表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅳ 七都の目覚め
44/217

chapitre42. 故郷

「――あれ? 消えた、え、なに?」


 夢を見ているような表情の、リヤンの肩を掴んで揺り動かした。しっかりしろ、とロンガが声をかけると、ようやく正気を取り戻したらしく、虚ろだった目に光が戻る。落ち葉の積もった地面に膝を付いたアルシュは額を抑えて、冷や汗のしたたる顔でぶつぶつと呟いていた。


「な、なに? エリザ、って誰? 今の音はいったい?」

「マダム・アルシュ、お気をたしかに! 早急に事態を把握しないといけません!」


 従者であるフルルがアルシュの顔を上げさせて、その顔に言葉を叩き込むように叫ぶ。アルシュはそれでもしばらくの間、昔の面影である弱気な表情を浮かべていたが、目の前にいるフルルを見てMDP総責任者としての自分を取り戻したらしく、はっと顔を引き締めた。


「――ありがとう。ごめんなさい、フルル、取り乱した」

「いえ、大丈夫です」


 ひとまず全員が衝撃から立ち直ったのを見て、ロンガは他3人を見回した。混乱と動揺、それから形容できない感情が胸の奥でうずまくのを、理性の力でとりあえず押さえつける。


「色々分からないことはあるけど……落ち着こう。うん、もう落ち着いたよな。よし。それで、私たちには選択肢が2つあると思う。ラ・ロシェルに向かうか、あるいはさっきの爆発音の様子を見に行くか」

「私は前者を推します。わざわざ危険なほうに行く意味がない」


 フルルがはっきりと言い切ったのに対比して、アルシュとリヤンは思案する表情になった。数秒の間を挟んでアルシュが口を開く。


「――そうだね。フルルは正しい、けれど、今小型航空機(メテオール)で飛び立つのも自殺行為に思えてならない。そもそも動くのかな。さっきの声がスピーカーから聞こえたってことは、システム自体が侵されていることの証明にならない?」

「それは確かに否定できませんが――」


 メトル・デ・ポルティの2人が議論を始めようとすると、リヤンが小さい、しかしはっきりした声で「私は……」と話し始めた。


「アルシュさんたちは止めるだろうけど、バレンシアの様子を見に行きたい」

「冒険心で見に行くようなものではないですよ」


 フルルが厳しい口調で言うと、「違うの」と激しく首を振った。


「私の……故郷なんです。家出みたいなことしておいて何を、と言うかもしれないけど、仲間が、友だちがいるんです。助けたいんです」

「リヤン――」


 彼女の言葉を聞いて、ロンガはようやく自分の感情が理解できた。胸の奥にある重たいしこりのようなこれは、故郷を愛する気持ちだ。生まれ育ち、旅を経て帰ってきて、また立ち去ろうとしているバレンシア、そしてバレンシアに住まう人々の安否を気にするのはごく自然な感情ではないか。


 リヤンの肩に手を置いて、ロンガはメトル・デ・ポルティの2人を見据えた。


「私からも頼みたい。何か一つでも力になれるのなら、私たちにとってはバレンシアに戻る価値があるんだ」


 フルルは目を見開いて反論しかけたが、その横でアルシュが「――分かった」と静かに頷いたので、驚いた顔でそちらを見やった。


「駄目です! ……百歩譲りましょう、貴女はここにいてください」

「いや、ここなら安全ということはないと思う。相手の手の内が読めない以上、そう思った方が安全。なら、現状を知ることこそ私たちの役割だと考える」


 アルシュは強い決意のこもる瞳で、じっとフルルを見つめた。


 数秒後にフルルが折れ、4人はさっき来た道を逆にたどって登っていった。まるで別の道を歩いているように錯覚するほど明るい。収穫祭の浄火を囲んでいたはずの広場に近づくと、加速度的に喧噪が大きくなった。斜面に埋め込まれた階段を二段飛ばしに登ると、予想を上回る光景に4人は息を呑んだ。


 広場は火の海の底だった。


 やぐらの中に捕らえられていたはずの炎が四方八方に手を伸ばし、干し草や畳んだテントの布に引火して無秩序に広がり続けていた。吹き付ける熱風と火の粉から身体を庇いつつ、ロンガは広場の中央に目を凝らした。


 やぐらが吹き飛んでいる。

 先ほどの爆発音はあれかもしれない。


 逃げ惑う人々にぶつかられてよろめいたリヤンの背を支える。人々の混乱は酷いもので、飛び交う声のほとんどは怒号と悲鳴だった。魂の抜けたような顔で座り込む者や、親しい者の名を呼んで回る者がいる。


「ひどい……」


 衝撃で口元を押さえていたアルシュが、強ばった顔をロンガに向けた。


「消防の備えはないの?」

「――焚き上げで火を使うのだから、流石にあるはず」


 だが、消火器のひとつやふたつでどうにかなる規模とは思えなかった。もっと大規模に放水しないと消火できないだろう。どこかに防火用水があるんじゃないか、と話していると、リヤンが「広場の裏に農業用の貯水池がある」と言った。


