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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅱ 幻像と時間
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chapitre16. 平面を臨む

「ムシュ・ラムは、どうしてそこまで……?」


 ソレイユはかすれた声でつぶやき、ゼロがさっきまでいた場所に呆然と視線を投げた。その後の、声にならなかった言葉はおそらく「どうしてそこまでするの?」でも「できるの?」でもなく「しようと思えるの?」だろう。


 リュンヌだって悔しいが、ムシュ・ラムがそこまでする理由は分かる。


 ゼロを新都の裏側で働かせる上で、情報の流出を防ぐために予防線を張ったのだ。情報を発信する手段である声を奪えば予期せぬ告発が防げるし、機密情報そのものも定期的な処理によって忘れさせる。統一機関の科学部に記憶操作のノウハウがあるのは他ならぬリュンヌで立証済みだ。


 そうする理由も、それが可能なことも、理解したくはないが分かる。だが、一体どれだけ人としての心を捨てたら、生身の人間に対してそれほどまでに残酷な仕打ちができるというのだろう。


「ぼくたちがされたような、一定期間の記憶を消すのと、ゼロ君にしてるのは違うことだ」


 ソレイユは扉の方を向いて立ち尽くしたまま、肩を震わせていた。横顔に失望と怒りがありありと表れていた。


「彼が継続的な記憶を持てないこと、それは人格の否定に等しい。ムシュ・ラムは、ゼロ君に機械になれと言ってるんだ」

「ソル、いまは感情的になっても仕方ない。食事を摂らないか」

「感情的って何さ。感情を捨ててるからあんなことが出来るんだよ」


 ソレイユは鋭く言い返した。


 諫めるつもりだったリュンヌの言葉が、逆に彼の逆鱗に触れたようだ。悲鳴に近い声は空気を裂いて、人数に対し不相応に広い塔に響き渡る。言葉の余韻が残る部屋で、二人は気まずいまましばらく見つめ合った。息を大きく吸ったソレイユの顔が、やがて苦い後悔に変わる。


 彼は気まずそうに目を逸らした。


「叫んでごめん。そうだよね」

「いや、分かるよ。私だってムシュ・ラムを庇うわけじゃない」


 リュンヌは首を振った。


「考えていることは同じだ。ゼロへの仕打ちは非人道的だと思ってる。でも、今はどうしようもできない。ここで怒っても誰にも届かないんだ」

「囚われの身だもんね、ぼくたち」


 ソレイユは軽口をたたいてようやく笑顔を見せた。


「うん。ランチを食べよう」


 テーブルを窓際に運んで、二人はテーブルをはさみ両側から手を伸ばす。リュンヌはナイフを取って、トーストにバターを伸ばした。ナイフが一本しかないので、リュンヌは自分のぶんを塗った後にソレイユに手渡した。彼はバターの他にもジャムやら蜂蜜やらを塗るから、先に使わせてもらおうと思ったのだ。リュンヌの想像通り、ソレイユは個包装のマーマレードをトーストに塗っている。


「食事が単調なのは辛いなぁ。焼き菓子が食べたい」


 重苦しくなった空気を紛らわすためか、ソレイユがわざと軽い口調で言った。リュンヌも彼の話に乗っておく。塔の下にいるときは食事を自由に選べたので、甘いものが好きらしい彼は、パンの代わりにマフィンやワッフルを食べていた。


「せっかくだからバランスの良い食事とは何たるかを学ぶと良い。いつも思うがソルの食事は偏りすぎだ」

「焼き菓子は卵を使ってるし、あとオレンジジュースとか飲んだらどう?」

「それは糖分の取り過ぎだ」


 リュンヌは呆れて笑った。


「講義でやっただろ?」

「ルナほど記憶力ないけどね、流石にそのくらいは覚えてるよ」


 ソレイユが開けた口にトーストをくわえる。一口かじって飲み込んでから言った。


「でも、そんなに一から十まできっちり守る必要ないでしょ。ほら、遺伝的に……」


 そこまで言って彼は一瞬動作を止めた。


 ラピスの人間に共通した体質のことを言っているようだ。遺伝的に、新都の人間は、多少の個体差や発育による差はあるものの、ある程度頓着しない食生活を送ってもすぐには支障が出ないようにデザインされている。いわゆる野生(ソヴァージュ)の人間ではない限り、よほど偏った食事をしなければ体調に支障を来さないだろうと言われている。とはいえ限度はある。


