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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅲ いざないの手紙
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chapitre27. 残香を追って

 ――親愛なるソルへ、ルナより

 


 エリザを名乗る人物からメッセージを受けた。会いに行く。


 罠かもしれない。一縷の望みをかけて洗面所の石鹸を持って行く。

 痕跡として匂いが残るだろう。


 ソル、隠し事をして悪いが、差出人の意向だ。


 朝にもし帰らなかったら、おそらくムシュ・ラムの差し金ではないだろうから、

 彼に相談してほしい。


 それでも、

 もし帰らなかったら、そのときは

 

 許して欲しい。


 *


 リュンヌのベッドに、隠すようにして手紙が残されていた。

 漆黒のインクで記された端正な文字列。強い筆圧で書かれた最後の言葉が、ソレイユの胸を締め付ける。帰ってこない覚悟を持ってリュンヌが出向いたことを知るとともに、昼間、彼女の隠し事を問い詰めなかったことをひどく後悔した。


 身体の芯が縮こまるような不安に耐えながら、白みはじめた地平を見遣った。


 流星(メテオール)と名付けられた装置は、ラピスの上空を旋回しながら統一機関の中庭へ降りていく。初めて見るこの操縦可能な飛行物体は、軍部の所有しているものらしい。小回りの利くサイズと消音羽が特徴的な小型航空機だ。

 アルシュとソレイユ、それに運転手の三人を収納してなお余裕のある流星(メテオール)は、たった一人によって操縦されていた。運転席に座る男はいくつものレバーを引いては戻し、何の値を示すのかもよく分からない計器類に偏りなく視線を飛ばしながら、中庭の僅かなスペースを捉え、揺れ一つない滑らかな動作で流星(メテオール)を着地させた。


「すごいね」


 その手捌きに、ソレイユは素直な賞賛を送った。


「そんな真っ青な顔して褒められてもね」


 彼は苦笑交じりにソレイユの褒め言葉を受け流す。運転していたのはリュンヌの友人であり、軍部の幹部候補生でもあるカノンだ。

 ソレイユとは直接の会話をした回数こそ少ないが、ティアの襲撃事件の折にはリュンヌを助けてくれた恩人でもある。運転席の椅子に慣れた雰囲気で座り、傍らには松葉杖を立てかけていた。カノンの足の怪我はまだ完治していないそうだが、操縦は主に手元の操作で行うらしく、まったく危なげがない。


 言われたソレイユは驚いて自分の頬に手をやった。


「……そんなにぼく顔色悪い?」

「まあね。相方(ルナちゃん)の危機なら、当然でしょ」


 カノンは慰めるつもりなのか、不器用な笑顔を浮かべ、操縦を終えた運転席から片手を伸ばしてソレイユの肩を叩いた。隣に座るアルシュがレバーを操作すると、空気の抜ける僅かな音と共に扉が開く。彼女はそのまま、扉にかけた手を支点に身体を翻して飛び降り、2メートルほど下の中庭に着地して運転席を振り返る。


「ありがとうカノン君。本当に助かったわ」

「良いって良いって。ほら、ソレイユ君も、早く行ってやんな」


 ひらひらと手を振り、カノンはソレイユに降りるよう促した。


「――カノン君は? 来ないの」

「俺はコイツを返しに行く。それからはちょっと悩ませてほしいね」

「悩むって? 何を」

「俺はこの通り怪我をしてる。足手まといになる。……ってのもあるけどさ」


 カノンは怪我をした足に視線を落として、言葉を選ぶ素振りを見せる。常に口角を意味ありげに上げているカノンの顔に、今までと違う色の影が差した。


「今してること、しようとしてることが、賛否両論なのは勿論分かってるでしょ? ソレイユ君たちがやってるのはラピスに対する裏切りなんだから。俺はね、正直言って、百パーセント君らの味方って訳じゃないんだよ」

