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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅳ 七都の目覚め
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chapitre38. 邂逅

 まぶたの隙間で弾ける光が眩しくて目を開けた。


 身体は奇妙な浮遊感に包まれている。見下ろすと、いつも身体を支えてくれるはずの地面がない。紐で吊られているように手足がばらばらの方向を向いている。無重力の空間に浮いていた。


 夢か……。


 ロンガは実際に、声に出してそう呟いたつもりだったが、自分の声は聞こえてこなかった。そもそも夢の中な以上、声に出すのも頭の中で考えるのも大して変わりないのだけど。


 周囲は真っ白だったが、片手で空気をすくい上げると、その白さの正体が分かった。(もや)のような、疎密のある半透明の気体。いや――微粒子だろうか、とにかくそれが空間に充満して、揺らぎのある白を生み出しているようだった。普段なら過去の記憶を追体験する夢が多いなか、今日のはなかなかオリジナリティのある夢だ。


 のんきに評価を下すと、目の前の空間が光り始めた。

 はて、と思う。ただでさえ明度最大の白色に、さらに明るくなる猶予(ゆうよ)があるのかと。だが夢なのだから、現実の理屈など通じるわけがない。眩しいな、と思いながらも目を閉じず、ロンガはぼんやり前を眺めていた。


 はじめは針の先で突いたような極小の点だった。

 点はなめらかに三次元空間上を移動して、動いたあとに光の筋を残していく。指先で辿れるほどのゆったりした動きが、平均して一分くらいかけて一本の線を描き、いくらもしないうちに消えた。

 だが最初の点が消えるのと前後して、今度は数個の点が新しく生まれ、また動き始める。ひとつの点が生まれてから消えるまでに、消える点の数よりも、新しく生まれる数のほうが多いので、全体として光点は増えていく。線は交差し、巻きつき、衝突する。


 輝く始まり、緩やかな軌道、そして消えゆくような終わり。


 生まれては消えゆく何万もの線が、永遠にも似た時間の中で紡がれていく光景を、ロンガは静かに眺めていた。――これはいのちだ。現れては衰える生命の軌跡を、極限までディティールをそぎ落とした抽象だ。

 なればこそ。一体なぜ、自分はこんなものを見ているのだろう?


 そうか。

 見ているのではない、見せられているのだ。


 そう直感したから、線の集合体として浮かび上がった()()の顔に手を伸ばした。静かな光を湛える白銀色の瞳が、もの言わず見つめている。


 懐かしい顔はしかし、一厘の微笑みもまとっていなかった。


 凍り付いた無表情に戸惑いながらも、ロンガは思い出の人に語りかける。


「……エリザ? なぜここに」

「貴女が私を思い描いたから。それが夢というもの。私はただ、貴女が自分の記憶を元に思い起こしているだけの存在よ」

「それは違う。矛盾している」


 ロンガは首を振った。


「私は、エリザの瞳の色を覚えていなかったのだから。それに、私がエリザを思い出すなら、そんな冷たい顔はさせない」

「そう。貴女の記憶を元にしているのは本当なのだけど」


 エリザ――の姿をとった何かは、光に包まれた両手をロンガに伸ばした。抱き寄せられたロンガは、自分の身体が小さくなっているのに気づく。

 それと前後して、白に満たされていた空間が突然、直角に交差する何千もの線で区切られ始めた。幼い姿に戻ったロンガが周囲を見回すと、瞬く間にそれらは図書館の景色を構成した。整然と並べられた、背表紙を眺めるだけでも心躍るたくさんの本たち。緋色のカーペット。色鮮やかなステンドグラス。毛足の長い毛布。


「……懐かしい、愛しい景色ね?」


 エリザの姿をした何者かが、ロンガの顔をのぞき込んで、確かめるようにそんなことを言う。たしかに、ロンガのはるか遠い記憶に刻まれた、ラ・ロシェルの図書館そのものの光景が作り出されていた。


 ――でも違う。


 こんなのは偽物だ。

 いくら形だけそれらしく貼り付けたところで、あの穏やかな微笑みがないのだから。


「私は確かに、エリザと過ごした冬を愛してる。懐かしく思っている」


 至近距離で見つめる仮面の顔を、ロンガは鋭くにらみ返した。


「だからこそ! こんな形で人の思い出を(もてあそ)ぶのは止めろ。ここはあの図書館じゃないし、貴方はエリザじゃないだろう。いったい誰だ。その人の顔を使うな」

「そう思うのね。でも、ごめんなさい。他に(まと)うべき姿がないのよ」

「――その口調も、声も、不愉快だ。もう行ってくれ」


 途中から声が上ずった。


 身体だけでなく心までが幼少期に戻ってしまったのか、打ち寄せる感情に涙が止まらなかった。およそ人間らしい動作のひとつもしないくせに、エリザの姿を借りて喋っているその得体の知れない存在が恐ろしく、また悲しかった。