 リュンヌは、言いかけて止めたソレイユに苦言を呈した。


「流石に何を食べても良いというわけでは……」

「いや、うん、分かってるよ。ごめんね」


 彼は取りつくろうような笑顔を浮かべた。

 突然物わかりが良くなったように見えたが、ソレイユが普段通りの調子に戻ったようなので少し安心した。


「さて、さっきの話を続けようか」


 ソレイユが、トーストの最後の一片を口に放り込んだ。飲み込んでから話し出す。


「幻像について分かったのは、幻像は水晶を核として発生し、それを破壊すると消失するってこと。それから、幻像の中では別の時間の様子が見える、ということ」

「異論ない。そうだ、書いておくか」


 ジャケットのポケットから小さいノートを取り出して、リュンヌはその内容を書き留めた。水晶端末(クリステミナ)にも記録機能はあるが、こういうときは原始的な手法の方が頼れるものだ。


「それから、ひとつ気になることを聞いたよ」

「というと?」

「あの白い光を、前にも見た人がいるらしい。いつだと思う?」


 持って回った言い方だが、すぐにはそれらしい答えが出てこなかった。リュンヌは数秒考えたが、諦めてベッドのヘッドボードにもたれ掛かる。 


「さあ、分からない。いつだ?」

「あの朝だよ」


 ソレイユが人差し指を立てた。その指先に、少し高度を下げた太陽が重なり、その眩しさにリュンヌは目を伏せる。


「ティア君が現れた、あのときだ」

「……ティア?」


 予想外の名前がここで出てきて、頭の中で因果関係を結ぶのが少し遅れた。だが思い返せば、ティアは時間転送装置の影響でどこか別の時間から連れてこられたのではないか、とムシュ・ラムが言っていた。

 あの事件と、過去や未来の景色を見せる幻像(ファントム)はいかにも関係していそうだ。


「なんで今まで忘れていたんだ」


 リュンヌは舌打ちした。


「もっと早く関連付けて考えるべきだった」

「後悔しても仕方ない。とりあえずぼくの聞いた内容をルナにも共有するね。情報元は、政治部の幹部で、葬儀に出席していた人だ。幻像に飲み込まれたときすぐ近くにいたんだ」


 そう言って彼は話し出した。


 *


 時間は少し戻り、葬儀の途中。

 ぱっと弾けた白い光球がソレイユを飲み込んだ。僅かな熱を伴う壁のようなものが、自分の周りをゆっくり通り抜けていく感覚があった。


 眩しさに目を閉じる暇もなく、あっという間に全身が光に覆われる。これが、ルナの言っていた『過去の景色が見える』というやつか、とすぐに気づいた。よりによってこんな人の多いところで発生してしまっては、混乱を解くのに難儀しそうだ。


 目を開けると水没した街にいた。


 幻像のなかでは自分以外の姿は見えない。だが、物理的な肉体は元の場所にいるので、周囲の音は聞こえる。ソレイユが注意深く歩き回ると、すぐ近くに狼狽えている人の声が聞こえた。ソレイユはそちらに手を伸ばし、腕をつかんで声をかけた。


 声は戸惑いながらも、話しかけられて正気を取り戻したらしく、自分の身分を明かした。ソレイユは幹部候補生とだけ名乗り、自分がこの幻像について知っていることは伏せた。下手に歩き回ると人にぶつかって危険だから、安全な場所で待機しようと彼が言うのでソレイユも従った。


 水没した街を眺めながら、その幹部はそういえば、と言った。昨日の朝、食堂付近で起こった襲撃事件を見ていたか、と彼はソレイユに聞く。本当は当事者なのだがそこは伏せて、情報が出回っていましたね、とソレイユは曖昧に答えた。

 すると、幹部は、自分はあのときすぐ近くにいたんだが、廊下に突然白い光が広がった気がしたんだ、と言った。一瞬のことだが、廊下に太陽が落ちてきたのではないかと思うほど強い光だったらしい。


