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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅰ 水晶の街
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chapitre2. 役割

【あらすじ】ティアによる襲撃事件を無事に収めたソレイユとリュンヌ。襲撃のとき、自身を助けてくれたというカノンに礼を言うためリュンヌは彼のいる医療棟に向かう。人を助けることを己の「役割」と考えている、とカノンは言うが、その「役割」を重んじる姿勢は新都の人間に共通するものでもある。

『幹部候補生が発表される日の、青天の霹靂!


 一切の前触れなく生じた銃の乱射事件は、カノン・スーチェン他数人の怪我人を出したが大事に至ることなく終わった。その事件を起こした少年、ティア・フィラデルフィアは統一機関の人間ではない。それどころか、新都にそのような名前の人間は登録されてさえいないのだ。


 事態の鎮圧には、偶然居合わせた研修生ソレイユ・バレンシアが尽力し、彼の行動によってティア・フィラデルフィアは投降した――。』


 という情報が、統一機関の広報部によって乱射事件の収まった10分後には掲示された。


 統一機関内のあらゆる人間が発信した情報は、情報管理システムに集約され、構成員に配布されている水晶端末(クリステミナ)で参照することが出来る。

 リュンヌの端末から目の前にホログラムとして投影された、その速報を読んで、ソレイユは不満げに片頬に空気を詰めた。


「違うのに。一番尽力したのはルナでしょ、ぼくは最後の良いとこを貰っただけ! そういうとこしっかり書いてくれないと、却って誇れないよねぇ。凄いねって言われても、手柄を自慢する前に、違うんです、本当はぼくの相方がやったんです、って注釈付けないといけないじゃない。そんなの興醒めだよ」

「手柄を自慢したいのかしたくないのか分からないな」

「したいに決まってるでしょ」


 ソレイユは何故か自慢げに胸を張る。


「ぼくだって、それなりのリスクを冒したんだからさ。でも、間違った情報で褒められるのは違うよね。情報は常に正確じゃないと」


 そうだな、とリュンヌは適当な相槌を打つ。


 実際のところ今回の騒動で、ソレイユはかなり危険な行動をしていた。

 平地の建物が豆粒に見えるほどの高層階において窓の外にぶら下がり、そこから窓枠を伝って建物を半周しカフェテリアの裏に回った。そして、リュンヌは知りたくないので聞かなかったが、恐らくはそれなりに破壊的な――平時ならまず許されないような行動によって室内に戻り、ティアの背後に回ったわけだ。


 彼は時折――いや頻繁に自分の身を省みない行動を取る。


 確かに彼は身軽であるが、一歩間違えれば確実に死んでいただろう手法を易々と選択するソレイユの気質が、リュンヌは相方として少し心配なのだった。


 騒動によって建物が損壊したうえに、負傷者も出たため午前中の予定は中止となった。負傷者の中には重体の者もいるらしい。不謹慎なことだが、急な休みとあって無事だった研修生は多少浮ついた空気を醸していた。


 まあ、普段から過密なスケジュールで研鑽を積んでいるのだ。

 たまの休みに浮かれてしまうのは仕方ない。


 ソレイユの名前が公表されてしまったので、興味本位で事件について聞いてくる連中から離れるため、2人は中庭にやってきていた。ソレイユが水筒から紅茶を注いでくれるのを、礼を言って飲んだ。一口含むと、僅かな酸味以外には爽やかさとしか形容できない味が広がる。


 鼻に抜ける香りを楽しんで、リュンヌは空を見上げた。


 街を見下ろすほどの高さにある中庭からも、さらに見上げる高さに3本の巨大な塔がそびえ立っている。


 統一機関を象徴するこれらの塔には、軍部、政治部、開発部がそれぞれ拠点を置いている。断面は円形、先端に向かい徐々に細くなっていく塔は、その半ばほどの高さまでは一回り大きい円柱形の建物にぐるりと囲まれている。研修生や、統一機関所属の一般職員が入れるのはこの高さまでで、更に上の、塔の細くなっていく部分は幹部候補生にならないと入れないのだ。


 最も、そうでなくたって十分に高い場所にいる。何故わざわざ高みを目指す必要があるだろう、とリュンヌは時折考える。大抵、その問いに対する答えは得られないのだが。


 幹部候補生の発表は、発砲事件の関係で午後にずれ込んだ。

 手元の水晶端末(クリステミナ)で時間を確認する。


 まだ当分の間は暇だ。


 忙しい身分なので、暇を謳歌することなどめったにない贅沢なのだが、かといって突然空き時間を突きつけられても困るというものだ。暇な時間の使い方など、誰からも教えられていないのだから。


