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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅳ 七都の目覚め
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chapitre40. 旅支度

 夜が明ける。


 紺色の空に赤色が差すのと同時にロンガは目を覚ました。両耳の上だけが長く伸びた髪を結い、月のイヤリングをつける。洗いざらしのシャツに腕を通して、外の水道で顔を洗う。頬にしたたる水を払いながら顔を上げると、吹き付けた秋の冷たい風が体温を奪っていった。


 収穫祭の催される今日を最後に、この街を発つと決めた。

 もう迷いはないが、何だかんだ見慣れたバレンシアの景色を見下ろすと、胸の奥が締め付けられたように感じて、唇を横に引く。視界の右側がまた揺らぐのに気づき、見たくもないものを見ないために、ロンガは右眼を覆い隠した。


 *


 その数日前の、これまた朝。


「……リヤンは?」


 大部屋(サロン)のテーブルにつき、開口一番ロンガが問いかけると、座ってパンを切り分けていたサテリットは困ったような笑顔を浮かべる。それで察した。


「出てこない、か。まあそうなるな……」

「貴女のときはどうだった? ロンガ、貴女が記憶を取り戻したときは」

「私は――そうだな」


 ロンガは懐かしさすら覚えながら当時を思い返す。あのとき非日常的な状況に置かれていたとはいえ、意外にもショックは薄かった。むしろ、エリザの記憶を忘れずに持っていたソレイユを羨ましく思った気がする。


「――とはいえリヤンはまた、事情が違う。あの子が受け入れなければいけない事実の大きさは、私とは比べものにならないし……」


 言い訳のようにロンガが付け足すと、そうだよね、と頷いてサテリットは俯いた。自分たちのした選択が最善だったのか、ロンガにも、誰にも分からない。ただ祈るしかないのだ、リヤンの双肩が真実の重みに耐えてくれることを。


 リヤンに真実を打ち明けると決めたとき、後悔だけはしないように努めよう、と4人で約束した。後悔しないため最善の選択をしようという意味ではない。もちろん最善を目指すが、たとえ選んだ結果が思ったような未来にならなくても、自分たちを責めないと決めたのだ。


 なぜなら、時間は一方にしか流れないのだから。

 人は未来を見通せないのだから。


 それがロンガの出した答えだった。

 右眼に飛び込んできた、他称大いなる力(ビヨンド)の手を借りれば、リヤンに真実を打ち明けた後の未来を見ることもできただろう。だがロンガはそれを望まず、また第43宿舎の3人もそれを良しとしなかった。


「そんな得体の知れない相手に頼るかよ」


 言い方は乱雑だが、そのシャルルの発言が第43宿舎の総意と言えた。自分たちの持ちうる全ての情報を出して考えた結果、正直に全てを打ち明けると決めたのに、そこで超越的な力に頼ることは不誠実だと考えたのだ。


 朝食の時間が終わってもリヤンは起きてこなかった。


 ロンガは布にくるんだパンと、マグカップに注いだスープを持って、リヤンの部屋をノックした。返事は期待していなかったが、意外にもかすれた声で「誰?」と聞いてきた。


「ロンガだ。朝食を持ってきた」


 ありがとう、と答える声にはいつもの元気さが見る影もない。言葉の前後に、すすり泣く音が聞こえて心が痛んだ。朝食を扉の前に置いて立ち去るか悩んでいると、きぃと音を立てて扉が細く開いた。

 真っ赤に充血した目がロンガを捉えてぱち、と瞬く。

 マグカップを受け取ったリヤンは、迷うように視線を揺らがせた。


「……ちょっと話してもいい?」

「もちろん」


 カーテンが引かれたままのリヤンの部屋に入る。

 テーブルに朝食を並べると、リヤンは勢いよくパンにかぶりついて食べ始めた。何口か食べ進めるうちに、大きく見開いた目から大粒の涙がこぼれて、リヤンは眉間に何本もしわを寄せる。それでも咀嚼(そしゃく)する速度は緩めずに手のひら大のパンを綺麗に食べ終えると、リヤンは涙を流したまま、あははと笑った。


「お腹って空くんだよね。あたし、いま、すっごい悲しいのに、お腹が鳴ってさ。あはは、もう、バカみたい」

「……良いことだと思うよ」

「昨日はさぁ……本当に死んでやるって思ったんだよ」


 リヤンはマグカップを掴んでスープを一気に飲み干した。その間にも、頬からしたたる涙がスカートに落ちていく。


「リゼのこと全部思い出したんだ。あたしを(かば)って一緒に崖から落ちたんだよ。助けが来るまでの間、あたし、下敷きになってさ、リゼの身体が冷たくなってくの、ずっと感じてたんだ。思い出したくなんてなかった。助けて欲しくなんて、なかった……」


