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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅳ 七都の目覚め
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chapitre31. ロンガとリヤン

 急傾斜の斜面から突き出した、二メートル四方ほどの空間。

 一応、落下を防ぐために腰ほどの高さで柵が設けられているものの、少し体重を掛ければ根元から折れてもろとも真っ逆さまになる未来が見える。ロンガ・バレンシアは、常に柵より半歩以上は距離を取るよう心がけていた。適切な距離さえ気をつけていればさほど厄介な仕事ではない。


 首から下げた笛を口に近づける。

 細い隙間に思い切り息を吹き込んだ。


 人間の可聴域を超えた高音が山に響いた――はずだ、多分。当然ロンガの耳には聞こえないから、正しく笛を鳴らせたのかは分からない。だが彼女もこの仕事を始めて1年半、それなりの経験を積んだ。おかげで、聞こえない笛を鳴らすという一見不可解で難しい作業も難なくこなせるようになった。


 数秒ののち、稜線の向こうに芥子粒に似た影がひとつ浮かぶ。


 目を擦れば見失うほど小さい影を見つけて、ああ、今日も上手く鳴らせたようだと安堵する。やがて似たような何十もの影が見え、それらはロンガの待つ空間めがけて飛来した。


 ばさばさと羽ばたく音のうるささに目を細くしながら、ロンガは彼らの足に括り付けられたものを外してやる。それらは大抵の場合、ごく細く折った紙だ。稀に電子メモリチップを持ってくることもあるが、もしもそんなことがあればロンガは直ちに「紙媒体にて再送要求」と無愛想に書き付けた紙を括り付けて突き返すことだろう。そんな真似をするのはバレンシアをろくに電力も自給できない田舎と――事実ではあるのだが――蔑む不届き者か、何も知らない無知な新米の二択だ。


 バレンシアは、電子メモリチップを読み出すほど電力に余裕がない。


 2年前の秋からラピス全体における発電量は激減した。七都市への発電を賄う【灰雲の街】、フィラデルフィアは発電量減少の理由について黙秘しているため、何度か暴動が起きた。そういう事態が発生した時、通常であれば、責められる先はラピスのあらゆる物事を牛耳っている統一機関のはずだった。だが発電量の激減と前後して、統一機関の権威はずいぶん失墜した。快適で何一つ不自由ない暮らしを約束するから言った通りに働けというのが、統一機関がラピス市民に対し言外に課している、いわば契約である。義務と権利は一対のものなのに、その一方である快適な暮らしが欠けたとなれば信用を失うのは当然だろう。


 人々は統一機関の言うことを聞かなくなった。

 その代わりに文句の声も小さくなった。


 誰もが新都に失望し、それでも尚おのれの役割を果たし続けることで辛くも機能している。最近のラピスを一言で表すならば、庭師のいなくなった庭だ。各々が何となく生態系を保ちつつも、庭を見渡して秩序を維持できる者はもういない。緩やかに崩れ朽ち、あるいは別の均衡へと変化していく。もちろん中には、新たな庭師になりかわろうと目論むものもいる。


 そんな流動的な時勢を反映してか、ラピスの中央都市であるラ・ロシェルには最近おかしな噂が流れていた。


 見覚えのない人間が夜中に徘徊している、という目撃談がいくつも寄せられている。彼らはみな異様に真っ白な肌で脂肪が薄く、肌がそのまま筋に貼り付いたような体型をしているという。その正体は統一機関の残党が作り出した得体も知れぬ殺戮兵器なのだ、など眉唾なオチがつく。


 背筋が冷える怪異話として面白くアレンジされてはいるが、伝報局員ロンガの元に送られてくるのはある程度裏付けの取れている話ばかりだ。


 どことなく、きな臭い。


 バレンシアの住人のなかで一番に、他都市からの情報を受け取るロンガは、ここ数ヶ月嫌な予感が胸の中で育っていくのを感じていた。足に紙を括り付けた伝令鳥(ポルティ)たちに餌をやると、彼らはまた高く羽ばたいて方々の都市に帰って行く。ラピス全域が電力不足に陥り、情報系のインフラが麻痺してから、アンティーク趣味の人間以外は見向きもしなかった伝令鳥(ポルティ)が再び陽の目を見るようになった。ロンガは鳥たちが残らず飛び立ったのを見送ったのち、崖にかけられた縄を手がかりにして足が竦むような舞台からさっさと立ち去った。


