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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅲ いざないの手紙
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chapitre18. 本と小宇宙

 孤独と退屈がじわじわと体力を奪っていく、そんな折。朝、塔の上にやってきたムシュ・ラムが気乗りしないような顔で「ティアと会話してくれないか?」と持ちかけてきたのは、リュンヌにとって願ってもない幸運だった。


「ティアの言葉を君ならば理解できるそうだ、という話が出回ってしまってな」


 壁にもたれて、ムシュ・ラムは腕を組んでいた。朝7時。いつもはゼロが一人で朝食を運んでくる時間だが、今日はムシュ・ラムが共に装置に乗り込んできていた。二人ぶんの食事をテーブルに並べるだけ並べて、ゼロは階下に戻っていった。ひとり残ったムシュ・ラムは、不機嫌そうに二人を眺めた。


「それは誰が言い出したのですか?」

「カノン・スーチェンという幹部候補生だ。軍部のな」


 頭が痛そうにムシュ・ラムは指先でこめかみをトントンと叩いた。

 彼の挙げた名前に、ソレイユとリュンヌは目を見合わせる。


 カノンとは、リュンヌに度々絡んできた大柄な男の名前だ。ティアの襲撃の折、リュンヌが無傷のまま場を収められたのは、カノンが偶然居合わせたためと言っても過言ではないだろう。礼を言うために病室に訪れたとき、リュンヌは確かに、ティアが話していた言語について触れた。


「彼とは知り合いか?」

「ええ」


 堂々と見舞いにも行ったのだから、変に誤魔化すべきではないと判断してリュンヌは言った。


「顔見知り、といった程度ですが。彼はもう退院したのですか?」

「そうすぐに骨が癒着すると思うか」


 ムシュ・ラムは乾いた笑いを吐き出した。


「今の話は彼を見舞いに行った者からの伝聞だよ。それで、どうなんだ?」


 お前はティアと話ができるのか、と聞かれているのだ。リュンヌは即座の返事を躊躇った。ティアがカフェテリアに現れたあのとき、極限まで追い詰められてどうにか、二、三の言葉を捻り出せたものの、会話の応酬をするには知識量が心許なかった。ティアの語る言語について説明されていた、あの本が手元にあればまだ考えられるのだが。


 リュンヌが「図書館で必要な資料を探して良いのでしたら」と控えめに進言すると、ムシュ・ラムはまたもや苦い顔をした。


「塔から出せと言うのか」

「出るなと言う方が無礼な話でしょう」


 ソレイユが刺々しい口調で言葉を挟んだ。彼はムシュ・ラムへの反抗心をもはや隠さなくなっていた。二人は真正面から睨み合っていたが、ムシュ・ラムの方が先に根負けして目を逸らした。

 これ見よがしに溜め息を吐く。


「まったく、面倒なことを……」


 投げ捨てるようなムシュ・ラムの言葉を、二人は聞き逃さなかった。面倒なことを、に続く省略された言葉は「持ち込んだものだ」だろう。ティアとリュンヌに話をさせる業務を持ってきたのは、どうやら彼の望むところではないようだ。あからさまに気乗りしない様子もそのためだろう。


 ソレイユがちらっとリュンヌに目配せをしつつ、さり気ない口調でムシュ・ラムに話しかけた。


「貴方もマダム・カシェには逆らえないのですね」


 カシェとは、葬送で出会った、ムシュ・ラムが露骨に苦手そうにしていた女性の名前だ。政治部でトップに迫る権力を持つ人物で、見る限りムシュ・ラムとは複雑な関係性のようだ。鎌をかけたようだが、流石にムシュ・ラムには通じず、「誰もマダム・カシェとは言っていない」と冷たい口調で切り返される。


「……分かった。その条件を飲もう、但しゼロを同伴させる。言うまでもないが、逃げようなどと考えるだけ無駄なことを心得るように」


 また明日に、と言って彼は昇降装置に乗り込んでいった。


 彼が部屋にいる間、ムシュ・ラムとソレイユの二人ぶんの苛立ちが部屋で増幅し合っていた。肌を刺す冬の雨のような、とげとげしい空気はとても居心地が良いとは言えなかった。ムシュ・ラムがいなくなったことで、ソレイユを包んでいた空気が幾らか弛緩する。