 紅茶を飲んでいたソレイユが、そうだ、と言ってこちらに顔を向けた。


「ルナ。カノン君にお礼を言いに行ったら?」


 その瞬間自分がどんな顔をしたか、リュンヌには定かでないが、ソレイユが珍しくぎょっとした顔になり、慌てて「そんな顔しないでよ」と言う。リュンヌが自分で言うのも何だが、彼女の不機嫌な顔もソレイユなら見慣れているはずだ。なのに彼を驚かせたのだからよっぽど嫌な顔をしたのだろう。

 

 実際のところ、この上なく嫌だった。――しかしカノンには恩義も感じていた。


「……確かに奴の図体を、ていの良い壁にはしたけれどな」


 リュンヌは思い出す。あのとき、目の前にカノンが倒れてきたおかげでかなり助かった。幸いカノンは、致命的な怪我はしなかったと聞くが、彼の怪我の幾つかはリュンヌの代わりに負ったものかもしれない。感謝しているが、同時に気まずいし、きっと彼は怒っているだろう。


 ソレイユはリュンヌの肩に、励ますように手を置いた。


「それだけじゃないよ。多分あの人、ルナを守ったんだ」

「あの男がそんな献身的な行動を取るわけないだろう」


 リュンヌは一笑に付したが、ソレイユの目は真剣そのものだった。真顔より、笑顔でいることのほうがずっと多い彼だ。そんな彼に、真剣な表情で訴えかけられると、頑固なリュンヌも思わず耳を傾けようという気分になる。


「カノン君はルナのことが嫌いなわけじゃないと思うけど?」

「……やけに突っかかってくるが、興味を持たれていることは分かる」


 ただ、それが迷惑なのだ。それに鬱陶しい。


「あんなに邪険にしてても話しかけてくれるんだよ? 良い子じゃない」

「反応を楽しんでいるだけだろう。空砲で鳥を驚かすのと同じだ」

「もう、ルナはすぐそうやって人の好意を見ないフリする」


 ソレイユは頬を膨らませた。


「だったらどうなの。反応を楽しむ、ってどんな会話もそういうものじゃないの? それが善意によるのか悪意によるのか、なんて外から見ても分かんないよ。まずはお話ししてみないと! 白も黒もぜんぶ撥ねのけるようじゃさぁ、ルナが悪意を恐れるあまりに、善意の人を傷つけてないってどうして言えるの?」


 一気に言ってソレイユは、全くもう、とふてくされたように言葉を継ぎ足した。

 彼が本気で喋ると、普段から寡黙ゆえに言葉を紡ぎ慣れていないリュンヌには勝ち目がない。


 それでも自身の主張が正しいと思っていれば、頑固になれるリュンヌだが、今回ばかりはソレイユの言うことにも一理あるように思えた。


「……確かに私は、白か黒か分からない勝負を捨てる傾向にある。結果的に助けられたのは確かだ、礼は言いに行く」


 リュンヌが不承不承受け入れると、ソレイユは花が咲くように笑った。


 この会話が論戦(ディベート)なら、彼は勝利を収めたことになる。だがそれを勝ち誇らず、単純にリュンヌがカノンへの印象を改めたことを喜んだようだ。自分の主張が通ったとき、一厘の優越感すら抱かない人間は珍しいのではないか。


 そういうところも彼の美徳だと、リュンヌはそう思う。

 

 *


 リュンヌは鉛のように重たい足を一歩一歩引きずりながら、傷病者の手当をする医療棟に向かう。


 医療棟は遠く、まず統一機関の長い階段を降り、屋外に出てから再度医療棟に入り直さなければならない。上の方の階で連絡通路を作れば行き来が楽になるのだが。医療はしばしば緊急性を伴って必要とされる点からも、本当は一刻も早く連絡通路を作るべきだろう。


 しかしそれが出来ない理由もある。


 リュンヌは重たい扉を押し開け、カビ臭い室内に入った。鼻がむず痒くなるが、くしゃみでもしようものなら冷たい目を向けられるのが予想できる。なのでリュンヌは鼻先をつまんで耐え、受付でカノン・スーチェンの部屋番号を聞いた。