 その光は直視できないほど強く、幹部が目を遮ると数秒のうちに消えた。そして光があったはずの場所には、たったひとり、体躯に不釣り合いなほどの銃を構えた少年が立ちすくんでいたのだ。彼はしばらく呆然としたのち、激しい悲鳴を上げて食堂の方に突っ込んでいった。


 *

 

「その後は、ぼくらが知ってるとおり」


 これで話はお終い、というようにソレイユは口元に笑みを広げた。見ていたのに即座の対処が出来なかったのか、とリュンヌは内心で幹部を責めつつも、「なるほど」と頷いた。


「過去や未来が見えるだけではなく、その場所にいる人間を連れてくる。そういうことだろうか」

「素直に考えればそうだけど、いくつか矛盾点がある」

「矛盾点? ああ、そうか。それだと、私が今朝見た幻像(ファントム)はおかしいよな」


 あの幻像の中には、二年前と思わしきムシュ・ラムとサジェスだった頃のゼロ、それからカノンがいた。それにも関わらず、彼らは幻像の消失と共にいなくなった。ティアのように、別の時間に連れ去られることはなかった。


「そう、そこが矛盾。それから、もう一つ気になる点があって……ルナ、ティア君の歳は幾つくらいだと思う?」

「8歳くらいか。あの年齢の子供が統一機関にいるはずがない、ということだろう?」

「うん。不思議でしょ?」

「不思議でしょ、って」


 リュンヌは少し拍子抜けした。


「その点についてはどう考える?」

「それは、正直分からない。だって、ティア君が未来から来たのだとして、その時は統一機関のシステムが変わってるのかもしれないし、始めからあんな本気の銃を持っていたところからして、統一機関のセキュリティがもはや存在しないほどの混乱状態に陥っていた可能性もある」


 詰まるところ、未来のことだから分かりようがない、ということか。こうなっているかもしれない、という前提で議論するのが許されるなら、どんな無茶な発想でも可能になってしまう。分からないことについてむやみに考えても、有益な結論は得られないだろう。


「一番いいのは、ティア君に話を聞くことなんだけど」


 ソレイユはうーん、と首をひねる。


「でも難しいかな。ぼくらはこの通り囚われの身ってやつだし、ティア君もおそらく厳重な警備の下にあるだろうね」

「それに彼は言葉を解さない」


 リュンヌはそう言って、少し違うなと思い訂正した。


「正確には、私たちとは違う種類の言葉を使っているようだ」


 そう言ったとき、リュンヌの頭の中に、ふと思い出された光景があった。エリザとの図書館での記憶だ。今朝、蓋を開けたばかりの、閉ざされていた思い出はまるで昨日のことのように再生できる。しかし、矛盾するようだが、記憶の多くは未だ眠りについている。思い出すためには、拾ってやらないといけない。その記憶の存在に気づかないと、つまり忘れていることを忘れたままになってしまうのだ。


 違う種類の言語。

 その概念がキーワードとなり、リュンヌはとある記憶を解凍した。


「エリザは役割がない世界、つまり過去から来たのでは、という話を前にしたな」


 彼女の言葉に、ソレイユが頷く。


 エリザは度々、昔は、という言葉に続けてリュンヌが知らない世界の話をした。その昔というのは創都前の世界で、エリザはそこから来たのではないか、というのは二人が以前に議論したことだ。