 仕事を終えたロンガは、寄宿先の合同宿舎に向かった。


 途中で顔見知りのリヤンと出くわし、一緒に帰る。リヤンは、ロンガがバレンシアにやってきたとき最初に出会った女の子だ。無邪気で明るい性格の彼女に、今ではすっかり懐かれてしまった。


 リヤンと話すのは嫌いではない。

 だが、今日は少し都合が悪かった。

 ロンガは、なるたけ穏便に彼女を先に帰らせるための言い訳を探した。


「リヤン、その、私ちょっと伝報局に引き返したいんだけど」

「忘れ物? 珍しいなあ。いいよ、行こっか!」

「いや――リヤンは帰ってくれていいよ」

「えぇ、なんで?」


 オレンジに染まりつつある陽射しの中で、リヤンの愛らしい丸顔に一点の曇りもない笑顔が浮かぶ。何かに似ているまっさらな笑顔を見て、胸の奥がちくりとする痛みを抱えながら、ロンガは頑なに首を振った。何としても彼女を連れて行くわけには行かない。


 ロンガは少し考えた末、「あっ」と、さも忘れていた大切な用事を突然思い出したかのように声を上げた。リヤンがぱっと顔を上げると、顔の動きに従ってさらさらの髪が踊る。


「いけない。今日、風呂を沸かす当番だった」

「ええっ」


 ロンガの思惑通り、リヤンは瞬時に顔を真っ青にした。


「やばいよ、ロンガ。皆が帰ってきたのにおフロ湧いてなかったら大目玉だよ」


 実際のところは帰ってからでも十分に間に合うし、宿舎の人々はリヤンが怯えているほど簡単に怒ったりしないのだが、上手いこと誤解しているようだ。よし、と内心手応えを感じながらロンガは申し訳なさそうな顔を作った。


「リヤン、もし良ければ……いや、悪いんだけど」

「あー! 私に押しつけようとしてるでしょ」


 彼女は頬に空気を詰めて怒った表情をみせたが、本心でないのは明らかだった。もともと優しい彼女だ、断るつもりもないのだろう。あと一押し、ロンガの謝意を伝える具体的な見返りがあれば彼女は飲むはずだ。そしてリヤンの好むご褒美を、ロンガはよく理解していた。


「新しい髪飾り」


 さりげなく口に出すと、リヤンの肩がぴくっと震えた。

 リヤンは喜びを肌のすぐ下に透かせながら、同じくさりげない口調で言った。


「――イヤリングの方が良いなぁ」

「分かった」


 ロンガが頷くと、リヤンはぱあっと笑った。これで交渉成立だ。彼女は身を飾るのが好きだ。今日も二つの髪飾りにネックレス、靴に付けたブローチと種々多様なアクセサリに身を包んでいる。


「どんなのが良いかなあ、磨いた石を繋げたオトナっぽいの? 木の実を使った可愛いの? それとも革を縫い合わせたお洒落なの……」


 リヤンは今にも歌い出しそうな口調で色々とリクエストを考え始めた。迷って揺れていた視線が、ふとロンガの左耳に向けられる。


 より正確には、左耳からぶら下がっているイヤリングに。


「あっ。太陽のモチーフなんてどう?」


 リヤンは楽しげに言って、ロンガの腕に抱きついた。


「ロンガの、月のイヤリングとお揃いになるし! 太陽と月って、仲良しって感じするよねっ。どうかな、できる? ……あれ。どうしたの」


 怪訝そうな顔を向けられて、ロンガは凍りついていた顔を慌てて動かした。記憶の柔らかいところを突かれて、咄嗟に取り繕うことに失敗したのだ。口の端を持ち上げて、何でもないよと言って笑う。


 太陽のモチーフ。


 良く笑う、明るい性格のリヤンによく似合っている。だけど、今やかつての自分を示す唯一の記号になった月のイヤリングと、対となるものを身に着けてほしい相手は、リヤンの他に別にいた。2年前の自分なら、リヤンにそのまま告げて泣かせていただろう。だが今のロンガは、相手のために言葉を選ぶことを覚えていた。

 だから優しくこう言った。


「私の腕前だと少し難しいかも。代わりにワイヤーで編んだ花はどう?」

「えぇー……お花かぁ。あっ、でも、それも素敵かも!」


 少し気を遣われたように感じたが、ともかくリヤンは微笑んでくれた。

 リヤンに手を振って、ロンガ・バレンシアと名乗っている彼女は、まとい慣れた月のイヤリングを夕陽に煌めかせつつ来た道を引き返した。数多くの伝令鳥(ポルティ)に紛れて、ひとつ、彼女に宛てた私信が届いていた。

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