「……何言ってるの?」


 ソレイユは水を浴びせられたような気分になった。


「先に裏切ったのはラピスの方じゃない。ぼくとルナを塔に閉じ込めてさ、他の人だってそうだ――」

「でも、それでラピスは上手く回っていた」


 硬い声でカノンは言い切った。


 どこかとぼけていて本音を隠すような、普段の口調は鳴りを潜めている。カノンの真剣さを宿した視線が、見えない槍のようにソレイユを貫いた。ソレイユは言葉を紡げなかった。カノンの言葉には、反論できる綻びがない。


「俺は知ってた。快適で文化的なラピスの生活を保障するために統一機関が何をやっているか、とか、その影で犠牲になってる人らがいることも知っていて、その上で片棒を担いでた側の人間だ。――軍部の上のほうにいる奴らは、大抵そうだよ」

「そんな話……」


 言いながらソレイユは、リュンヌが話していたことを思い出した。


 塔の上で幻影に飲み込まれたとき、サジェスを追い詰めるムシュ・ラムの後ろに控えていた大男は他ならぬカノンだった、という話だ。力の上では非力なムシュ・ラムの行動に強制力を与えたのがカノンの存在であったことは今さら確認するまでもなかった。


 彼は政治部の制圧道具として利用されている、ということだろうか。


 ソレイユは薄々理解しながら、それでも認めたくない気持ちを抑えられなかった。カノンは硬く唇を結んで、彼の言葉を待っているようだった。血の気が引いていく感覚に耐えられなくなり、顔を俯ける。


「――そんなの嘘だ。やめてよ」

「本当だよ」

「自分の意思でやったの?」

「ただ、服従していたと言えば責任から逃れられる?」


 自嘲的な笑みがカノンの口元を歪める。


 反語めいた彼の言葉の裏側の意味、すなわち加担の意思があろうとなかろうとカノンは統一機関のやり方に協力していたことを理解し、ソレイユは重い息を吐いた。「分かった」と口にするが、一言ではとても飲み込めないほど衝撃を受けていた。


「……カノン君みたいに本当のことを知ってて、それでも統一機関に賛同してる人もいるんだね」


 自分は、自分の正義を過信していたのだと、ソレイユは初めて自覚した。役割による拘束の理不尽さを説けば、ゼロのように自由を奪われた人たちの存在を知らしめれば、自ずと協力は得られると思っていた。


 なぜなら「間違っている」から。


 ソレイユにとって、それは余りにも当然の帰結すぎた。それゆえに、格差と不自由に満ちた構造こそがラピスの生活を支えている事実は、別の視点から見れば功績でもあるということまで目がいかなかったのだ。


 肩を落としたソレイユを見て、カノンは少し表情を緩めた。


「まあ、俺もラピスのやり方がぜんぶ正しいなんて思わないし……まさかルナちゃんが巻き込まれるなんて思ってなかった。だから今回は協力したんだよ」


 ほら、と言って、ソレイユの目の前に、カノンは小さな袋を差し出した。上辺が紐で括られている革製の袋を、進められるままソレイユは受け取る。受け取った袋は片手に収まるほどの大きさで、軽かったが、中に小指の爪ほどのものが入っているようだった。


「何か入ってる?」


 それは、という言葉に続けてカノンは口元を動かした。ソレイユはすぐにその意図に気付き、その動きに注目して言葉を読み取った。声には出さず唇の動きだけで文章を紡ぐ、リュンヌとソレイユがこっそり会話するためによく使う方法だ。説明し終えたカノンはにかっと口の端を引いた。


「そいつが俺の良心だ」

「――分かった」


 彼の意図をくみ取ったソレイユは、ポケットの一番奥に袋を押し込んだ。扉に手をかけ、飛び降りる寸前に運転席に声をかけた。


「カノン君、ここまでありがとう」

「いーえ。ルナちゃんをよろしくね」

「ねえ、言おうか迷ったけどさ……彼女の名前はルナじゃないよ」


 ソレイユが振り向いて文句を言ったときには、もう流星(メテオール)は飛び立っていた。夜の空気に分け入り、満月の浮かぶ空に溶け込んで遠ざかっていく。ソレイユは少し唇を尖らせる。文句を言うようなことではないのだが、ルナというのは自分だけに許された愛称のような気がしているので、カノンに使われるのが少し嫌だったのだ。