「――また、忘れたい?」

 ロンガが静かに問うと、「違う」と叫んでリヤンは激しくかぶりを振った。


「違う。あたしは悲しまなきゃいけなかったの! リゼのために、苦しんで泣いて叫んで、リゼは笑って欲しいって言うかもしれないけれど、それしかできないの!」

「そう……だよな」

「あたしは――怒ってる。悲しむべきときに、正しく悲しませてくれなかった、あの人たちが許せない」


 名前を呼ぶことも苦しい、と言わんばかりに吐き捨てた「あの人たち」という響きは、冷たさよりもむしろ、どうしようもない葛藤を感じさせた。リヤンだって、彼らが好きこのんで自分の記憶を封じたのではないことくらい分かっているだろう。

 だけど、それで許せない、だからこそ人間なのだ。


 タオルで顔を乱雑に擦って、リヤンが顔を上げた。


「……ロンガ、もうすぐいなくなっちゃうんだったよね?」


 ロンガは頷いてみせる。旧友アルシュの呼びかけに応えて、2年暮らしたバレンシアを離れ、ラ・ロシェルに向かうと決めたことはリヤンにも伝えてあった。リヤンは下を向いてしばらく躊躇(ためら)ったあと、「あたしも一緒に行きたい」とぽつりと呟いた。


「リヤン、それは――」


 ロンガが驚いて声を上げると、リヤンは「お願い!」と勢いよく言って頭を下げた。


「料理ならちょっとはできる、お手伝いなら何でもする! ここにいたくないの。お願い、連れて行って」


 ロンガは答えに(きゅう)した。


 連れて行くことが不可能だからではなく、むしろ可能であるからこそ、どうすれば良いのか分からなかった。おそらくアルシュはリヤンを受け入れてくれるだろう。ただでさえ迷惑をかけているアルシュにさらに負担をかけるのは心苦しいが、三百人を束ねており、困窮した人々を支援できるだけの物資と組織を持っているのだから、1人を追加で(かくま)うのは難しくないはずだ。

 どちらかと言うと、後に残されたアンクルたちのことが気になった。彼らは一貫してリヤンを第一に思って行動していたのに、リヤンと引き離される結末になってしまうのか。


 そう思い悩んだロンガは、しかし自分の間違いに気づいた。


 ――リヤンの心はもう、バレンシアから離れているのだ。なのに、身体だけこの家に留まっても苦しいだけだろう。アンクルたちの名前さえ呼べない、彼らと顔も合わせられないほどの状況で、なおも物理的に近い距離にいるのが、双方にとって果たして救いだろうか。


「分かった。相談してみよう」


 ロンガが言うと、リヤンは視線をしっかり合わせて「ありがとう」と言った。


 少しだけ、今までのリヤンと違う反応だった。何かをねだってそれが叶ったとき、今までの彼女なら、お礼を言うよりも先に、喜びを全面に出した無邪気な笑顔を浮かべたはずだった。

 自分が頼んだことの意味や、自分が無理な頼みをしたことを今の彼女はちゃんと分かっていて、だからこそ喜ぶより先に、誠実に礼をしようとしたのだ。丸みのある頬、幼さの残る顔立ちにも、大人として成熟しつつある芯の強さがしっかりと現れている。


 そんなリヤンとこれからも一緒にいられるなら、それは、ロンガにとっても決して嫌なことではなかった。


 *



 午後、早めに伝報局の仕事が終わったので、ロンガはアンクルの勤め先である工房に向かった。


 数日前にリヤンと約束した、ワイヤーで編んだイヤリングを作るのに必要な工具を借りるためだ。このようなことは初めてではなく、ロンガが入り口で声をかけると、顔見知りの職人がすぐアンクルに取り次いでくれた。広いオープンスペースを10人弱の職人が適当に陣取って、各々(おのおの)の仕事をこなしている。脚の折れたテーブルを修理していたらしいアンクルが手を上げた。


 ロンガは木の幹を切り出した椅子をひとつ拝借して腰掛ける。


「お疲れさま。ちょっと邪魔するよ」

「やあ。何か壊れてたものあったっけ?」

「いや、そういう訳ではないんだ。その――リヤンに約束したイヤリングを作ってやろうと思って」

「……ああ」


 アンクルは気まずそうに視線を逸らした。何が必要、と聞いて、工具をいくつか見繕ってくれる。ロンガは持参したワイヤーをペンチで丸めながら、「実は――」とリヤンが宿舎を出たがっていることを話した。

