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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅲ いざないの手紙
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chapitre17. 停滞の日々

 葬送からしばらくの間は、何もない日々が続いた。


 睡眠と食事だけでは時間が潰せない。一日24時間がこれほど長いものだったのか、とリュンヌは驚いた。ソレイユと二人で「作戦本部」と名付けたリュンヌの部屋に集まり、塔から出る方法や幻像の正体についてなど、様々な議論を交わしたが、情報が限られていることもあり、いくらもしないうちに行き詰まってしまった。


 あらゆる情報から遮断されるのは想像以上に苦しいものだった。


 同じ場所を巡り続ける思考。

 緩やかに傾いた螺旋の回廊を転げ落ちるようだ。


 毎日の記憶にはあまりにも余白が多く、あれは昨日だったか、それとも三日前だったかということさえ曖昧になった。晴れた日があり、雨の日があり、少しずつ季節が秋へと移り変わるのを肌で感じたが、それさえどうでも良いような気がした。色々なことが億劫になり、髪を結う長年の習慣も、宝物のイヤリングを着けるのも無駄なことのように思えた。一方で、少しずつ怠惰になっていく自分を客観的に見て、まずい、とも思っていた。


「このままでは駄目になる」


 とある日の夕刻、空の色が青から藍に移り変わる様子を眺めながら、リュンヌはソレイユに打ち明けた。


「――退屈がこんなに心を蝕むとは思わなかった」

「待つしかないというのは不安なものだね」


 出窓にもたれながら、彼も同意の笑顔を向けた。一点の曇りもない、というには少し疲れた表情だった。停滞した状況のなか、頼みの綱はアルシュだ。彼女は、二人が塔の上にあるこの部屋に閉じ込められていることを知っている。おそらく調べてくれているはずだ。


 だが、何もない日々が続くにつれ、彼女には無理を強いたかもしれないな、という悲観的な思考がリュンヌのなかで強くなっていった。彼女は研修生とはいえ、幹部候補生から惜しくも洩れた立場だ。所属している部門でもない科学部の問題に直接切り込めるような立場かと言うと、少々難しいところがある。ただでさえ相方を亡くしたばかりの、気弱な彼女にそこまで望んで良かったのだろうか?

 彼女の人脈、そして政治部ならではの交渉を駆使することにより、ムシュ・ラムが二人を塔の上に軟禁していることを知る人が多くなれば、集団対集団の構図に持ち込めると踏んでいた。


 だが、そう上手く事が運ぶだろうか。


 嗅ぎ回っていることを知られて、アルシュの身に危険が及ぶ可能性のほうが高いのではないか。


 そもそも――

 彼女は無事に帰ってきたのだろうか?


 アルシュをお供に乗せた、葬送の船が向かった方向に目を向けた。あの川も、塔の上から見るとただの線だ。ごく稀にだが、帰ってこない最後の友人(デルニエ・アミ)がいることを思って、リュンヌの想像はますます暗く萎縮していった。


 窓の外を眺めていた彼女の右頬を、友人の人差し指がつついた。


「そんな顔しないでよ」


 眉尻を下げた笑顔がこちらを見ている。部屋はいつの間にか夜の闇に包まれている。建物の内外における明度の差は昼とすっかり逆転していて、ソレイユの右耳から垂れたイヤリングに廊下の光が反射していた。

 ああ、と首を振って立ち上がり、リュンヌは部屋の電気をつける。


「駄目だな。どうしてこう、暗いことばかり考えてしまうかな」

「仕方ないよ。孤独ってそういうものだと思う」

「……でも、ずっと私は一人みたいなものだったのに」


 突然、寂しさというものを強く意識した自分自身にリュンヌは困惑していた。塔の下にいた頃から、友人はソレイユとアルシュしかいなかった。他にも物好きな人間がたまに近づいては来たが、リュンヌの反応が思ったようではないことを知ってすぐに消えていった。腹を割って話すと第一印象ほど粗暴で意地悪な人間ではなかったとはいえ、カノンも初めはその類いだと思った。


 そんな自分が、一人を好んできたリュンヌが今さら孤独に蝕まれる。

 なんて滑稽な。


 ソレイユは少し笑ったようだった。


「確かにルナは社交的ではないかもしれないけど」

「――うん」


 分かっているが、人に言われるとほんの少しは傷つくものだ。


「自分で選んだ一人と、押しつけられた孤独は違うよ。辛くて当たり前だ」

「うん」


 今度は素直に頷くことが出来た。彼の言うとおり、当たり前のことなのに、どうしてだろう。それを認めるのには心理的な壁があった。


 胸が痛かった。

 リュンヌは窓際から離れ、溜め息を吐いてベッドに倒れ込む。目を閉じて、一体このわだかまりの正体は何だろうと心の水底を浚った。記憶をひとつ取り出すのは簡単なのに、感情に名前をつけるのはとても難しい。それでも、もっともらしい名前を一つ見つけて、リュンヌは考えをそのまま口に出した。


「――後悔してるのかな」

「そうなの?」


 友人の相槌は無機質なのに優しい。真水のように静まった空気は、驚くほど素直にリュンヌの言葉を引き出した。


「あんなに人が沢山いたのに、関わろうともしなかったこと……」


 言葉の最後の方は掠れて消えていった。リュンヌがうつ伏せになってマットレスに顔を埋めると、隣に人が座る振動が伝わってきた。


 カノンとまともに話した、最初で最後になったあの日。今まで興味を持とうともしてこなかった人が、実は想像と違う性格をしていたりするのだと初めて知った。存外、面白いことがあるのだと、あの時は胸が高鳴った。自分の世界が広がる予感は、希望となって胸の中で煌めいた。


 だけど、気づくのが遅かった。伸びてきた爪が手のひらに食い込むほど、手を強く握った。精神的な苦しさを痛みでかき消そうとする、無意識の行動だった。


 彼女の独白を黙って聞いていたソレイユは、ややあって口を開いた。


「ルナ、それを後悔するのはまだ早いよ。ぼくたちの目的を忘れてないよね?」


 リュンヌは頷く。数日前に話したときは今にも手が届きそうな気がしたのに、今はずいぶん遠い目標に感じられた。思い出すまま口に出す。


「ラピスに、自由を」


 口に出してみると、何だか抽象的でぼやけている言葉にも思えた。だけどリュンヌが、その目標を改めて思い返したとき、何かが自分を勇気づけるのを感じた。


「そう。その遂行には人と話し、人を知り、信頼されること。それが必要だ」


 ソレイユはちらりと部屋の外に視線をやりながらそう言った。もうすぐ晩ご飯が運ばれてくる頃合いだ。雑用をしてくれるゼロにこの話を聞かれるわけにはいかない。


「だからね、そういう機会は今から、いくらでもあるからさ。だから……」


 だから泣かないで。


 優しい声が、布が水を吸うように胸に染みていく。重力に従ってこぼれ落ちた水滴を、温かい指先が拾い上げた。

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