 部屋の空気が正常に戻り、リュンヌは内心胸をなで下ろす。


 壁にもたれていたソレイユは、ずるずると床に座り込んだ。気を張っていて疲れたようだ。


「こんなに簡単にさぁ……ぼくたちの生活が制限されるなんて、思わなかったよね。図書館に行くのすら見張り付きなんて」


 リュンヌは頷く。決して屈強とは言えないムシュ・ラムは、軍部などに比べて小柄とはいえ、訓練を積んだ二人が本気でかかって倒せない相手ではないだろう。研修生に貸与されている銃だってまだ持っている。


 そんなムシュ・ラムが、ここまで強気に出られるのには理由は何か。もちろん、二人の生命線を彼が握っているからだ。


 幹部候補生として選ばれた人間は、基本的に塔から出てこないとされている。だから塔の下では、二人の不在を誰ひとり不思議に思わない。ここで食事を食べられることも眠りにつけることもムシュ・ラムが手配しているからであり、彼に逆らえば新都で生活の保障を失うのだ。統一機関自体がラピスの一般市民から一枚壁を隔てた組織であり、その更に内部で二人が自由を奪われていることなど、世界の大半の人間にとって知り得ないことだった。


 今までの十九年間、いったいどれだけ狭い世界で生きていたことか。さらに狭い世界に閉じ込められた今になって、初めてそれを実感するのは皮肉なことだった。


 それでも今、リュンヌは塔の上に来てから一番晴れやかな気分だった。


「図書館に行けるのは、嬉しい。たとえ見張り付きだとしても……」


 ガラス張りの天窓から降りそそぐ朝の光を、リュンヌは顔を上げて受けとめる。


 今日は快晴だ。


 初秋の空気を包む、一点の汚れもない青い空。物語のなかで描かれる青空が象徴するのは朗らかな喜びだが、リュンヌの心情もそれに相似していた。本と共に育った彼女にとって、図書館は故郷のようなものだった。それに何より、リュンヌがエリザと共に過ごしたあの半年間、図書館は常に舞台であり続けた。あの場所に行けば、少しだけでもエリザの香りを思い出せる気がする。


 燻った表情をしていたソレイユが、少し表情を緩める。

 彼は眉を下げた笑顔を浮かべた。


「……ルナが喜んでくれるなら、ムシュ・ラム(あのひと)も偶には良いことをしてくれた、って考えるようにするよ」

「それが良い」


 温厚で人を恨むことを知らないような幼馴染が、ムシュ・ラムに不器用な憤りをぶつけて隠さないのは、彼自身の境遇に対する怒り以上に、リュンヌのために怒ってくれているのだ。他人を思いやる姿勢で一貫している。それこそが、ソレイユ・バレンシアという人間の本質だった。


 一方リュンヌはというと、怒りよりは虚脱感に近いものを感じていた。ここがソレイユと違うところで、リュンヌ自身も、自分の行動を少し疑問に思っていた。なぜムシュ・ラムが強引な手法で自分たちを塔に閉じ込めたとき、ふざけた真似を、と食ってかからなかったのだろうか。


 だが、塔の上で長い時間を過ごすうちに、虚脱感の正体が見えてきた。


 彼もまた組織の中の人間だ。

 それが分かっていたから、ムシュ・ラムに牙を剥く気にならなかったのだ。


 リュンヌたちを閉じ込めている力。


 それは、知識と行動の制限によって新都の人間をコントロールしようとするラピスの思想そのもの、そしてそれを体現する『統一機関』という抽象的な概念であり、ムシュ・ラムはそれを二人に見せる窓に過ぎない。窓に文句を言っても仕方がない。ただ、そこにある景色を映しているだけの存在だ。