「裏というと、あちら……ですか。今のところ、右手を回れば向かえそうですが」


 フルルが目をすがめて、燃えさかる炎を(にら)んだ。

 彼女と同じ危惧を誰もが感じていた。フルルの言うとおり、貯水池に向かうには火の海になっている広場を回り込む必要があるが、向かっている途中で風向が変わると危険だ。空気は乾燥しており、うっかり風下に入ってしまうと十分な距離を取っていても火に包まれる可能性があった。


 だからといって風の変わる向きを予測することなど――


「――あ」


 思い当たって、ロンガは右眼を隠していた眼帯を外した。正常なほうの左眼を手で覆い隠し、どうか頼む、と祈りながら揺らぐ視界に目を凝らす。


 未来を見通すという眼。

 大いなる力(ビヨンド)の贈り物。


 ――本当に人知を超えた存在だと言うのなら、今、その力を見せてくれ。


 熱風が叩きつけても瞬きひとつせず、数分後の未来に照準を合わせて、移り変わる景色をひとつも見逃すまいと集中した。初めは一秒に何十回も明暗が入れ替わり、混じり合ってほとんど何も見えなかったが、目が乾いて目尻から涙が零れても、痛みに(こら)えて目を凝らすと徐々に景色がひとつの像へ集約されていくのが分かった。


「待って、右は駄目だ!」


 考えるよりも先にロンガは叫んでいた。

 フルルたちが今まさに向かおうとしたその先に、火の手に巻かれた木立が見えたのだ。真っ先にこちらへ振り返ったアルシュが「どうして?」と言いかけて、上半身をびくりと強ばらせた。今まで眼帯で覆われていた、異様な色を(てい)した右眼を見たのだろう。


「風向が変わる。遠回りになるが、左手の集会所の裏を回っていこう」


 唐突な提案だったが、アルシュはロンガの言動や、白銀色に変色した右眼に説明を求めず「分かった」と飲み込んだ顔で頷いた。2人がそれ以上の議論をすることなく、左手に向かい駆け出すと、おそらく納得していないフルルや、状況が飲み込めていないリヤンも後ろをついてきた。


 集会所の裏に倉庫があり、そこで運良く放水設備を見つけた。


 おそらく清掃用か農業用で、やや心許(こころもと)ない大きさだが、電気を必要としない手動ポンプで、この状況下においてはこれ以上ない幸運だった。貯水池の場所を知っているリヤンをアルシュと共に先に向かわせ、ロンガはフルルと共にポンプを担いで後を追った。


 フルルはポンプを担ぎ直しながら、広場の反対側に目をやって呟いた。


「マダム・ロンガ、どうして分かったのですか。あちらに火の手が行くと……」

「後で説明する。今はともかく信じてくれ」


 子細(しさい)を話している時間はなかった。フルルは疑問が残った顔のまま、それでも「分かりました」といって頷いた。その反応が普通だろう。あの一瞬でロンガの言葉を信じてくれたアルシュの決断力は並大抵ではない。


 貯水池にたどり着き、取水口を水中に投げ込む。ポンプで水をくみ上げる作業は年下の2人に任せ、ロンガとアルシュは放水ホースを一緒に持って広場に向かった。折りたたまれたホースに水が通ると、思った以上の水圧に2人は振り回されかけたが、どうにか地面に脚を張って、消火しながら少しずつ前進した。


 だが、火の回りがあまりにも早い。


 燃え上がった干し草や木材をひとつ消火しても、別の可燃物に引火する速度の方が早い。火の中央に近づくほど火勢は強くなり、次第に消火速度と引火速度が拮抗(きっこう)して、ついに2人は後退に転じた。


 素人4人でできることには限界があった。


 思わず、非力さに歯を食いしばる。

 やはり駄目なのか。


 だがここで諦めてしまって、大規模な山火事に発展したら、本当にどうしようもない。バレンシアがまるごと焦土と化してしまう。何か手はないのか、とロンガは思わず空を仰いだ。


 そのとき。


 熱い空気を駈けてきぃんと高い音が響いた。

 可聴帯域ぎりぎりの高音。それは、ロンガがよく知っている音だった。


『――みなさん、緊急放送です』


 女性の澄んだ声がスピーカーから流れ出した。

 よく知るマイク越しの声に、ロンガは目を見開いた。その間にも新しい火の手が上がり、アルシュと力を合わせてホースをそちらに向ける。


『集会所の裏を回って貯水池へ向かってください。消火活動を行っています。ご協力をお願いします。――ああ、広場の東側にいる皆さんは、時計回りで走って逃げてください! 今すぐです! 火の手が向かっています』


 放送はそれからも続き、ポンプの場所やその使用方法、危険な場所や火の手が激しい場所など、落ち着いた口調で話し続けた。


 別の一団がホースを持ってやってきて、ロンガたちの右手で消火を始めた。それが二組、四組と増え、いつの間にか横一列にずらりと並んでいた。それぞれが水流を吐き出し、いっときは広場を席巻(せっけん)した炎を徐々に追い詰めていった。最後はやぐらだった場所を取り囲むようにして、四方八方から放水し、ようやく消火した。


