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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅳ 七都の目覚め
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chapitre32. 伝令鳥の主人

 まっすぐ登るには傾斜のつきすぎた斜面を、山道が斜めに横切っている。バレンシアは山間を切り開いて作られた街なので、どこでも似たような風景をしている。まだ電波が届いていたころの名残だろう、伝報局は街を見下ろす高台にある。伝報局に行くならば、山道の途中から伸びる細い階段を百段以上も登る必要があった。


 その別れ道で、ロンガは階段を上らずに直進した。

 向かった先は例の、伝令鳥(ポルティ)たちを呼びよせる見張り台の方向だ。薄闇に沈みつつある道の半ばで、苔むした木々の合間に隠れるように佇んでいる少女、いや、女性の姿を捉えた。近づいてくるロンガに気付いて彼女が顔を上げると、外套のフードから懐かしい顔がのぞく。


「待たせた、アルシュ」

「半年ぶりかな? 久しぶり」


 アルシュ・ラ・ロシェルは、片手を上げて控えめに振って見せた。

 彼女は、今やただの市民ではない。新都ラピスの中央都市、ラ・ロシェルで2年前に興った組織「メトル・デ・ポルティ」の中央に鎮座する人間だ。

 統一機関の失脚後にラピス市民を襲った試練は数あれど、一番深刻だったのは生活必需物資の不足だった。当時は知名度も低く小規模だった「メトル・デ・ポルティ」の前身である組織は、アルシュ本人を始め多くが統一機関の研修生から構成されていたこともあり、率先して問題解決に取り組み、インフラの再生と代替に尽力した。電気が使えなくなって麻痺した回線の代替となる、伝令鳥(ポルティ)を利用した情報伝達もその一つである。


 その労あって、社会保障組織「伝令鳥の主人(メトル・デ・ポルティ)」は今や、多くのラピス市民が知るところとなった。統一機関の、かつて強い存在感を放った三本の塔も、既に巨大な廃墟と化した。指導する者のいなくなった新都ラピスに君臨すべき新たな導き手だと、そう考える者も多い。


 しかし――もともと何のために集った組織であるのかはあまり知られておらず、また興味を持つ人もいなかった。


 メトル・デ・ポルティの作られた本当の理由を知る、数少ない人物であるロンガは、かつてからの友人の隣に腰を下ろした。ロンガの体重を枯れ葉が何層にも堆積した地面が柔らかく受け止める。その様子を見てアルシュは苦笑した。


「何だか、馴染んだね。ロンガ」


 何のことだ、と聞こうとしてロンガは意味を理解する。

 ロンガも、今のアルシュと同様、もとは新都の中心都市ラ・ロシェルで暮らしていた人間だ。生活区域はほとんどが建物の中で、落ち葉に覆われた地面どころか森さえなかった。アルシュが腰を下ろさないまま立っていたのも、要するに衛生的な抵抗感があるのだろう。


 彼女の言い方に悪意がないのは分かるが、ロンガはむ、と口を尖らせた。


「……乾いてるし不潔ではないだろう。それに私はもともとこの辺りの生まれだ」

「分かってるよ」


 アルシュは笑いながら、外套の裾を下に挟んで腰を下ろした。

 彼女の名前に連なっているラ・ロシェルの名の通り、アルシュはラピスの中心都市で生まれ育った都会育ちだ。アルシュが顔を覆っていたフードを後ろに下ろすと、懐かしい笑顔がロンガの方を向く。三百人を超える大規模な組織を束ねるまでになった友人の顔を、どこか遠い気持ちでロンガは見つめた。


 かつて彼女とロンガはルームメイトで、毎朝髪を結ってもらう仲だった。もうずいぶん遠くなってしまった記憶だが。訳あってラ・ロシェルを離れてから、メトル・デ・ポルティの飛躍的成長を耳にするたび、神経の細かった彼女がこんなにも芯の強さを兼ね備えていたんだなと驚き、同時に感心した。


「今日はお忍びで来たんだったな。何の用だ?」


 ロンガは早速本題を切り出す。方々の都市からやってくる伝令鳥に紛れて私信を寄越したのは彼女だ。性急だね、とアルシュが笑う。


「半年ぶりの再会を喜んでもいいじゃない?」

「それは確かに嬉しいけど、あんまり時間がないんだ。リヤンたちに心配を掛けてしまう。只でさえ風呂当番を任せてしまったのに」

「ふふ。ロンガ、ちゃんと共同生活できてるんだね」

「アルシュの出世に比べれば些細なことだろう」


 この2年間で、彼女とちょっとした皮肉を言い合うことを覚えた。その応酬に耐えうるほどアルシュは精神的に頼もしくなり、ロンガは感情表現の幅を増やした。


 さて、と言ってアルシュは顔色を切り替えた。彼女が眉を上げると、やや釣り上がった目つきと相まって、見る者を引きつける表情になる。


「わざわざバレンシアまで来たのは、どうしても直接言いたいことがあったからなんだ。見てもらえるかな」


 アルシュは外套のなかから、クリップでまとめられた紙の束を出した。表紙には責任者らしい誰かの名前が記され、公文書に押される押印がその上に捺されている。

 端があらかじめ折られていたページをアルシュが開き、ロンガは彼女の肩越しに資料をのぞき込んだ。縦横に区切られた表が印刷されているが、途中から読んだせいで何の表なのかよく分からない。