 受付にいた男性は、こちらを見ると嫌そうな表情を浮かべ、素っ気ない声で「5階の角だ」とだけ吐いた。


 せめて機関の人間だと分からない格好をして来れば良かった、と後悔する。

 襟の立った皺になりにくい白シャツ、仕立ての良いジレ、滑らかな手触りのスラックスに本革の膝丈ブーツ。彼女の服は全て統一機関からの支給品で、いずれも一般市民には出回っていない品だ。


 すれ違いざま、医療棟の職員に舌打ちをされる。致し方ないことだ、とリュンヌは溜息をつく。


 ラピスの医者と統一機関とは仲が悪いのだ。

 創都から今に至るまで、医者たちは何度となく、統一機関に医療部を組み込むべきだと主張してきたと聞く。そして、その全てを政治部が叩き潰してきた。この辺りの経緯は講義でいくらでも聴いた。

 

 ――新都において必要なものは第一に力、そして第二に叡知。しかしながらこれらは言わば銃と書籍である。銃を操り、書籍を読むものこそ第三の要素、統治である。

 

 新都を築いた祖たちの残した言葉の一節である。この文面に則り、統一機関の三つの部門が作られた。


 力を司る軍部。

 叡知を司る開発部。

 統治を司る政治部。


 現在、統一機関において最も影響力のある部門は政治部だ。祖の言葉からして、政治部が他の部門を牛耳ることを良しとしているから、それは当然だろう。そして、政治部は自らの権力の後ろ盾である祖の言葉を絶対的価値とし、そこに書かれていない医療は統一機関に立ち入るべきではないとしたのである。

 

『医学の研究ならうちの開発部にやらせている。君たちの仕事はあくまで目の前にいる患者の治療であって研究ではないだろう? 目の前にいる家畜を処理する畜産業や、目の前にいる客から金を受け取る商業と何が違うのかね。祖の言葉に医療とは一文字も書かれていないのだから、神聖な統一機関には入らないのが筋だ。その常識的判断に医療を軽んじていると言われてもなぁ』


 何度目かの打診のときに、政治部幹部のひとりが半笑いで発したこの言葉は流石に少々物議を醸した。医療に携わる人々や統一機関外の人々を明らかに下に見た発言だ、と多方面から苦情が頻発し、その発言した幹部は一般職員に降格となった。


 尤も――体面を保つために降格措置を取っただけで、政治部の意向はその幹部の主張と大差ないということは、統一機関内部の人間なら誰もが体感するところである。

 

 まあ、そういった事情で医療は統一機関を構成する第四の要素とはならなかったし、医療関係者はその件で未だに機関の人間を恨んでいる。しかし、医療関係者が統一機関への組み込みを申し出た理由は、統一機関の格とか、祖の言葉とかといった政治部の見解とは別のところにあるのだ。


 欲しかったのは名誉ではない。

 それは、医療棟を見れば一目瞭然と言えた。


 リュンヌが階段を踏むと、みしりと嫌な音がした。

 木材が腐りかけているのだろう、変に床が柔らかい。乱雑に置いてある布団は質の悪い麻製で、見るからに汚れている。そして慢性的に汚い空気。


 要するに貧しいのだ。


 それと統一機関の絢爛な建物、良質な繊維の布製品、空調設備などを比べれば、医療界隈が自分たちも統一機関にさえ所属していれば、と考えるのも自然なことである。清潔さ、設備の良さは何よりも医療にこそ必要だろうが、政治部はそれを認めないどころか、恐らくは現状の認識さえしていないのだ。

 

 リュンヌはふぅ、と息を吐いた。

 愚かしい政治部は憂鬱の種だが、それを憂うのは彼女の仕事ではない。


 新都においては、誰もが与えられた『役割』に沿って生きるのだ。彼女は開発部所属の研修生であり、それ以上でも以下でもない。自分にはどうしようもないことを考えるのは、とてつもなく苦しい上に無価値だ。だから、労力を削減するため、考えないという技能も時には必要である。


 それよりも目の前の課題だ。

 リュンヌは深呼吸し、角部屋の引き戸を開けた。


 *


 粗末な木製のベットに収まるカノン・スーチェンの姿はやけに小さく見えた。扉が床と擦れる嫌な音で気がついたのだろう、彼は上体を起こしてリュンヌを見据えた。彼の目に、何の色も宿っていないことに気づき、どこか新鮮味を覚える。


