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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅱ 幻像と時間
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chapitre15. 幻像

 葬儀は滞りなく進み、リュンヌたちは棺の乗った船を見送った。


 船は川の流れの導くままに下流に向かって流れ、数日後に沈むように設計されている。木造の船は、釘を使わずに接着剤だけを用いて作られている。接着剤が川を進むうちにゆっくりと水に溶け出していき、最後には船が自壊するのだ。


 同乗者である最後の友人(デルニエ・アミ)は多くの場合、最後の時間を死した人間と共に過ごしたのち、ラピスの中心都市ラ・ロシェルを出た辺りで船を下りて戻ってくる。川はラ・ロシェルを出ると、スーチェンの隣を通り、リュンヌたちの故郷バレンシアのすぐ近くを通って、ラピスの外に流れていく。その先の川がどのようになっているのか、ラピスの人間は誰も知らないが、先は急峻になっていてひとたび降りるタイミングを逃すと二度と帰ってこられないのだとか、あるいは人の知り得ない力が働いていて迷い込むと帰ってこられないのだとか、まことしやかに色々な噂が囁かれている。


 というのも、数年に一回程度のことだが、葬送の船に同乗した最後の友人(デルニエ・アミ)がそのまま帰ってこないことがあるのだ。


「どうぞ、黙祷を」


 呼びかけに従って、参列者たちが手を組む。流れていく船にぽつんと座るアルシュの姿は、もう遥か遠く、その顔が判別できないほどの距離にあった。死者の冥福と、それからアルシュの無事な帰還を祈って、リュンヌは目を閉じた。


 再度、ソレイユとリュンヌはムシュ・ラムに連れられて塔に戻った。

 昇降装置に乗り込んだ途端、彼は険しい目をソレイユに向ける。


「あの出鱈目を流したのは君か。ソレイユ」

「最善の対応であったと思いますが。あの場で何もかも公にしたほうが良かったですか?」


 もはやムシュ・ラムに対する反感を隠さずに、顎を上げてソレイユが言い返す。


「責めているのではない。情報の出本を把握する必要があっただけだ」


 ムシュ・ラムはソレイユのとげとげしい口調を受け流して、わざとらしく肩を竦めた。


 彼らが塔の上の部屋に戻ると、ちょうどガラス天井に太陽が見えていた。午前中の時間は葬送でほとんど使い切ってしまった。後でゼロが昼食を持ってくる、と言ってムシュ・ラムは下に降りていく。無機質に床に吸い込まれていく、円筒型の昇降装置をリュンヌは硬い表情で見送った。ガタン、という床と装置が同化した音によって、嫌でもここが狭く閉ざされた空間であることを認識する。息が詰まるようだった。


 そんなリュンヌとは対照的に、ソレイユは颯爽と凪いだ空気を横切って廊下に出た。


 彼はリュンヌが今朝目覚めた部屋に向かい、窓を開けた。流れ込む風は仄かに冷たく、季節の移り変わりを感じさせる。よっ、と軽く後ろにはねるようにして、ソレイユは出窓に腰掛けた。そこが気に入ったらしい。背後から吹く風が、オレンジの滑らかな髪を揺らした。


 ソレイユはぐるりと部屋を見回した。


「どれも同じような部屋だし、名前が欲しいね。作戦本部でどう?」

「私の寝室を会議室にする気か」


 ベッドに腰掛けてリュンヌが眉をしかめると、「だってここが一番見晴らしが良いんだよ」と当然のように言われた。さて、とソレイユがひとつ咳払いをして、話の流れを変える。


「で……さっきの光が見せた幻像(ファントム)。あれはルナが朝見たのと同じだね?」


 ソレイユは、あの白い光のなかで見える過去や未来の景色を指して幻像(ファントム)と呼んだ。確認するような彼の言葉に、リュンヌは少し迷いながらも頷いてみせる。


「多分」

「曖昧な物言いだね」

「私は同じだと思っているけど、違う点もあった」


 思い返せば10分にも満たない記憶を揺り起こしながら、リュンヌは一つ一つ比較していく。


「ソルの言葉を借りると、幻像(ファントム)のなかでは現在とは違う時間の景色が見える。そこは共通している……」

「うん。でも」


 ソレイユが顎に人差し指を当てた。首を僅かに傾げる。


「洪水で沈んだラ・ロシェルの街。あれは過去の景色ではないよね?」

「ラピスの歴史上にあんな事実はない。川が氾濫したことすらないはずだ」

「うん。じゃあ、あの時見えていたのは未来なのかな。ルナもそう思う?」

「あり得なくはない、と思ったけど」


 ソレイユに疑問を向けられると、自分の考えにあまり自信が持てなくなった。んん、と唸ってソレイユが片頬を膨らませた。


「とりあえず置いておこう。他に共通点はあるかな?」

「多分だけど、幻像は水晶を核にして発生している。時間転送装置の水晶がそうなのはもちろんだけど、広場で発生したものも、中央に水晶があった。――誰かが装身具として着けていたものかな。それで、その水晶の破壊と時を同じくして、幻像が消えた」

「破壊した」


 ソレイユはぱちぱちと瞬きした。


「ルナが?」

「私ではなく……多分、ゼロが」


 確証は持てないながらも、リュンヌはゼロが水晶を砕いた経緯について説明した。彼女が放り投げた水晶を、ゼロが空中で射貫いた段まで話が至ると、すごい、と言ってソレイユは目を見開いた。