 誰もが肩で息をして、水浸しになった広場に立ちすくんでいた。


 2人はホースを持ったまま、フルルとリヤンの元に戻った。フルルが「ご無事で良かったです」と安心した笑みを浮かべ、リヤンは腰が抜けたのか地面にへたり込んでいた。


 一体誰だったの、とアルシュが独り言のように呟く。


「さっきの声とは別だよね? それに、どうやって放送したんだろう」

「あれは、いつも幻像(ファントム)が発生したときに使う有線放送だ。完全にローカルな、閉じた回線だから乗っ取られなかったんだろう」

「ああ……そう。ともかく、助かったよ」


 安堵して力が抜けたのだろう、アルシュは貯水池の柵に身体をもたれさせた。


 ロンガ自身も身体に疲労が蓄積されているのを感じながら、うつむいて視線を落としているリヤンの隣に腰を下ろした。懐かしい声を聞いてしまったからだろう、彼女は泣いていた。ロンガが隣に来たことに気づくと、泣き顔を見られるのを嫌がったのか、膝を引き寄せて顔を隠した。


 その夜は集会所の片隅に場所を借り、仮眠を取ることにした。


 バレンシアが自給していた僅かな電力は、やはりと言うべきか使えなくなっており、夜はランタンひとつの乏しい灯りと共に過ごすしかなかった。眠りにつくまでのしばらくの間、ロンガは自分の右眼に宿った存在について説明し、それから一連の出来事について話し合った。


 記憶力に多少の自信があるロンガを中心に、4人は覚えている内容を出し合い、例の声が語った内容をできるだけ正確に文章にしてまとめた。書き付けた紙を四方からのぞき込み、その内容について話し合った。


「真祖、というのが気になります。『祖の言葉』を記したと言われる7人の祖は偽りであり、真なる祖が存在する、という意図がありますよね?」

「より良い生活を与え、って何だろう。私たちメトル・デ・ポルティよりも物資を持っているということかな。だとして、それはどこから出てくるんだろう? 統一機関の物資は私たちが管理しているのに」

「道は開かれた、って何でしょう? それに、地下、地底って言ってます。あたしは知らないんですけど、地下に何かあるんですか?」

「何か分からないが、彼らはこちらを憎んでいるんだな。それに――真祖エリザ、と言ったよな? どうしてここで彼女(エリザ)の名前が出るんだ」


 話し合うというよりも、疑問点ばかりが列挙され、誰もそれに答えられないという状況だった。ランタンを消し、3人が眠りについてしまった後も、心臓がどきどきして落ち着かず、ロンガは満月が青白く照らす天井を見つめて考えていた。


 地下、という言葉には少し思うところがあった。


 2年前、ラ・ロシェルを脱出する前夜、マダム・カシェ・ハイデラバードの術中にはまって連れ去られた先は、かつて身の回りの雑用係をしていた青年・サジェスが「ラピスの一番下」と形容したように、地下の広大な施設だった。彼に連れられて地下を脱出してから、怒濤の勢いでさまざまな出来事が押し寄せたために、気にする暇もなかった。

 だが、結局あれは何のための施設なのか、カシェやサジェスがどのようにあの場所に関わっているのか、その疑問は片付けずじまいだった。


 地の底より来たる真の人類、と名乗った彼らがいるのは、もしかして――。


 確信めいた直感を抱きながら、ロンガは目を閉じた。酷使した右眼には、じんわりとした痛みが残っていた。今度こそ、夢の世界へ落ちていけるように、ロンガは心を静めて、まぶたの向こうに落ちている月光の煌めきを眺めた。


 *

 

 それと同時刻。

 スーチェンの牢獄、グラス・ノワールにて。


「まさか悠々と寝てるとは、な――おい、寝てる場合じゃない。起きろ」


 身体を揺り動かされて、タオルを畳んだだけの枕から頭がずり落ち、コンクリートに打ち付けられる。うるさいなあ、と呟いて、後頭部を擦りながら起き上がった。寝癖のついた長髪をかき分けて、数秒後に「あれ」と目を見開く。


「いや、なんでぼくの部屋入れてるの?」

「そこだ。おそらく配電系統がやられてる」

「あぁ――え、さっきの放送のせいで? そういうこと?」

「正解だ。行くぞ」


 ぐいと手を引いた壮年の男、ラムに彼は「ちょ、ちょっと待ってよ!」と慌てて声をかけた。部屋の片隅、床の割れ目に押し込んであった荷物をまとめ、何よりも大切なイヤリングを引っ掴んで立ち上がる。

 用意はできたか、と聞くラムに「まだ」と首を振る。


「逃げるなら全員でだよ」

「おい。いつまで警備システムが麻痺してるか分からんぞ」

「復旧したときにぼくらのこと報告されたら、それはそれで詰みでしょ!」


 ソレイユ・バレンシアはそう叫んで、独房を飛び出した。



 Ⅴ 七都の目覚め 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