だし、酔っているせいか隙だらけだ。気を引きつけているうちに彼の目を逃れるのは困難ではないだろう。

 「すぐ出て行くからさ」と、ソレイユが持ち前の気さくな口調で言うと、銃を持った男はにやついた笑みを浮かべた。


「そうだなぁ……」


 あまり良くない傾向だ、とソレイユは直感する。彼は、地元の人間とよそ者、銃を持っている者といない者、という立場の差を使って、何か得ができないか考えているようだ。仮に交渉を持ちかけられた場合、着の身着のまま出てきた囚人たちは、差し出せるものを持っていない。

 場合によっては強行突破もありだ、とソレイユが内心拳を握ったとき、背後で石の擦れる重たい音が聞こえた。男が「何だぁ?」と言いながら、酔って充血した目を見張る。


「こんな時間に防壁が動いてやがる」

「防壁?」


 ソレイユが振り返ると、先ほどまで行き止まりだった壁が上にスライドしていた。あれ、見ろよ、と誰かの呟きが耳に入った。その1枚だけでなく、スライドした壁の向こう側にある壁もせり上がり始めている。さらにその向こうも続き、行き止まりだったはずの道がずっと遠くまで伸びていた。


 まるで一本の道を示すように。


「あ、おい! 待ちやがれ」


 男が血相を変え、ソレイユの後ろに向かって叫ぶ。

 囚人たちがひそかに目配せして、背後に開かれた道に向かい駆け出したのだ。一秒足らずの逡巡を経て、ソレイユは身体を反転させるとともに地面を蹴った。男のわめき立てる声が聞こえ、石畳で銃弾が弾けた。地面と防壁の間にできた、50センチほどの隙間に身体を滑り込ませて転がり込む。背後で防壁が重たい音を立てて閉まる。厚い壁越しに男の悪態が聞こえた。


 壁の向こうで待っていた仲間が助け起こしてくれる。何とか逃げられたことに胸をなで下ろすが、また別方向から足音が聞こえて、囚人たちは空気を張りつめさせた。あの男は確か、自警団の者だと言っていた。仲間に連絡したかもしれない。「行こう」と頷き合って、一行は開かれた一本道を駆け出した。


 走り出した道の両脇に、次々と灯りがついていく。


 2本の光の道筋がはるか遠方まで、こちらに手を差し出すように伸びている。一行は光に導かれるように、夜の裏路地を一心不乱に走った。光の示す道は緩やかに左に曲がり、その先で急に、90度右に曲がった。ソレイユは急な方向転換を不思議に思い、直進するほうの道に目を凝らすと、武装した集団が横切るのが遠目に見えて、慌てて右の道に駆け出した。


 そこで確信した。


 間違いない、誰かに導かれている。自警団たちと自分たちの場所を正確に把握しており、このスーチェンの複雑怪奇な街並みも知り尽くしている、誰かだ。


 ――それは誰だ?


 それこそ――彼ら、「地の底より来たる人類」ではないか? とすれば、この道の行く先は、自問するまでもなく明らかに思えた。彼らの言うところの「地下世界のオアシス」だ。自分たちは彼らのもとへ誘われている。

 参ったなぁ、と文句が口を突いて出た。


「こんな状況じゃなけりゃ、もうちょっと考えて動きたいんだけど、なぁ!」


 階段を駆け上がり、勢いを付けて塀を乗り越える。

 2年間もグラス・ノワール内にいたせいか、あるいは食事が足りなかったためか、明らかに筋肉と体力が落ちている。他の選択肢を探っている余裕などなく、光に示される道筋を追うので精一杯だ。


 それでも、周囲にざわめく音の数から、周りが敵だらけなことは察知していた。これだけの数に包囲されていると、たとえソレイユが2年前と同程度の身軽さを維持していても、独力で突破するのはまず無理だった。得体の知れない相手が示す道筋に従うしかない、その悔しさに歯噛みしながらも、ソレイユは屋根から屋根へ、勢いを付けて飛び移った。いつの間にか、光の示す道筋は裏路地から外れ、屋根の上を伝う過酷なルートになっている。何とか後ろをついてきている仲間たちも、かなり苦戦しているようだった。


 光の導く先に、沈みかけの満月。


 そちらに向かって無我夢中に飛び出した――先には屋根がなくて、代わりに木立が生い茂っていた。とっさに顔をかばう。ソレイユを受け止めるように伸びていた木の枝に、勢いよく飛び込み、全身の周りで小枝の折れる音を聞きながら、急斜面に落下した。積もりに積もった落ち葉が落下の衝撃を和らげてくれたが、そのおかげで地面を掴みそこね、ソレイユは落下の勢いを殺しきれずに斜面を転がり落ちていった。


 背中をぶつけるたびに、肺が圧迫されて息が止まる。必死に顔を(かば)い、背中を丸める。身体中を襲う大小の衝撃に耐えながら、永遠にも思える落下の末に、ソレイユは薄明かりの灯る洞穴のような空間に辿りついた。ただの物体のように、ほとんど抵抗もできないまま壁に激突する。全身を打ち砕くほどの衝撃が走り、自分が死んでしまったのではないか、と感じた。


 げほ、と咳をしたので、まだ自分が生きていると分かった。


 服と髪が落ち葉まみれになっている。引っ掛かった落ち葉を払い落としながら、よろよろと立ち上がる。手足を数回曲げては伸ばしたが、おかしな痛みはない。幸いにも怪我はしていないようだ、と安堵する。