「そうか、言ってたね。ゼロ君とサジェス君が良く似てるって」

「そう。弓術に秀でているという話とも、一致するだろう」

「やっぱりサジェス君、本人なのかな。人がいる方向に目掛けて射るわけに行かないから、そんな手段を取ったんだね」


 瞬間的で合理的な判断と、それを実行するだけの磨き上げた能力と度胸。リュンヌにとってはまだほとんど接点のない相手ではあるが、ゼロが幹部候補生に選ばれるだけの素質を備えているのだと感じさせた。


「それで、幻像は消失した。つまり、水晶と幻像は対応してるわけだ」

「そうなるな。でも」


 ソレイユが話を進めたので、リュンヌは思考を切り替えた。


「水晶を核にして幻像が発生するなら、もっとそこかしこで発生していてもおかしくない。他に何か条件があるんじゃないか」

「確かにそうだね」


 ソレイユは頷いた。


 個人用携帯マルチデバイスである水晶端末(クリステミナ)をはじめとして、ラピスはどこも水晶だらけだ。

 水晶は電圧をかけると微細振動を生み出すだけでなく、光学技術と組み合わせることで莫大な情報を保存できるので、あらゆる科学技術において、なくてはならないものだ。少し山を歩けばありとあらゆるところに析出しているので、前期科学革命の主軸を担った、とラピスの技術史の本には大きめの文字で書かれている。


「逆に、他の条件がない方が怖い。そこら中で幻像が発生することになるからね」

「そうだな。追って考えよう」


 二人の会話はそこで中断した。昼食を持ったゼロが塔に上がってきたのだ。中央の部屋にある昇降装置から降りたゼロは、二人が外縁の部屋にいるのに気づき、こちらにまっすぐ向かってきた。小さな丸テーブルに料理が並べられる。トーストにサラダ、茹でた卵とソーセージ、スープ。それから水の入ったピッチャー。


 ゼロは最適化された動きで、淡々とトレイからテーブルに食事を移動させる。ソレイユは話しかけるタイミングを伺っているようだった。一礼して彼が立ち去ろうとしたとき、「待って」と声をかける。


「少しだけいいかな?」


 ゼロは頷きも、首を振ることもせず、ただその場で無機質に振り返った。


「あのね、リュンヌがお礼したいって」


 ソレイユはそう言って、リュンヌに視線をスライドさせた。「ね?」と声に出さず笑いかける。リュンヌは頷き、会話を切り出す。


「あの、先程は助けられた。水晶を砕いたのは貴方だろう。ありがとう」

「……先程とは、いつのことだ?」


 初めてこの部屋でゼロが言葉を発した。やはり広場で聞いたのと同じ、渇ききった喉を無理やり震わせたような声だ。発声に何か障害を抱えているのかもしれない。


「いつ……?」


 リュンヌは戸惑いながら、その妙な質問への答えを考えた。


「二時間ほど前になるかな。葬送の半ばだ」


 リュンヌが水晶端末(クリステミナ)で今の時間を参照して答えると、ゼロは極めて当然のような顔のまま、驚くべきことを言った。


「一時間前に記憶処理を受けた。従って二時間前の記憶は存在しない」

「記憶処理……?」


 ゼロの言葉を境に、塔の上の時間はしばらく停止した。そんな錯覚を持ってしまうほど、誰ひとり動かなかった。文法的には簡単なゼロの言葉が、かみ砕かれ、情報として脳に解釈されるまで、普通とは比較にならないほどの時間を要した。


「そうか。(ゼロ)とはつまりそういう意味か」


 ソレイユの、感情を強く抑制した声で、ようやくリュンヌは我に返った。


「頻繁に記憶処理をされているのか、貴方は」

「1日に2回だそうだ。正午と深夜に1度ずつ」


 ソレイユの質問に対し、他人事のようにゼロは答えた。いや、他人事なのだろう。忘れる前の人格はもう彼のなかに存在しないのだから。彼にとってそれが当たり前なのだから。


「そうか。時間を取らせて悪かった」


 リュンヌの言葉にゼロは機械的に首肯し、突然、身体を折って大きく咳き込んだ。顔を歪め、壁に手を突いてなおも収まらない。二人は慌てて立ち上がり、よろめく彼の身体を支えた。


「喉を痛めてる? 無理に喋ってもらってごめんね」


 ソレイユが心配そうに言う。間接的に窺える情報からも、ゼロがあまりいい扱いをされていないのは目に見えた。彼の生活圏では衛生環境が良くないのかもしれない。


 だがゼロは、咳が治まると、口元を手で拭いながら首を振った。


 そして、首元にずっと巻いていた赤いバンダナを外す。あらわになった自分の喉元を指さし、「これのためだ」と口の動きで言った。


 荒れた浅黒い首筋に、傾いた十字の傷があった。

 深く刻まれたバツ印は、明らかに人為的につけられた傷跡だ。


 ゼロは記憶だけでなく、声まで奪われているということらしい。生々しい傷跡に静まりかえった二人を見て、これ以上用はないと判断したらしいゼロはくるりと踵を返し、料理を載せていたトレイを持って階下に降りていった。


 ソレイユが顔を伏せたまま、ぽつりと「悔しい」と呟いた。


「ムシュ・ラムは、どうしてそこまで……?」

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