「これはラピス七都の出入管理を記録している表、のバックアップみたいなんだけど。2年前の騒動でかなり書類が無くなってて、ようやく見つけたのがこれ」


 アルシュが一番左の列を人差し指の先でなぞってみせる。その列には、ラピス七都の街の区切りを越えて誰かが移住した日付を記録しているようだった。そのなかで圧倒的に多いのが4月初頭、そして10月初頭だった。新生児が育ての地となる各都市に送られる4月と、年度の区切りとされる10月だ。

 日付の欄を上から下へなぞっていたアルシュの指が、ある欄でぴたりと止まる。前後と比べて明らかに異質なその日付を見て、ロンガの心臓が大きく跳ねた。


「ここを見て。創都342年9月25日。もちろん何の日か覚えてるよね?」

「……私がラ・ロシェルを脱出した日だ」

「ロンガだけじゃない。ソレイユ君もだよ」

「それって――」


 ロンガは祈るような思いで友人の顔を見た。


「――ソルは死んでいなくて、ラ・ロシェル以外のどこかにいる。そういう意味か?」

「憶測ではあるけどね」


 事実上の肯定を意味する返事を受けて、そうか、とロンガは低く呟いた。関節が浮き出るほど強く組んだ両手に視線を落とす。


 ――死んで棺に納められたはずの幼馴染が、まだ生きているかもしれない。


 初めにそう打ち明けたときのアルシュの顔をロンガはずっと忘れないだろう。当時急速に大人びつつあった顔に浮かび上がった憐れみを、彼女は即座に消した。だが、アルシュがロンガの発言を真に受けていないのは明らかだった。信じる方がおかしい。彼は大々的な葬儀と共に送り出されたのだから。だがアルシュはそれを悲しい妄想と切って捨てることはせず、友人であるロンガのために調べることを約束してくれた。メトル・デ・ポルティの人脈があるとは言え簡単ではなかったはずだ。


 現に、2年も待った。


 青色に沈み始めた森の空気を、静かに肺に詰めては吐き出す。秋の冷たい空気と自分の身体を馴染ませるように、静かに呼吸をした。そうして、アルシュの言葉が生み出すはずの熱を伴った感情が、胸の中でぱっと弾けるのを待っていた。


 だが予想とは違い、弾けるのではなく、ゆっくりと染み渡るように熱が広がった。胸の中央で花開いた柔らかい光は、ちょうど今の季節の太陽みたいに優しい。


 ふぅと息を吐いて、ロンガは「そうか」ともう一度呟いた。


「うん、信じてたよ。本当に良かった」


 ソレイユ。2年前に別れた友人の名前だ。


 ずっと彼の生死は不明のままで、それでも生存を疑わずにロンガは闘いのような毎日を生きてきた。バレンシアで新しい集団に馴染み、偽名を(かた)って共同生活を営むのは、もともと社交性に難のあったロンガにとって簡単なことではなかった。ロンガが集団生活の中で何か悩んだときには、ソレイユの顔を常に思い浮かべた。ロンガとは対極の性格で、人と話すのが好きだったソレイユの記憶は、常にロンガを励ましてくれた。彼が生きていると信じていなければ今日までやってこれなかっただろう。


「一応、確定していないとだけは言っておくね」


 アルシュが控えめに切り出した。


「こんなこと言ってごめんね。でも万一の時に、ぬか喜びしてほしくなくて」

「うん、分かってる」


 ロンガは頷いた。日付が書いてある欄の右は、どうやら名前を記す欄のようなのだが、9月25日に対応する名前欄には横線が引かれていた。色の違う文字で何か番号が記されているが、その意味まではアルシュにも分からないという。また、どの街からどの街に移動したかを示す欄も空欄のままだった。「不確実な情報でごめん」とアルシュが眉を下げる。自分のためにここまでしてくれた友人が、なおも申し訳なさそうにするのが心苦しくて、ロンガは慌てて首を振った。


「私にとっては昨日までと同じように、ソレイユが生きていると信じて生きていくだけだ。アルシュがこのリストを見せてくれたことで、それが少しだけ真実に近づいただけで」

「もしかして気を遣ってる? 良いのに」


 アルシュがくすりと微笑む。


「私も、ソレイユ君が自分の命を差し出してロンガを助けたなんて、信じたくなかったから。同じだよ、今は、この成功を喜ぼう」


 *


 本当ならしばらく余韻に浸っていたかったが、お互いに時間がなかった。「突然話題が変わっちゃって、悪いんだけど」とアルシュが切り出す。


「せっかく来たからこれも話しておくね。少し不思議なことを聞いた」

「不思議な?」

「うん――分かってると思うけど、誰にも言わないでね」


 アルシュは声を潜めた。誰かに聞かれたらまずい会話をしているのは最初からだが、より用心深い声の運びに変わる。


「――フィラデルフィアに火力発電所があるよね? そこに、先日うちから派遣して視察に行ってもらったのだけど。つまり、2年前から続く電力不足の謎を私たちは解こうと考えたわけだよね」