 ふと、音が近づいてくるのに気付いて目をやると、急勾配の洞穴を下って落ち葉まみれの塊が落ちてきた。自分に向かって転がってきたそれをステップして避けると、それは壁にぶつかって停止した。塊の中からラムが顔を出して、「えらい目に遭った」とぼやく。その様子がどうにも滑稽で、ソレイユはくすりと笑った。


「……笑ってるけどな」


 ラムが渋い顔になる。泥と落ち葉まみれの顔を乱雑に拭った。


「お前も大概、ドロドロだぞ」

「まあ、良いじゃない。助かったんだからさ」


 軽口で返してから、いや、と真顔になる。たしかに自警団を名乗る男からは逃げ切ったようだが、一体ここはどこだ? 助かったとほんとうに言えるのか?


 周囲を見回した。

 もとは天然の洞穴のようだが、岩壁から鉄筋が生えている。転げ落ちてきた道は傾斜がきつく、ここから登るのは難しいだろう。床は毛足の長い絨毯だ。行く先には、人工的な通路が続いている。明るくはないが、歩くのに不自由しない程度の灯りが等間隔に点灯しており、奥へ続いている。ふと天井を見ると、グラス・ノワールを彷彿とさせるスピーカーが埋め込まれている。


 そこからジジッと音がして、割れた音声が流れ出した。


『こちらは、包括型社会維持施設、ハイバネイト・シティ。本日は稼働より149230日、負荷率12.2パーセント、システム異常なし。ようこそ、生存者の皆さま』


 *


 ふう、と息を吐いて、サジェスはタスクツリーのひとつを廃棄指定した。


 彼のいる円筒型の部屋には、視界を遮らない程度の微粒子が充満している。肌に触れても吸っても身体に影響のないよう設計されている、その微粒子の役割はスクリーンだ。立体スクリーンに投影された数字、文字、記号の数々を、サジェスはより分け、組み合わせ、つなぎ変え、廃棄する。


 グラス・ノワールで脱獄が起きたという情報は、実際に囚人たちが建物から出るより早く、サジェスのブレイン・ルームに届いた。止める気も、また助ける気もなかったのだが、送られてきた映像解析を見て、サジェスは驚いた。


 ソレイユ・バレンシア、それにラム・サン・パウロ。


 サジェスにとっては忘れようもない2人だった。こんなところで生きていたのか。そのまま意識の片隅で観察していると、自警団と名乗る男が、囚人たちに銃を向ける様子が目に入った。


 ――乗っ取った配電系統を使って、彼らを助けろ。


 サジェスは即座に、下流のブレイン・ルームに命令を流した。サジェスの配下で実行中の命令として、タスクツリーが描画される。十数分後に、問題なく終了したという信号が返されたので、安堵と共にタスクツリーを廃棄した。


 そのまた数分後、空間を覆っていた微粒子が天井付近の換気口に吸い込まれる。交代時間です、という合成音声が流れる。サジェスはオペレーター権を他のルームに回し、ブレイン・ルームを後にした。微粒子のためか、少し咳き込んだ。彼は少し前に声帯回復の手術を受けたばかりで、まだ回復しきっていない。

 休憩室に向かうと、“春を待つ者(ハイバネイターズ)”の仲間たちが、総代であるサジェスに遠慮して道を開ける。壁際の椅子に腰掛けて、合成携行食を口に放り込むと、「隣、よろしいですか」と声を掛けてきた者がいた。サジェスが頷くと、彼は隣の椅子に腰を下ろし、サジェス以外には聞こえない程度の声量で話を切り出した。


「――先ほど、脱獄囚どもの護衛を預かったのですが」

「ああ、私が出したタスクだね。どうもありがとう」

「あれは必要だったのですか? ずいぶん、優先順位が高く付けられていましたが」

「当然だ」


 サジェスは内心の動揺を悟られないよう、堂々とした口調で言った。


「あのままでは彼らは撃ち殺されていただろう。分かっているだろう? 地上の民が無意味に死んでいくのは、私たちの良しとするところではない」

「不要とは言いませんよ。ですが、ハイバネイト・シティまで連れてきてやる必要がありましたか? 我々の目的は、()()()()()地上を捨てさせること。案内してやってはその意義もないというものです」

「安全かつ実行可能な待避場所の演算結果が、偶然ハイバネイト・シティだった。それだけだろう」


 サジェスの言葉に、彼は明らかに納得していない様子で、日焼けしていない顔を不満に歪めたが、「ひとまず分かりました」と言って立ち上がった。


「――ですが、貴方が信頼に足る総代だと思えなくなった、そのときは」

「分かっている」


 サジェスは言葉を遮って頷いた。“春を待つ者(ハイバネイターズ)”たちが、総代であるサジェスに向ける目は、好意的なものとそれ以外が、それぞれ半々だ。生まれてこの方太陽というものを知らず、一様に真っ白い肌と痩せた体躯をした彼らは、元々は地上の人間であるサジェスに複雑な感情を抱いている。少なくとも――見かけ上、彼らの味方だということにしなければ、彼らは呆気なくサジェスを切り捨てるだろう。


 “春を待つ者(ハイバネイターズ)”、その数、実に10万。

 地上のラピス市民の総数よりもなお多い、太陽を知らぬ者たちが、地上を奪い返せる日を今か今かと待っている。

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