 下で待っていたアルシュが、少し不思議そうな顔で「何かあった?」と聞く。「いや、別に」と、素知らぬ顔で嘘をついた。ポケットにいれた袋を感触で確認する。


 カノンの説明通りなら、これは最後の切り札だ。


 切り札というのは、真っ当な手段で勝負を挑んで通じなかったときに使う捨て身の飛び道具だ。その存在が誰にも予期できないほど効果がある。隠せる間は徹底して隠し、隠していることすら悟らせず、そして賭けるだけの理由がある窮地に陥ったときに、最高のタイミングで切る。ならば、同行者であるアルシュにも存在を伏せたほうが良い。


 ソレイユの意図した通り、アルシュは「そう」と頷いて気にする様子もなく会話を切り上げた。


 中庭から統一機関内部に通じる扉を解錠し、二人は建物の中に入る。幸いなことに、中庭の扉は原始的な物理キーによる施錠なので痕跡は残らない。鍵はアルシュが管理室で複製してきたものだ。オリジナルの鍵は誰でも手が届く場所にあり、持ち出しを記録する必要すらない。

 盗もうと思えば盗めたほど管理が杜撰だった、とアルシュは自分にとって有利な状況にも関わらず眉をひそめた。統一機関のセキュリティの甘さに違和感を覚えたのだろう。


 だが、ソレイユはそう予想していた。中庭に堂々と空から侵入する者がいるなんて誰も想定していないのだ。


 というよりはそもそも、統一機関が全体的に部外者の侵入をあまり警戒していないと言った方が正しい。流星(メテオール)のような航空機は市民に行き渡っていないし、地上の出入り口は作業員と呼ばれる下級職員の目が見張っている。


 そういった物理的な侵入の難しさに加えて、心理的な障壁がある。


 職員以外が統一機関に入ることは、言わずもがな重大なルール違反だ。入れば即座に罰せられ、最低でも数年にわたる行動の制限が掛けられる。それに対し市民には、統一機関に侵入するメリットが何一つないのだ。実際のところ、一般市民が不正に統一機関に侵入したことなどソレイユの知る限り一度もない。


 従って、予期せぬ侵入者に対して統一機関は基本的に脆弱だ。ティアの襲撃事件において即座の鎮圧ができなかったのも、元を正せばそれが理由と言える。


 ただし、それはあくまで統一機関の「表側」においてだろう。


 現に、塔の部屋と祈りの間をつなぐ昇降装置は水晶端末で認証させなければ起動しないようロックされていた。一般職員の暮らす「表側」とムシュ・ラムの属するだろう「裏側」を隔てる壁はずっと高く、巧妙に隠されているはずだ。リュンヌが向かった先にも、簡単に侵入できるとは思えなかった。


 二人は曲がり角に身を隠し、廊下の様子を窺う。見渡す限り無人だった。

 アルシュが絞った声量で問いかける。


「ソレイユ君、リュンヌの行き先を考えて。総当たりは無理。目星を付けて」

「昇降装置で降りたなら、祈りの間だ」


 ソレイユは即答し、アルシュは頷いて歩き出す。

 二人は足音を潜めながら、暗闇の廊下を進んだ。壁には点々と常夜灯が等間隔に灯っているため、明かりを付けなくても歩ける程度の明るさがあり、なおかつ身を隠せる程度の暗さがあるのは幸いだった。


 祈りの間の扉は、やはり施錠されていた。今から思えば、こんな何もない部屋に個人認証型の鍵が掛かっていること自体を不思議に思うべきだった。明らかに統一機関のセキュリティにおける原則から外れているのは、一般職員には間違っても作動させてはならない昇降装置が隠されていたからだ。逆に言えば、入れないようになっている場所こそ怪しい。


「香り、するね」


 アルシュが緊張した面持ちで呟いた。二人は顔を合わせて頷き合う。ミントの香りを発見して以降は、ただでさえ希薄な香りを散らさないよう会話は最小限に留めようと事前に打ち合わせていた。