 敵はそこには居ないのだ。

 彼はただの、保守的なひとりの組織人に過ぎない。


「ムシュ・ラムも、自分の立場に沿って動いているだけだ。怒りをぶつけても仕方ない」


 リュンヌの言葉に、まあね、とソレイユが肩を竦めた。


「ただ秩序を守るために必死なだけ、とも言うね。人を人とも思ってないような方法をとってるのは事実だけど」

「ソルが彼を許せないのは分かる。でも、恨む対象は本当は違うはず」

「そうだね」


 ソレイユの顔からふっと表情が消えた。


「ムシュ・ラムだけが諸悪の根源なら、とっくにどうとでもしている」

「……そう、か」


 思った以上に冷たい目をする友人を見て、どう返すべきか分からなかった。


 時折、ソレイユとの間に感情の乖離を感じる。記憶を奪われたまま呑気に生きていたリュンヌを、彼は歯がゆい思いで十年近く見てきたのだ。到底、想像では補えないほどの長い期間が、背筋を冷やすほどの決意を彼に抱かせた。


 *

 

 久しぶりに服装と髪を整えて、リュンヌはソレイユ共々図書館に向かった。この外出に伴って、ムシュ・ラムは詳細な制約事項を課してきた。


 ゼロを含め、誰とも会話をしないこと。

 ゼロの先導に従い、指定したルートを通ること。

 幹部の人間としてふるまい、不審な行動を取らないこと。

 所定のカードを使って貸し出し手続きをすること。


 その他諸々のルールを、ゼロが機械的に読み上げた。「怪しまれないように振る舞え」に要約されるにも関わらず、後々の面倒を避けるためか逐一具体的に書かれた、冗長なルールにリュンヌは心底うんざりした。


 だが図書館に一歩踏み入れる頃には、その辟易はすっかり消え失せていた。


 重たい扉を押し開けると、独特の匂いを持つ、石のように冷たい空気が流れ出す。扉の隙間に身体を滑らせて中に入ると、見事なステンドグラスが一行を出迎えた。太陽系を象ったとされる巨大なアートは、まだ黎明期だった新都のために、精鋭の工芸人が人生を捧げて作り上げたものだと聞く。そのエピソードに恥じない、素晴らしい出来のステンドグラスは、昼前の太陽光を虹のように彩色して不思議な空間を描き出していた。


 光の降りそそぐ閲覧席、影に潜むように並べられたたくさんの蔵書。


 規則正しく並べられた一冊一冊の本の中に、また別の世界があり、紐解かれる瞬間を静かに待っている。まるで宇宙のような図書館に、太陽系を象ったステンドグラスを飾ったのは、素晴らしい解釈だと感じる。


 図書館に一歩踏み入れた瞬間から、しばらくその空間に圧倒されていた彼女を二つの視線が見ていた。片方は嬉しそうに緩んで、もう片方は整然と、リュンヌを待っている。我に返ったリュンヌは、自分を見る視線に気づき、少し顔が熱くなった。


「――悪い。気が抜けていた」


 ソレイユは返事の代わりに首を緩やかに振った。


 二人は数時間をかけて、リュンヌの記憶にある本を探した。内容や、本の装丁にある程度覚えはあるものの、題名を覚えている訳ではなかったため、捜索には時間を費やした。それらしい本を片っ端から閲覧席の机に積み上げ、内容を確認しては別の机に積み上げることを繰り返した。ひとつの机は積み上げた本でいっぱいになってしまい、二人は席を移動して、また別の机に本のタワーを築き上げた。


 ようやく見つけた目的の本は、厚い本と本の間に隠れるようにして立てかけられていた。


「確かに、この本だ」


 ページをパラパラと捲り、リュンヌが頷くと、ソレイユは言葉にならない声を出して机に突っ伏した。時刻はとっくに正午を過ぎ、空の青色は白みはじめていた。「やっと、見つかったあ……」と、うつ伏せになった顔の下から疲れ切った声音が聞こえる。


「ありがとう。助かったよ」


 リュンヌは苦笑する。もとからあまり読書をしない彼が、進んで本の山を崩すのに協力し、それらしい本があれば「これは?」と聞いてきた。疲れ果てても、最後まで付き合ってくれたのは彼の律儀なところだ。


「本を戻すから、手伝ってくれ」

「もちろん」


 彼は両腕をバネのように伸ばして、ぱっと起き上がった。


「そっちの方がぼく、得意分野だよ」


 散らばった本を腕の上に積み上げて、リュンヌはふと違和感を覚えた。


 ほどなくして、その正体に気がついた。図書館の本にはどれも、蔵書であることを示す証明印が金で箔押しされているのだが、リュンヌが見つけた本にはそれが押されていなかったのだ。つまり、この本は図書館の正式な蔵書ではないことになる。