 話を聞いたアンクルは、「そっか」と淡泊にも聞こえる声で呟いた。


「うん、ロンガの友だちが許してくれるなら、僕もそれが良いと思う。ロンガだけじゃなくてリヤンまでいなくなるのは悲しいけど――」


 よっ、という掛け声とともにアンクルは木材をワークベンチに乗せた。あらかじめつけた印に沿って、鋸を引いていく。


「――許されるとは思ってなかったから。僕も、サテリットやシャルルにも、引き留める権利はないよ」

「今は仕方ないが、いつか、リヤンを連れて帰ってくるよ」

「あはは、そりゃ、そうしてほしいのが本音だけどね。帰ってこなくてもいいよ。――僕らはそう言うべきだから」

「アン……」


 彼が無理をしているのが伝わってきて、ロンガは視線を逸らした。宿長として責任を負うアンクルが、誰よりも第43宿舎の面々を、平穏で賑やかな生活を愛していたのはよく分かっていた。好奇心旺盛で冒険家気質なところのあるサテリットとは、実は真逆なのだ。


 しばらく2人は互いの作業に没頭した。


 修理の終わったテーブルを立たせて、バランスが狂っていないか確認していたアンクルが、ふと口を開いた。


「リヤンに言いたいことは色々あるけど、僕とは話してくれないだろうな。――ロンガ、代わりに聞いてくれるかい?」

「私で良いのなら」

「ありがとう。リヤンはね、日々を楽しむのがとても得意な子だ。リゼも似たところがあった。そうやって身体を飾るように――」


 アンクルはロンガの手元で完成されつつあるイヤリングを指して言った。


「何気ない日常の、ちょっとしたことを楽しめる才能に恵まれていたんだ。ここ数年、電力不足と統治権力の不在による困窮(こんきゅう)のなかで、それは、何よりも大切な才能だったと思う。――このピアスとかね。昔、工房で叱られて落ち込んでいたときに、リヤンが作ってくれたんだよ」


 片耳から吊している、変わった形のピアスを持ち上げてアンクルは笑って見せた。言われてみれば、微妙に歪んだ形状からは手作りっぽさが溢れている。実の兄、リゼの身に起きた悲劇を知ることなく、刹那(せつな)的とも言える楽しさを本物の幸せだと受け入れていたリヤンの笑顔は、彼らにとって大きな救いだったのだろう。


「うちの宿舎でリヤンは太陽だった。リヤンとロンガがいなくなって、家がどうなるか分からないけど、でも、僕が宿長だから。サテリットもシャルルもいる。何とかするよ」

「太陽か……」


 ロンガは目を細めた。

 傾き始めた陽光が、明かり取りの窓から光条となって差し込んでいて眩しかったのだ。摘まんだワイヤーの花に、イヤリングの金具を慎重につなげる。リング状のパーツをペンチで閉じればイヤリングは完成だ。ふぅとロンガが息を吐くと、出来上がったイヤリングを見て「良いじゃない」とアンクルが微笑んだ。


 借りたものを片付けて帰ろうとすると、彼は背を向けたままぽつりと問いかけた。


「ねぇロンガ。僕たちの家は、君にとってどうだった?」

「暖かくて賑やかで……こんな生活が続けば良い、とも思った。けど」


 それでも自分はあの家を出ると決めたのだ。心苦しくなったロンガが言葉に(きゅう)すると、「いいよ、気にしないで」とアンクルが笑った。


「君には君の、太陽がいるってことだよね」


 *


 収穫祭の日は刻々と近づき、秋の静けさの中にも高まりゆく人々の気勢を折に触れて感じながら、ロンガは出立の準備を進めた。勤め先の伝報局では突然の話に文句を言う人も少なからずいたが、MDP総責任者アルシュ・ラ・ロシェルに呼ばれているとあっては仕方あるまい、と軒並み引き下がった。友人の力を笠に着ているようで気分は悪かったが、ともかく彼女の名前が広く知られているお陰で事はスムーズに進んだ。

 宿舎の私室を片付けて掃除をした。保存食や鞄、統一機関謹製の丈夫で動きやすい服など最低限の旅の備えはあったが、例年、収穫祭が終わる頃に一気に気温が落ちるので、膝丈の外套を追加でひとつ見繕った。


 並行してリヤンの旅支度を進めた。


 ロンガと違って、洋服やアクセサリや愛着のあるブランケットや小物、絵本など、私物を多く抱えていた彼女だったが、あまり多くを持って行けないと言うとそれらの大半を手放した。可愛らしいが動きにくいスカートなどは全て人へ譲り、一部のアクセサリだけを持って行くことにした。

 どうせ髪飾りを付けないのだからと言って、背中ほどの長さだった髪までばっさりと切ってしまったのは流石に驚いたが、それは住み慣れたバレンシアを離れるという決意の表れでもあったのだろう。


 そして十全の準備と共に、収穫祭の日を迎えた。

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