 ふふ、と小さな笑いが聞こえる。

 見上げると、もはやエリザを演じることを諦めたらしい()()が、困ったような顔で笑っていた。


「そう言わないでくれ。()()()は貴女に贈り物をしにきたのだ」

「誰なんだ、貴方は」

「現在のラピスに僕たちを表す言葉はない。だけど君の記憶の中には、それに近い形容があるようだね。大いなる力(ビヨンド)という言葉を覚えているかな? まあ。そんな大層なものじゃないから、むず(がゆ)い表現だけどね」

「ビヨンド……」


 ラピスの言葉ではない、確実に聞き覚えのあるその単語を思い出そうとしたが、頭が()び付いていてうまく働かない。必死に記憶を探っているロンガの頬に、白い指先が触れた。冷たい霧のような感触だった。

 ()()は、恍惚とした表情でロンガを眺めていた。


「ああ、ようやく会えたね、***。君が思い出してくれるまで10年も待ったよ。まあ、待ったというのはあくまで君たちの感覚であってだね、僕たちに時間の障壁(しょうへき)はないけど」


 統一機関にいた頃の、かつての名前を呼ばれて思わず背筋が強ばる。

 意味を掴めない言葉をつらつらと並べた()()は、何の前触れもなくロンガの右眼に指を伸ばした。視界の半分が肌色に塗りつぶされる。


 次の瞬間、その爪先が眼球に入り込んだ。


 ひっ、と喉から細い悲鳴をもらす。痛みは感じないが、生理的な嫌悪感と恐怖で身体をがくがくと揺らした。逃げようとばたつかせる手足が驚異的な力で抑え込まれる。その間にも指先がゆっくりと眼の奥に進んでいき、指が根元まで埋まると今度は手のひらが、次は手首が、という風に、ロンガの右眼を通して『それ』はロンガの中に入り込んでいった。


 目の前までやってきたエリザとうり二つの顔が、ロンガの引きつった表情を白銀色の瞳で眺める。長い蜂蜜色の髪が毛先から光の粒子になって解け始めた。目の錯覚か、無表情にかすかな笑みが浮かんだように見えた瞬間、その身体と部屋の光景がばらばらに砕け散り、全てが加速してロンガの右眼に飛び込んだ。


 ロンガは右眼を抑えて絶叫した。


 世界が砕けるのと意識が途絶えるのがほぼ同時だった。自分の身体がただの物体と化し、深淵(しんえん)の黒に落ちていくのを、意識の端の方で捉えていた。


 *


 遠くで叫んでいる声がする。


 意識の奥底を漂っていたロンガはその声に引き寄せられ、暗闇に沈んだ意識のなかを旋回しながら急上昇した。勢いよく見開いた目蓋の向こうに、見慣れた景色がある。


 第43宿舎、自室の天井だ。


 自分の悲鳴で目が覚めるという希有な経験をしたようだ。

 オレンジ色を含んだ光が斜めにさし込み、壁に平行四辺形を描いていた。午後5時くらいだろうか、と思いながらロンガは上半身を起こした。走った後のように息が乱れていて、全身に汗をかいていた。

 昼間にも関わらず眠る原因となった、頭の痛みは嘘のように綺麗さっぱり消えていた。いつものように伝報局に出向く予定だったが、朝シャルルと話してから頭痛が酷く、近い宿舎に住んでいる同僚に理由を話して休みをもらったのだ。


 それにしてもひどい夢を見た。


 エリザの皮をまとった何者かが、訳の分からないことを(のたま)った挙げ句、自分の目に飛び込んでくる夢だ。そのおぞましさを思い出して鳥肌の立った腕をこする。

 胸を抑えて息を整えていると、ふと、視界の右側が揺らぐような感覚があった。木製の窓枠、塗り固めた跡の残る壁。視界のなかにあるのはそんな何気ないものばかりなのに、ぐらりと揺れて崩れたふうに見えたのだ。瞬きをすると、さも何事もなかったと言うように、今まで通りの景色が佇んでいる。


 背筋がぞっと冷たくなった。

 ――あれは、ただの夢、だったよな?