 ジェスチャを交えながら早足で匂いを追いかける。

 幸いなことに、リュンヌが隠し持っていった石鹸の匂いは強く、二人は迷わずに後を追うことができた。痕跡は階段に向かっており、そこで一度二手に分かれて上下に向かった。しばらく登るうちに匂いが消えたのでソレイユは小走りに引き返し、下で待っていたアルシュと合流した。


「下だ」


 さらに階段を下る。普段研修生が滞在しているフロアを通り過ぎ、作業員が日常業務をこなす下層に入り、五つ下った先の廊下でミントの匂いが続いているのを確認した。会議室の並ぶ廊下を足早に進んでいくと、二人は他とは少し趣の異なる扉の前に辿りついた。その独特な様式を見て、二人は同時に部屋の正体を理解した。


 祈りの間だ。


 水晶に対する信仰を持つ作業員たちのために設けられた場所なのだろう。その扉だけが両開きで、白く塗装され装飾が施されている。上のフロアにある一般職員向けの祈りの間と良く似た造りだ。匂いはその扉の前で途切れていた。


「開けられる?」


 アルシュにそっと視線を送る。扉は個人認証型の鍵でロックされていた。作業員の身分でも開けられるはずなので、ソレイユたち研修生の水晶端末を使えば開けられるかもしれないが、解錠した履歴が残ってしまう。何といっても、リュンヌが向かった先に通じるであろう扉だ。遠隔で監視されている可能性が高かった。

 どうしようかと悩んでいるソレイユの横で、アルシュがペンのような細い金属を取り出し、扉の隙間や蝶番に近づけ始めた。


「それは?」

「探知機」


 簡潔な一言だけを述べて、アルシュは作業を続ける。

 ソレイユがひとまず見守っていると、細い金属の一箇所には電球が埋め込まれていて、それが時折僅かに光を発することに気がついた。探知機というのはどうやら、扉のなかの構造を調べるものらしい。数十秒かけて彼女は仕事を終えた。


「見たところ、この扉の鍵自体はかなりシンプルな造りみたい。こちらの、端末をかざせる側の扉だけ中に配線があって、逆側はただの木の板だね。センサーとかもない」

「ああ、つまり」


 ソレイユは彼女の言わんとしていることが理解できた。


「こっちの扉は壊してもバレないってことだね?」

「そう」


 アルシュは涼しげに肯定する。彼女の大人しげな顔に、ほのかに悪戯っぽい笑顔が浮かんだ。予断を許さない状況下ではあるが、ソレイユの心は少なからず奮い立った。そういった直接的で分かりやすい解決方法はソレイユの好みだった。


「意外と、乱暴なこと考えるんだね。アルシュちゃん」


 アルシュは口の端を小さく持ち上げて、服のポケットから今度は親指ほどの器具を取り出した。蝶番を固定している螺子(ネジ)をくるくると回して、器用に外していく。ソレイユは傾きかけた扉板を支えていたが、床に響く僅かな足音に気がつきその身を強ばらせた。


 腰を落として作業をしているアルシュに耳打ちする。


 二人は慌てて外しかけた扉を元に戻し、少し離れた廊下の角に身を潜めて、扉に近づく人物を盗み見た。ランタンを手にした細長いシルエットは、見間違えるはずもない。


「……ムシュ・ラムだ」


 子音だけで構成されたアルシュの呟きに、ソレイユも頷く。ムシュ・ラムは、幸いドアの異常に気付く様子はなく、扉を解錠して中に入った。その動作はやけに慌ただしく、急いでいるようだった。


 どうする、と二人は目を見合わせた。


 リュンヌの残したミントの香りのみを手がかりに彼女の足跡を追っていた今までに比べれば、ムシュ・ラムを追うのは容易だし間違いがない。だが、扉の向こうに何が広がっているかは全くもって未知だ。相手の領域に一歩踏み込めば、容易に絡め取られてしまう可能性もある。


 一度引き返そう。


 と、口に出しかけたとき、短く強い音のパルスが夜闇を切り裂いて耳に届いた。

 その音が意味するところを理解した途端、頭の芯がかっと熱くなった。ソレイユは足音を潜めるのも忘れて床を蹴り、全速力で走り出した。

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