 小声でソレイユにそれを伝えると、「だとすると持ち出すのが厳しいね」と難しい顔をした。なぜ蔵書でない本がここにあるかという点も疑問だが、それより差し迫った問題だ。正式な蔵書でないということは、貸し出し手続きを通すときにどうしても気づかれるだろう。


「薄い本だしさ、厚い事典で挟んだらどう?」

「そう上手く行くだろうか」


 リュンヌは不安だったが、ソレイユは自信ありげに「平気平気」と笑った。


 彼がやけに強気だった理由は、手続きをするときに分かった。カウンタの奥に座る男性に「どうも」と笑いかけ、ムシュ・ラムから借りたカードを差し出す。話す雰囲気からして、ソレイユはもともと司書と知り合いだったようだ。司書の男は気さくな笑みを浮かべ、片手を挙げて挨拶した。ソレイユからカードを受け取り、ナンバーを記録台紙に書き留める。


 途中でその手が止まり、不思議そうな目でソレイユを見上げた。


「うん? あんた、昇進したのか」

「そんな感じです」


 ソレイユが渡したカードは、幹部候補生以上の身分に貸与される特別なものだ。市民だと貸出期限が二十日と定められているのだが、このカードの持ち主ならば無期限になる。そうかそうか、と彼は自分のことのように嬉しそうに笑いながらカードを返した。

 次に、厚い本を抱えた後ろのリュンヌにちらりと目をやり、「二冊ね」と頷いて台紙に数字を書き込む。事典の間に挟んでいる本が、二人の真の目的なのだが、司書の男性には気づかれていないようだった。


「ああ、面倒だな。そこの紙に書名だけ書いて行ってくれ」

「えー、そんなので良いんですか?」

「わざわざ本を盗る物好きなんていないからな。気楽なもんだよ」


 ソレイユは図書館のセキュリティをいかにも心配しているような会話をしながら、カウンタに置かれたメモ用紙にダミーの書名を書き写した。そそくさと図書館を出て、扉の前で待機していたゼロと合流して塔の上の部屋まで戻る。ゼロが昇降装置で降りていったのを確認して、今度はリュンヌの方が言葉にならない声を零した。


 疲労がどっと押し寄せ、マットレスに倒れ込む。


「ああ、生きた心地がしなかった……」

「ふふ。上手くいったね」


 ソレイユが悪戯っぽく微笑む。

 探していた本は、偽装のために借りてきた厚い辞典の間に収まっている。無事に誰にも感付かれることなくここまで持ってくることができた。


 安心した瞬間に汗が噴き出した。リュンヌは未だ収まらない心臓を手で抑える。


「司書と知り合いだったんだな」

「というか、ラ・ロシェルの人間なら半分くらいは知ってるよ。多分」


 ソレイユはさらりと言ってのける。驚いて聞き返した。


「ラ・ロシェルには二万人いるぞ」

「うん。統一機関の人間ってあんまり出歩かないから、街の人から見ればそれだけで目立つし、話しかけられるんだよ。名前と顔を両方知ってる人だと、もう少し減るけど」

「そういうものか?」


 聞き返しながら、きっとそれだけではないだろう、とリュンヌは考える。


 統一機関においても彼は目立つ。つやのあるオレンジの髪に赤みのある瞳、中性的な容姿は見るものの視覚に、避けられない存在感を訴えかける。


 だがそれ以上に、彼のまとう空気が独特だ。


 持って生まれた社交性、誰にも親しげに話しかける態度、笑顔、愛嬌。そういった要素が積み重なって、彼の周りに人を引き寄せる空間を作るのだ。オーラ、とでも呼ぶのだろうか。リュンヌは、幾度かそれらしいことを彼に話したのだが、その度に「そう?」と、あまり実感していない様子で首を傾げられるので、あまり言及しないと決めていた。


 ソレイユが楽しげな足取りで本を持ってくる。


「さ、戦利品を確かめようよ。せっかくだし、ぼくもティア君と話せるようになりたいな」


 テーブルに開いた本を、二人は両側からのぞき込んだ。

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