 ()()が飛び込んできた右眼の奥に、まだ(うず)くような嫌な感触が残っていた。部屋に一人でいるのが怖くなり、放り出してあった靴を履いて早足で階段を駆け下りた。ちょうど夕食の支度をしていたらしいシャルルが通りかかり、こちらに気づいて「おう」と片手を上げる。


「よう。体調はどうだ――あ?」


 気さくな笑顔が見る見るうちに強ばり、「ちょっと来い」と言って有無を言わさず外に連れ出された。宿舎の外壁沿いに設けられた簡素な手洗い場に付くと、シャルルはロンガの背を押して、壁にかけられた鏡の前に立たせた。

 ロンガはそこに映り込んだ自分の顔を、信じられない思いで見つめた。


「……どうなってんだよ」


 シャルルがぼやいて頭を抱えた。


「何で、あの人と同じ目の色にロンガがなるんだ」

 

 ――変わった瞳をしてた。

 ――金属のような、ガラスのような、オパールのような白銀色の瞳。


 朝、シャルルと交わした会話がよみがえる。

 ロンガの瞳は左右とも青碧色をしていたはずだった。だが今は右眼だけが白銀色に煌めいて、鏡のように周囲の景色を移し込んでいた。瞳孔や光彩といった、生物の講義で習うような瞳の構造は一切が失われていた。その代わりに――そう、金属のようなガラスのような、オパールのような球体が、白目の真ん中に浮かんでいる。


 反射率の高さ、透明度、虹色に揺らめく光の破片。

 それに似た物質をロンガは知っていた。


 2年前、塔の上で見た装置に使われていた材料。水晶のなかでも特別なものであり、純度の高いものだと時空間異常を生み出すと言われる結晶。


「――虹晶石(こうしようせき)だ」


 身体が震えだしそうなのを堪えながら、ロンガは低い声で呟いた。


「夢じゃなかったとでも言うのか?」

「おーい。大丈夫か」


 その場にへたり込みそうになった身体をシャルルが支えてくれる。深く息をして、ロンガは暴れる心臓を落ち着けた。夢だったはずなどと言っていても始まらない、と自分を叱りつける。現に、今こうして見える形で異変が発生したのだから。

 そう思うと妙に落ち着いて、心がふっと軽くなった。胸を占めていた焦りのようなものが消え失せ、ロンガはふうと一つ息をついて顔を上げた。見守っていたシャルルと目が合う。


 何が起きたのか。まずそれをはっきりさせなければ、と思った。


 *


 昨日に引き続き、リヤンを除く第43宿舎の4人が大部屋(サロン)に集まった。


 一人だけ議論から外すのは申し訳ないが、記憶操作されていたリヤンを今後どうするかについても方針が固まっていない。例によって彼女が眠りについたのを確認してから、大部屋のテーブルに着席した。時刻は夜10時を回るところだった。


「しかし、昨日のようにリヤンが起きてくると少し厄介じゃないか?」


 気になってロンガが訪ねると、ああ、とシャルルが決まり悪そうに顔を逸らした。


「入眠効果の強い薬草を晩飯に入れておいた。多分起きねぇと思う」

「……そんなことしてるのか」


 記憶操作に比べれば副作用のない分まだ良いとはいえ、リヤンから真実を遠ざけるという目的のためには随分と手段を選んでいないようだ。自然と非難めいたものになるロンガの眼差しに、シャルルが「悪いかよ」と言い返した。


「俺らだって、ずっとこれでいいとは思ってない。ただ今はこうするしかないってだけだろ。違うかよ」

「ごめん。別に文句があるわけではないんだ」

「のっけから喧嘩しないで、二人とも」


 サテリットが溜息交じりに諫めて、「アン」と視線を向けた。


「昼に話してたことを共有するつもりだったけど……それは後回しで、ロンガの話を先に聞かない?」


 そうだね、と頷いてアンクルがロンガに話すよう促した。ロンガを見る彼らの視線に、恐れやおののきが混じっているのを嫌でも感じ取ってしまう。片目が異様な色に変化しているのだから仕方ない、とはいえあまり心地よいものではなかった。

 今さら信じてもらえるかどうかを心配する気にもならず、ロンガは昼に見た夢の内容と、瞳の色が変わった経緯を詳細に説明した。夢というのは普通、朝に目覚めたときは覚えていても、ふと昼に思い出そうとするときれいに忘れ去っているものだが、今回の夢に限っては目覚めてから時間がたつ今もなお鮮明で、そこが更に不気味に思えた。