 ロンガは頷く。

 メトル・デ・ポルティは電力不足の謎を解決したがっている。というよりは、2年前にラピス全域を襲った、電力不足を初めとするあらゆる恐慌の全貌を知ろうとしていた。


 あの時何があって、何が失われたのか。

 当事者に近いロンガたちすらそれを理解していなかった。


 【灰雲の街】、フィラデルフィアはラ・ロシェルに次ぐ大都市だ。石炭を燃やしているせいで空は常に透明度の低い雲に覆われており、そんな名前が付けられている。地元の人間は、あるときは自虐を込め、あるときは新都の電気を担う矜恃を持って、自分たちの街を【灰雲の街】と呼んだ。


 そんなフィラデルフィアだが、基本的に相互不干渉を是とする街である。仲の良い者は連れ立って、そうでない者は一人で暮らす。ラピスでは与えられた役割さえこなしていれば日々の糧に事欠かないので、ある意味では合理的な暮らし方と言えた。


 だから、誰も知らない。

 フィラデルフィアの火力発電所がなぜ突然電気を作ってくれなくなったのかを。


 街の人間に尋ねたところで首を傾げるばかりだ。


 ――アレは確かに俺たちの街にあるが、言ったことはない。誰が動かしているのかも知らない。えっ? その理由を聞きに行かないのかって? はは、なぁんで俺たちが行くんだ。聞いたところで何ともならんだろう。


 その状況を打開するために、アルシュたちは発電所へ視察を送り込んだのだ。


「視察というのは体の良い言い方で、要するに目をかいくぐったスパイね。発電所の運営らしい集団が何の打診にも応じなくて、やむを得ず……だけど」

「別に建前は言わなくて良いのに」

「あはは、つい。建前も大切なんだ、こんなことやってると。それで、よく聞いて」


 一瞬緩められた頬が、再びメトル・デ・ポルティ総責任者の顔に戻った。ロンガの耳元に手を当てて、声帯を使わない発声で囁く。


「発電所は何の問題もなく稼働していた」


 ロンガはその意図するところが分からず、とっさの返事ができなかった。

 すぐに理解できなかった理由は、それが到底納得できない内容だったからだ。


 アルシュが小声で続ける。


「タービンの稼働停止なし。不具合はマニュアルで対応する範囲内。燃料の消費量も2年前と同じ、恣意と無為とを問わず発電量が減る原因は何もない」

「だが現に減ってる。バレンシアではずっと電力貧乏だ」

「そう。だから変に思って調べた。2年前から今まで、フィラデルフィア発電所の発電量は変わりなかった。彼らは十分に己の仕事をしている。でもここからがおかしくて……2年前のラピス全体の電力消費量と比べると全然足りなかった」

「……具体的にはどれほど?」

「おおよそ4割だね。残り6割が、私たちの(あずか)り知らぬ場所で生産されてたことになる」

「なるほど。何というか」


 ロンガは空を仰いだ。


「にわかに信じがたい話だな。2年前の事故より前から、秘密の発電所がどこかで稼働していたのか。隠すような場所なんてどこにもないだろうに」

「それでも信じてくれるんだね? ありがとう。実は少し疲れてたんだ。メトル・デ・ポルティの設立メンバーすら混乱してしまって」


 アルシュの顔に色濃い心労が滲んでいた。


 暗がりに紛れてしまっているが、目の下には隈が見え、滑らかな肌には頬骨の影が刻まれている。かつてに比べれば何周りも頼もしくなったとはいえ、身体的にも精神的にも相当な負荷がかかっているだろう。


 友人の力になりたい。

 単純な熱意がロンガの胸を締め上げた。


 だが自分に何ができるだろう。かつて統一機関の研修生であったころならいざ知らず、今の彼女はロンガ・バレンシアだ。ラピスの辺境で暮らす、しがない伝報局の一職員だ。


 途方に暮れたロンガの左手が、突然暖かいものに包まれる。

 驚いて横を見ると、ロンガの手を両手で包んだアルシュがこちらを見つめていた。今のアルシュは、MDP(メトル・デ・ポルティ)総責任者の仮面を一枚残らず外し、繊細な気質が前面に現れている。


「ひとつ、お願いなんだけど」


 言葉を紡ごうとしてはためらう。唇が秋の夜風に震えているようだった。友人がいま勇気を振り絞っていることが分かり、ロンガは黙って続きを待った。意を決したようにアルシュは目を見開いた。


「……私と一緒にラ・ロシェルに来てくれない?」

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