 嘲り。

 見下し。


 いつもリュンヌはそれを感じていた。そして、嫌悪感を覚えていた。しかし、今彼女を見ているのは、ただの目だった。そこに付帯するあらゆる感情を、今は感じなかった。


 こんな非日常の状況ゆえか。

 あるいはリュンヌの感じ方が変わったのか。


「カノン・スーチェン、体調はどうだ。礼と、謝罪を言いに来た」


 口から出る自分の言葉は、どこか横柄に聞こえた。

 彼が返事をしないので、リュンヌは余計に気まずくなる。


「先程のティア・フィラデルフィアの起こした事件のことだ。貴様――いや、カノンには覚えのないことかもしれないが、私は君の影になったために無傷で済んだ。これに対する礼がある。それから、君の負った傷の幾つかは本来私の傷であったかもしれない。それに対しては謝罪が――」

「何だよ、ルナちゃん」


 勢いに任せて、一気に言い切ろうとした言葉はカノンに遮られた。

 拒絶された、と思った。背筋が冷たいのに身体が熱い、奇妙な感覚を味わう。


 しかし、続く言葉はリュンヌの予想とは違った。


「そんなこと気にしてたのか? どっかズレてるよなぁ、やっぱ」


 普段なら罵倒だと思い、背を向けるところだ。だが、彼の言葉はいつも棘をまとっているようだったのに、今の言葉にはそれを感じなかった。リュンヌは顔を上げ、カノンと目を合わせる。知らず知らずのうちに視線を外していたことに、目を合わせてから気づく。


「……当たり前だ。軍部の人間にとって身体の健康は一番の資本だろう」

「いーんだよ、そんなの。あのねぇルナちゃん、分かってるかい? 軍部の人間は人を守るのが仕事なの。盾にしてもらうのが名誉ってやつ」


 カノンが呆れたように言う。

 窓から吹き込む風に髪を煽られながら、朗らかに笑った。

 

 リュンヌはしばらく、声が出なかった。怒声を浴びせられるのではないか、という緊張感からの解放もあるが、それ以上にカノンの言葉が衝撃的だった。


 カノンはそれ程までに軍部の人間としての意識が高いのか。

 守るのが役割だから身を挺して守った。


 言葉にすればそれだけのことだ。リュンヌは、自分を柱の陰に突き飛ばしたのが他ならぬカノン・スーチェンであることを半ば確信していた。彼女を守るようにカノンが倒れてきたのも作為的だったのだろう、と思った。


 それだけのことを彼にさせたのに。

 命を危険に晒させておいて、でもそれが『役割』だから当然だと思うのか。


「そうか。でも――それがカノンの『役割』だとしても、それに私が甘えるのは違うと思う」

「へぇ?」

「謝意は常に必要なものだ。されて当然のことだから、感謝しない。その結果相手が傷ついても謝罪しない。その姿勢は『役割』が絶対視されている以上、正しい。だがそれでは人間関係が錆び付くと言うのだ。……私の相方(パサジェ)が」


 ソレイユが言っていたことだ。


 機械には滑りを良くしてやるための油が要る。何もなくとも上手く動きそうでも、摩擦というものが常に存在する。擦れれば痛みを伴い、やがては機能停止に至る。


 だから笑うんだよ。そして、ありがとう(メルシィ)ごめんね(ディズリ)を忘れずに。


 最初に聞いたときは、絵空事だと思った。彼の、どこまでも善人じみた考え方は時に胸やけするほどで、だが美しいと思う。


「自分の言葉でなくて悪いがな」

「ルナちゃんの相方は随分とややこしい奴だね。ソレイユ君だっけ?」

「単純明快だと思うが。人の善き(さが)を信じているのだな。あと、悪いが私のことはリュンヌと呼んでくれないか」

「ありゃ。誤魔化せると思ったんだけどねぇ」

「これはソレイユに貰った名前だ。ソレイユ以外に呼ばれると何だか落ち着かない気分になる……それに、気に入っているんだ」

「そう聞くと余計に呼びたくなる」


 返事の代わりに、リュンヌは曖昧に笑った。流石にもう、彼がなぜ、リュンヌを頑なにルナと呼ぼうとしたのか、その理由が分かっていた。


 ルナは愛称だ。

 ――親しみの表現。

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