 ロンガが話し終えると、しばらく3人はそれぞれ思考に(ふけ)っているようだった。ややあってサテリットが顔を上げ、「……つまり」と考えながら話し始めた。


「ロンガの深層心理に直接話しかけることができる特異な()()がいる、ということなのね?」

「夢にアクセスする……どうなっているんだろう」


 アンクルが難しい顔になって天井を見上げた。


「しかも多分、その人はロンガの身体に物理的に触れたわけではないんだよね? 記憶操作のように催眠や薬剤を使ってもいないはずだ。一体どんな技術を持っているんだろう」

「俺たちの枠組みで考えるのは止めたほうがいいんじゃないか? ラピスの技術では捉えられないだろうし、多分人間ですらねぇよ、そいつ」

「そんなこと言われても。だったらどう理解したらいいのか」

「アン、違う。私たち、誰も仕組みを理解しようとはしてない。大事なのは、それができる存在がいる、ということと、現にロンガの眼に影響が出ていること。その現状をまずは知ることよ」

「うーん……2人ともよく平気だね。今、僕の21年(つちか)ってきた常識が崩れようとしてるところなんだけど。ここ、本当に現実かい? 夢であってほしいよ」


 頭を抱えるアンクルを見て、シャルルたちが苦笑いする。


 どちらかというとアンクルの反応の方が、ロンガには馴染み深かった。サテリットは2年前からロンガの話を聞いていたし、シャルルはかつて幻像(ファントム)に巻き込まれて分岐した世界に行った経験があるから、多少非現実的な話を受け入れる土壌があったのだろう。だから逆に、そのいずれでもないアンクルが混乱するのは自然だと感じた。


「アン。心底から信じなくてもいいから、とりあえず受け入れてほしい」

「あぁ……うん。頑張るよ」


 アンクルは弱々しく笑った。


 しばらく話をして、ロンガに現れている異変と、その原因と考えられる存在についての認識を一致させた。人間の認識を超えた存在が、何らかの目的を持ってロンガに接触し、その結果として瞳の色が白銀色に変化した。途中でシャルルが、かつて幻像(ファントム)のなかでエリザに出会った話を補足して、ロンガの瞳とエリザに何らかの関係があるのではないか、という指摘をした。


 サテリットが手を上げる。


「ひとつ気になったのだけど、ロンガ、貴女の話が正しければ、その存在は『贈り物をしにきた』と言った、のよね?」

「そうだ」


 ロンガは頷く。


「ただ、その形容にどれほど意味があるか分からない。あちらは良いことをしているつもりで、こちらにとってはいい迷惑かも」

「だとしても向こうは何かを授けたつもりでいるはず。瞳の色が変わった()()では不足だと思わない? 何かほかに変わった点はないの」

「強いて言えばだけど、右眼の視界が変に揺らぐことがある」


 ロンガは変色した目を手で隠したり出したりして、視界の様子を確かめた。今も少し変だった。見えているのは全体として、見慣れた同居人たちといつもの大部屋(サロン)なのだが、いくつもの映像が微動しながら重なり合っているように見えるのだ。


「視力に何か変化があるのか。まあ妥当だな」


 何をもって妥当と断定したのか分からないが、シャルルがそう言って頷いた。


「ただ、揺らぎってだけじゃ分からん。もっと特徴はないのか?」


 そう言われてロンガが、正常な方である左眼を隠したり、立ち上がって別の場所を見たり、部屋の照明を消してみたりと色々試してみると、あまり意味は分からない、しかし重要そうな特徴に気が付いた。


「人間を見たとき、特に揺らぎが大きくなる?」


 床や天井、あるいは家具などを見たときに比べて、シャルル・アンクル・サテリットを見るときに、特に揺らいで見えるのだ。自分の身体はどう見える、と問われて自身の右手を見ると、やはり大きく揺らいでいた。


「僕、ちょっと思い当たるんだけど……」


 アンクルが顎に指を当てて言った。


「ロンガ、幻像(ファントム)が常に見えてるんじゃない?」


 彼の推論はこうだった。ロンガの瞳の色と、時空間異常を引き起こす虹晶石を紐付けて考えると、やはりロンガの瞳に時空間を超えた力が宿ったのではないか、という発想に至る。その発想と、人間の周囲で景色が揺らぐ、という情報とを合わせて、色々な時間の同じ場所が重なり合って見えているという仮説を立てた。