 エリザが語った昔話に共通して見られるもの。


 それは多様性だった。ラピスとは比べものにならないほどの人の多さ、役割の豊富さ、文化の多彩さ、信じる神の多様さ、そして。


「過去には数え切れないほどの、言葉の表現様式があった、らしい」

「なるほどね。ラピスの中でも地方ごとに微細な言葉の違いがあるけど……」

「それとは比べものにならないほど違ったそうだ。語彙や発音の違いはラピスの中でもあるが、そもそも文法や書き文字の形が違う」

「そんなに色んな言葉があって、どうやってコミュニケーションを取ってたの?」


 ソレイユが心底不思議そうな顔をする。当然持つべき疑問だが、エリザとの記憶を取り戻した今のリュンヌは、それに対する答えを持っていた。


「彼らは時間をかけたんだ」


 自分の口から出る言葉に、エリザの声の記憶が重なる。


『どうして世界中のひとが話せるようになったの?』

『みんなが頑張った結果よ。必ずわかり合えると信じて、一つ一つひもといていったの。その結果、少しずつ世界は一つになったんだ』


 エリザは幼き日のリュンヌに語りかける。

 その目は輝きと、過去の人々の仕事に対する尊敬で溢れていた。


「新都とは比較にならないほどの人がいて、比較にならないほどの歴史があった」

「それが旧世界……」


 どこか遠くを見るような目で、ソレイユが呟いた。


 リュンヌはベッドから立ち上がり、窓際に立つ。高層のこの部屋からは、ラピスの端まで見渡すことができた。遠近法に従って街並みが伸びていき、遥か遠くの、地平線を縁取る山脈まで続く。二人はしばらく、言葉を交わすのを止めて生まれ育った地を眺めていた。


 今まで、ラピスは広いと思っていた。だって端から端まで歩くのに、二日はかかる。一生かけても出会わない人のほうが多いくらいには人口がいる。


 だけど。


 地平線の向こうのことを、リュンヌは初めて考えた。あの向こうに何があるか。そんなこと、今まで考えたこともなかった。だけどあれが世界の終わりではないのだ。山脈を越えたらまだ見ぬ世界があり、それはずっとこの星の裏側まで続いていく。かつてはそこに無数の街があり、畑があり、人が住んでいた。


 かつて世界は球体だったのだ。 


 もちろんリュンヌは、そしてソレイユもラピスの市民も、自分たちが住んでいるのが地球という星で、それが球体をしていることを知っている。


 でも、現実にラピスに住む人にとって、世界は平面だった。


 だって一生涯、あの山脈より向こうに行くことはない。だから、誰も向こう側のことを語らないのだから、世界が球体である必要がなかったのだ。


 それは。

 それは、なんだか。


 なんだかとても不自由だ、と思った。


「ソル」


 声をかけると、彼は夢から醒めたようにはっとした顔になった。


「ラピスの秩序を変えたいと、そう言ったな」

「――うん」


 驚いたような瞳に、次第に意思が宿る。


「役割制度や、事実の隠匿によって人々を無理やり制御しているのはおかしいと思うんだよ。エリザのことを思い出したルナなら共感してくれないかな」

「言いたいことは分かるけども、正直、感情が乗らないところはあった」


 彼を困らせないように、リュンヌは頑張って口元を上げた。


「――私はソルのように利他的にはなれないから。自分が安寧ならそれでいい、とも少し思う」


 ソレイユは何か言おうとして口をつぐむ。でも、とリュンヌは続けた。


「でも、この狭いラピスのなかに人を閉じ込めているのは、少し許せないと感じる。本当はもっと広いのに、ラピスの外側には何もないような顔をして、地球は平面だと感じさせたまま一生を終えさせるなんて。非人道的だ」

「ルナ……」


 聞き終えたソレイユが、あは、と笑った。


「じゃあぼくたちの目指すところは同じだ。もっと広い世界を見たい。自由になりたい。そういうことでしょ?」

「――そこまで話を大袈裟にするつもりはないけど」


 ソレイユに比べると、きっと、リュンヌの胸に浮かんだ憤りは笑ってしまうほど些細だろう。ただ、ラピスの市民が新都の外側にある世界を認識すらしていないことを、あらためて悲しく感じただけだ。


「でも、少し分かった。ソルが何を目指しているのか」

「それは今朝、ぼくが話したことへの答え?」

「そう。ラピスに真実を広めたい、っていう話」

「そっか。あれはね、ただ、ルナに認めて欲しかったんだ。ぼくの綺麗事は間違ってない、ってさ。別に正解だと言ってくれなくてもいい。ただ、間違いじゃないって、それだけが欲しかった」


 一つの物事の正解や不正解を、あまりはっきりとさせないまま受け入れるのが彼の特徴だ。そういう性格のソレイユが、ラピスを根本から否定するような意思を持ち続けるのはきっと想像以上に難しかったのだろう。だから、リュンヌは言った。


「ソルが考え抜いた結論なら、間違っているはずがない」

「それはちょっと違うよ、ルナ」


 彼は苦笑を浮かべる。


「この人が言ってるから、で信じちゃうのは危険なんだからね?」


 でも、と続ける。感情を抑えるように口元をぎゅっと引く。


「ありがとう。その言葉がずっと欲しかった」



 Ⅱ 幻像と時間 了

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