「時間変化が一番激しいのって、人間でしょ。ここにいたりいなかったり、違う服を着てたりして、結果的に一番揺らいで見える。家や家具はそうそう移動しないし変化しないからね。――その辺は実際に幻像(ファントム)に入るロンガたちの方が知ってると思うけど」


 アンクルの仮説には説得力があったので、3人は感心した。


 夜が遅かったので一旦みな自室に帰り、一晩寝て起きると、彼の説明がどうやら正しそうなことが分かった。昨日よりも揺らぎの周期が長くなっており、色々な過去の景色が連続的に変化して見えていることがはっきりと分かった。見えている時間はせいぜい数年の幅しか持たないようだったが、過去や未来の見える目を「贈り物」として授けられたのなら少しは理解できる気がした。


 と、ひとまずの納得はしたものの、ビヨンドと名乗ったあの存在が何を意図しているのか、その点は分からないままだ。とりあえずはこの不思議な右眼と付き合っていくしかないようだった。


 しかし、一目見て分かる異様な色の瞳をどうすべきか悩んでいると「まぁ隠しとけ。物もらいとでも言えば誰も疑わねぇよ」と言ってシャルルが使い古しの眼帯を貸してくれたので、有り難く受け取った。

 一日休んでしまった伝報局に行かなければならないので、半分になった視界に多少の不便さを感じながら外に出ると、いつもより少し賑やかな空気に気がついた。秋風のなかに高揚感が溶けているような、不思議な雰囲気だった。


「ああ、収穫祭が近いからね」


 ロンガが疑問を呈すると、玄関先で支度をしていたアンクルが答えた。


「儀式で捧げる収穫物を集めるのが、たしか今日からだ。シャルルのとこの畑も何か提供するはずだよ」

「あれ。2年前からはかなり簡素なものになったんじゃ?」


 ロンガは首をひねった。統一機関が失脚し、バレンシアが慢性的な電力不足に苦しむようになってからというもの、ともかく余計な仕事を削ることが重視され、収穫祭のような催し物は真っ先にその対象になった。バレンシアはラピス七都でもっとも農業の盛んな地であり、そのことに誇りを持つ人たちが主導して一応続いてはいるものの、そもそも物資がない・人々の協力が得られないという二重の理由でかなり質素な祭りになったはずだった。


「捧げ物は廃止されたと聞いたが」

「らしいけどね。まあ、多少暮らしもマシになってきたし、そのことを示したいんだろうな」

「マシになった? 貧困に慣れたの間違いだろう」


 ロンガが苦笑すると、「違いない」と言ってアンクルも笑った。


 喧噪とは逆方向に歩きながら、超現実的な存在に邂逅しておいて、それでもなお普通の暮らしを送ろうとしている自分を不思議に感じた。慣れ親しんだ日常というのは何よりも説得力が強く、非日常に思いを馳せようとするとき、常に自分を引き戻そうとする。


 その日常こそ、ロンガがこの2年で手にした一番大きなものだ。


 暖かく迎えてくれる友人たち。彼らと共に暮らす家。それなりに楽しい伝報局での仕事。人に囲まれた暮らし。統一機関にいた頃の、周囲を拒絶していたロンガが得られなかったものを、今の彼女は手にしていた。


 だが分かっている。


 いつまでもこの優しい日常にはいられないのだ。ロンガ自身それを望んでなどいない。

 大組織を立ち上げた友人を助けたい。電力不足だってこのままで良いわけがない。行方を眩ませたマダム・カシェだって放っておく訳にはいかない。エリザは今もまだどこかで眠っているのだろうか。他にも沢山の、気になることや人があって、それはバレンシアに()もっていては決して解決しないことだ。

 何よりも彼が気になった。


「……ソル」


 懐かしい愛称を口に出したとたん、胸の中心がざわりと沸き立った。否定できるはずもない寂しさがこみ上げる。彼は太陽(ソレイユ)のような強い引力でロンガを導いてくれる。だが別に、ロンガの指針を彼に決めてもらう気はない。統一機関にいた頃ならいざ知らず、今の彼女は、自分で道を選ぶことを学びつつあった。

 胸に浮かんだのはもっと純粋な感情だった。


「君に会いたい」


 秋の高い空を見上げて、誰にも聞こえないように呟いた。

 着実に季節は移り変わり、人を試す季節である冬が近づいている。

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